不安、だったかもしれない。
もしかしたら忘れてしまうのではないか。
そんなものではなくて。
…………なにもかもを美しく飾ってしまうその本能を、俺はよく知っていたから。
もしかしたらこの子供もそんな風に変えてしまうのではないだろうかと。
不安んがあったかも、しれない。
出会えぬままの虚像の美しさは美談にもなる。
けれど出会ってしまった虚像は、どうなる?
……………壊れて消える硝子細工など、見たくはないのだ。
幻惑の中の硝子
小さく息を吐く。微かな夜気の中の、最近の癖。
自分には到底似合うものではなかった。せいぜいこんな仕草が似合うとしたら……凶門辺りか。生真面目な仏頂面を思い出して喉奥で笑ってみる。気配に気づかれそうですぐに押し殺したけれど。
近頃どんどんと気配に敏感になっていく。
それは始まりから考えれば緩やかなものだった。成長と、称せば一番いいものだったかもしれない。けれど誰もが解っているのだ。そこまでに上り詰めるのに人という枷がどれだけ足を引っ張るかを。
そんな柵(しがらみ)さえもを断ち切って高く高く飛ぶ事が出来た時、それを人と呼ぶべきかどうか………誰も答えを所有してはいなかったけれど。
誰もそれには触れなかった。ゆっくりとしたその変化が、人ではなくなる前兆かもしれなくとも、口にはしなかった。子供自身問いかけては来なかったのだから。
けれどとも、思う。
もしも……もしも子供が問いかけてきたときに、一体誰がどんな解答を示せると言うのだろうか。
誰もなにも知りはしないこの現象の答えを、予想ではなく予感でもなく、答える事の出来る者などいない。
解っているのはそんなくだらない事実だけという現実。彼が、他のどんな者よりも守りたいと思っていた存在だからこそ、傍に控えて守れればと思っているのに。
実力すら希薄なこの身では守りきれない事とて解っている。彼の代わりにだってなれやしない。
忍び寄る月明かりが肌に触れる様さえ解るというのに、その程度の力では足りない。なんてややこしい事なのだろうか。一対一の戦闘でならそう引けを取る事はないけれど、あまりにいまは守る者が多すぎる。誰一人として欠けさせてはいけないのだ。そうして戦う事の、なんて不便で不都合の多い事か。
大技を使えば仲間が巻き添えになり、小技でちまちまやるにはあまりに敵の数が多すぎる。そういった微妙な調整は苦手なのだ。踏みにじるのなら徹底的に全て。それが一番単純(シンプル)でやりやすいのに。
守り方など知るわけがない。手に手を取り合って戦うなど解るわけもない。そんなもの、自分達には本来あり得ないのだから。
それなのに集まってしまった。途絶える事のない唄に聞き入るように、集まってしまったのだ。その光の元に。
もう守る意志すら主の為か己の意志かも解らない。
ただひたすらに………思う。亡くしたくはないのだと。
「あ……やっぱ火生だ!」
唐突に領域内に干渉された一瞬の不快感。…………同時に消え失せる違和感。まるで周りの景色と同じように溶けていく気配に小さく苦笑した。見えないように指先で隠してはいたが。
木々のざわめきに包まれたまま金をまとって子供が躍り出た。幼い笑顔とともに。
「なんかそんな感じがしたんだ。結構勘がよくなっただろ?」
得意げな笑みで天馬は火生に近付き、彼の隣に腰掛けた。柔らかな土の感触が伝わるが、ここ数日雨も降っていないし、静流が怒るほど服が汚れる心配はなかった。
そうして空を見上げれば見事な満月がかかっていた。少しだけぼんやりとしたその姿は朧月にも足りない感じで少し滑稽だがなんだかとても暖かくて自然と口元が綻んでしまう。
そうしてからふと気づき、突然視線を空から真横に移した。
それは一切予想させらさせない突然の行動だった。けれどそれに驚いた風でもなく、視線がかち合う。
無遠慮な互いの視線はまっさらなまま、ただ重なっていた。何の意図もなく。
それに不思議そうに天馬が首を傾げた。おかしいと問いかけるように眉が疑問に寄せられている。
「あれ? なんか言わなかったか?」
口を開く様子のまるでない火生に少しだけ勢いを削がれた天馬の声が問いかけた。まるで間違いをしたあとの幼子のような仕草。
それに喉奥だけで笑い、静かに笑う。まるで自分らしくない微かさで。
「俺が? なんて?」
問いかけに対して問いかけ返すその意地の悪さには気づきもせずに、天馬は困ったように口元に手をやってますます眉を寄せる。なんと答えるべきかを考え倦ねている間ずっと、空からは柔らかな月光が注がれていた。まるでその身を絡めようとする自分の言葉から彼を守るような、闇の中の番人。
「えっと……な、んーそうだな、解ってるかとか……気づいてるかとか、そんな感じのこと?」
頭を掻きながらまるで難問に挑戦をしている顔つきで出てきたのはあやふやで不確かな問いかけるような言葉。それらはおそらくは音とした確かな聞き取りをされてはいない音。
それでも子供はおそらくは聞き取ったのだ。その性根の真っ直ぐさ故、というだけではなく。確かに成長してしまっている彼の中の潜在能力。否、開花を余儀なくされた本能か。
月明かりが柔らかく彼を包む。まるでその事実を痛むように子供を守る光。
愛おしいと、思うのだ。こんなにも当然のものを体現できる命は、今はもうどれほど稀少価値か知らないわけではないから。
ただ自分はそれだけに生きれるほど単純には成り立っていない、この子供を思うのと同じく、やはり守らねばならない人がいる。その人を裏切れるわけも、ないのだ。
「気づいているか……ね。まあ、あってるかもな」
「そうなのか? …………じゃあ、何の事か聞いてもいいかぁ?」
きょとんと首を傾げて天馬が問いかける。その顔はあどけない笑顔。
月に抱きしめられて微笑む子供は、どこか幻想的だ。現実離れしているこの存在そのもののような、夢物語のワンシーン。
これに問いかける事はあるいは酷なのではないか。
………不意に湧くの当たり前すぎる事実。それを解っていながらそれでも突き付けたいのはおそらくは自分のエゴ。
そうとわかっていてもなお、自分はそれを子供に問いかけたい。
そしてその答えを知りたい。返される解答を知っているような気もするが、それは永遠に未知の解答。
細められた視界の中、一杯に広がるのは幼さを色濃く残したままの純粋な子供の顔。
傷つく事を知っていながらも歩く勇気を携えている希有なる存在。痛みすら引き受け輝く事を知っている尊き人間。
問いかけは酷だ。
………解っていて、火生は唇を綻ばせた。
「お前は気づいていんのかねぇ」
「だからなにを」
「坊ちゃまが坊ちゃまのままだってこと」
「はぁ?」
怪訝な子供の顔。
当たり前の事を今更何を言っているのか。そんな心の内がありありと浮き出されている。
それに小さく笑う口元は立てた膝にかけられた腕で隠した。おそらく……ひどくその笑みは傲慢だっただろうから。
淡い音が響く。子供を絡めるように。
…………月に包まれたままの子供を闇で包むように。
「お前の中でどう変わっちまってるのかと思ってさ。人間て、会わない相手のこと美化するじゃん?」
「美化って? どんな風に」
訝し気に顰められる子供の眉。まるで解らないというその仕草に胃の奥底が疼くように重くなった。
おそらくはそれが本当。………けれどその更に潜り込んだ箇所に、自分の憂えが隠されていると言い切れない。
子供と主。………どちらを思いこの言葉を吐くのか。それさえ解らない。
解っているのは………ただ自分は幼い二人がただ寄り添う姿が見たいのだろうという事だけだった。
「そうだな、たとえばミッチーってばいい奴だったのに!とか?」
「………まるでミッチーがヤな奴みたいだな」
困ったように笑って天馬が言った。どこかからかう響きが含まれているのはその音を火生自身が思っている音ではないと解っていたから。
それに火生は淡く笑む。ほんの少し、切なさを溶かして。
「あのさ、火生」
微睡むように目を細めている火生の肌に滲みるように微かに高い子供の声が触れた。それはいま空に顔を覗かせる月に似ている。どこか朧で……けれど確かな存在感。
笑う子供を眺めながら火生は顔すら隠すように腕に頬を押し付けた。答えを聞きたいような……聞かないままでいいような、複雑な気分だった。
わざとの言葉だった。それに気づかれる事も計算だった。その上で、子供の……あの真っ直ぐな音で高らかに宣言されたかった。…………はずなのに。
そうされる事を願ってはじめられたはずの問いかけは、けれどその答えを突き付けられる事を今更恐れている。否、恐れではなく、もっと別の何かか。
一度落とされた瞼が再び開かれた時、月は随分間近に居た。淡く発光するかのように月光に染められた髪が瞬いている。それはやはり……現実離れしていた。
「ミッチーはヤな奴だったんだぞ。友達になったら、段々変わっていったんだから。昔のミッチーはちょっと嫌いな時もあったけどさ」
その頃の事は知らないだろうけどと天馬は笑い、小さく蹲る子供のような火生の腕を引いた。
微かに高い天馬の体温が触れ、一瞬だけ竦む心を火生は自覚する。それすらゆったりと受け入れて顔を上げた。笑う仕草はいつもと同じ戯け方。
「今のミッチーは大事な友達だから、探しに行くんだ。火生だってミッチー好きだろ?」
同じなのだと子供は無邪気に笑う。大切な友達を取りかえしに行くだけなのだと、こともなげに。まっさらな瞳はまっさらな感情だけを差し出した。
その蜜色の髪を眺め、火生は笑った。どこか達観したような、道化の笑みで。そして伸ばされた腕は優しく天馬の髪を撫でるように透いた。
「火生?」
不思議そうに見上げた大きな天馬の目。無垢をそのまま形作らせたように穢れないそれに映るのは、一体誰か。
「早く坊ちゃん見つからねぇかな」
祈るように願うように呟いたのは叶う事と叶わない事を同時に願った音。
一刻も早く見つからなければ……囁く言葉が子供を絡めるものに変質しそうで、怖かった。
主の為の言葉ではなく、自分の為の言葉へと変わったなら、彼等の傍になどいられないではないか。
「そうだな。早く会いたいもんな」
綺麗な言葉を綺麗なまま……裏など思う事なく受け止める至純の瞳は細められ、その身体は癒すように自分よりも大きな彼に寄り添た。
「ミッチーだって一人じゃ寂しいもんなー。早く、会いたいな」
繰り返す音には主をいたわり思う音が響く。
それをこそ思い願ったはずなのに………何故にいまこの身の奥底で痛むモノがあるのか。
固く歯を噛み締め、火生はそれに気づかない振りをする。
彼等の傍にいる為に………自分は自分の役割を。
「ホント…坊ちゃまに会いてぇな」
そしてその鮮麗な意志で自分の浅ましい思いなど霧散させてくれればいい。いまこうして彼のいないなか子供の傍にいる事自体が、間違いなのだから。
「早く……」
呟く声が微かに震えた気がして、天馬は自分よりもずっと恵まれた身体を有す妖怪に寄りかかる。
………溶ける体温が心を支える事を祈りながら。
見上げた空に佇む月はその輪郭を溶かし、薄雲の奥から見つめていた。
何もかもをそのままに見つめる至純の目と同じ仕草で……………
キリリク13031HIT、天馬で「ミッチー捜索中、火生or静流話」でした〜。
今回は火生です。静流も書きたかったなー。
さて。颯爽と言い訳してもいいですか?(オイ)
言っておきますが私は火生→帝月ではありませんから。あくまでこの二人は主従関係。
帝天馬←火生、くらいな感じで。でも火生は帝月に忠誠誓った感じなので裏切れない、と。
そんな葛藤の中の火生です。どっちがより重いか、という次元の話でも比較対称でもないので問いかけてはいけません。
この小説はキリリクをくれた朱涅ちゃんに捧げます。
ミラー取得が多いわねー(笑) また何かあれば声かけておくれやす♪