闇の底、たったひとり。
それこそが相応しき一族の血が凍るほど冷たく流れる。

光に憧れるほど、莫迦じゃない。
………本当の光なんてないと知っているから。
空に輝くものでも、人が灯したものでもない。
揺れる炎さえも必要とは思わない。

欲しいと願ったのはこの身にさえ注がれる幽かなる灯火。
幽玄の底おくられることのない魂の瞬き。

決してそれを手にとってはいけないと知っていた。
決してそれに焦がれてはいけないと知っていた。

…………決して自分の道に巻き込んではいけないと知っていた。

 

愛しいその魂だからこそ、手放せ。

闇の刻印に身が染まる前に、光の世界へ。

この腕を手折ってでも………………………




万華鏡



 ずっとこの背中を見ていた。
 ……憑カワレにしたその時から……見てきた。
 自分と同じく華奢な肩。小さな背中は守られて然るべき歳であることを知らしめる。
 真直ぐなその視線が自分に向けられることは少ない。ことに自分の力を発揮すべき場に立ったなら。

 いつだって血に塗れるのは君。
 だって君は憑カワレだから。
 君は僕を守らなくてはいけない。
 ………命の有無など構うことなく。
 戦うことを強制された魂の奴隷。

 その幼い背中が揺れていた。
 小さな小さな背中が……泣いていたから。
 憤っていた。
 慟哭していた。
 悲嘆していた。
 憤怒していた。
 ……………なによりも深く、心砕くことを知った命はたった一度出会った相手にさえもその優しさを隔てることなく注ぐ。
 知らないのだろうか。それは自分を殺そうとした命だということを。
 忘れているのだろうか。己の仲間を殺しかけたことを。
 どれほどの憤りさえも子供は優しく包む。相手がもしもたった1つ見せた優しさを知ったなら。
 心を……知ったなら。
 子供はそれだけで全てを許せてしまう。
 救うべき対象を知っている子供。無意識に差し伸べられる救済の腕。
 焦がれていた。その腕に。
 ……………光に照らされた仄光る御手。
 だから本当は自分の腕のなかずっと閉じ込めていたかった。
 他の誰も救済などしなくてよかった。
 それが子供の進むべき道をゆっくりと歪めてしまうことを知っていたから。
 ほら………君は走り出した。
 その小さな背を見つめる。吐息がつまりそうで吐き出すことさえ慎重な自分に笑いが込み上げる。
 かたく唇を噛む。飲み込んだ吐息に傍らに立つ憑カワレの青年は気づきもしない。……噛み締めた唇に誰も気づかないのに。
 こんな些細なことに気づいてくれるのは君だけなのに。
 それでも君は振り返ることもなく走り出す。傷も忘れ相手が何者かも構わずにかける。
 危険という言葉も意味も関係ない。その魂が繰り出す奔流に身を任せ、ただひた走る魂の純粋過ぎる猛り。

 ………ああ、咆哮が聞こえる。

 君の内に眠る符が叫ぶ。その憤りに共鳴する。
 早くこちらへ戻っておいで。そうしてまた……馬鹿みたいな笑顔で笑って。
 これ以上もう…傷つかないで。
 振り返ってよ。君だけを見つめるこの視線に気づいて…不思議そうに視線からめて。
 そうしてなんにも気づかないまま駆け寄って。そうしたなら……僕が君を守るから。
 主人なんかじゃないから。君に守ってもらわなくてもいいんだ。
 ただ…そばにいさせて。
 理由を与えて。焦がれてはいけない禁忌の魂。
 あなたの傍にいる、その理由を。
 ………あなたを貶めずに傍に控えることのできる許しを与えて。
 怒りのままに駆けたその背に叫びたかった。
 戻っておいで。ここに……………
 そうしてもう…この世界から退こうよ。
 なにも関係ないんだから。君は光ある世界の住人。闇の奥底…奈落の淵に誘われる必要はないのだから。

 君は輝くままに。

 そのままに、いて。…………お願いだから僕と同じ場に堕ちないで。
 祈りの陳腐さに反吐が出る。
 本当は望んでいる。自分の傍ら永遠にあることを。その瞬きを亡くすことなく腕のなか堕ちることを。
 本当は怖れている。自分と同じ世界に堕ちた子供が狂うことを。魂さえ枯渇し、疲弊したまま消えることを。
 それでも君は駆けるから。
 君は……守ることを知っているから。
 その背を見つめる。止める言葉の無意味さを知っている。
 君のままでいて欲しいから、止めない。
 だけど……叫ばせて。
 崩れ落ちた躯。穢される、妖狐の邪気に。
 臓腑の奥底までしみる嗚咽さえもようす腐臭。
 搦められたその腕を切り落とそうかと玲瓏な面に酷薄な笑みが揺れる。
 ほら……あと少し。そのまま子供の皮膚を穢してみればいい。
 そうしたなら自分の符はその四肢を貫き眼さえ切り刻むだろう。………盲たままに踊り死なせてあげようか?
 血飛沫のなか血に倒れることさえ許さずに道化の踊りに包まれて………………
 うっとりと笑むことさえ忘れて伸ばした指先に気づいたのか…あるいは自身の腕を穢す価値もないと侮ったのか。
 狐は落とした小さな腰肢を踏みつけはしても切り刻まずに鼬に下げ渡した。
 微かな舌打ちとともに自分の符は地に張り巡らされゆっくりと子供を包む。たった一言囁くだけで発動されるその霊験に打負かされた3匹が血に落ち無様に転がった。
 それを捨て起き、意識を失ったまま動かない子供に嫌な予感をもって駆け寄る。
 どうして……わからない?
 君は殴られるだけでも血の流れるか弱き人間なのに。
 爪も牙も持ち得ずに、ましてその指先は優しさと慈悲しか知らないくせに。
 何故、戦う?
 いつかはその身を貫かれ、赤く染まったまま動くことも出来なくなるかもしれないのに…………………
 死を、怖れていないわけじゃないくせに。それが訪れることのない夢だなんて、信じてもいないくせに。
 自分になんて巻き込まれないで。
 この腕を弾いて構わないから、光に還って。
 祈るように叫んでも、君はまだその指先を救うために向ける。
 ああ……なんて馬鹿に捕らえられたのだろうか………………?

 それでも自分はその指先に括られた。

 ククリの呪者を括ったものに、一体何人が刃向かえるというのだろうか………?
 祈っている。いつかこの腕さえ切り捨てて光に還る子供を。
 願っている。いつかこの腕をとって自分のために落ちる子供を。
 なにを望んでいるかなんて、わかるわけもない。
 ただ枯渇し続けた喉がゆっくりと潤って……泣けてくるほど躯が熱くなる。

 

 君のためになにができるだろう。
 ………僕を救う光を身に秘めた赤子。

 祈ることも願うことも望むこともあまりに愚かしい。
 だからせめて、その背を守らせて。
 僕のことを守らなくていいから。

 君を……守らせて。

 たったひとり僕を括った僕だけの憑カワレ……………………

 








 帝月独白?(笑)
 見ていて…痛々しいと思うんだ。天馬の走り方は。
 心配させないから痛いんじゃなくて。何も考えずにひた走るから、痛い。
 その先になにがあるかわかっていないくせに自分の限界なんか考えないで突っ走っていっちゃう。
 そういう人がなにを思っているかなんてわからない身には特にね。
 考えちゃいなくても先はわかるもんだけどね。

 生きるとか死ぬとか、そんな問題じゃないんだよ。
 ただ目の前でなにかあって、どうにかしたいって思ったら身体が反応する。
 たったそれだけ。簡単過ぎるのだが。
 自分じゃなにもできないって思って、それでもどうにかしたくて足掻いて走り出しちゃうから…なにも考えない。
 悪い結果考えないようにね。
 そういうの…帝月は知りたくてもわかれない感情だと思うのです。
 天馬と関わって少しずつでも理解していってくれればいいんだけどね。
 理屈じゃない心の所存を。