それはまるで月のようで。
それはまるで太陽のようで。
それはまるで湖面に映る灯火のようで。

手を伸ばせるように見えながらも決して手の届かない存在。

解っていて望んでいた。
解っていて願った。
それは決して叶ってはいけない祈り。

それでも光は必ず差し込むだろう。

……………それを確信とともに、信じていた。





いつの日かではなく。



 走った。………走って走って走って。
 この数年分を総合するよりもずっとずっと走った気分だった。もう地球を何週もしたような、そんな永劫的な時間感覚。
 それでもしっかりとこの手は掴んでいた。数年前より幾分細くなっている白い腕。相変わらず体温が感じられない冷たさに沈んだ腕を。
 荒い息は自分のみ。すぐ前を先導するように走っている飛天はもちろん、枝の間を駆けながら中空の守りを怠らない静流や火生、後方の護衛役である凶門の息は乱れる事はない。当然だ。ただ走っているだけなのだから。
 ここ数年で格段に体力や持久力の増した天馬もまた、ただ走るだけであればこの程度の距離で息は上がらない。それだけの超人的な肉体を得てしまった。それなのに、胸が躍る。………やっと、やっと見つけたのだ。
 突然いなくなって文句も言わせずにいたくせに……囚われの姿だけを晒し、消えた友人。身勝手で理不尽な事ばかり言ってくる腹立たしさの中、時折見え隠れした繊細な気遣い。
 それはあんまりにも小さ過ぎて、時に見過ごしてしまいそうになる。まるで人に関わる事に慣れていないとでも言うようなその仕草が、少し痛々しかった。
 仲良くなれるかななんて、思いもしないくらいあっさりとその存在は自分の中に溶けていた。一緒にいる事が当たり前に感じていたからこそ、なにも言わずに消えた事に憤りを感じるのだと知ったのは短く長いこの旅の間の事。
 しっかりと、この手で友達の手を握りしめた。そのままどこかに消えないように。また、何か自分の知らない事を考えてどこかに言ってしまわないように。
 ちゃんと、解っているのだ。彼がいなくなった理由の大半は自分の為。この身体が変革しはじめたが故に、彼はそれを少しでも食い止める為に祠に消えた。己自身の力を高めるとともに、神の腕の封印を頑強にする為に。
 それも少しずつ意味がなくなり、大分この身は彼等の側に近付いてはしまったけれど。それでもまだ、きちんと人間のままだと示すように体温だけは消える事はなかった。
 「天馬、ここら辺なら大丈夫だ」
 不意に辺りを窺っていた飛天が不意に止まり、息を吐く。くんと鼻を鳴らして辺りの気配を嗅ぐ仕草も見慣れた。そして間近にある破れ寺のような建物に近付いていった。
 それを見送っているとすぐ間近に火生の気配が近付いた。大分、そういった気配で誰かを区別する事に慣れたらしい天馬が驚くでもなくそちらに顔を向ける。…………その瞬間、ほんの少しだけ帝月の眉が寄せられた。
 それに気づいたのか、あるいはただ単にずっとそう言おうと控えていたのかは解らないが火生は帝月の方に視線を向けて心配そうに声をかけた。
 「坊ちゃん、疲れたんじゃないっすか? 飛天の旦那が戻って来たら中で休んだ方がいいっすよ」
 「大丈夫だ」
 ぴしゃりと小気味いいまでにあっさりと火生の言を退ける帝月に天馬の唇に笑みがのぼる。まるで変わっていない姿が嬉しかった。変に自分に気づかったり、憔悴しきって話も出来なかったり、そんな姿……ずっと幾度も繰り返し繰り返し夢に見てはうなされたから。
 後方からやってくるはずの凶門の気配が、少し逸れて僅かに一団から離れた。それに帝月が怪訝そうに視線を向ける。おそらく、昔であったなら何を見ているのだろうと思うに留まったはずの天馬は、けれどその意味に気づいてにこっと笑った。
 「ああ、凶門なら多分この辺の結界強めにいったんだろ。いっつも何も言わないで行っちゃうからさ」
 一言くらい言っていけばいいと文句を言った事もあったが、その僅かな時間差で何かが侵入したら元も子もないとはね除けられてしまった。むっとした自分に、声をかけなくても解るのだからいいのだと、まるで選手の成長をほめるようにぶっきらぼうに言って……軽く頭を撫でてくれた。子供扱いをあまりしない凶門の、その仕草にほだされたわけではないけれど、それ以来あまり口煩く勝手に消えるなと言わなくなった事は確かだ。
 「ほら、あっちにある鳥居にジイさんいるし、危ないかも知れないから隠れてるようにいってくれると思うし。………って、ミッチー?」
 ぎゅっと、固く握りしめられた手のひらの必死さにきょとんと天馬が首を傾げる。
 なにか………おかしな事を言っただろうかと目を瞬かせて帝月を見遣るが、俯いた顔からはその表情は窺えない。
 ただまるで何かを引き戻そうとするような懸命さで捕らえられている自分の腕だけが確かな感情の揺れだった。それに、小さく笑ったら彼は怒るだろうか。
 少しそれが嬉しいのだ。昔……離れる前の彼だったなら触れる事すら恐れているように自分に近付かなかったから。まるで罪は全て自分にあるのだと、己を断罪するような殊勝ささえ、垣間見せていた。自分を守ろうとしていた事くらい、いまは解る。…………なにも知らずにいたあの頃と、いまは少し違うから。
 「なあミッチー少し休もうぜ。ほら、飛天戻って来たし、中入ってさ。俺も疲れたし」
 きっと他の仲間たちには握りしめる指先を知られたくないだろうと、天馬はその手を同じく握りしめて引き寄せる。昔の、なにも知らない子供のままの笑顔で。
 それに魅入られたように知らず頷いてしまう。背後でなにか嘆いたような声も聞こえるが、そんな音すら遮断された。
 ずっと……ずっと見えていた。あの暗く淀んだ空間で。たったひとつの光のようにそれは泡沫から現れては瞬き、消えていく。
 まるで月のように。
 まるで太陽のように。
 まるで……湖面に浮かぶ灯火のように。
 この手で縋り掴む事など出来ない幻。手に入れてはいけない清らかな吾子。
 「飛天、中いいだろ? 先休んでるぞ」
 「ああ、ちょっと俺らは辺り見てくるから動き回るなよ」
 「ん、早く帰ってこいよー」
 もう既に馴染みの会話。置いて行かれるのではなく、中心に自分がいる事で目印になる事も解っている。この身の中で眠る証はあまりに眩い光を灯していて、夜の闇さえ覆い隠してはくれない事も承知していた。
 けれどそれは同時に結界の助力になる。だから、動かずに待つその退屈さも我慢した。一緒にいたいと言う我が儘も、飲み込んだ。……………誰もが早く自分の元に帰ろうとしてくれる事を、知っていたから。
 少し暗かったはずの寺の中は、足を踏み入れた瞬間、仄かに明かりを灯した。それは人工的な明かりではなく、どこか自然的は灯火。…………まるで寺自身が発光しているかのようなそれに視線を泳がせてみれば先を行く天馬の腕が中に誘う。
 「あんま散らかってねぇな。飛天が風で払ったのかな」
 キョロキョロと探検を楽しむ子供のように世話しなく顔を巡らせながら天馬が呟き、後ろにいる帝月に視線を向けた。
 たたずむようにそこにいる帝月は、いつの間にか闇を羽織りそのまままたどこかに溶けて行きそうな雰囲気がする。…………それはひとえに、本人がそうあるべきと、思っているせいなのだろうけれど。
 ただ広いお堂があるだけのそこに天馬は座り込み、半壊している屋根から覗く月を見上げえた。
 冴え渡る清らかな月光を浴びてその髪すら淡く輝かせながら。
 「………天馬」
 「なんだ?」
 息を飲むように小さく自分の名を呼ぶ帝月に笑いながら応える。多分、それが自分を呼んだのではなく確認する為の仕草だった事を理解しながら。
 小さく頭を振り、一度帝月が顔を俯かせる。噛み締めた唇だけが、窺えた。
 なにから声をかけるべきかを躊躇ったようなそれに苦笑するように笑いかければ、手を取られる。離れた間に多少は逞しくなってくれた腕には、無数の傷跡。間近で見なければ確認できないようなそれはけれど見過ごせるほど軽くも少なくもない。
 「……………何故、迎えになどきた。来なければ………」
 こんな傷を負う事も、ましてその身を人から変える事も………防げたかもしれないというのに。
 自分の為に彼を傷つけるつもりはなかった。ずっと、ずっと道具のように扱っていた初めの頃を思えば誰もが嘲笑うその心を、けれど己は否定できない。
 決して捕らえてはいけない光だったのだ。
 願ってはいけないと知っていて、それでも欲しいと思った浅ましい自分。
 失えないと自覚したからこそ、離れた。まさかそれが災いと変わるなど疑いもしないで。
 こうして再びまみえる事が出来たのは奇跡に近い。幾重もの運の良さが味方して、そうして導かれた今という時。それはあまりに小さな可能性で大部分はどちらかが縊れるという結果だったはずだった。それなのに、それすら恐れずに訪れるだけの価値を、自分は有してはいない。
 少なくとも自分がこの子供を必要と感じただけの重さを、彼に与える事などできはしない。
 自分に出来る事は彼を人から引き離し闇に捕らえ同じ業を背負わせる事だけなのだから…………
 「そう……すれば…………」
 願ってもいない祈りほど滑稽なものもない。唇から出る音の、なんと空々しい事か。こうして再び顔を会わせる事の出来た喜びに、身が震えているくせに。
 噛み締めた唇で音を途切れさせれば、目を瞬かせて自分を見遣る天馬がいた。
 愚かしいと、いっそ一蹴された方がましなのかもしれない。そうして……求める心すら砕けてしまえば……今ならまだ、この子供は引き返せるかも、しれない。
 彼が愛しく思うこの人間の世界に、彼を返せるかも……しれない。
 それでもその音を聞く瞬間の絶望を恐れて、帝月は天馬の唇が開かれる瞬間、その目を閉じる。
 ただ鮮やかに広がる蜜色の髪とその笑顔だけを瞼に焼きつけて。
 「なあミッチー、すっかり言い忘れてたけどさ」
 柔らかな音が、注がれる。………どこかそれは子供を包む月明かりに似た響き。
 目を開けて欲しいと乞うようなその音色に微かに震えた睫毛が……観念したようにゆっくりと開かれる。
 間近には、子供。月をまとって笑う、変わる事を知らないまっさらな子供。
 手を伸ばし、幼子を迎え入れるように笑って天馬が言葉を紡ぐ。
 「おかえり。……帰ってくるの、遅過ぎだけどな」
 少しだけ拗ねるような声とともに差し出される、無償の心。
 決して他のなにものとも変える事の出来ない彼だけが携えた音色の透明さ。
 捧げられるにはあまりあるそれに震える心を隠してしまいたい。
 ………そうしてこの手を離し、彼を自由に出来たなら。
 そんな出来もしない理想を今更口にも出来ない。
 ただ目の前のその身を抱き寄せる。…………言葉もなく、縋るように。
 傍にいるだけでおそらく傷つけるだろう。その身を換え、光の中生きる事の出来ない存在に変革させてしまう。
 それでも見つけてしまった。その手を取ってしまった。何故彼を、なんて……何もかもが今更だ。

 ただ手放したくない我が儘なその心とともに、抱きしめる。

 この先の激戦すら忘れて、ただ愛しい魂を……………………

 








 キリリク12222HIT、天馬で帝月奪還後の話でした〜。
 つーかまさに奪還直後。

 ものすっごい自分設定で書いたんですけど、いいんですかね。
 もうすでにオリジナル?(汗) でも文句は受け付けませんので。最終話以降の話など己の妄想の産物です(きっぱり)
 なんでまあ補足的に説明加えますか。
 天馬は肉体的にはちょうど人と妖怪の真ん中な感じで。人では超人的だけど妖怪では脆弱。
 肉体的強度はさほどないけどまとった気でその補強が出来る、と言う感じで。だから傷だらけは傷だらけ。すぐ治るけど。能力的には開花途中。なんで押さえるのがあまり得意ではないから休む時とかは結界内にいないとすぐにばれる。でも力自体は大きいものなんで4人掛かりで結構大きめの結界張ってます。中心に天馬据えた状態でそれだけ消せる感じに。
 ま、他のキャラはたいして変化ないんでよしと言う事で(オイ)
 今回全く静流が出なくてちょっと悲しかったよ。

 この小説はキリリクをくれた朱涅ちゃんに捧げます。
 逃げてもこれ押し付けます。拒否は認めませんのでv つーか……なんでこんなオリジナル要素強いリクするかな(汗)