柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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虚空に取り残されたような空虚感
それを、自分は知っている

正しいことをしたと思っていたのに
何かが間違っていると
ただ肌で感じるこの違和感

どうしてと問うことも出来ず
問う相手すらおらず
それでも導き手を得て
進む方向が定まった


…………感謝と畏敬と尽きることのない贖罪を
どうぞ、彼に捧げさせて下さい





2.音もなく降る雨は



 「ありがとう」
 その一言に、脳が思考を停止した。答える言葉もなく立ち尽くして呆然と彼を見遣ってしまう。
 驚きに目を丸めた自分を見て、彼は困ったような苦笑を浮かべた。そんな顔をすると存外若く見えるものだと、かつての法廷で見た彼の姿を思い出す。
 自分よりも年上でありながらどこか幼さを感じていた、青臭いという表現のよく似合う、彼。それを糾弾し排除したのは、紛れもなく自分だった。
 自分は間違ってはいないはずだった。実際、彼は処分を受け入れ抗議もせず今現在に至っているのだ。………それでもあるいは、という、その思いだけは自分の中に芽生えていたのは確かだった。
 周囲の反応の曖昧さがあまりにも居たたまれなくて、一度だけ法曹界を追放された彼に会いにいった。あのときの恐怖は、今もまだ自分の中に残っている。
 あの、無感情な視線。無機物となったような感覚。自分という世界の全てが突き崩される、そんな恐怖。
 いま思えばそれは、彼にとっても恥ずべき過去なのだろう。同時に、検事として責任を負い社会に出ていたはずの自分が甘えるように彼を詰りにいったことも、恥ずべき行為だ。
 自分が過ちを犯したのだ。糾弾されるべき人物は他にいて、自分はそれを知っていたはずなのに、真実が見えていなかった。
 それ故に冤罪を産み落とし、彼はあるべきはずの位置から落とされ、駆逐されてしまった。
 ………恨まれてしかるべきだろう。罵られることこそが道理だ。
 それなのに彼は、そんな過去さえあっさりと許諾し、受け入れて………自分に礼さえも、言うのか。
 言葉が思い浮かばず、首を振る。
 彼が感謝すべきことなど何一つない。自分は、あの日犯した罪をようやく償おうとしただけだ。もっと早くにそれを行うことだって出来たはずなのに、恐怖に負けて近寄れなかっただけだ。
 彼が、正しければ正しいほど、怖かった。…………理想を追い求めることが出来る、最良の弁護士をこの手で屠った事実を受け入れることなど、出来なかった。
 そんな身勝手さ故の保身で動かなかった自分に、彼が感謝する謂れはない。いっそ罵られた方がましだった。
 「?どうかしたかい?」
 不思議そうに彼は首を傾げ、首を振るだけで答えもしない自分の顔を覗き込む。屈むようにして一歩近付いた彼との距離に、射竦むように身体が凍り付いた。
 それに気付いたのか、彼は目を瞬かせた。次いで………困ったような、申し訳なさそうな、そんな目でこちらを見遣る。
 ますます彼がそんな顔をする理由がなくて困惑する。謝ってしまえばいいのかと、そんな幼稚なことを考えていると、そっと彼が離れて視線を逸らした。
 ほっとしたその瞬間を待っていたように、顔を逸らしたままの彼が口を開いた。
 「………ごめん、君にとって受け入れ難いことだったはずなのに」
 こちらの心境でしかものが言えなかった、と。彼は申し訳なさそうな視線をどこか虚空に投げ掛けて呟いた。
 「ち、ちがっ…………!」
 「いいよ、気遣わなくて。どうも昔から君にはひどいことばかり言っちゃうようだ」
 ごめんね、と、彼はまた微苦笑でそう呟いてこちらの言葉を逸らさせた。
 なんでだろうと、泣きたい気分になる。こちらが謝罪すべきことだ。
 始まりから終わりまで、彼は全てにおいて被害者で、その主犯は自分の兄であり、知らなかったとは言え自分はそれに加担していた。
 それでも彼は自分の心を慮り、自身を責めることを許すようなことをいう。
 …………傷付いたとき、人は確かに攻撃対象を求める。そうすることで壊れそうな自身を奮い立たせることは、ままあるだろう。
 それでも自分は、それを彼に押し付けたくはなかった。
 既に過去にそれを行い、彼から勘気を返された。あの痛みは忘れない。何も見ていないと、彼は純粋な怒気を持って返してきた。
 ……………自分を詰ったからとか、陥れたからとか、そんな理由ですらない。
 真実を掴むべき立場にいる人間がそれを放棄していることへの、廉潔な意志による、怒り。そんな清楚な感情は見たことがない。あんなにも清冽な感情、まみえたことはなかったのだ。
 泣き出したい思いで首を振る。責めたくなどないのだと、必死な思いでそれを知ってほしいと、首を振った。そんな言葉を知らない子供のような真似で何を解れというのか、自分でも解らないまま。
 自分のそんな仕草に気付いたのか、視線を逸らしていた彼の顔がこちらへ向けられる。そうして小さく驚きに目を開いて、困ったようにそれを柔和な笑みに溶かした。
 そんなささやかな変化を見つめながら、少しだけほっとした。かつては恐ろしいと思っていたその視線が自分を映したことに安堵を覚える。
 ………少なくとも、今の自分は彼にとって、正しい道を進む検事として認識されていることを知ったから。
 「ぼく………は、………」
 「うん?」
 継ぐ言葉が見つからず途切れがちな声に、彼は笑みを崩さずにそっと声を差し出した。優しい沈黙はこちらの時間に合わせようとする彼の意志によるものだろう。
 それに包まれたまま、俯いてしまう。言葉なんて、尽くしたところで過去が変わらないことを自分は知っているのだ。
 許されたいがために紡ぐ言葉の価値が解らず、握りしめた拳に爪が食い込んだ。
 「君は……いい検事になったね」
 不意に、本当に不意に、彼がそんなことをいった。
 決して彼がそんな言葉をいうことはないと、どこかで自分は思い込んでいて、弾かれるように顔を持ち上げてしまう。白昼夢ではないかと、そんな愚かなことを本気で思いながら、惚けたような顔で彼を見つめた。
 微笑みながら、彼はいう。…………かつての弁護士の顔を、ほんの僅かにしか知らない、彼という存在自体がタブーであった自分には、それはあまりにも厳粛な姿だった。
 「真相を追うことだけが、いい検事の条件じゃないんだよ」
 「………………?」
 「自分自身を律して、同時に、自分自身を裁ける人間じゃなきゃ、口先だけの輩になる」
 君はちゃんとそれが出来ているから、と。彼は嬉しそうに笑った。
 …………与えられるには、過ぎた言葉だ。自分が犯した罪は彼を貶め全てを奪ったはずなのに。そんな相手に捧げるには、その言葉はあまりにも清廉で美しい。
 呆然と見つめる自分に、彼は手を伸ばす。
 頬に触れたその指先はぶれていて、何故か彼の顔が伺えなかった。眉を顰めてそれを嫌い、確かにそこにいるはずのその人を見つめようと、睨むように前を見つめた。
 その先で、苦笑する気配がする。どこか面白そうな響きを滲ませたそれが、彼から発さられていることは間違いなかった。
 歪む視界の先、彼が首を傾げた。頬に触れた指先が蠢き、そっと眦を撫でる。同時にクリアーになる視界に、ようやっと自分が泣いていたことを自覚した。
 目を瞬かせ、何故こんなにも溢れるのかと思えば、確かな歓喜が胸の中で踊る。
 自分は……嬉しかったのだ。
 過ちのまま裁いてしまった過去は消えず、それに怯えていた。
 どれほど正しい裁きを繰り返そうと、その一点だけは常に自分に付きまとい、囁き続けた。…………同じことを繰り返したのではないか、と。
 暗闇に突き落とされるようなあの恐怖。慄然として、けれどそれこそが自分を正しさに導き、逃げることのない心を作り上げた。
 その相手に、…………未来永劫許されることがないと思っていたはずの、その相手に。正しいのだとそう囁かれた事実が。
 幼子のように泣いてしまうほどに、自分は嬉しかった。
 失ってしまったものは多くあって、確かに彼が感謝を示すには不適当と顔を顰める人間もいるかもしれないけれど、それでも自分は、いま告げてくれた彼にこそ、感謝を捧げたい。
 彼は自分達兄弟を許し、認め、救いとってくれたから。………それを拒んで背を向ける兄の寂しさを、今なら少しだけ思うことができる。
 本当ならいっそ溺れたいのは、兄の方だっただろう。
 それでももうあの人は、自身にそれを許すことの出来ないスタートラインから、彼に関わってしまったから。
 もしもそれさえなかったなら、きっと自分たち兄弟すら、彼は当然のように守り導いてくれただろう。彼が弛むことなく進む、真実というその道程を。
 思い、不器用な笑みで、彼を見つめた。
 嗄れそうな喉を奮い立たせて、俯きそうな顔を必死に差し出して。
 そっと開いた唇からは、感謝の言葉を。
 ……………ひどく優しいその笑みで彼が頷く姿を、いつか兄にも見せてやりたいと、思いながら。


あの日彼は泣いていた。
自分にはそれが解らなかった。
感情を押し付けて全てを彼に投げ付けて
自分を救えと傲慢に願った

それら全てを彼は許して
このバッチをつけるに相応しいと、そう囁くなら
それにこそ意味があると祈りたい



捧げる先すらなかった空知らぬ雨を、そっと抱きしめて。









   



 4-4の法廷終了後、みたいな感じで。以前書いた響也さんがあんまりにも可哀想だったよなーと思って。自作小説で唯一相手を怯えさせる程度の冷たさを披露した成歩堂さんでしたので。
 響也さんにとって成歩堂は、一種指針のような存在で。感情としては好意というより畏敬?
 侵し難い存在という意味で、多分この兄弟の認識は一緒なのだろうな。怖いと思っているくせにどうしても手を伸ばそうとする点においても。

 子供が親を求めるような、そんな寄る辺なさで差し出される腕は、無下には出来ないのですけどね。

07.7.8