未雨が降る日は空を翔(かけ)ることも出来ない。
退屈で退屈で……いつも垂れ込める雲を見上げていた。
別に雨が嫌いなわけじゃない。
…………葉に落ちるその音を聞くことも、木々がざわめき喜ぶ様を見ることも好きだった。
ただひどく、退屈だった。
変わらない。動けない。
………この羽根を自由に…………………
それはいまも変わらぬことなはず。
むしろよりいっそうの悪条件下。
退屈?
…………そんな言葉も忘れていた自分に驚く。
括られたことで知った新しい世界。
自分は一生知ることのない筈だった、世界。
それはあまりに美しくて………目が眩む。
何故かなんて……考えはしないけれど……………………
雨水(うすい)に塗れる
梅雨時特有の湿気を多く含んだ大気に窮屈そうに子供が窓の外を見つめた。
昼間だというのにひどく暗く澱んだ空。
雲が厚過ぎるのか、昇っているのだろう太陽の光は一切降り注ぐことを忘れている。
………代わりに落ちる、大粒の水滴。
雨水は大河をなして道路を覆い、子供がいつも赴いている土手は立ち入り禁止になっていた。
夢だと……恥ずかしがることもなく大きな瞳を輝かせて宣言出来る子供にとって、それを行なうことの出来ない日々は退屈以外のなにものでもないのだろう。
普段は明るく弾けたその顔さえ、空に合わせたように鬱屈としていた。
小さな身体がまるで居場所を失ったようにきょろきょろと辺りばかりを見回す。
存外真面目なのか……先程まで向かっていた机の上にあった宿題ももう終ってしまっている。ちらりと眼前の青年の方に視線を向け……軽く息を落とした。
自分になにか用でもあったのかと思い………次いで勘違いに青年も心の内で溜め息を落とす。
…………青年の斜め後ろには子供愛用の野球道具を詰め込んだバックがある。
きっとそれを見つめ、今日も出来ない野球を思って落とした溜め息なのだろう。………どこまでも深く遣る瀬無いほど切なげだ。
眺めた先の生彩さのない髪に苦笑が落ちる。
子供は驚くほど眩く太陽の下輝く。……それはひとえにその身の内にある光を全身で迸らせるが故で…………………
ぶつける対象もなく、燻ったエネルギーがつまらないのだと開閉される指先やそわそわとせわしなく動く瞳に現れていた。
月を溶かしたその髪は、光を与えられなくては輝くことを忘れてしまう。
軽く伸ばした腕の先、呆気無いほど間近に子供の額が晒される。
……たいして広くもない室内。体躯の優れた青年が座り込めば余計に狭く感じる。
互いに座り込んでいれば腕を伸ばした先に相手の身体は存在する。
近付いた影に気づいた子供が振り向いた瞬間を見計らい、青年は自分を括る符を張り付けたままのその額を軽く弾いた。
痛みを感じる程度で済むように細心の注意を払いながら……………
「………っっっってぇっ! なにすんだよ飛天!!」
ヒリヒリと痛む額を押さえ、子供は僅かに涙目になって青年を見上げた。
小さな指先から望めるこの世にたった一枚の最強の名を冠した符。………自分を括った符は……この子供に括られ離れることはない。
それはひとえに自分がこの子供に捕らえられたことを意味していて………………
なんとなく滑稽で苦笑が浮かぶ。こんな年端もいかない赤子のごとき子供に捕らえられるなど。
それでも睨むように見つめる瞳から目も逸らせない。
笑みを刻して青年は再び腕を伸ばすと子供の首根っこを掴んで軽々と持ち上げた。………猫ではないと暴れようとして、けれど落とされるのは困るので悩んだ顔のまま子どもは怒ったように唇を尖らせる。
それを視界に収め、なにも知らないことは剛毅だと喉の奥で笑う。
………自分に自制心や理性というものがなかったなら、どんな目にあうと思っているのだろうか…………?
いまだ僅かに涙を溜めたままの瞳で睨んで、怒りからか紅潮した頬を晒して。誘うように幼い唇を示して………………
無意識だからこそのその艶に身の奥でなにかが疼く、それを押し殺し、青年は胡座を組んだ己の足の上に子供を落とした。
ようやく地面に降りることのできた子供が微かに安堵の溜め息を落として座り心地のいい場所を探すように身を捩る。
眼前で黄金色の髪が揺れる。………やわらかな髪は稲穂のようにあたたかな景色を思い出させる。一瞬湧いた望郷。けれどそれはすぐに打ち消されてしまう。
この身の内、還る場所は変わらずに存在するけれど………それでもいまいたい場所が違う…から……………
小さ過ぎる肢体がようやく落ち着いたのか動くことをやめて青年の胸に寄り掛かる。堂々と大天狗を座椅子代わりにしている子供に苦笑を落としたところで気づきもしない。
恐れる心を……子供は携えていないのだろうか…………?
命が惜しいと泣き叫ぶものを知っている。潔く死を迎えるものを知っている。人を陥れるものを知っている。人のため命を賭けるものを知っている。
そのどちらをも愚かだと思う。互いの足を引っ張りあう愚か者。………消えた命の先、なにが待ち受けるかも知らずに偽善に身をやつす…………………
それでも子供は知っているから。
……命を、生きるということを。
――――――――もっとも困難な、守るという言葉の意味を…………………
だから二人きりの時、どうしてものびる腕を知っている。
心地よさを求めているのは子供ではなく自分なのだと自覚している青年は不器用な笑みを隠すように子供の髪に唇を落とす。
その意味に気づかなかった鈍感な子供は頭に触れたぬくもりにどうしたのかと顔を動かす。
………動くことを拒むように青年の腕が子供を抱き竦めた。
その腕を呆れたように見下ろして、子供は改めてその身を青年に預けるように力を抜く。
時折……本当にたまに。青年は怯えるように自分を抱き締める。
それは大抵自分がつまらなくて……どこかへ行きたいと願う時で。
………………まるで自分が消えることを恐れでもしているような青年の腕は優しくて拒むことも出来ない。
もっとも、心地よさは否めず、厭う気ももとよりないのだけれど。
ひとりっ子の子供にはこうして大きな腕に抱き締められることはあまりない。兄でも持ったような気分が心地よくて、つい甘えてしまう。
腕の中まるで自分の意志を汲み取ったように身を預ける子供に苦笑がもれる。鈍感で何も気づかないように見えるくせに……救いを求める声にはひどく敏感に子供は反応する。
だから……溺れそうになる。
………心地いいのだと心が求める。
「…………稚児の趣味はねぇんだがな…」
不意のこぼれた言葉に慌てて青年は唇を引き結んだ。
時代的なことにはとことん疎いこの子供が言葉の意味を理解するとは思わないが、確実に返される言葉が判る。
きょとんとした瞳が間近な青年の顔を見上げる。それを感じて紡がれる言葉になんと答えるかを青年は考えていた…………
「ちごってなんだ? 魚?」
「………それは稚魚だろ。簡単にいや男が男の餓鬼抱くことだよ」
少しは警戒心をもつかと思って事実をそのまま晒せば……楽しそうな悪戯っ子の笑みが眼前に晒された。
呆気にとられた青年の眼前に指を突き付け、子供は楽しそうな声を響かせた。
「じゃあ飛天のことじゃんか。いっつも俺のことだっこしてるし!」
あっさりと言ってのけた子供の言葉に青年は深く溜め息を落とす。
………意味を教えても結局は同じこと。根本的なことをこの子供は理解していないのだから。
想像して然るべき結果を考えてもいなかったということは……結局はそういうことなのだろう。
「………まだ違ぇよ」
どこか鬱屈と吐き出される溜め息のような声。不思議そうに見上げるのはあまりにあどけない幼い瞳で。
なにを間違えたのか、こんないろはも知らない子供に寄せる思い。………あるいは、欲望なのか。
どちらにせよ、いまはまだこの身の奥に眠らせて。
……………子供のお守で我慢していようか。
抱き寄せてその髪に指を絡めて。時折気づかれないように戯れに口吻けを落として揺れる金を眺める。
向けられる笑みが胸にしみる。
不毛なことこの上ない。………けれどそれは…同じほどのぬくもりをこの身に与えてくれるから。
青年はからかうように笑みを浮かべ、小さな子供の頤に指をからめるとその瞳を覗き込むように上をむかせた。
クツクツと楽しげに喉の奥が鳴る。
軽く引き寄せられて……重なった吐息が熱いその体温を子供に教えた。
「…………………ッ! 飛天!!!!!」
「もうちょいお前が成長すりゃ間違いじゃなくなるがな」
顔を赤く染めあげて叫んでも、子供は腕の中から逃れはしない。
少しずつ……増やしてみようか。
その身に刻まれる傷以上に………自分の思いで満たしてみようか。
小さな身体は怯えもしないでやっぱり噛み付いてくるから、伸ばしてみても大丈夫なのかもしれない。
――――――――いまはまだ、その唇だけで構わないから、もう一度…………
その身を抱きしめて……眇めた瞳にやわらかな笑みを灯らせる。
魅入られたように叫ぼうとした声を飲み込み、子供は降り掛かる吐息に瞼を落とした……………
なんだか近頃朱涅さんのところでキリ番ふんでばっかりだったので(汗)
しかもうちのカウンターは朱涅さんのところで表示されないようですし(UU;)
申しわけないのでお礼代わりに!
………書いたのに久し振りだよ飛天馬。
名前呼び合うようになった二人を思い出すと話が一気にカップリングっぽくなってしまいます。
帝月!!どこにいったのちゃんと邪魔しに現れて!!!!!(オイ)
こんな甘ったるい奴らですがよろしければ貰ってやって下さい。