空には綺麗なお星様。

降り注ぐ星のさざ波。
月明かり。

謳う声が聞こえてくる。

それは星の歌声。
月の響き。

さあ………目を閉じて。

ゆっくりと、心に思い浮かべて。

その歌をうたうは、誰…………?





空のさざ波



 たったったった……
 軽快な音とともに走り抜ける。耳に心地いい躍動感は子供特有のものだ。リズム的とか理屈は抜きでどこか楽しいと思わせる。それはきっと子供自身がそれを感じ、発散しているからなのだろうけれど。
 何が一体そんなにも楽しいのかは知らない。あるいは子供自身解らないのかもしれない。
 ただ楽しむという能力は、希有だ。
 そう簡単には手に入らない、天賦の才でさえあるそれを、けれど何の苦もなく子供は持っている。
 「……………」
 それに付き合う理由もなく、いつも一歩離れたところで無言のまま眺めていた。
 あまりにもそうしている事が当たり前過ぎて、違和感すらない。駆け回る子供さえその存在を忘れたようにいる。だから一瞬………解らなかったのだ。
 差し出された腕が誰に向けられているのか、という事が。
 「……………? どうした、ミッチー」
 不思議そうに響いた音にようやく自分がその対象なのだと理解する。
 先ほどまでは確かこの構内を走っていた。廊下を走るなという事くらいいい加減覚えてはと思いつつそれを眺めていた。監視という、名の下に。
 見ていた。ずっと。それは己の使命に刻まれた事だったから。
 そしてそれをたいした違和感も反発も見せずに受け入れた不可解な子供は、やはり自分には不可解な事ばかりを行っている。
 たとえば、いま。先ほどまで走り回っていたと思えば突然自分の方に方向転換し、紙を差し出してきた。
 それは何の変哲もない折り紙を半分に切っただけのもの。その先にたこ糸で輪を作ったものが貼付けられていた。
 それがなんであるか、を考えるよりも、それを差し出した子供の意図が掴めなかった。
 一瞬の沈黙はそのまま保たれ、しばしのあいだ時が凍る。元々無口な質の自分だが、こうした時の沈黙はそれこそ凍るように相手が感じる事は知っていた。もっとも、自覚しているから治せる、という事は全くないのだけれど。
 沈黙が10秒流れ、それでも互いに動く気配がなかった。まして帝月に至ってはただ無表情に天馬の手を見ているだけで、端から見れば人形がそこに置かれているのと大差ない状態だった。
 問いかけにも答えず、さりとて受け取るわけでもない。正直、不審以外のなにものでもない態度だった。
 どうしようかと考えるよりも早く、手が出てしまった。
 紙を持っていない方の腕が伸ばされ、帝月の額をあらわにする。そしてそのまま、幼いながらも少し固くなった投手の指が白い額に重ねられた。
 熱を測ろうとしているのだろう仕草は誰が見ても明らかだ。ただ、それを行うべき相手がどういった人物かもまた、明らかだったというだけで。
 沈黙が深まった……気がするのはおそらく帝月だけの感覚だろう。実際に手を伸ばしている天馬は困ったように眉を寄せて紙を落とさぬよう器用に持ちながら自分の熱と比べている。
 もうこれは性分と半ば諦めてもいるが、さすがに眉が寄せられた。もっとも相手がそれに気づいて手を引っ込めるタイプでもないが。
 「相変わらずあんま熱ねぇえな。具合悪いのか??」
 「…………僕はもとからこうだ」
 憮然とした声で言ってみればきょとんとした大きな目がまじまじと帝月を見た。
 真っ直ぐに人を見る人間はと近頃珍しい。昔は無遠慮に見る者が多かったが、最近は見た分相手に飲み込まれる事を無意識ながらに自覚している者が多くなった。昔ほど、人の精神は打たれ強くは出来ていないらしいと薄々ながら感じてはいたが、この子供にそれらは全く関係はないらしい。
 むしろ、人を受け入れる為に見つめる事が出来る希有なタイプの人間だ。だからこそ、困るのだが。
 あんまりにも美しいモノは人も魔も惹きつける。そして………それだけではないのだ。
 鬼さえ、引き寄せる。それを自分はよく知っていた。
 そしてそれが何を意味するかさえ、知っていたのだ。
 それでも何も出来ない。自分はただの傍観者。
 …………きっかけを与え変革を強要しながらも、傍観者なのだ。
 「そっか。でもあんま無理すんなよな」
 疲れてそうだぞ、と……子供は言う。
 疲れるという当たり前の事すら希薄な自分にたいして。
 「……………」
 返す言葉などあるわけもなく、無言が落とされる。
 それでも額に重ねられたままの指先を払い落とすことは出来なかった。
 錯覚と解っている。解っていて、けれど酔いしれる自分を自覚する。
 ……………これは子供の熱。自分の体温でなどあるわけがない。
 それでも彼が触れるその部分だけは、あたたかいから。自分までもが彼の隣に居ても許される子供になったのではないかと、思い違える。
 そんな資格も権利も……まして価値すらないというのに。
 苦々しい身勝手な物思いを噛み締めるように奥歯をあわせ、微かに視線を落とす。地面が、少しだけ渇いていた。もう7月に入り梅雨と言うよりは夏の面影が濃くなってきている。雨の少ない今年は、特にそう感じるのかもしれない。
 ジッと自分を見る視線を感じる。気のせいではなく、眼前の子供は確実に自分を見ている。当然と言えば当然なのかもしれない。自分がこのように視線を逸らす事は滅多にないのだから。
 「なあ…やっぱ具合悪いのか?」
 微かに不安を乗せて囁かれた言葉。
 首を振れば額に添えられていた指が滑り頬を包まれる。両の手のひらがそれぞれ捧げられ、顔を包まれた。血の気のない、白い美貌は怪訝に眉を寄せて不可解な行動をする不可解な子供を凝視する。………これ以上の侵入を拒むように。
 あるいは、向かう己の感情を防ぎ止めるかのように。
 「でもなんか…元気ねぇんだよな」
 嘘だろうと苦笑する。子供の顔で、その癖どこまでも達観しているかのように。
 不可解だ。何もかもが。この子供の行動も存在も。その意志だけでなく、魂さえ、不可解だ。
 不機嫌さを装い眉を更に寄せる。刻まれた眉間のしわの深さと冷徹な視線に怯えて手を離せばいい。注ぐその視線を歪ませて、もっと柔らかな眼差しを迎え入れればいい。
 そうするに相応しい、命だと知っているのだ。
 さっさと離れてしまえばいい。………自分から、それを手放す事がどうしても出来ないから。
 「あのな、もうすぐ七夕だって、知ってたか?」
 「………………………」
 唐突な言葉に、突拍子のない満面の笑み。
 先ほどの大人びた面とのその差異に一瞬目眩がした。驚きをそのまま表すように深かったしわが消え、微かに眉が開かれる。
 「七夕は笹に願い事書いた短冊を飾るんだ。やった事あるか?」
 手に持っていた折り紙製の短冊をひらひらとかざして天馬が笑う。楽しそう、というよりはどこか、慈愛深い。
 校庭も否定もせずに天馬を見ているだけの帝月に苛立つ事なく声は続く。たゆまぬ光の響き。闇の欠片すら孕む事のないそれは、ひどく眩く美しく映えた。
 「いっつもさ、馬鹿みたいだな〜って思いながら、でも同じ願い事書いてたんだずっと………ガキの頃からさ」
 何をとは問わなかった。
 困ったような笑顔と、遠く……どこまでも遠くに馳せられた鮮やかな視線で解ってしまう。自分が見た事のない、どこか遠くの地にいるのであろう子供をこの世に産み落とした命たち。
 どれほどの祈りかなんて知らない。知る気もない。………知ってもどうする事も出来ないのだ。ただ子供のこの笑みを、………遠くを望み自分すら通り越して眺めるその笑みを増やすだけだと知っているから。
 「…………それで?」
 口をついて出たのはどこか淡白な音。子供が望んでいるのであろう柔らかくまろやかな音色にはなり得ない薄く冷たい不協和音。
 願われる価値もない。解っている。自分はマイナス要因になる事は出来ても。プラス要因にはなれないのだ。
 それでもと、願う事の浅ましさ。…………透明すぎるその笑みを崩し、目の前に立つ自分を映せと叫ぶ事の出来る立場など、永遠に手に入れる事のない身だと自覚しているくせに。
 それでも鮮やかに、笑顔は咲くのだ。
 ……………こんな不器用極まりない自分の指先でさえ、それは咲き誇る事を拒みはしない。どこまでもどこまでも真っ直ぐで前向きなその性根が、些細すぎる小さな一点を見定めて暗く淀む汚濁さえ美しき清水に変えてしまう。
 咲き誇る笑みは応える。
 謳う事を誇るように。
 「だからさ、去年も『来年も同じコト書くのかな〜』て思っていたんだ。でも、今年は新作!」
 子供の指が、少し離れた笹を指差した。上の方、人の眼では見る事叶わぬ高さにある小さな短冊たちの中、まっすぐに子供が指差した紙切れ。
 多分、読めるなんて子供は思っていない。それでもいいと思い、解らなくても構わないのだと承知して、その上での、この好意。
 どこまでも深く優しく………たゆたい微睡むまっさらの感情。
 「だからさ、ミッチーも書いてみろよ」
 差し出された手のひらには、短冊。
 「そんな顔しないで済むようになるかもしれないだろ?」
 いつだって寂しさはつきまとっていた。行事の毎にひとりだと、打ちのめされるくらい。そんなモノに負けてしまうほど周りは冷たくはないし、自分は愛されていたから笑えるけれど、それでも寂しさは消えなかった。
 そんな時に鏡で見た自分に、いまの帝月は似ていた。どこまでもひとりでいながら………息苦しそうに何かを求めている。己自身さえ疲弊させるようにして。
 どうして欲しいかなんて、解らない。自分だってどうして欲しかったか解らなかったのだ。
 だからただ、自分がいま彼にしたいと思う事を捧げようと思うのだ。他に何一つ自分は持つものがないから。
 「な、いこうぜ」
 動かないその細い腕に手を伸ばす。掴んだ華奢な腕は、けれど逃げる事も拒絶する事もなく自分に従い駆け始めた。
 微かな鼓動を感じる。それは心臓というものさえ持たない人ならざるモノの自分にはあり得ない波動。
 それでもその鼓動は自分に溶けた。ゆっくりと、まるで体温が移るその時間を分つように。

 鼓動の先には絶えぬ笑み。

 鼓動溶けた自分には、何が浮かぶのだろうか。

 振り返った子供の眼が大きく見開いた。

 

 そうして綻ぶ、満開の花。

 

 








 というわけで久しぶりに天馬。
 どれくらい書いていないかは私も解りません。はて?

 時期ネタ、という事で七夕ですよ。でも私は時期ネタ苦手なんですよ(遠い目)
 何故なら誰もが考え付くものをどれほど必死で書いてもうまく表現しきれるわけがないから。人それぞれ感性があるからねー。誰もが思い付く話であるほど表現は難しい。
 つーわけで君の感性にあわなかったらスマン。
 さて。ここで問い。
 天馬は今年の短冊になんと書いたのでしょうか。
 まあ一番ありきたりなヤツでお願いします。ええ。

 7月5日生まれの君に、ギリギリで誕生日プレゼントさ。
 本当にギリギリで申し開きもないですけどね(吐血)