肌の底から疼く感覚。
耳を澄ましてもなにも聞こえてはこない。
息すら惜しいと噛み締めた唇は憤りだけを紡ぎ
猛る指先は焔を宿す。
焦がれるなどとは思わない。
欲しているなどとは思わない。
願っているなど、片腹痛い。
なにもかもの変質。
人でありながら人外の存在。
昇華に任せ命すら消え失せる危険性。
…………そのまた逆に、屠られる恍惚。
なにもかもが二面性。
あらゆるものが対象。
それが故に、子供は笑む。
己が身以外傷などつけはしない、と…………
高潔の命
微かな寝息が辺りを谺した。
ゆったりとした幼い吐息は健康的な規則正しさで唇をふるわせている。
なだらかな頬の線は未だあどけなく、伸びきらない四肢は細く弱々しい。スポーツをしていながらこの細さでは持久力に問題があるだろうと思うが、その分身体のバネは人並以上だ。
それを自分達はかなり間近で見ている。たとえ不動明王符をその身に宿そうと、基礎体力や能力の向上には繋がらない。新たな能力の付加は行われても、元来持っていたモノは変化しない。にもかかわらず、この子供は戦う術を持っている。勘のよさや動きの機敏さ、先の先を読む為の動体視力。欠かす事の出来ないそれら諸々は全て彼自身が携え磨き続けた才だ。
知っているから切ないなど、言うつもりもない。今現在がたとえ平和であれ、どこかで必ず戦う事はある。その為の力を持っている事を祝しこそすれ、哀れむ謂れはない。
小さく息を吐けば白く色付いた。思った以上に冬期が近付いている。自分達にはさして苦ではないが、未だ人の身には過酷になっていくだろう。野宿も続くし、何よりも明け暮れる戦闘に心が疲弊する。伸びやかであるが故に、磨り減っていく。その現実だけは見たくないと、思うのだ。
そう思い至り、その矛盾に唇を歪めるように苦笑する。
………戦う事を、その術を、自分は覚えさせようとした。そうする事をよしと、した。
子供を生かす為に。殺させない為に。………何者をも消滅させる焔を身につけろと…………。
それを憂いの種になど出来るわけもない。にもかかわらず自分はその事実に痛む心を持っている。矛盾もいいところだ。否、身勝手もいいところ、と言うべきか。
微かな震えを示して毛布を手繰り寄せた子供の腕を見遣り、苦笑には慈悲が加えられた。
あまり寝相がいいとはいえない子供が剥がしかけた毛布を正しく体にくるまるように引き寄せた時、近くの木々にざわめきが宿る。一瞬の迷いもなく微動たりともしないその肢体を遠く眺めていたその音の主は微かながらむっとしていた。
「…………この辺りは静かなようだ」
呟いた声はひどく無愛想で、不機嫌さを表していた。その理由を知っている相手の背中が少しだけ揺れる。…………笑っているらしいその仕草により一層苛立を募らせた。
それさえ解っている背中はゆったりと力を抜いて毛布から手を離す。ほんの少しだけ分け与えた神通力が寒気をやわらげるのを確認し、首だけを巡らせて地面に降り立った相手を見遣った。
不機嫌そうに上げられた眉。相変わらず不敵さを讃えながらも思慮深さを携えた眼光。………子供に関わる事で随分と内面が成長したものだと、思う。あんなにも向こう見ずで一方向しか見る事の出来なかった頑さが薄れた。
同時に、他者を思いやるという不可解ささえ持ちえたのだから、子供の影響力には驚嘆するばかりだ。
…………そう、子供に関わるというだけで、何もかもが変わる。
それは決して本人の意図しない場所で、無意識的に変革される。そしてその因たる子供すらその過程を知らないのだ。
「まあ俺たちの結界もあるしな。ここのところろくに寝てねぇだろうし、今晩くらいはゆっくり出来るだろ」
不敵な笑みを宿して応えた飛天に凶門は誘うわれるように視線を落とす。その先には眠る子供がいた。
ここ数日というもの激戦とは言わないまでも小競り合いが続き、眠る時間すら子供が神経を尖らせていた事は自分も知っている。微かな物音でさえ目を開けてしまう姿はあまりに繊細な様子で、子供の元来の姿からはかけ離れ過ぎて…………見るのは忍びなかった。
そのくせ昼間になればさも当たり前のように元気な姿をさらすのだからどうしようもない。声の限り訴えるなど出来るはずもなく、ただ気づかれないようにそのフォローをするだけだった。
そんな人間のような真似をする自分というものは、いままで考えた事もなかった。笑う事すら忘れた身で、誰かを思いやるなど不可能だと思っていたから。
鮮やかな変化はあまりにゆっくりと自然にさらされ、そうではなかった頃を思い出す事が困難なほどだ。初め、自分は子供に対しどのような感情を携えていたか、正確には思い出せないほどだ。
「寝て……いるのか?」
確認するように呟く音はかなり小さかった。その音でさえ起こしてしまいそうだとでもいうように。
微かに揺れた瞳の中の気遣いを包むように、飛天はゆったりと笑んだ。決して、彼が気づかれた事に気づかないようにしながら晒されたそれはただ子供に向けられるのみだ。
「さっきやっとな」
呟き、クックと喉奥で笑う。まるで面白い見せ物を見た時のようなその仕草に訝しそうに凶門の眉がひそめられた。
なにを笑っているのかと畳み掛けるより早く、飛天の視線が凶門に向けられる。
それは忘れて久しい、自分を育てた頃の視線。慈しみ導く事を知っている、慈悲深き父性の瞳。
「オメェがいないのに気づいてな、暫く頑として寝ようとしなかったんだよ」
まるで寄る辺ない子犬のようだったと、飛天が笑う。
どこか誇らしげに見えるのは気のせいだろうか。………憮然とした面差しには、それでも微かながらに誇りが映された。
知ってはいるのだ。慕われている事くらい。気にかけられている事も知っている。それはどこか弟でも心配するような気安さが内包されていて、そのくせ頼りとするような、そんな不可解なものだけれど。
心を打ち明けるとか、何よりも信頼しているとか、そういったものとは少しだけ違う感覚。
そうする事が当たり前というような、そんなまっすぐで穢れない感情。
おそらくは一行の中、誰よりもそれを示されているだろう己を自覚するつもりもないけれど……それでも湧くのはやはり誇らしさなのだから結局は自分も子供に毒されているのだろうと、思う。
「そんな事を気にさせている場合か」
そんな誇らしさを気づかれたくなくて口に出るのは少しだけ冷たい音。昔と同じなのだと、意固地な一部が悲鳴をあげるようにそれを主張する。
そんなものが本心だなどとは思わない、自分を見透かす事に長けた育ての親は、それ故にゆったりと笑んで柔らかな視線を向けた。
居たたまれないわけではないけれど見透かされる事を好みはしない凶門は視線を逸らしてその場を退いた。
…………もっともそのままその足が向いた先には眠る子供がいたけれど。
素直ではなくとも明らかに寄せられる思慕。
それはひな鳥を育てる心境により近いものなのかもしれない。自分が彼を拾い育てた時は少しだけ違う感情は、けれど確かに育む事を願った感情。
眠るその吐息の安らかに安堵してもそれを晒しはせず、また明日になれば朝から彼は小言も言うだろう。
それに不貞腐れながらも子供は従い、からかわれる声の中、変わる事のない溌剌さでその身を輝かせる。
不毛で陰惨ないまのこの旅の中、旅に出る以前と変わる事のないそのやり取りは全員の心を安楽かせる事を彼等は知っているのだろうか。
おそらくは知らないが故の仕草は、だからこそ尊く感じる。
消えぬ事を願い、飛天はゆったりと笑みを深める。
空には星はなく、ひとりぼっちの朧月がぼんやりと一行を見つめていた。
飛天&凶門でした。
でも話している事は結局天馬の事(笑)
今回の話は帝月探しの旅の途中という事で。
やっぱ面倒見るとしたらこの二人。他の二人はじゃれあいながら気を紛らわせてくれる方向で。