掌の中には小さな石。
河原で見つけた、ちっぽけな石。

それが何の価値もないことくらい知っていたよ。
でも、大切だったんだ。
どこか不格好で……でもなんか笑っている石。
頑張れていってくれている気がしたんだ。
一人でも大丈夫。頑張りなって………

灰色の河原の中、見つけてって叫んでいるみたいな鈍い黒。
宝物だよって言ったら、君は笑う?

だって、頑張りなって笑ってくれたんだ。
嘘じゃないんだよ?





石の中の願い



 思いっきり伸びをして、欠伸をひとつ。
 ………背後からは呆れたような溜め息の音。
 誰の音かわかっているから天馬はどこか不貞腐れたような目をして振り返った。
 視線を受けても涼しい顔に変化はなく、どちらかといえば冷めた……玲瓏な面が返される。
 「………なんでミッチーついてくんだよ」
 疎むわけではないが……どこか厭ったような音に訝しげに帝月の眉が顰められる。いままで……なんの因果か監視をする羽目になったこの子供が、それでもついてくることを嫌がったことはなかった。
 むしろ連れができることを楽しんでいるような雰囲気さえあったというのに、どういった風の吹き回しか。
 ありありと出ている疑問に唇を尖らせて天馬がくるりと顔を前に向けた。………後ろに控えたままの帝月には、その表情はもう伺えない。
 それでも響く、小さな幼い声音。
 「……別にいいけどさっ」
 ほんの少し、気まづげな音。……きっと連れ立つことを拒否する言い方に自分で申し訳なく思ったのだろう人のよさが滲んでいる。
 それを受けながら小さなその背を見ていても、なんら変わりない筈なのに。
 ………どこかちがくて、訝しむように帝月は凝視する。
 小さな背中は自分と大差ない。ただのちっぽけな人間だから、この身よりもよっぽど脆弱であろうことはわかっているけれど。
 揺れる幼い丸い肩。薄っぺらで強靱さを携えることさえ忘れたそれが、少し心許なく震えている。
 それを見つめて、気づく。
 ずっと後側、子供の歩む様を見つめてきて…………震えた肩は初めてだった。何も出来ない癖に……なにも知らない癖に、それでも子供はなにかを信じていつだって駆けていくから。自信も何も携えず、ただその心のままに己を信じて。
 抱かれ震える肩を知らない。どこか心許なく彷徨う視線も、知らない。意志の強さを表すようなその眉が戸惑うようにチからなくしなだれる様も。
 何一つ、知らない。
 …………違和感に顔を顰めても気づかない鈍感さは相変わらずだけれど………………
 小さく息を落として、帝月は空を見上げる。………高く澄んだ青が、どこまでも広がったこんな陽気の日に子供が憂える理由も思い付かない。子供はいつだって楽しげに笑んで眩く輝く太陽のように、存在するから。
 それが曇ることも、まして雨に隠されることも考えてみれば想像したことさえないほど子供はあまりに笑顔を絶やさない。
 それが……どれほど危ういことかなんて知らない。
 一瞬身の内を駆けた悪寒のようなものに愕然とする。………気にかけるなんて言葉、自分が知っていい筈がないのに。それでも物言わぬ鼓動が確かに響いた。
 ありもしない体内の脈動が、跳ね上がったのだ。
 言葉を知らないこの唇が、癒しを与えることがないことを知っている。子供の心をやすらかになんて、願える立場でもないことも。
 それでも寂しいその背中を、いまはもうただ見つめることが出来ない自分は一体どうしてしまったのだろうか…………?
 変革の時を、誰が予想出来るだろう。
 己が己でなくなる因を、誰が知っているのだろう。
 ………それが起こり、変貌を遂げた時……初めて気づかれるそれは事後の事実。
 誰も決して覆せない。たったそれだけを誰もが知っている現実。
 だから心なんて自分はないと囁いていた頃の自分がわかるわけがない。
 …………伸ばされる、指先。
 小さな肩を自分の小さな掌におさめて…………緩やかに吐かれる吐息にも似た呪。
 「いでませ、窮奇」
 声音とともに起こる、奇蹟と称されるに相応しい現象。
 …………目を見張る天馬の大きな瞳に映るのは、二人を包んでもなお余りある大いなる翼。
 それを抱いている獣は、虎にも似た風貌で天馬を見つめ、かしずくようにその頭を下げて背に乗るようにと促した。それを確認しながら、舞うように優雅に帝月はその背に乗った。
 惚けたままその不可思議な生き物を見上げていた天馬のどこかまの抜けた顔を僅かに笑い、帝月が素っ気無く囁きかける。
 「僕はこれで行くが……お前は歩くのか?」
 同伴を許す言葉に唐突な現象についていけなかった天馬の顔に、喜色が浮かんだ。幼さしか残らない、子供の笑み。それが当たり前に晒されることが、きっとこの子供にとっての日常。俯いた背中も元気のない表情も、きっと非日常でしかない。
 そんなことを考える自分が己の使命のみを思っていた自分と同じなのかと……思うけれど。
 「なあ、こいつキューキっていうのか?すごい早いな!」
 はしゃいで腕を振りながら天馬は羽撃く翼を欲しがるように身体を少し乗り出した。………同時に少しだけ、姿勢が崩れる。バランス感覚の優れている天馬がそう無様に落ちることはないと思うが、なにかに夢中になっている時にそんな考えが適用するとも思えない。
 たしなめる意味を込めて冷たい声が無表情な唇から紡がれる。
 「…………落ちるぞ」
 底冷えするような、冷静な声にぎくりと天馬の身体がはねる。…………正直、ここから身が落とされて自分が無事でいられるなんて思うほど馬鹿ではない。
 ましていまはもう身の中に飛天を括り翼を出現させることのできる身ではない。空に浮かぶ術のない天馬は僅かに畏縮してしっかりと帝月の腰に腕を回す。
 それに微かに込み上げる、笑み。何故かなんてわかるはずもない熱が凍れる肢体を溶かすように染みる。
 ………落ちないようにと回されている天馬の小さな腕が、熱のないこの身をあたためるから。
 本当ならククリの呪者としてはあるまじき真似をしている自覚がある。………ただの人間とは言えなくとも、自分達とは相容れない時間の中を生きる生き物のためにだけ晒される、ククリの秘法。
 いつの日か必ずその手を離すことを知っていながら、それでも堪えられずに捕らえてしまった。あまりに容易く与えられるあたたかさに、手放すことを忘れてしまった。
 もう……きっと耐えられない。この魂を失うことも離れることも。
 ………………愚かだと、自分でも思うけれど。
 零された小さな自嘲の笑みを隠すように、帝月が天馬に問いかかける。
 「………で、どこに行くつもりだったんだ?」
 空の散策など、してやるつもりで呼び出したわけではない。………それだけが目的でも構わないと少し思う自分に蓋をしながら問いかければまた晒される、困ったような寂しい顔。
 不可解げに顔を顰めてみればそれを厭うように視線を逸らされる。いつも無遠慮に人を見つめる大きな瞳が、小さく眇められて遠くの空を見つめた。
 取り繕うように紡がれた、小さな声。………音量のみを聞き取るなら盛大といえるその音は、けれど物悲しさ故にあまりにちっぽけに聞こえた。
 「んー……忘れちゃったから、いいや。このまま少し空飛ぼうぜ」
 さらされる、笑顔。
 …………いつもと変わらないと思えるほど真直ぐな、幼い笑顔。
 でもその瞳の奥、揺らめく感情があまりに似合わなくて………知らず指が伸びた。あたためる筈だった指先は、けれど思い直したようにその額を爪弾いた。
 「イッテーッッ!!」
 唐突な行動に防ぐなどということも出来なかった天馬は驚いたように額を庇い、抗議するように帝月を睨み付ける。それを視界におさめ、何事かごねているその言葉を聞き流しながら帝月は前を見つめた。
 視界の先に広がるのはどこまでも広い青空。………いつも見ていたのは、子供の小さな背中。
 生きた年月を思ったなら瞬くよりも短い時間だったのに、それでももう、それが自分にとっての当たり前の風景。消えることのない、残像。
 見つめる光が鈍くなることも、消えることも望まないから。…………願える立場ではないけれど、灯すことを祈ってみる。
 ……………不器用極まりないこの小さな腕が、そんなだいそれた真似をできるのかも知らないけれど…………
 「莫迦の考え休むに似たり、だな」
 「なにがだよっっっ」
 「……………町内一週だけだぞ」
 時間制限つきで空の散歩を約束する帝月の言葉に、驚いたように天馬が目を見開く。
 絶対に、駄目だといわれると思っていた。それなのに………………
 自分と同じほどの背中。細くて小さな子供の背中、なのに。
 どうやっていたわればいいと囁くように晒される瞬間を、知っている。
 ………身勝手で、自分のことしか考えていないと憤ったことがあった。それを未だ訂正したこともないのに、許している甘い背中。
 それに顔を寄せて目を瞑れば訝しげな気配。
 小さく笑い、天馬は白状するように言葉を送った。
 「小さい頃にさ、河原で石見つけたんだ。真っ黒な石」
 「…………?」
 「回り全部普通の石なのに、それだけ滅茶苦茶目立っててさ。汚いって言われたけどずっと隠して持ってたんだ」
 お守り……と言えるのか。それともただ自分に似ていると思ったのか。独りぼっちでそれでも大丈夫と存在を主張したその石を、どうしても手放せなかった。
 それなのに……………
 「この間飛天たちと野球していた服に入っててさ。しまわないとって探したら……なくなってて…………」
 探しにいこうと思ったけれど、もうあの日から何日経っているか数えることも出来なくて。
 少し怖くて、不安で。
 子供じみていると思っているから、誰にも言えないと思えば帝月はついてくるから。
 …………なにも教えなかったのに、いたわろうとしてくれることが、わかったから。
 それに笑みがもれる。堪えることなんか出来ない、幸せな形のそれ。
 考えてみればもう…見つけていた。ずっともう、この手の中に。
 しがみつく腕の力を強めて、天馬は楽しげに声を彩らせる。
 「でもちゃんとあったから、大丈夫。折角飛んでるのに勿体無いしな!」
 「………あった………?」
 見つけた素振りなど見なかったと訝しんでも、その瞳に映る天馬の笑みは確かに心からのもので、偽りなど欠片もない。
 真実なんて知らないし、本当なんかわからない。
 それでも確かに天馬は笑い、自分の心もまた、あたたまるから。
 …………それだけが、自分にとっての真実。

 仕方なさそうな吐息の先、僅かに笑んだ唇は微笑みにさえ似ていた…………………

 








 キリリク54001HIT、天馬で「天馬と帝月の話」でした。
 日常の話でもOKと言うことだったのでメッチャ普段、という感じに。
 …………ええ、きっと帝月はいつもこれくらいの甘やかしはしているはずです!

 小さい頃ってなんでそんなもの宝物にするの?と言いたくなるものを大事にしているものです。
 私も石とかやたらと拾っていました。別に綺麗なわけでもなんでもないけど、なんか手放せなくて。
 …………まああっさり捨てろと言われて庭にためていましたが(オイ)
 気に入っていた貝殻割られた時はこっそり泣いていましたけどね。姉の友人が過って割ってしまっただけにその場で泣けなかったわ……………
 そんなわけで(なにが)、天馬もなにかどーしようもないどうでもいいもの、宝物にしていないかなーと。
 案外宝物!と決めたら頑固に大切にしていそうな予感(笑)

 この小説はキリリクを下さった勇樹さんに捧げます。
 久し振りに帝月書いた気分です。天馬との絡みは子供が二人で可愛いな〜とか。
 ……………子供に反応する身には、なかなか高いポイントですね☆