それの価値なんて知らない。
ただ、自分の主が望むから。
たったそれだけの理由。

幼過ぎる笑顔。
開けっ広げで無垢な精神。
何も疑うことがないように真直ぐに人を見る。

自分と違う生き物を知っている癖に。
理解などしていない。

……………なんて真っ平らな心。

興味を持ったのは、確かだった………………




影の中。



 山の中、清涼な風に身を任せる。
 澄んだ空気と濃い緑の香り。懐かしいわけがないのに、何故か懐かしいと感傷出来るそれに純粋な笑みがもれる。
 …………そんな幼さを見やりながら深く息を吐く。
 何故、こんなところに自分がやってきたのかをあらためて考えれば、絶えない溜め息を数えることさえ面倒だ。
 「なあなあ火生! あっち行ってくるな!」
 無邪気に笑った子供は言うが早いかもう駆け出している。止められることなど考えてもいない所作にまた溜め息が漏れた。
 いい加減、思いもする。
 普通の子供ではないと自分だって思う、どこかがなにか違う子供。…………それでもそれだけが彼の特別扱いの全てを物語るとは思えない。
 自分は憑カワレで、だからこそ………逆らうことのできない絶対の存在がある。そしてそれはあの子供にもあては待っていた筈のことだった。
 ぼんやりと駆けていく小さな背中を眺めて見れば、金の髪が日に透かされながら舞う。駆けながらも器用に振り返った天馬は楽しげに手を振っていた。それに何故か笑顔で振り返す手が、自分にもあることに違和感を覚える。
 なにかを見つけたらしい天馬の驚きの顔とともに、威勢よく振られていた腕の意味が変わる。
 早く来いと急かすその仕草に苦笑して、燻(くゆ)らせていた煙草を気のみきに押し付けようとする。………同時に金切り声のような叱責の声が聞こえて慌てて半強制的に持ち歩かされている携帯灰皿に押し込んだ。
 モラルというものをよく知っている子供の躾のよさには時折辟易とするけれど、悪い気はしない。それはそんな態度を示されてもなお急くように歩く自分の足がよく物語っている。
 殺そうと思っていた。それは覚えている。…………そして、いま自分が主と認めているもの以外に対しては、いまも前と変わらない感情を持つことは容易い。
 だから……偶然を装ってあの細い首をもぎ取ることだって出来るのだ。
 時折擡げるそんな思いに微塵も気づかない子供は楽しそうにいつも人にじゃれついてくるけれど。
 暗い物思いが、巣食うことがある。
 それはあるいはいまのこの立場を甘んじているが故なのかもしれないけれど。
 子供が帰ってきて……笑いかける。日常のことなど話し掛けて、次々に語られる本当にどうでもいい……どうしようもない話にいちいち頷いて語りかけて。
 まるで本当にただの人のような顔をして生きている。符の中に閉じ込められることのない現実がおかしいことくらいわかっているのに。
 どこかで狂っている歯車。きっとその原因はこの子供。
 …………時折締め付けられるような喉の原因も、きっとこの子供。
 だから思いがけずに零されることのある殺意にも似た感情を自分はよく自覚している。初めに抱いたそれとは微妙に異なる、それでも激しく燃ゆるもの。
 居心地が悪いと、思った。そんなものがあっては自分の守るべき人を守れなくなりそうで鬱陶しかった。それなのにその人はそれを好んでいるようで……零される笑みの全てがそれのためだから。
 許される気が、した。このよくわからない感情さえ、寄せる対象が同じであれば……携えていても邪魔にはならないのではないかと………………
 多分きっと、身勝手な自己完結なのだろうけれど。
 陽射しが強い。……先程までいた場所に茂っていた葉振りのいい木々が少なくなったせいだと気づいて火生はぼんやりとした意識をあらためて前に向ける。
 陽光が瞳を射る。眇められた視線の先には満面の笑み。…………内に巣食う泥ついた感情さえ知らない無垢なる魂。
 信じられないほどまっすぐに示される好意と、あまりにもあっさりと晒される無防備さ。
 …………感情が、逆撫でられる。
 金の髪を赤く染め、無垢な瞳を抉る……禁忌の欲望。
 染み出るそれに気づき、己を抑制する。愚かな考えを打ち消し、目の前の対象物は主の守るものであるという認識を確認する。
 小さく吐いた息を隠し、いつもと同じ戯けた笑顔を浮かべて火生は天馬に声をかける。
 「まったくお子様だね〜。少しは帝月坊ちゃんを見習えよな」
 「…………俺が帝月みたいだったら大笑いする癖に」
 拗ねたような仕草と声でからかう声を受け入れた子供は、じっと自分よりも高い位置にある瞳を覗き込む。
 ………湧いて出たそれが瞳を覆ったのはきっと一瞬。気づかせないでいられた自信は、あった。
 だから無辜の瞳に覗かれても躱す自信だって、あった。長い時間を妖怪として生きてはいない。聖者を騙すことも、その肉を喰らうことも忘れてはいないのだから。
 それでも、吸い込まれる錯覚。
 まるで何もかもを許すかのように……認めるかのように。
 穢れしかない汚物さえ抱き締める。そう信じられるほどの底知れなさに知らず冷や汗が浮かぶ。
 それは人間。
 儚く愚かで、自分達に喰われ貶められ………駆逐される以外の能のない……………
 静謐の風に晒された髪が揺れる。陽射しが降り注ぐのと同じく注がれる美しい金の髪。
 逸らされもしない視線に息が詰まる。いっそ戯けて逃げようかと息を飲み下す刹那、不思議そうな声が響いた。
 何も含みはしない、透明の音。
 「火生って、変だな」
 「………………は?」
 まったく関連性の見当たらない言葉に顔が引き攣る。
 見透かされたような気がしたのは、ただ単に自分の買いかぶりか。大袈裟な溜め息をついて、なんとなく感じた失望も霧散させる。
 「あのな天馬…俺みたいにかっこいい奴を捕まえて変はないだろ。そういうのは凶門にでも言え」
 変わらない声音で、いつものような会話。
 それで流してお終いにして、湧き出そうになった感情も一緒に蓋をしてお終い。
 ………それで終る筈だったのに、何故か違った。
 まだ、途切れない視線。なにかを見つけようとする微かな好奇心が見隠れする大きな瞳が無遠慮に注がれる。………少し居心地が悪くて思わず伸ばした指先がその目を覆った。
 「なんだよっ! 凶門は変じゃないし、お前の方が変だから言ったのに!」
 先程の発言に対しての意趣返しと勘違いしたらしい天馬は、少し癇癪を起こしたような口調で言って動きもしない自分よりも太く大きな腕に指を絡めた。
 純粋な腕力でかなうわけもなく、仕方なく甘受すれば声が降る。
 「なにが変だって………?」
 囁いて、後悔する。
 声の無機質さに自分でさえ驚いた。きっと硬直するだろうと思っていた天馬は、けれど何の変化もない。
 こんな冷たい音を向けられて、それでも大丈夫なほど……この子供が擦れているとは思いづらい。
 訝しんだ気配にやっと天馬の反応が返る。傾げた首は不思議そうで……恐れでも戸惑いでもなかった。
 指が、再び伸ばされる。小さな爪を讃えた指先は傷つけるためではなくただ添えられて声を送る媒体になる。……………深く身の奥にさえ染み込ませるための、媒体に。
 「やっぱお前って変だな。いっつもふざけているか、怒っているかなんだもんな」
 どこか鋭い視線を時折向けられる。なんでかなんてわからないから声をかければ笑いかけられる。いつもと変わらない、普段通りの笑顔で。
 でもそれはなくならない。なんてことはない時に示されるから嫌でもわかってしまう。怒っているかと思ってじっと見てみれば楽しそうに話し掛けてくる。
 まったく一貫性のない態度。………おかしくておかしてく……どうしてか知りたかったから、帝月に頼んで火生を出してもらった。山に行きたいなんて、どうでもいいことで。
 ……もっとも、思った以上に綺麗な風景に羽目を外していたことも否めないのだけれど。
 包んだ腕から力がなくなる。しなだれるように離れた腕を抱き締める指先をそのままに、大きな瞳はただ注がれる。
 教えて欲しいのだと、願う仕草さえ幼い癖に………純正であるが故の強固さで示される意志。
 「俺なんかした? 全然わかんねぇんだけど…………」
 どこか物憂げな表情で、寂しそうな声。………胸の締め付けられる、感覚。
 ありふれた理由を口にすることは簡単だった。
 …………自分の主のお気に入りだから、とか。お前のせいで括られた、とか。
 生きる意味を教えてくれたとか。見れないはずの姿を見せてくれたとか。
 責めることも感謝することもいくらでもできる。それくらい、借りも貸しもこの子供にはあるから。
 でもわかる。………そんな言葉で逃げるなと、精一杯の思いで拙く囁く指先。
 それでも本当の理由なんて囁けない。
 …………気づくわけにも、いかないから。
 腕を包む指先を手にとって、丸い爪にからかうように口吻ける。
 「さーて、なんででしょうか? わかったら教えてやるよ、お姫さま?」
 「火生ッッ!!」
 年頃の子供が癇癪を起こすツボくらい、いくらでも心得ている。……この子供が全部示してくれたから。
 思った通り顔を赤くして憤怒する幼さを愛でながら、少し乱暴な拳が向けられるのを軽く躱す。
 言えない言葉が、ある。
 ………言ってはいけない言葉。
 だから自分は自分の位置を守りたい。崩すために働きかけるよりも、守りたいものを守れるように。
 愛しい主と、愛しい子供。
 どっちもとれないなら、変わるわけにもいかない。
 よろけた子供を優しく抱き締めて助けながら、その先に広がった子供の歓喜を呼び起こしたらしい荘厳なる滝を見やる。…………打ち付ける滝のようにまっすぐにはなれないけれど、それでもその水を讃えて流れる川にくらいは、なれるだろうから。
 それでせめていまは納得して欲しい。

 一瞬だけ愛しさを込めて抱き締めた身体は、不思議そうな瞬きとともにそれを甘受してくれるけれど……………

 

 








 というわけで初めて火生書きましたよ☆
 ……………はっきりいってうちの激と同じような立場じゃないか、火生…………
 まあ想像はしていたけれど。帝月との板挟みだな〜と。

 ラストのからかう所、どうするかをちょっと悩んでいたんですがね。
 …………やはりオーソドックスなのにしておきました。もう1つのはちょっと…茶を濁す、になってなかったし。むしろ茶を濃くしてはっきり示していた(意味なし)

 んっで結論。
 火生は人様の見ている方が楽しいね☆
 うん、本当に………なんでおちゃらけキャラが必ずうちって真面目になるんだろう…………(遠い目)