きれいな言葉。
やさしい言葉。
いろんな形の音が流れてくる。
短くてちっぽけで。
時折聞き流してしまいそうな小さな音たち。
どんな意味のある言葉かな?
どんな風に使う言葉かな?
………きれいな音を紡いだなら、きれいな心になるのかな?
ほんわかするやわらかな言葉。
うっとりするやさしい言葉。
ぎゅっとなる切ない言葉。
使ったなら、どんな気持ちになるのだろう…………?
ちっぽけなまんま
ぱらぱらと小さな指先が紙面をめくる。
特に読んではいないのだろうそのスピードに怪訝そうに視線を向ける。
………外は晴天。いつもなら野球だゲームだと遊び回るはずの子供は、けれどどこか生真面目なのか、午前中は勉強を始めた。
意外そうにからかってくる火生を呆れたように諌める静流の声を聞いたのはつい先程だ。………多分、天馬が大人しくしていればその分飛天を好きなだけ独占出来るという下心も加わっての諌めだったのだろうが。
いつものように帝月は突然どこかに出掛けてしまった。午後には戻るらしいことをほのめかしていたが。
頭が悪いわけではないが真面目に勉強することは嫌う火生はつまらなそうに辺りを見回して不意に姿を消す。…………面白くなさそうだと判断して天馬の勉強が終るまでどこかに行っているつもりなのだろう。
誰が問いかけるでもない中で飯までには戻ってくるからな!と凶門と天馬に向かって言っていった辺り、遊び相手がいないのがつまらないということをアピールしたいらしいことは窺えた。
………もっとも、その言葉を聞いて凶門が仕方がないと相手をするはずもなく、天馬もまた、笑顔で昼食を用意しておくと言うだけだった。まるで気づいていない天馬の反応に少しがっかりして肩を落としていた火生は、けれどすぐに立ち直ったのか軽い足取りで屋根に登り始めた。
一瞬手に持っていた本を投げ付けてそういった非常識な真似をするなと諌めようかと考えたが、家の主は特に気にしていないので無視をした。それも少し不満そうな気配が背中から窺えたが。
騒いでいた火生の気配が室内から消え、邪魔にならないようにと一応気遣ったらしい飛天はゲーム機ごと階下にいる。勿論静流もそれに倣ってかいがいしくお菓子や飲み物を用意して傍に控えていた。もっとも鬱陶しがられるくらい張り付いてはいたが。
それでも甘えられること自体はたいして厭っていない飛天の態度に引き下がるわけもなく、騒がない程度に2人っきりを静流は堪能しているだろう。それはそのまま、この部屋にいる人数を決定させることでもあるが。
いつもの半数を軽く超えた人数。広い部屋ではないのだからこれくらいがちょうどいい筈だが、いつもの雰囲気に慣れている室内はどこか淋しげなほどがらんとしていた。
難しそうな顔をして算数の計算をしている天馬は文章問題で先程から固まってしまっている。単純な計算や応用はできる筈なのに、どうも文章の中から数式を作るということは苦手らしい天馬は示されれば簡単に解けるその問題に先程から苦悶していた。
時間的にそろそろ泣きそうな顔でギブアップを言ってくる頃合か。
ちらりと天馬がその問題に取りかかってから自分の読み進めたページ数を計算して様子を伺ってみれば、なにをいうでもなく訴える視線が自分に注がれている。
「………なんだ?」
宿題であるなら自力で解くべきだ。故に、頼まれもせずに手助けする気はない。それは充分凶門の性格から伺えることで、どう言えばいま困っているこの問題のヒントをもらえるかとまた天馬の眉に深い皺が寄った。
別に答えが知りたいわけじゃない。宿題は自分でやらなくてはいけないということくらい、ちゃんと解っている。ただどうしてもきっかけがないのだ。この問題を読み解くためのきっかけが。
それが欲しいだけだと言いたい天馬は少し必死になって言い訳に近い言葉を並び立てた。
「えっと…な、俺文章題って苦手で、普通に計算するだけならなんとかなるんだけど………でも式作るのわかんなくて。で、これ文章題だから難してくわかんなくて……あ、だけど答えはいいから式の作り方知りたいんだ」
段々言っているうちになにを言いたかったのかが解らなくなって支離滅裂だ。
それでもとりあえず、ちゃんと答えではなく式の組み立てを知りたいと完結出来ただけでもよしとするべきなのか。…………微かな溜め息を漏らしつつ、凶門は手にしていた本にしおりを挟んで脇に置いた。
それを見て自分の言葉を汲み取ってくれたことを知った天馬が満面の笑みを浮かべる。………勉強を嫌だと思うのは当然だ。固っ苦しくてつまらない。遊んでいた方がいいけど、そのために必要だったから頑張っているのだ。だから、出来ればひとりでやるよりは2人がいい。………もっとも、他の友人を呼んで勉強会、なんて出来る状況にいま自分の家はないけれど。
「で、どれがわからない」
そそくさと自分の分の場所を提供するように机の端に寄った天馬のプリントを覗きながら問いかければ、ラストの2問を指差される。
それを読み解きながら、妙なものだと心の奥が苦笑する。こんな子供の算数を、何故自分が解き方を教えるなんて真似をしているのか。
なにかに関わることで傷つくことを厭って、離れていた。明解過ぎる態度で反発した。
それら全てを許されて……受け入れられて。結局自分はまたなにかに関わっていくことになってしまったけれど。
その原因がなににあるか解らないほど愚かではない。それを屠ればきっと自分もまた、縊れる。それは殺されるのではなく……自ら果てていく命になるということ。
正直、くだらないと思う。なにかを思い煩い、そのために命さえ賭けることは、自分にとっては復讐以外の意味を成さなかったから。
そう思い、そして思い知る。………その考えがすでに過去形へと移り変わっていることを。
難しい顔をして自分の説明を聞いている天馬を見やりながら、溜め息が洩れそうになる。
………括られたその原因を知っている。
本来ならあの場で果てたはずの命は、けれど子供の輝きによって掬い取られた。闇の中闇のまま…決して灯される筈のなかった光を出会ったばかりの憤ったはずの怨敵が、真直ぐに捧げてくれた。
その勇気の所存を知らないわけではない。
許すこと受け入れること。もっとも自分が厭って……逃げていた道を、年端もいかぬ幼子はあっさりと示した。幼さ故の無謀と無知故の暴挙とせせら笑うことも出来ない至純さで。
息を飲む。その力を発動させていないいまの子供は、何の力も有さない人に化けたこの腕でさえ簡単に屠れる。それほどの無防備さでもって、いま自分の目の前にいる。
信頼、されていることは知っていた。自分を笑わせたいと願っていることも。
そしてそのどちらをもどこかで手放されればいいと思っている自分もまた、知っていた。
「そっか、わかった! サンキュー、凶門♪」
不意に耳に入り込んだ明るい子供の声。楽しげに弾んだそれにはっと意識を取り戻す。
深く自分の中に入り込んでおきながらも、どうやら役目は果たしていたらしい。出来上がった式を解きながら機嫌良さそうに天馬は時計を見上げた。
まだ昼食には時間がある。今日やっておこうと思った分はこれで終わりだから、あとは遊んでいたって誰にも文句はいわれない。
「なあ凶門、俺、これ終ったらあとは国語の作文だけだぞ、宿題!」
最後の1問も先程の文章題に似た形で式を作ればいいせいか、聞くこともなく天馬はそれに取りかかった。そしてその合間、ちらりと盗み見るように凶門を伺ってそう言った声は自慢というよりは、どこか確認する響きがあった。
含むものがなんであるのか解らず、凶門は怪訝そうに天馬を見やった。
夏休みの宿題は確かに進めておくようにはいった。リトルリーグの最中に。つまり、天馬個人にではなく、チームの子供全員にだ。
それをここまで気にするとも思えない。が、まったく身に覚えがなかった。
それが解るように雰囲気に出ていたらしくきょとんとした天馬の顔が段々と不貞腐れていく。ムッとした様子がありありと見て取れるその顔に困惑した。………一体なんのことをこの子供は言っているのか解らない。
いつも自分には不可解な理由で動くし、その感情を晒すけれど、今回は自分が原因らしいが………其れ故にわからない。
「凶門、忘れてるだろっ!!!」
ちょっとした怒号も、いまだ幼い声音では甘えさえ含んで響く。
おそらく階下の2人は勿論、屋根の上で昼寝をしているであろう火生にすら聞こえていそうな声が、それでも心地いいくらいやわらかく響いた。
…………正直覚えていない。子供がなにかに憤慨していることは解るが、その原因を。
けれどそれは多分……………
「この間遊園地にみんなで行こうなっていったら、お前宿題終んなきゃダメだって言ってたじゃんかっ!」
だから、必死だったのだ。いつもだったら夏休みの後半で終らせるものを、わざわざ7月中に終らせようと頑張っていた。
言ったからには凶門は本当にそれを許さないだろうと思ったし、コーチとしての立場上、きっとチームのことを気にしてくれていると思ったから。それでも一緒に遊びたかったから、だから頑張っていたのに。
当の本人はそんなことも忘れて不思議そうに自分を見ている。こんなに頑張ったのだから誉めろとは言わないけれど、それでもせめて約束くらい欲しかったのに。
じわり、と。感情が高ぶったせいでつい涙まで滲む。もっともそれは流れるような量ではなかったけれど。
感情の波がはっきりしている子供に小さく溜め息が落とされる。おそらくくだらないと一蹴されると思ったのだろう怯えるように震えた小さな肩。
それを包むように、小さな音が捧げられた。
「…………忘れていた。いつだ?」
「え?」
どこかぶっきらぼうな、それは音。
けれど拙い優しさが込められたその深さに子供は一瞬その言葉の意味を取り損ねてしまった。
それを言葉の不足と思ったらしい相手の声が、また響く。
「行くのは」
………やはり小さくて、そして短くて。
あるいは聞き取ることすら忘れられそうな音は、けれどしっかりと伝わることを知った上で晒された約束。
ゆっくりとそれは開花する。まるで埋められた種が発芽するような、煌めきの一瞬。
不機嫌そうだったその顔は一転して笑みに変わる。
………眩そうに細められた瞳の先、灯ったのは小さな光。
やわらかなそれは楽しげに音を紡ぐ。
約束だと、そう囁きながら………………………
笑ってと伸ばされる指。
楽しいことを知っていると笑う顔。
……それを一緒に知ろうと、差し出される腕。
どれもが尊いなんて、知りはしない。
知っているのは、ただ灯された光。
その光が尊いことだけは、知っていた――――――――
キリリク77777HIT、天馬で「天馬の勉強を見る凶門のほのぼの」でした!
いや………なにに驚いたって、凶門頼まれたことに驚きました(笑)
なんだかんだいってうちの凶門はとっても世話好きです。
ぶっきらぼうに不器用に世話焼きます。なんで天馬みたいなタイプじゃないと逆効果になる場合も(口煩いになる)
こういう兄弟欲しいな〜。弟でもお兄ちゃんでも!うち男いないから想像も出来ん(笑)
夏休みの宿題。なんだか話を聞くとみんなは7月中になんて手をつけないそうです。
………私は7月中に大部分終らせて夏休みのラストの方で仕上げる奴でした。
こんなだから真面目だとか言われるんですかね………。なんで宿題に本当に追われたのは夏休み中が実習だった専門学校や短大の時くらいです。
この小説はキリリクを下さった新奴里妃さんに捧げます。
ヒーローのリクの方も捨て難かったのですが、いまタイムリーな方にさせていただきました!!!