柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
微笑んで、いた。 1.早咲きの色彩 緩く息を吐いて空を見上げた。星はもう姿を消し、朝焼けが現れはじめている。 目が痛んできて、そっと顔を俯けた。さすがに夜通しカードを睨んでいることは身体に負担だ。 もっとも、今日の相手は気のいい老人で、勝負を楽しむことを知っている類いの人間だったことを考えれば、幾分か気分は浮上する。 ゆるゆると歩んでいるとポケットに入れたまま存在を忘れていた携帯電話が、不意に揺れた。 マナーモードにしたままであることに今更気付き、やはりのんびりとした動作でポケットに手を入れ、それを取り出した。 電話着信ではなくメール着信の表示が出ており、いま見てもちゃんと記憶に残っているか曖昧だと思いつつ、それを開いた。 内容は至ってシンプルなものだった。………昼時にこちらに来る用事があるから食事を一緒にどうかという、最近出来た友人からの食事の誘いだ。 奢りならいいよと、戯けた返事を入力して携帯電話をポケットに舞い戻し、軽いとは言い難い足取りで帰路を進んだ。 …………それが確か、朝の5時前の話だったはずだ。 ぼんやりした顔のまま、とりあえず眼前で目を瞬かせている相手を見遣る。明らかに困惑しているのが解るその顔に、首を傾げて疑問を示した。 それを受けて相手は小さく息を吐き、眼鏡を軽く押し上げてから困ったような笑みを浮かべる。 「………もしかして、今までずっと寝ていたんですか?」 「まあ……見ての通り?」 呆れるというよりは苦笑を滲ませて、仕方がないと訴えている声音に、悪びれるでもなく現状を示唆した。 実際、言い訳も意味はないだろう。自分は事務所のソファーで仮眠をとっていたが、それが確かみぬきの登校を見送った後だ。 そこから換算すると、まだ3〜4時間程度しか寝ていない。目覚まし時計すらセットしていない状況で徹夜の人間に起きろというのは、酷な話だろう。 ぼんやりとした頭でそんなことをつらつらと考えつつ、それでも約束を破りかけていることも事実で、素直に頭を下げた。 「………ごめん」 あっさりとした謝罪と、間の抜けた今の状況に相手はやはり苦笑を浮かべて、自分が寝ていたソファーに腰を下ろす。 かけていた毛布は踏まないようにきちんと避けてくれた。それが彼の気遣いのようで、何となく居心地が悪くなった。 視線を彷徨わせて、とりあえず着替えるなり何なりしなくてはいけないと思い至って、立ち上がろうとした瞬間、何かが額に当たった。 「………………?」 「謝らなくてもいいですから、とりあえず、もう少し寝ておいた方がいいですよ」 まるで子供のような顔をしていると、彼が困ったように笑っていた。額に触れていたのは彼の右手で、それはまるで自分の目を隠すような仕草だった。 じっと彼の手のひらを見遣る。何もないからこそ見ていただけだが、その合間、揺れた彼の髪が見えた。 首を傾げるようにして覗き込もうとすれば、もう一度トンっと、彼の手のひらが額を叩く。 おそらくは眠れという促しなのだろう。そこまでひどい顔をしているのかと思いながら、抗い難い眠気を感じた。 「そうですね、もう一眠りしている間に、昼食くらいテイクアウトしてきてあげますよ」 だから安心して眠るといいと、彼は優しくいった。…………優しいはずのその声が、どこか怯えているような気がして、立ち上がろうとする彼のスーツの裾を、思わず掴んでしまった。 …………彼が息を飲んだのが解った。驚くだろう行為ではあったが、そんな風な反応が返るとは思わず、きょとんと目を丸めてしまう。 まるで呼び止めたような形のまま、二人して凍り付いてしまった。相手は硬直し、自分は不思議そうに見遣って。 「………どうかしましたか、成歩堂」 にっこりと柔和な笑みを浮かべて彼がいった。 じっと見上げた視線の先で、彼は優しく微笑んでいる。 首を傾げて、自分はそれを見つめた。………なんてチグハグな笑みだろう。そんなことを思いながら。 首を振り、少しだけ間をあけて、今度は頷いた。不思議そうな彼の瞬きを見つめながら、そっと口を開く。不思議で仕方のないことを、問うように。 「なんで君は、いつも泣きそうな顔をするんだ?」 自分が彼を見つめると、彼はいつも泣き出しそうだ。こんなに綺麗に笑っているくせに、彼は何かに怯えている。 それは多分、自分が関わることなのだ。自分を見て、そんな顔をするのだから。 息を詰まらせることもなく。眉間に皺を寄せるわけでもなく。彷徨わせる視線の中に躊躇いを乗せるのでもなく。 それでも彼はいつも何か自分に願い、乞うている。そのくせそれを知られることを嫌っているのは、どこか彼の誇りの高さを垣間見せた。 その目はいつだって傍にいる時に向けられるもので、おそらく気付いたのは初対面のその時からだった。 探るようなその視線を、不思議そうに見遣った時の彼の顔を覚えている。…………気付かれるなど思いもしなかったという、あの無防備さ。 以来友人として親しくしている彼は、あの時以降、一度として驚きを自分に向けはしなかった。その中に含まれる若干の真意を包み隠すように。 「成歩堂?」 寝ぼけているのかと彼が苦笑する。 上手に躱そうとする時の彼の笑みは、とても優しそうで綺麗だ。もっとも自分にそんなものが通用すると思っているのかどうかは、甚だ疑問が残るけれど。 掴んだままの裾を少しだけ引き寄せる。彼は抵抗せず、一歩近付いた。同じようにそれをもう一度引き寄せれば、仕方がなさそうな溜め息を落として、しゃがんでくれた。 視線が近付く。眼鏡越しの視線は、それでも真っすぐ注がれた。 ほっとして、手を離し、ついで唇が笑みを象る。…………先程までの隠すような笑みではない、心配を乗せた彼の笑みがそこにはあったから。 「ううん、奢りかなって思っただけ」 首を振ってなんでもないと示して、にっこりと笑いかける。はぐらかすというよりは、安心して。 ……………それにどこか躊躇いの間をもって彼は苦笑を浮かべ、ポケットの中の携帯電話を片手で取り出して見せ、首を傾げた。 「誘いの返事に素直に答えていましたから、特別ですよ」 諾の返事が条件付きなど初めてだと、彼は笑った。おかしそうに、滑稽な喜劇を見るようにして。 どこかそれはやはり寂しそうに見えて、また手を伸ばしてしまう。その手を彼はやんわりと押さえ、ぽんっと、逆の手で額を押してきた。 美味しいものを買ってきてあげるからいい子で寝ていなさい、なんて。 からかうように彼はいって、けれど眼鏡越しの視線は少しだけ伏せられて、こちらを見つめてはいなかった。 ぼんやりと床を見るようにして首を揺らす自分を、どこか具合が悪いと思ったのか、額に置いたままの手で彼は頭を撫でる。子供にするような、というよりは、犬や猫にでもするような仕草だった。 それがおかしくて、困ったように吹き出してしまう。 「………やはり具合が悪いんじゃないですか?」 訝しげな声の彼に首を振り、眠りに半ば負けはじめた思考が、そっとそれに答えた。 「ううん、君がそこにいるっていうことが、なんだか凄いことに思えただけだよ」 弁護士だった時にさえ友好がなかったのにね、と。他意のないからかいの言葉に、頭を撫でていた彼の指先が少しだけ緊張した。 けれどそれを問い質す意味もない。小さな欠伸を落として、目を擦り、毛布を引き寄せた。 眠ろうとしていることに気付いた彼が、横になる瞬間、また頭を撫でた。硝子細工にでも触れるような繊細な指先で、そっと、羽のように。 優しい指先は甘やかすような、逆に甘えているような、そんなぬくもりを教えた。 くすぐったくて小さく笑い、そっと毛布の中に隠れてしまえば、彼はその毛布の上から数度、子供をあやすように背中を優しく叩いて眠りを助長する。 寝息を漏らしながら、それでもまだ夢現の状態で、おそらくはきっと、彼の声を聞いた。 「法廷で怖いものなど、何もないはずなんですが…………」 あなたはきっと恐ろしい存在なのだ、と。寂しそうな声が呟いた。 対峙する検事も、それを擁護する刑事も、平等であり最高権力者である裁判長も、それらを統治する法律さえも。 彼はきっと恐ろしいなどとは思わないのだろう。冷静に全てを見渡して弁護する彼の噂は、自分でさえ知っていた。 それでも彼は恐ろしいという。…………弁護士ですらなくなったちっぽけな自分が、怖いのだと。 きっとこれは夢なのだ。そう、言い聞かせて。 さざ波のように押し寄せた眠りに、身を任せた。優しい指先のぬくもりは、今もまだ頭を撫で、背中をあやし、寝息が深まるのを見届けるようにそこにいる。 寂しそうで悲しそうな笑顔を浮かべるその人は。 それでも時折本当を自分にくれる。 だからきっと、大丈夫と、 そっとそっと囁いた。 自分になのか、彼になのか。 多分、それは誰にも解らない。 それでも、少なくとも こうして与えられるぬくもりに嘘はないと ……………何よりも自分が、一番よく知っていたから。 いや、この間チャット中に親兄弟司法よりも怖いといわれまして。オイオイそこまで怖い人間がいてたまるかよ、とちょっと思いました。いや、そんなことはどうでもいいのですが。 霧人さんは誰かを怖いと思ったことはないだろうなーと思いまして。でもきっと、7年間一緒にいた成歩堂だけは怖かったんだろうな、と。 裁かれることが怖かったのか、彼に暴かれることが怖かったのか、あるいは、関係性のすべてを失うことが怖かったのか。 いずれにせよ、その全てに彼が関わっていて、そうであるからこそ離れられず、ますますの悪循環を繰り返していったような。いっそ許しを請える人なら、よかったのにね。 そうしたらあんな寂しい結果はないと思う。失うだけの結果よりは傷を覚悟で自分を晒した方が残るものがあるはずなのに。 ………………どっちにしろそれをしたら彼が彼でなくなるというのなら、やっぱり寂しい。子供の時にでも出会えていれば良かったのにと思わずにはいられないですよ。 07.7.8 |
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