舞い降りた黒い羽根。
視界を覆う美しき漆黒。
………金色の瞳が瞬いた。

息を飲む。圧倒的な姿に気押されてではなく………目を奪うほどに鮮麗なその姿に。

見たこともない翼を生やした人間。
その掌だけで自分などゆうに超えている巨人。
差し向けられた爪は鋭く……もしもその指の主が躊躇いを含まなければおそらくは自分の身体はあっさりと引き裂かれていた。

それでも目は逸らせない。

紺碧よりも色濃く落ちたその羽根。……空を飛ぶ事ができるのだろうその男。
無条件でただ……見つめてしまう。
どこまでもまっすぐで熾烈で、弛まない視線。

その目の見つめる先になにがあるのか知りたいと思ったのだ……………

……それは消えない一枚の絵画……………



漆黒に濡れる


 耳の奥でなにか音がする。
 不快ではないその声音。……言い争うような言葉たちはけれどひどく静かに紡がれている。
 夢現つにそれを感じながら小さく子供は笑んだ。
 声の主たちが何故…苛立ちながらも潜めた音を零すか知っている。
 眠った自分を気遣うのさえ無意識で。
 ……指摘したなら鼻で笑われるようなことだけれど、それでも気づいてしまったものは仕方ない。
 幼い魂は優しさに敏感に作られている。寄せられる情は言葉に出来なくとも確実に汲み取ってしまう。
 どれほど否定の言葉を用意したって無駄なこと。それは確かにその魂の奥底に眠る本心なのだから…………
 瞬くような仕草を残してぼんやりと子供は目を開けた。
 いまだ声の主たちは気づかない。………開かれた瞼の先、初めに写るものはいつだって鮮やかな漆黒。
 自分には携えられていないその色。
 いまは飛ぶことのできない濡れ羽と、その羽根に負けないほどに深く沈んだ黒曜石のように艶やかな髪。
 決して青年以外が持つことのできないそれは初めて見た時からこの目を奪ってやまない。
 ……………これがもし、月夜に飛ぶことが出来たなら。
 そう思うだけでも顔が綻ぶ。子供心にその情景は美しいだろうと思うから………
 眠りに落ちそうな瞳のままそれを見上げて腕を伸ばせば……その視線の先にたたずんでいた漆黒の少年が目を向ける。
 僅かなその仕草に青年は敏感に反応して……子供が伸ばした腕が目的物に到達する前に振り返ってしまう。
 撫でようとした指先は揺れた羽根の先を掠めるだけで満足に触ることが出来ない。
 ムッとしたように唇を尖らせれば勝ち誇ったような青年の笑みが返される。……別に勝負をしているわけではないけれど、こうした反応をされるとどこか意地が湧いてくる。
 離れた羽根を追うように更に腕が伸ばされる。………毎度繰り返される馬鹿馬鹿しいそのゲームを見ながら少年はくだらないと息を吐き出す。
 いつだって結果は同じ。……真夜中に起きた子供は決して青年の羽根に触れられない。
 大きな腕が幼い腕を遮り、子供の腰を軽く抱き上げて起こした。
 そのまま首根っこを掴んで子猫でも摘むような仕草のまま青年と少年の間に放る。起きたばかりの身体に衝撃が響かないように調整されていることに気づけるのは青年の凶暴さを見知った少年だけだろうけれど……………
 とすんと床に放り出され、パジャマのまま唖然とした顔を子供は零す。一瞬なにが起きたのか覚醒しきっていなかった頭は理解出来ていない。
 ほんの短な沈黙。
 起こされた上にお気に入りの羽根にも触れなかった子供はむくれて目の前の青年を指差すと年相応の言葉を吐き出した。
 ………どこか青年に甘える響きが滲むことに本人は気づいてはいないだろうけれど。
 「あんだよ、飛天のケチ!」
 別に羽根を抜こうとか悪戯しようなんて考えていないのだ。
 ただ見たこともないその翼に触りたくて……本当ならこんな見事な羽根を間近に置くことなんて動物園でも出来ないことが嬉しくて………………
 ワクワクと疼く子供心は押さえろといわれたって押さえることなどできないのだ。
 不貞腐れた子供の声に青年は取り合わないように答える。
 唇に浮かぶ笑みの穏やかさは無意識なのだろうけれど…………
 「あ〜ほ。なんで魔王たるこの俺様がちみっこの相手をしなけりゃいけねぇんだよ」
 「ミッチー!こいつ性格悪いぞ!」
 青年の答えに腹を立てた子供は味方をつけようと呆れたように二人を見ていた少年に振り返って叫んだ。
 いつも通りの押し問答。……そして少年が巻き込まれることもいつも通り。
 この二人に学習機能を求めること自体が間違いなのかと少年は微かに頭痛を覚える。
 大体……性格が悪くて当たり前なのだ。
 妖怪の総大将が世の為人の為などと叫んでいる方が世ほど気色が悪い。
 ………まだ自分達人ではないモノの価値観を理解していない子供は己と同じ定規で全てを計る。
  嬉しいこと楽しいこと……全てが美しい色で塗られ悲痛な呻きに濡れることはないと……………
 くだらないことこの上ない。………そんな夢物語、いまの現世であっても不可能に近い。
 それでもあまりに子供の周りはやわらかくあたたかい。其れ故に子供の魂はいまだ血に塗れ笑う化け物の姿を認識することがない。
 ……もっとも………………
 子供からずらした視線を青年に向ければ顰められる眉。それはお互い様で……居心地の悪さはいつまでたっても消えはしない。
 自分達にとって子供を夢物語から覚醒させることはひどく容易いのだ。
 ほんの少し……この本性を晒せばいい。
 簡単なことこの上ないのにできない理由は……………腹立たしいことに共通してしまう。
 幼さに彩られた瞳を汚せれば。……壊すことを厭わなければいい。
 たったそれだけなのに、互いに曝せない。残酷にのびる冷徹な牙を子供に見せることが出来ない。
 瞼を落とし子供も青年も視界から消した少年は脳裏を駆ける理念を消し去るように息を吐くと言葉を紡ぐ。
 ………綴らせることで、考えを消す。もっとも稚拙な愚行と思う仕草は子供に関わるようになってからの少年の癖。
 「……大天狗が性格いいと考えるな脳天気もの。大体、貴様にも羽根はあるだろ?」
 青年を身の内に封じたなら生える翼。
 小振りながらも空を駆けることもできるし、青年のそれに負けぬ程毛艶もいい。
 いつも間近で見る少年にしてみればわざわざ青年の羽根にばかり執着していることの方が解らない。
 青年にいわずに少年に頼んでみる方法だってある筈なのに、子供は一度もそうしたことはない。
 少し憮然とした心の内、まるで言い訳のように小さく囁く。
 ……頼まれたからといってそう易々と不動明王符の力を解放する筈はないのだと……………
 呆れたような少年の言葉に子供は唇を尖らせる。
 言い淀むような間を開けて…小さな声が囁いた。
 「………………だって……俺のは黒くねぇだろ?」
 欲しかったのは漆黒の羽根。
 初めて青年が現れたときに地を震わせるほどに瞬いたその色。
 闇夜よりもなお暗く深い初めて見たその翼に心奪われた。
 ………それがよかったのだ。何故か自分の羽根は淡い茶色で……天狗というよりは鷹のようなグラデーション。
 この目を奪った色を携えてはいないのだ。
 不貞腐れたような声は……あどけない我が侭。俯いた顔が少しだけ赤くなるのはきっとその自覚がある証。
 驚いたような沈黙が続き……居心地悪い子供は少しだけ眼前の青年を見遣る。
 ………………怒っているのか呆れているのかいまいち解らない。
 気まずさと照れくささから逃げるように子供は隣に座っている少年に振り返って声をかけた。
 少しだけ焦ったような声は微睡みを思い出したように溶け始めていたけれど…………
 「ミッチーはこういう羽根ないのか?」
 青年と同じ漆黒色の髪を持つ黒衣に身を包ませた少年。もしも彼にも翼が与えられたなら……透けるように煌めく冷たい硬質さを誇るだろう。……それは勿論髪と同じく闇夜を模して………………
 不意にそう考え至り少しだけ子供はつまらない顔をする。
  自分だけ、違う色。………髪の色が違うのだから仕方がないのかもしれないけれど……………
 それでも欲しいと思うのはその色。
 ………鮮やかな月をより引き立たせる紺碧以上の深き色。
 ズルイと思っても仕方のないことだけれど、どこか悔しくて子供は少年の髪を一房摘むと軽く引っ張ってみる。しなやかな黒は絹のように張りがあって電燈に照らされてもなお瞬かずに色を沈ませるほどに奥深い。
 身勝手な少年の性格には似なかったのか子供が軽く弾いても髪は淑やかに舞って崩れることもなく再び元の位置に戻った。
  指先が……少年の頬を掠める。たいして体温を携えていない身だからか……それともこの子供故か。ひどくそれは熱く存在を主張する。
 遮ろうとした唇は開きかけ……子供の顔を彩る純粋な喜色に気押される。
 心を震わせて喜びを表せる。それが人なのか子供だからなのか知りはしない。
 知っているのは……捕われる事実だけ。
 その笑みに咎める声を発せなくなる、その事実だけ…………………
 音を虚空に滲ませて唇を溶かした少年は自分の髪で遊び始めて子供に魅入る。こんな怖いもの知らずな人間を見たことはない。
 恐れられてしかるべきなのに……あっさりと己の胸裏にククリの呪者を棲まわせた。……忌み嫌われる筈の大妖怪さえも……………………
 微かに少年の気配が揺らぐ。……触れたくなった吐息の意味など知らない。
 それでもそれは間近にあって…ほんの僅かに寄ったなら掠められる。
 やわらかく…けれどどこか幼い乱暴さで漆黒の髪が揺れる。
 それは無意識の所作。子供の指先に溶かされた思いが少年の抑圧を受けることなくしみ出してしまう。
 楽しげに眇められる子供の瞳。笑みを象る唇。…………触れることはおそらくは禁忌。
 それでも…知らず近付いた唇は……けれど風を過って離れてしまった。
 「おわぁ!?」
 突然後ろに引き寄せられた子供は素っ頓狂な声をあげて慌てたように手足をばたつかせてバランスをとろうとする。
 ひっくり返された先に広がったのは漆黒の塗れ羽。鮮やかなそれに目を輝かせて子供は手を伸ばす。
 大きな青年の腕が落ちないように子供の身体を支え、抱き締めるように腕の中に収めた。
 そうしたなら射すくめる……少年の視線。
 わかっていながら手出しした青年の意図が解らないわけがない。
 けれどそれを遮られて面白い筈がない。
 心地よかった。触れられることなどいままでなかったから……子供の体温はひどくこの心を揺さぶる。
 あどけない笑みも、逸らされない視線も、無条件で示される信頼も。
 仲間に囲まれていた魔王よりも自分の方が求めている。
 ……それでも、子供の望む先に自分がたたずんでいるとは限らない。
 青年にもたれ掛かったまま羽根を弄んでいた子供の唇からこぼれる寝息。……月の冴える時間、起き続けることも出来ない癖に必ず目を覚ます。
 それがなにを指し示すかなんて知らない。
 ――――――いまはまだ、知らないままで。

 眠りに落ちた子供を囲み、また小さな声がこぼれる。
  互いの声に潜む渇仰と寂寞とを静かに飲み込みながら…………………

 

 








飛天&帝月→天馬???ですかね…………?
少なくともまだ誰ともくっついていない(笑)
………3人で出したら永遠にこのまんまな気がしてきた。
でも結局飛天好きな私はラストで飛天×天馬を匂わせる(笑) ミッチー嫌な役回りよね………

今回はいつもなんか帝月が可哀想だからと思って……ちょっとは役得(?)をと思ったんですが。
あんま………意味ない? むしろ飛天の方が…………………(遠い目)
個人的で申し訳ないのですが……私があの羽根触りたいんです!!!
月夜に映えてきっと綺麗v 静流……いいなー、見たことあるんだもんな(羨)