空から落ちた流れ星。
腕を伸ばしても届かない。
わかっていて……それでも伸ばす。
小さな小さな指先。
………掴ませて。
その眩さを。
その…あたたかさを……………
祈った視線の先に佇むは誰…………?
祈りの声
空が重苦しい。
………そんな差があるわけもないのに、そう感じる。それが自分の感情故だとわかっている子供は皮肉げに口元を歪めた。
感情なんて、自分にはない。そうずっと思って生きてきた。
そう……生きることが正しかった。
感情は嫌悪とともに好意を生み出す。嫌悪や好意は……執着を生む。
執着は幽玄の身にはあまりに儚く………恐ろしい言葉だった。
自分には相容れない音。だから封印した。求めることも忘れて、ただ符を操るククリの呪者であろうと……符の人形であることを諾としたのに。
暗闇の中自分もそれに溶けて消えてしまうことを祈って…………………
それなのに、消えなかった。
朧だった輪郭が浮き彫りとなり、ククリの呪者に、名が与えられた。
………囁かれるためにある、自分のための名が。
闇を模したこの身にも注がれた。
蜜色が……降り注いだ。
心地よさと安堵を知った身に、唇を噛み締める。………それでも…手放せないと知っているから。
手放すことが正しいとわかっている。知っている。
それなのにもう…………
布団の中、窮屈そうに小さな肢体は元気に四肢を伸ばしている。………まるで早く大きくなりたいと囁くかのように。
額にはもうない、自分が彼を巻き込んだ証。妖怪と関わる第一歩を歩ませたのは、確かに自分。
関わることを強制させた唇が、囁く。……もう関わるなと。
知ってしまえば子供が手放せるわけがないと何故気づかなかったのだろうか。
見てしまったなら子供が捨ておけないと……どうして……………………
気づくわけがない。ずっと闇にいた身に、人の持つ灯火なんて…信じられなかった。
どうせまやかしだと思った。まやかしだと…信じたかった。
そうすれば巻き込んだことに呵責なんて覚えない。自分の駒となり傷んだ身体を抱えて戦えばいいと、思えるのに。
伸ばした指先が月明かりを浴びて仄かに光るその髪を掬った。硬質な髪は、自分の意志などお構いなしに跳ね………また額に落ちる。
子供もまた、自分の言葉など耳も貸さずに駆けていくだろう。関わるなといっても、言えば言うほどに子供は笑って腕を伸ばす。
友達を助けることに理由なんてないと、彼は笑うのだろうか…………?
そんな存在として、認められる命ですらない自分達に対して。
惜しむことなく捧げられる思いを居心地いいなんて感じてはいけない呪われた身に、歯痒そうに少年の爪が食い込む。
膝に爪が食い込んでも、血も流れない。人のそれとは違う、傷つくことを知らない身に、憤りをぶつけることの愚かしさもわかっている。
………噛み締めた唇でさえ、赤く熟れることがない。
何もかもが対極だ。赤く色づき果てるまで戦うだろう子供とは…………………
悲しい、なんて思わない。そんな自分だからできることがあると信じたい。
そう思うことこそが、子供の影響。ゆっくりと…知らぬうちに変えられていく自分を……それでも嫌だとは思わなかった。
幼い寝顔のままに明日を信じ、笑みを絶やさない子供の頬に月明かりが滑る。
静寂の室内。子供の寝息すらもが張り詰めた己の気配に飲み込まれて聞こえなくなる。………青白く月が舞う。眩い陽光の髪を願うように、注がれる。
しっとりと落ちた月の雫が子供を捕らえるわけではないけれど…一瞬の喪失感に息を飲む。
震えることを自制した指先が、恐る恐る伸ばされる。
子供の唇に触れ…その吐息を確認した瞬間の全身を駆けた安堵。
この先幾度、こうしてその生死を確認しなくてはいけなくなるのだろうか。
あるいは凍れる指先で子供の灼熱を探って……帰らない灯火に絶望を覚える日が……来るのかもしれない。
脳裏を掠めた暗い予感を噛み締めた唇が受け止める。………受け止めきれない激情に悲鳴をあげるように歯が軋む。
………感情なんてないままでよかった。人を人と思わないままで……よかった。
興味など持たなければよかった。そうすればこの魂が危険に冒されることなく人としての生を全う出来たかもしれないのに。
なにもかもが…今更すぎる。
もう手放すことなどできる筈もなく、まして自分達が離れたからといって子供が関わりを無くせる時間はとおに過ぎ去ってしまった。
ならば……守りたい。
子供がその目に映る全てを愛しむように、自分にとって愛しいのはこの魂だから。
己の血に塗れ己の身体を傷つけて誰かのために進むのなら、自分はその身にかかる負担を少しでも軽くする。
それくらいのコトしか、自分には出来ないから。
………子供の友人たちのように、子供を笑わせることも、楽しませることも出来ない、から……………
そばにいることを厭われないように、強くなる。
たとえ一時の別離を強いられようと………………
唇を覆ったままの指先を滑らせ、少年は子供の頬を静かに撫でる。……はつらつとした子供の、独特のやわらかな肌。
これを赤く染めはしない。何一つ…子供の身を削ることなく終止符を打たなくては。
…………異形を括る己の使命を忘れたわけではないけれど、それでも自分はこの命を愛でたいと思ってしまったから。
たった一度の我が侭ぐらい、甘受されていもいいはずだ。この長い悠久の時をたった独り生き続けたのだから……………
祈るように……誓うように。優しくその髪を梳いてみれば子供がくすぐったそうに眉を顰める。
掠れた吐息に近い寝言を零し、薄らと瞼が開く。はっきりとは示されない視線にいまだ夢幻の住人であることを知り、微かに少年が苦笑を零す。
それを感じたのか、子供の腕が微かに動く。……緩慢な動きが眠りの深さを知らしめているようだ。
自分の髪を弄んでいた悪戯な指先を見つけ、子供は楽しげに笑む。
明日も、やっぱり一緒。同じ家に暮し、眠る時に声をかけて起きればまた、声をかける。
そんな当たり前、自分はあんまりにも知らなかったから。楽しくて仕方がないのだ。年も…正確には外見というべきなのだろうが、近くて。
考え方なんてまったく違くて口喧嘩ばっかりで。………だから、楽しい。本気でぶつかり合える友達が少ないことくらい、もうわかっている年だから。
………だから笑んだ口元が消えるわけがない。
微睡む声でおやすみと囁けば、困ったように揺れた指先。それに微かな疑問を残しながらも、さざ波のように寄せた睡魔に抗いようもなく、子供は薄く開かれていた瞼をゆっくりと閉じた。
その手はいまだ少年の指先を包んだままに…………………
眠りに落ちたことを吐息で感じ、少年は子供の腕を取ろうかと腕を伸ばす。……触れてみれば、やはりあたたかな肢体。
冷たく凍ることなどないと、夢想を見る。それを現実にしたければ……自分は強くならないと、いけない。
ほどいた指先は力なく垂れ、その幼く伸び切らない指先に…未だ守られる立場にいる筈の子供を思う。
戦うことなんて、知らなくても生きられた。巻き込んだからには………責任が自分にはある。
それを理由にエゴで子供を縛り付けていることくらい……わかっている。
優しくされたなら心許す幼い子供。危なっかしくて見ていられない、自分だけの憑カワレ。
…………もう、符が彼を括ることはないけれど、それでも願ってしまう。自分が彼の唯一であることを………………
愚かしいと小さく囁き、少年は手放せないまま鎮座している己の掌に包んだ子供の指先を引き寄せる。
愛しくその爪先に口吻けて、吐息を吹き込む。
赤く、染まることのないように。己の血に塗れぬように。
願っても叶えられることがないことくらい知ってはいるが、それでも溢れた祈りをすげなく捨てることも出来ない。
「生きろよ…天馬………」
なにを犠牲にしても、生きればいい。鮮明な魂を色褪せることなく携えて、生きればいい。
生きるためになにかを犠牲にすることは悪いことではない。だからと………祈っても結局は詮無きこと。
泣き笑うように口元を歪め、少年は吐息を馴染ませた指先を手放す。
…………触れていたいと、思う自分の浅ましさ。
それでも自分がいない間、きっとそれは子供を包む膜となり外敵からの干渉を拒めるだろう。
だから、大丈夫。子供は死なない。………死なせない。
立ち上がった少年の影が子供を覆い、月明かりが寂しげに二人を照らす。
本当は片時だって離れたくはない。狡猾なる狐に狙われた、無垢なる獲物は容易くその手管の前に命を差し出す恐れがあるから。
それでもいまの自分では未だ……力弱い。
そばにいたい。けれど離れなくては…子供の命を……………
大いなる矛盾の中、せめてもの救いは子供を守るべきものが自分以外にもいるという事実。腹立たしくとも、確かにそれは安堵を生む。
…………………………なにがあっても…生きればいい。
窓に足をかけ、少年は空を飛ぶ。
屋根の上、確かな存在を知らしめる子供の守り手に視線を向け、小さく息を落とす。
自分の考えなど、看破していることは知っていたが、苛立たしさも否めない。それを飲み込み、名残り惜しむように自分が足をかけた窓を見やる。
……暫くは、顔も見れない。気配も感じることは出来ない。
突然凍ったように感じた指先を不可解そうに見つめ、少年は己の吐息を注いでみた。
子供のぬくもりには比べることもできないそれに、くだらないと…笑うことも忘れて…………………
というわけで……帝月→天馬。
………うーん。カップリングになりづらいのは単にじゃれている二人が好きだからかなv
早く帝月に戻ってきて欲しいものです。あの甘やかしっぷりが懐かしい(笑)
天馬はあんな感じの子だから、口喧嘩とかもほとんどしてないと思うんですよね。
まあもちろん夢を貶されたらキレるでしょうが、それは当たり前として。
当たり前の日常の中で、じゃれるような口喧嘩って子供には大切ですよね。
帝月もきっとそういうのをちょっとは感じているかな。
……なんか段々私の小説が帝月成長記録になりそうで怖いな(笑)