大きな目が、当たり前に綻ぶ。

明るく跳ねる金の髪。
小さな指が楽しげに揺れる。
世界の全てが色褪せることを知らない幼稚で幼く……愚かな仕草。

それがくだらないと部類される仕草でもあることを知っている。
価値なきものに価値を見い出すことが尊いというにはあまりにも稚拙だ。

わかっていて、それでもなんで………………

喉が嗄れる。
潤うことを忘れたそれは奏でる音さえも消した。
それでもなくせない。
なくならない。
…………祈りとともに吾子の笑みを。

いつかは果てようと、いまこの一時を。
―――――――それこそが幼稚で幼く愚かな仕草。




誰も知らない癖



 見慣れた風景を視界に収め、子供はどこか嬉しそうに笑む。
 いつもは誰の気配もしない筈の自分の家。時折返ってくる親が灯す明かりはいつも真夜中か早朝で………こうして学校から帰ってきた自分を迎えるぬくもりは数少ない。
 それでもいまは違う。2階にある自分の部屋に見える人影。誰かがいるから齎(もたら)される不思議な匂いと気配を覚えてしまった。
 軽い足取りが駆け足になって玄関を開ける。少々乱暴な仕草にドアが悲鳴をあげるが、今日はそれにかまっていられない。…………途切れることのない足音はいつ靴を脱いだのか疑いたくなるほどで、駆けたその姿さえも思い浮かばせる音に苦笑しながら背後に迫る気配の主を待つ。
 …………待っていることに自覚がある。そうでなければ、いまこうしてわざわざここに自分がいる必要がないのだから。
 微かな苦笑を口元に灯すのと同じく、室内のドアを開ける威勢のいい音と、元気な幼い声が響いた。
 「たっだいま〜!! …………あれ?」
 幼稚な声音と同じくどこか幼さを残した容姿が不可解げに眉をあげる。
 思っていたはずの人物が……少し少ない。否、少しというか、かなりというか……………
 目の前にはどんと居場所をとっている大きな背中。自分よりも、父親よりもがっしりとしたそれは見間違うことのない見慣れたもの。
 「なあ飛天、なんでみんないないんだ?」
 帰ってくれば迎えられる声。当たり前になってきた日常。…………誰かがいる家を、自分は知っている。
 それが好きで、駆けてドアを開ける。行儀が悪いと静流に怒鳴られ、騒がしいと帝月に叱られ、凶門には身体を冷やすなと即風呂に放り込まれる。そんな自分達を見て火生はからかいの声をあげて飛天は馬鹿にしたように笑う。…………ちぐはぐな全員の、けれど絶妙なタイミングのチームプレーを眺めることが好きだった。
 だからすぐに判る。この家に他のものたちはいない。目の前にいるこの男だけがいる。………朝は何もいっていなかった筈だと慌ただしい時間を回想しても答えが見つからない。
 不思議を問う天馬の仕草に首を巡らせ、飛天はちらりと窓の外を見やる。まだ、夕刻というにはかなり日が高い。思ったよりも早かった帰宅はさすがに計算外だった。
 「そういうオメーこそ、凶門はどうした?」
 帰宅時間が早まってしまうようなら足留めしろと言っておいた筈だった。明確な返事はなかったけれど、だてにアレを育てたわけではない。無言の中の承諾をきちんと自分は受け止めた。それなのにと訝しんでみれば困ったように天馬が顔を顰めた。
 …………それだけでなんとなく返事を想像出来た飛天の顔もまた、微妙に歪んだけれど。
 「ジジイがなんか次の試合のことで打ち合わせたいからって、凶門に張り付いちまって…………」
 試合のことではさすがに自分も口を出せない。困ったような視線を向けられたけれど、なんだかんだで凶門も野球チームのコーチが板についてきた。邪魔しちゃいけないと考えて仕方なく手を振って帰りが遅くなるようなら連絡しろと声はかけたが……………
 いっそ自分もそのままくっついていけばよかったか。しかし絶対に監督もコーチも自分がいたのでは試合の話はしづらいだろうと考えると我が侭も言えない。大好きな野球のためなら、ちょっとくらいの我が侭だってちゃんと我慢出来るのだ。
 ほんの少し誇らしげな笑みに飛天は苦笑する。我慢することをよく知っている癖に、そんな小さなことにしか、自分では気づかない純正さ。
 似てなんかいないのに、不意にダブりそうになる面影。自分に向けられる無二の………生っ粋の視線。
 疑いも不審も介入できないそれが心地よくて、それでも襲いくる喪失の予感に身が震える。
 それを悟らせるようなへまはしないけれど、向こう見ずでまっさらな瞳が時折見透かしているのではないかと疑ってしまう。…………詮無きことと己に微苦笑をおくる仕草にも似ている詮索。
 送った小さな視線。
 多分……鈍感なこの子供は気づきもしないほど微かな細いそれに紡がれる微弱なる思い。
 わからなくてもいい。………互いに交わればそれはあまりにも尊い絆。
 …………亡くした時の哀しみも、痛みも覚えている。己の無力感も、相手の潔さも…………
 だから関わることを止めた。度重なる喪失に魂が疲弊していた。信じた相手の裏切りも、消去も………仲違いも。1つ増える度に心が病んでいく。
 もういいと、思っていた。
 これ以上重ねるよりも、このまま自由に空を駆けていればいいと……………
 だから近付かないまま。一定の距離を忘れずに。そう考えていた浅はかな自分。
 大きな目が、近付く。なんの含みもなくただ不思議そうに自分を見やる。………憧れでもなく、師事でもなく。ましてや従者のそれでもない。
 ただ知っている目の前を見つめる無辜の視線。晒されることをどこかで厭い……どこかで望んでしまう清浄さ。
 くだらないなんてもういえない。捕われたことをとうに自覚しているのだから………
 きっとそんなことも知らない子供は、それでも願うままに鮮やかに生きてくれる。萎れることなく枯れることもない清らかなる花。
 視界の中広がる子供の色に目を眇めてみれば……伸ばされた腕。
 きょとんとした、不思議さを讃えた好奇心に染まった瞳。大きな目は無遠慮に相手を見つめ返し、逸らすことすら許さない。
 伸ばされた腕が、ゆっくりと目を覆う。………否、瞳を覆う布を、覆う。
 普段から見えてはいない視界。塞がれたところで何の支障もない。まして、熱すら感じることのない窪んだ眼球の穴、触れてもなにもない。それに興味を持つことをどこか子供は厭っていた。………多分、欠損に興味を示すことで自分を傷つけたり貶めたりしないかと、無意識に戒めているのだろう幼い気遣い。
 だから正直驚いた。
 無遠慮であることくらい知っていた。人の羽をむしる勢いでじゃれつくこともある。都合などお構いなしにまとわりついたりも、する。それでも子供がこうして自分の隠された瞳に興味を示すとは思わなかった。
 飲み込んだ息の音が体内で谺する。………なにか、声をかけなくては。
 そう思いはしても喉は音を認識せず。空気は震えることもない。吐き出されるのは緩やかに恐れた吐息だけ。
 それさえも眺めながら、子供はやはり視線を逸らさせない。逸らしも、しない。
 あどけない声を紡ぐ唇が……ゆっくりと開かれた。
 「飛天、こっちの目でも見えてないか?」
 本気でどこか疑っている声。
 …………想像とははるかに掛け離れた言葉に一瞬硬直する。
 それでも真剣な瞳はその言葉を確かに心からいっているのだろう。…………どう考えたらそうなるのかなど、自分には判らないけれど。
 呆れたような大袈裟な溜め息が口から洩れる。とぼけたセリフに救われはしたが、ここまで頓珍漢な行動は子供という域の問題なのか、それとも天馬と限定された行動なのか………
 ぐいっと近付いていた顔を遠ざけ、一定の距離を保った状態に戻してから飛天はいまは何も讃えてはいないその額を軽く爪弾く。
 小さな呻きとともに痛みを訴える視線が注がれるが、それを笑って流してからかう声を捧げる。
 …………変わるなと、囁くように。
 「阿〜呆。お前の目にはなにが写ってんだぁ?」
 目を布で覆ってなお見えるのかと揶揄してみれば言葉に詰まって奇妙な顔をして自分を睨む。
 拗ねたような仕草。本気でいった言葉を取り合ってもらえないとか、そんな理由ではなく、多分天馬自身わかっているのだ、変なことを言っていると。
 それでも綴ったことにはそれなりに理由がある。言葉に変えられないけれど、それでも感じたから。
 「だって、しかたねぇだろ! たまにそんな風に感じるんだから!」
 片方しかない筈の飛天の瞳。自然、感じる視線の雰囲気もみんなと違う。
 だからすぐに気づく。なんとなく、判る。
 それなのに………時折変わるのだ。まるで両の眼があるように感じる。布越しに凝視されている気分になる。
 そんな時は決まって自分をどこか遠くに見ている。
 ここにいるのに、まるで泡沫の影のように。………それでも笑ってみればいつもの通りに戻るから、気にせずにいたけれど……………
 それでも今日はあまりにも切ない波動が包むから。
 見過ごせなく、なった。何も出来ないとわかっていても、なにかしたくなった。手を伸ばすなんて在り来たりで陳腐で…………なにを出来るかもわかっていない所作なのに。
 自分の幼さが少し恨めしい。願っても願うだけ。出来ることの制限された小さな掌。
 だからせめてこの声とともに捧げてみる。拙さだけで作り上げた、誠実さで。
 じっと見上げた視線の先、奇妙に飛天の眉が寄る。
 ……………理由が判るわけもなく、それを語ってもらえることもないと知っている。
 伝えたかった言葉がもしかしたら間違えたのか。ただ……知って欲しかっただけだった。自分は傍にいること。……みんな、傍にいることを。
 「………………」
 言葉が判らなくて、憮然としたその顔を包む。…………怖い、なんて思わない。傷ついていることも泣きたいことも判るから。
 独りが寂しいことくらい知っている。だから、みんな一緒が好きだった。
 小さな小さな声で、間違っていてもいいと囁いてみる。
 …………早く家にみんなが戻ってくればいいな。
 自分の願いも込めて囁けば、どこか苦笑を醸した腕が背を包む。

 

 あともう1刻もすれば、準備ができる。
 鮮やかな花を喜ぶだろう子供のために。
 ………いまは準備に忙しい他のものたちを思い、ほんの一時の優しさの一人占め。
 心苦しい…なんて思えない心地よさ。

 決して消えないで。
 ……その灼熱を凍えさせないで。
 なにがあっても自分に守らせて。

 誰も気づかない自分のコトを気づいてくれた魂をこの腕に………………

 

 








 久し振りに飛天書いてみました〜v
 気を抜くとすっごく羽根をいじったりとか角をいじったりとか……したくなる自分が!
 絶対にあの羽根気持ち良さそうなんだけどな…………(羨)

 結構飛天はいろんなものなくしてる人だなーと思いまして。
 だからこそ余計に支配とかそういうの嫌いなのかな。
 自由に生きるから、尊いし。支配したものの死に、嘆き続けることもできないしね。
 ………でもそれって同時に、執着することを恐れていますって気もしなくもないのですが。
 感受性の強い人は自分を守るために心開く相手を限定するというが……そんな感じなのか。
 その割にはなんでもかんでも抱え込むタイプだよな、飛天(笑)