柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
弁護士になりたいとは思わない 5.あの人はここにいない きょとんと見遣った先にはニット帽の男の人。 見慣れた風貌が若干年嵩を増していて、パッと見では彼だと解らない。けれど、自分はちゃんと知っているから、間違わなかった。 「成歩堂さん!」 叫ぶように名を呼ぶと、こてんと首を傾げて彼は辺りを見回した。自分の存在をアピールするように手を振ってみれば、すぐに気付いてくれた彼は軽く手を上げて優しく笑ってくれた。 子供のように駆け寄って隣に立つと、ようやく彼の姿がはっきりと見て取れた。似合っているような似合っていないような無精髭に、以前と変わらない笑顔がなんだかおかしくて笑ってしまう。 そんな風に見遣っていると、はたと気付いて目を丸めた。 「?どうかした?」 首を傾げた彼に目を丸めたままそっと指差す。その先は彼のニット帽。そこには先日自分が用意して手渡した、ビデオ機能を搭載したバッチが可愛らしく存在を主張していた。 レンズ部分さえ隠さなければ何にでも見た目は変えられると、そういったはずだった。にもかかわらず、まるで頓着しないでそれをそのまま、あろう事か良くも悪くも目立つ帽子部分につけるなど、想像もしなかった。 そうと解っていればもっとシックなデザインのものにしたというのに、彼は昔から少しだけこうしたことへの配慮が足りない。あるいは、無頓着過ぎるのかもしれないが。 呆れたように苦笑して、そっとその帽子を指差した。 「…………バッチ、いってくれればもっとちゃんとしたデザインにしたんですよ!」 むくれるような口調で告げてしまうのは、自分にとって彼はどこまでも恩人で、そして、どこか甘えてもいい兄のような、そんなイメージを持っているせいだろう。 だからこそ、珍しく自分を頼ってくれたことくらい、きちんと役に立ちたかったというのに。 彼は助けてほしいと差し出す腕を、無下にはしない。どんな無茶な状況でも、信じてほしいと本気で願う腕を彼は選び、すくいとる。自身が傷付くかもしれない、そんな場合であったとしても。 それを目の当たりにしている自分は、彼にとってきっと守るべき存在であったのだろう。 だからか、こんな些細なことを願うことさえ、彼はどこか躊躇って申し訳なさそうだった。 「ん?いや……まあ、別になんでもよかったから………」 駄目だったかと困ったように首を傾げる彼はどこか幼くて、ある意味そのバッチが似合わないわけではないのだろうと、別の意味で苦笑する。おそらく彼にとって見た目の問題など些事なのだ。 高校時代のバッチのデザインをそのまま転用したそれは、可愛らしいとも滑稽ともいえる。 それなりの年齢の男性がつけるには、少々勇気がいるかとも思ったが、彼にはまるで問題がないらしい。 「いえ、いいんですけど。ただもっとちゃんと言ってくれれば、協力出来る部分が増えたのにって思っただけです」 じっと彼を見上げながら、話の流れに沿うようにしてそっと自分の願いを織り交ぜいってみると、彼はまた困ったように笑って、ポンポンと肩を叩いてくれた。………はぐらかされてすらいない事実が、少しだけ悔しい。 彼にとっての自分はどこまでも子供だ。 過去に救ってくれた事実があるからこその好意と親しみは、だからこそ彼にとっての自分をどこまでも庇護すべき対象と認識させてしまう。 自分は彼の助けになりたいのに。………自分を、自分たち姉妹をすくいとってくれた彼だから、彼のために出来ることは何でもしたかった。 彼がいなければ自分たちは身動きも出来ず、そしてきっと………大好きな優しいあの姉を嫌うような未来さえ、あったのだ。 それを回避しただけでなく、自分の未来を見据えさせてくれた。子供の憧れのような夢ではない、しっかりと足を踏み締めて目指す、現実としての夢を与えてくれた。 それは彼の目指す道とは違うもので、彼に言ったなら首を傾げられることかもしれないけれど、それでも自分が目指そうと思えたのは、自分の拙い助力でも武器になると笑ってくれた彼がいたからだ。 守るために冤罪を受け入れる人だってこの世にはいる。それを自分はよく知っている。 それでも、罪はやはり犯した人間が償わなければいけないのだ。そうでなければその人は前に進むことなど出来ない。それを実証し、真相を暴き出すために、自分が出来ることを目指した。 弁論は不得手だし、出来ることは少ないけれど、ようやく刑事という立場を手に入れて現場主任としてさえ動けるようになった自分がここにいる。 …………それは多分、ほんの少しくらいは、彼の役に立てるということだと、思うのに。 「ははは、いいよ、これで。茜ちゃんのバッチ、使ってくれたんだろ?」 折角だから思い出の品だよ、と。彼はさらりとそんなことをいって頭を撫でてくれた。 初対面の年齢だったとしても女性にする態度ではないと言いたそうに睨み上げてみると、楽しそうに彼は目を細めて笑っている。 そんな顔をしていると、高校時代の頃との時間差を忘れてしまいそうになる。 今自分が新米刑事として頑張っていることも、彼がもう弁護士ではないことも、何もかもが遠い出来事にさえ思えてしまう。 もっとも自分の知っている彼は青いスーツを着ていて、髪はもっとずっととんがっている状態を晒していたのだから、見た目という点においてはかなりのギャップがあったけれど。 それでも、思う。…………9年という歳月の中でも、彼は変わっていないのだと。 もうその胸に弁護士バッチはないし、先日見た被告人として立たされたあの法廷の噂だってひどいものだった。落ちぶれた弁護士など、彼の真実を知らない愚かな輩だけが言える陰口だ。 あんなにも清廉に、彼は法廷に立っていた。 その胸にバッチはなくとも、被告人として告発されていたとしても、彼の目には真実しか映っていなかった。それ以外の何も、彼は見据えてなどいなかった。 それがどれほど得難い能力か、何故誰も気付かないのだろうか。同僚たちの愚かな言葉は、自分の苛立ちと焦燥を煽ってばかりだ。いい加減、不機嫌にもなってしまう。 「?茜ちゃん?」 むっつりとした表情のまま押し黙った自分を訝しんで、彼が顔を覗き込むように身を屈めた。それを上目遣いで睨みながら、唇を尖らせて拗ねた声を出す。 「どーせ私は科学捜査官にもまだなれない、新米刑事ですよ」 だからそんな子供扱いするのだろうと顔を逸らしてみれば、驚いたように目を丸めた彼の顔が一瞬だけ視界の端に映った。 意地悪なことを言ったかな、と思いながら、それでも少しだけ彼に甘えたかった。 あの頃と何も変わっていない彼が、本当に嬉しかった。法廷での凛とした声を自分は忘れたことがない。 ………それは、救いの手だ。 絶望しか見えない人間に光をくれる、優しく雄々しい彼の声。 職業倫理からすれば少しだけ反してしまうことかもしれないけれど、自分は彼のためにも力を尽くしたかった。 彼が弁護士として証拠を探していれば、出来るだけの力になりたいと思っていた。………そうすることで、自分は自分の倫理を 彼を介して真実を、法廷に。有罪も無罪も自分には関係がない。ただ科学の力の前に露見した事実を提出するだけだ。 科学には情も情けもない。そこにあるのは厳粛な現実だけだ。それでもそれは、罪を暴く確かな武器になる。あるいは、無罪を主張する、重要な盾に。 自分はそうした武器たちを製造する人間であればいい。そして武器の製造者は、それを使うものを選びはしない。願うのは、正しい使用方法だけだ。 そして彼は、誰よりも正しくそれを扱ってくれると知っている。 自分の夢はまだ叶わず、そしてきっとずっとこの先も、夢見ていた現実は少しだけ欠けた形でしか、実現はしない。 俯きながら思い描いた夢が霞む感覚に、眉を顰めた。 なんだか泣き出しそうな、そんな気分が胸裏を占める。多分、この感覚こそが彼に甘えたくなる元凶なのだろうと、何とはなしに感じた。 「………茜ちゃんはいい刑事だし、科学捜査官としても、きっとすごく優秀になれると思うよ」 お世辞じゃなくてね、と。彼は苦笑するようにしていって、ポンと、肩を叩いてくれる。 多分、それは慰めなのだろう。逸らしたままの顔が、自分でも解るくらい悲しそうだ。 「私は……でも、成歩堂さんのお手伝いだって、したかったんですよ」 だからもっと沢山頼ってほしいと、拗ねた子供のような顔を彼に向けていってみれば、彼は困ったような顔で首を傾げた。 それを見て、不意に、実感してしまう。………ずっとその事実を知っていながらもどこかで遠い夢のような、そんな感覚でいたことを。 幾度だって思い返していたのに、今更、思い知らされた。 彼はもう、いないのだ。 あの時自分達を救ってくれた弁護士は、永遠にもう戻ってこない。 どれほど願っても、彼は法廷に立たず、法曹界に足を踏み入れることもないのだろう。 あんなにも真っすぐとした視線で前を見つめることの出来る希有な人が、己の犯していない罪によって排除された、この理不尽極まりない現実。 そしてそれを晒し出してしまったのは、紛れも無く自分たち警察の人間であり、検事だ。冤罪を食い止めることも出来ずに押し付けた、この無力感。 彼は、救ってくれたのに。幾人も幾人も冤罪に苦しみ絶望していた人を、彼は確かに守り導いてくれたのに。 それなのに、誰一人として、彼を救えなかった。 …………そうして彼は、その事実を知っていてなお、当たり前に笑いかけてくれるのだ。彼を守ることも出来ない人間を、見限りもしないで。 絶望故の拒絶ではなく、無関心故の拒否ではなく。それでも彼は、もう、自分達と同じ世界には身を置かないのだろう。 優しく静かに笑んでくれても、どれほど我が侭を叶えてくれても、きっと……それだけは。 それがどうしようもなく、悲しかった。 ………ただひたすらに、悲しかった。 見上げた先には困ったような顔で自分を見つめる彼の顔。あの頃と変わらない、真っすぐに人を見つめるその目は、どこまでも澄んでいて遣る瀬無い。 「ありがとう」 不意にそう彼は呟いて、頬を撫でてくれる。 そんな優しい仕草さえ切なくて、ぼろぼろと子供のように泣きじゃくった。 そうしたならもう一度、彼はありがとうといって、頬を拭うように指を滑らせた。 いい年をした女がみっともないとか、大人なのにとか、そんなことを考えることも出来なかった。ただ彼がもういないという、それだけが切なくて苦しくて悲しい。 それをきっと解ってくれているのだろう彼は、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭ってくれて、子供にするみたいにぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれる。不格好になったポニーテールも、今は気にならなかった。 ただ優しいそのぬくもりと仕草をもっと感じたくて、あのときの彼が確かに今の彼の中にいることを知りたくて、無様に泣いた。 何か小さな声で彼は声をかけてくれるけれど、自分の嗚咽の音しか耳には響かない。ひたすらに流した涙は、それでも多分、身勝手なエゴだろう。 彼を守れなかった。救えなかった。自分が感謝を捧げたその人は、敬われ親しまれるべきその人は、罵詈雑言を向けられて、それでもいつだって飄々と笑っていた。 その痛みを、自分が解るわけがない。それでもいなくなってしまった弁護士バッチというその存在を悼んで、ただ涙が溢れる。 「なっ………なるっほ…ど、さん」 引き攣る喉から必死になって音を吐き出させて、聞き取りづらい声で彼の名を呼ぶ。 微かに彼の答える声が耳に聞こえて、嗚咽の合間、必死になって………彼が願い、自分達が望む一つの答えを、紡いだ。 「真実を、探して……下さい…………っ!」 戻って、なんて。言える立場ではないから。せめて彼が自分にさえ助力を願ったその事件の真実だけは、その手に。 祈るように告げた言葉に、彼の指先は揺れて、覚悟を決めるように強く握りしめられた。頬のすぐ傍で行われたその変化は一瞬で、その指先はそっとまた頭を撫でてくれる。 「………ありがとう」 囁くように差し出された感謝の言葉は、どこか静かな灯火を思わせる凛とした音で。 やはりこの人は真実を見据える姿こそが似合うのだと。 ………どこまでも身勝手な願いをのせて、思った。 捏造事件の真相を掴みかけていた頃の話。とは言え、多分4-1直前くらいかと思いますが。映像としての証拠を押さえられるくらいには事実確認が出来上がったという感じの頃合いかと。 なので当然成歩堂は犯人が誰であるかも見当が付いてしまって、それを暴くことが何を意味するのか解るから、少し落ち込んでいた感じで。 いやはや、茜ちゃんの口調をどうするべきかをすごく悩んだのですが。9年も歳月経って高校生口調は………と悩み、軽い丁寧語に押さえてみました。でも微妙にオドロキくんと被ってものすっごく理不尽な怒りを彼に向けそうになりました(オイ) 07.7.9 |
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