別にたいした存在じゃない。
そう、わかっている。
長い時間を生きる自分達にとって人の一生なんて水滴に等しいちっぽけさ。
こぼれ落ちるそれを眺めるほどの瞬き。
………だから、そんなものにかける心なんて存在しない。
わかっている。そう自覚していた。
けれど同じほどに、知っていた。
……………そう囁かなくてはいけないことこそが、すでに心砕いているということなのだと。
水面の影
泥田坊が消え、子供の身体に宿った炎が消える。
それを眺めながら身体が焼けるかと思うほどの圧迫からの解放に小さく息を吐く。………認めたくはないが、確かにこの子供の身体に宿った力は自分など微塵も残さず粉砕することのできる強大さ。
関わらない方がいいことは知れていた。……事実、そうするつもりだった。
成りゆきでククリの呪者に掴まり、この子供の家に押し込められた。たったそれだけの、なんと細い絆か。
それでも子供はそんなこと気にもかけずに当たり前に腕を引いたから、振払うことさえ面倒で従った。それだけで、それ以上の理由も意味もなかった…筈なのに。
一瞬湧いた高揚感。手を取り合うなど虫酸が走る思いだが、悪い気がしなかった。戦う時、誰かがともに立っていると思った時の不可解な感情。
小さな肩がむき出しのままゆっくりと上下する。破壊衝動が……ないわけがない。あれだけの圧倒的な力を突然宿して……………
それでも壊すことを望まない子供の意志故か、思いのほか呆気無くそれは消えていつもと変わらない顔が覗く。それはもう、極自然に。
奇妙なものを見やる思いで眺めていればどこかけだるげだった子供が嬉しそうに笑んで駆け寄ってきた。
少しだけ足がふらついた。当然だと冷静に眺めてみればその足はそんなことはお構いなしに更に加速し……地を蹴って自分の身体に飛びついた。
「………なっ…」
「やったぜ凶門〜v」
虚を突かれた形でぶら下がった子供を呆然と見やれば嬉しげな、声。
優しく響く、自分の名前。恐れでも哀れみでもなく、ただ囁かれる音。
信じ難いほどやわらかく耳に谺したそれにクラリと頭が霞む。色々とあり過ぎた気がする。……否、別段いままで生きた悠久の中での出来事から比べれば、逆に取るにたらな過ぎるのか。
抱きとめることのない腕に気を悪くするでもなくはしゃぐ子供の声はなおも続けられる。しっかりと、青年を掴み止めたまま………………
「やっぱコンビネーションは大事だよな! 息ぴったりだったぜ♪」
野球と一緒だな〜なんて、あっけらかんとした幼い顔。
これがついいまさっき、地を割り妖怪を焼き滅ぼした炎の姿なのか。………ギャップに、一瞬ついていけない。
どちらが本性かと疑えばきりなどない。それでも、わかっている。本気の怒りを…見た。純粋に猛る、炎のような憤り。………それ故に発動された、人ではなくなる力。
妖怪たちに狙われる因は、確かに自分が作った。知って、いるのだ。誰一人としてそれを責めはしないけれど。
…………自分の浅はかさが招いた、結果。子供の憤りに火をつけ、眠ったまま一生を終えることが出来たかもしれないそれを、引き出した。
地獄をこの先子供は歩むだろう。それは望んで選んだ道ではないけれど、それでもきっと子供は当たり前に突き進む。誰かが傷つくから…泣いているから。守りたいからなんて、ちっぽけでくだらないことこの上ない理由だけで。
馬鹿だと囁いたところでふて腐れるだけの、ただの人間の子供。そのくせ、己の肉体も……おそらくは命にさえ、たいした重みを置かない戦う武士(もののふ)。
こんなにも開けっ広げに笑う、子供の癖に………………
感傷なんて、抱く気はない。自分の行動が過ちだったなんて認めない。………それでも居心地悪さは抜けない。
こんなにも慕われる理由が判らない。資格も価値もないことくらい知っているのだ。
………気遣う子供の真意が、判らない。
微かに震えている子供の肢体。酷使したが故に、身体への負担は計りしれない。それさえ隠すようにはしゃいでいる癖に……………
「……離せ」
いたたまれない。………笑いかけられる意味も、それを受け取るだけの約束も…ましてや絆さえないのに。
小さな…片腕だけでも引きちぎることが出来るだろうその身体を引き離し、背を向ける。きょとんとした子供の視線が背中に刺さる。
責めているわけのないそれを痛く感じるのは自分の心情故。わかっていて、それでも逃げ出すように歩き出す。
…………もうそろそろ、子供の友人たちが集まりグランドの整備が始まるだろう。
またあの輪の中に巻き込まれないようにと離れた青年の背中から、子供の視線が消えた。
ホッと息を吐き出したのも束の間、どさりとなにかが落ちる音が響いた。
確認しなくとも判り切った答えに眉を顰めて極力冷静に青年が振り返れば案の定倒れ込んだ子供が映った。不思議そうに瞬きながら必死になって腕を突っぱねようともがいている。それでも力の入らない身体に悔しそうに唇を噛んだ。
助けて、なんて言わない。言うわけがない。それくらいは理解している青年はなにを言うでもなく子供に近付き、座り込んだ。同じ高さの視線でなにを言えばいいのかを考え倦ねてみれば、ボロリと大きな瞳が落ちる。………そう錯覚させるにたる大粒の涙に青年もさすがにぎょっとした。
一度落ちてしまえばもう止まらないそれはボロボロと際限なく流れ続ける。情けなくて、仕方がない。自分の力で倒せたと思えば、立つこともできないくらい疲労するなんて。
ずっとエースとして活躍してきて、不様な姿なんかほとんど晒したことがない。やらなくてはいけないことは出来たし、友達同士でのふざけあい以外で情けない姿なんて、したことがなかった。
親はいつだて忙しくて飛び回っているし、しっかりしないとと……結構必死で生きてきたのに。
大丈夫と笑って立つことくらいできると思っていたのに。
……立てなく、なってしまった。
なんで、なんて…………わかっているけど……………………
「………他の子供が来るぞ」
慰めの言葉を知らない青年が、とりあえずその涙だけでも止めようと理由を探す。そうして出てきた言葉はこの上もなく冷たいもので、我ながら呆れてしまう。
囁いてみれば思った通りに子供の瞳はより一層泉の下に落ち込んで掬い取ることも出来ない。
溜め息もでない。自分が原因であることくらい、判りきっているから。
自分が傍にいるからこうなるのであれば、さっさと消えた方がいいのか。一瞬の逡巡を愚かと止めるものもおらず、青年は小さく息を落として立ち上がる。………瞬間に、腕が伸びた。
小さな小さな、子供の指先。しっかりと……青年の袖を捕まえたそれに訝しげな視線が注がれる。
………嫌だったのでは、ないのか。傍にいて、なにか言えば泣いて。だから立ち去ってやろうかと思えば捕まえられる。
なにがしたいのかまるで判らない支離滅裂な相手に青年は眉を顰める。……鋭い視線が、けれど困惑故に揺らめいた。
「………いない方がよくないのか?」
「なんで!」
そうであったなら、何故離れろといわれただけで泣けるというのか。気づきもしない青年に子供が癇癪に近い声で答えた。
青年の問い掛けに即返される否定の音。
………ならば何故泣いているのか、判るわけもない。嫌った相手が傍にいて、情けない姿を見られることに恥じているというのなら判るが……………
理解なんて出来ない。知らないことが多すぎるから。
怪訝そうなその視線になんとはなしに気づいて……子供が掴んだ袖を引き寄せた。
……‥震える指先に力なんてこもる筈がない。こうして座っていることだって、よくできていると自分でも思うのだから。
それでも青年は願う通りに一歩近付き声を拾おうとしてくれた。
――――――それだけで、もう充分。
零れ落ちていた涙に変わり、笑みが唇を彩った。
青年の肩から落ちた長い髪が、視界に広がる。黒く染まった瞳の先、相変わらず無表情な青年の端正な顔。
気づく人なんかきっと少ない。冷たい顔の奥底、隠されるその瞳の奥には揺らめきがあるから。
零す涙は必要無いと子供は笑って言葉を贈った。
「一人より、一緒の方がいいに決まってるじゃんか」
寂しいと……不安なのだと泣きたくはない。笑える自分でいたい。それが子供であっても無くせないプライド。
そう答えてみれば青年は驚いたように瞳を見開く。………本当に、小さな変化だったけれど。
飲み込んだ息が、判る。硬質だった気配が僅かになんかした感覚に笑みを深めれば子供達の話声が耳に触れた。
チームのみんなが来たのかと立ちあがろうとして……再び子供は地に落ちた。
回復もしていないのにそう簡単に失った体力が戻るはずもない。それを知っている子供が歯痒そうに自分の言を見やれば、大きな腕が身体を覆った。
軽々と子供を持ち上げたその腕は荷物を扱うように僅かに乱暴に……それでも負担がかからないように気遣って子供を背に置く。
背負われたことに気づけば、青年はすでに歩き始めていた。
「お、おい凶門! 下ろせよみっともないっ」
「歩けもしない貴様を残していくとククリの呪者がうるさい」
近付く子供達がなにか囃し立てている。なにを言われているかぐらい、想像はつく。だからこそ仏頂面になった子供に、近付く子供達は笑って手を振っていた。
きっと明日は質問責めだ。覚悟しながら子供は身体から力を抜いた。
…………こうして、誰かに背負われる記憶なんて、ほとんどない。大きな…自分よりもずっと大きな背中。
あたたかくて心地いいのに、ひどく寂しそうで、いたたまれなかった。
ゆっくりと流れる風景を見ながら、小さく……聞こえるか判らない音を紡いでみる。
「なあ……野球、嫌いか?」
「………………何故?」
どこか甘える子供の声に訝しんで青年が答える。………多分、続く言葉をどこかで予感していた。それにもかかわらず、問いかけたのは………あるいは聞きたかったのか。
自分が思った、その言葉を…………………
背中で蹲るように子供の頬が寄せられる。小さく丸く……胎児のように安らぎを求める仕草。
「楽しいこと、しよーぜ。悲しいことばっかなんて悔しいしさ。………俺、野球の楽しさなら一杯知ってるし」
小さくなる、子供の声。言うことを躊躇っているわけでもない癖に何故かと耳を澄ませてみれば、溶けるような微かな呟きが、注がれる。
「……………もっと、一緒にいたいし、さ」
寂しそうで悲しそうで……辛かった。笑わない顔が切なかった。
敵だった青年を受け入れることが出来たのは、多分息苦しそうに生きている背中を知ってしまったから。
もっと楽しい筈なのだ。生きるということは。…………でも、たった一人でいることはあまりにも寒くて………息も出来なくなる。
だから知って欲しい。もっともっと楽しいことを。自分の知っている全てを教えてあげるから。
逃がさないというようにしっかりと握りしめられた小さな指先は、青年の背中を捕らえたまま。……眠る吐息に染まった幼い顔は、気づかない。
小さく小さく灯った、微かな微笑を。
本当に微かで……一瞬の生き物。
心砕くことさえ愚かで浅はかだ。
わかっていて……それでも伸ばされた腕をとった。
笑い方なんて知らない。それでも、染まる。
水面に映った子供の影が笑んだならばあたたまるものを、知ってしまったから…………………
はじめての凶門ですね!!!
一回ここの話書きたかったんですよ。凶門コーチになる!の裏話というか。
ちなみに。………細かな点で間違っているだろうことが予測されます。私は本誌買っていないので読み返すことが不可能です。故にどういう状態だったかはほぼ自分の記憶の中のみが頼りです。
……………そりゃまず、間違うさv
しかし、お兄ちゃんと弟みたいだなー。
こんな感じのが結構好きです。口には出さないけど大切に思っているぞって感じ。カードキャプターの桃矢タイプですな!
まあどちらかというとうちの子らはみんな天馬のこと甘やかすから、ちょっと凶門はブレーキかける人でもありそうな予感ですが(笑)
…………ある意味一番の常識人なのか?
こんな作品ではありますが、10000HITを迎えられた勇樹さんへ。
拙くはありますがお受け取りくださいv