柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






ほろにがい苦痛の滋味をあたへる愛恋(あいれん)
とびらはそこに閉ざされ、
わたしの歩みをしぶりがちにさせる。
はりねずみの刺に咲く美貌の花のように
恋情のうろこをほろほろとこぼしながら、
かぎりなくあまい危ふさのなまめかしさを強ひてくる。

大手拓次著/『ベルガモツトの香料』





君の名前を呼んだ その後に



 ふと気付けば足がそこへと向かっていた。我ながら浅ましいことだと思わざるを得ないと、苦笑が浮かぶ。
 小さく息を吐き出し、僅かに顔を上げてそのビルを見上げた。…………視界に映る窓の中には、おそらくは自分が目的として立ち寄ってしまう因が居座っているだろう。
 解っているから、溜め息が漏れる。
 口さがない輩の陰口にのぼっていたとしても、後ろめたさのない自分が歯牙にもかけないのはいつものことだ。ただ、それでもここに来るときはいつも溜め息が漏れ、苦渋が顔を彩る。そこには欠片ほども苦みは存在しないはずだというのに。
 友人に会いにきた。それ以上でも以下でもない。その事実こそが苦みを醸すとしても、なんら恥じる行為ではないと知っている、のに。
 「…………御剣?」
 窓を見上げた態勢のまま道路に立ち尽くしていたなら、不意に後ろから名を呼ばれた。その声の質が誰のものかを脳が感知するより早く、身体は反転して彼の姿を探した。反射というものは本当に正直なものだと思わざるを得ない。
 あまりにも過敏に反応したせいか、相手は驚いたように目を丸めていた。それに少々気まずい思いをしながらも口元には笑みを浮かべて答えた。
 「成歩堂、出かけていたのか」
 「うん?………まあそうはいってもそこのコンビニだけどね」
 目を瞬かせながらも相手の挙動の不審さには目を瞑ることにしたらしい。声に若干の笑いを溶かしながら、彼は笑んでいった。
 彼が指差す先の道を曲がれば、確かにコンビニがあった。袋は携えていないことを考えると、何らかの振り込みなどであろうか。そんな状況検分をしてしまうのは、仕事柄どうしても身についてしまった観察眼と分析力故だろうか。
 …………もっとも、一番知りたいと思うことに関してこれらの能力はまるで役に立たないのだから、何の意味もないのかもしれない。
 思いながら、彼が困ったように笑う様を目が映した。何だろうと眉を顰めると、彼はその顔のまま、そっと指先をビルの入り口に向けて、いった。
 「とりあえず………寄っていくか?」
 用がなければ、と断りを入れての誘いに否応もなく頷く。もとよりこんな場所で立ち尽くしている時点で、彼の事務所以外に目的地などないことは知れている。それでもあえて問いかける形をとったのは、おそらく彼の気遣いなのだろう。
 彼は存外勘がよく、鈍感なくせに日常においては相手への配慮を怠らない。もっとも、元来の性格故か、それが少々大人げなく現れることもしばしばだったが。
 彼に従い歩み、事務所のドアを開けられ、一言断りを入れて中に入り込む。相変わらず律儀だと彼は苦笑し、ソファーを示して座っているようにいうと、更に奥へと消えていった。
 その後ろ姿を目で追い、消えた時点で小さく息を吐いた。
 今日だけで何度目かも解らないそれは、本人に気付かれることすらなく空気の中に霧散して消えた。それを取り残すように歩み、示されたソファーへと近付いた。
 座り心地がいいとも悪いともいえない、平均的なその感触を味わうのも何度目だろうか。数えられないくらいにはここに訪れている事実が、それだけでも知れる。眉間に皺を寄せて、理由もなくこうして訪れる自分を彼が邪見に扱わないことを思う。
 それが好意であることくらいは、知っている。こちらが呆れるほど彼は真っすぐに自分を信じ抜いてくれたのだから。ただ、それがあまりにも純粋なもの過ぎて目眩がしそうになる。
 綺麗な、感情だろう。…………それを喩えろというならば、いっそ植物の醸す芳香にすら似ている気がする。
 それは押し付けることなく馨るモノ。相手が気付かなければそのまま流される、そんな静かなモノ。そして気付いたなら誘われずにはいられないほど、甘美なモノ。
 今まで向けられてきた好意を邪見に扱っていたにもかかわらず、その花弁はほころび、咲き続け、一途なまでに包むその香りを差し出していた。どんな汚濁の臭いすら、その芳香は打ち消そうと時に強く時に淡く、自分を守ってくれる。
 「お待たせ。ティーパックだけど、大丈夫?」
 ぼんやりと本棚を見つめていたなら、先ほど同様背後から声をかけられた。
 首をまわし、彼を確認する。手の中にはマグカップが二つ。そこから垂れ下がっている糸と、銘柄の書かれた紙切れも見えた。
 構わないとそれを受け取ると、彼は安心したように笑う。相手が喜ぶことを喜べる、無邪気さが垣間見えた。
 それに小さく苦笑し、紅茶を口に含もうとマグカップを引き寄せた。途端に馨る、ベルガモットの香り。…………紅茶の種類など知りそうもない彼だが、アールグレイの判別くらいは出来るのだろうか。
 少々失礼なことを思いながら口に含んだそれは、やはり茶葉で入れるよりは薄っぺらな味がした。
 それなりの煎れ方をすればティーパックでもそう味は衰えないが、そんな方法を知るはずもないだろうし、何よりずぼらな彼がそんな手間をかけるとも思えない。
 彼らしい味だと、くつりと喉奥が笑いを発した。それに気付いたらしい相手が怪訝そうに片眉を上げた。
 「御剣?」
 問う声音で呼ばれた名に、反射的に目を向ける。
 合わさった視線の先、彼は目を瞬かせて首を傾げていた。………法廷での舌戦の凄まじさに比べれば、日常での彼は無口にさえ感じる。もっともそれは主張すべきことと守るべき相手がいないこと故の淡白さだろう。いい意味でも悪い意味でも、彼はおおらかだ。
 真っすぐに逸らされることもないその視線は、やはり逸らそうとしない視線とともに混じり合うのみだった。そのくせ、どちらも言葉を発しない。
 不可解な沈黙と不可解な構図が成立して数秒経つと、仕方なさそうに彼の表情が変化する。
 ふにゃりと気が抜けるように破顔して、マグカップを引き寄せ中身を啜った。それを眺めながら、彼が結局何を思ったのかを捕らえ損ねたと脳裏で思う。
 自身のことにはどこかあまり興味がないらしい彼は、それ故に語ることも少ない。相手のことを理解しようと、信じようとするその姿勢の裏側、存外自身のことはおざなりになりがちだ。
 …………もっともそう器用でない彼のことだ、他者と自身のことを同時にこなすことがまだ出来ないだけなのかもしれないけれど。
 思いながら、マグカップを机に戻す。見遣った先は対面に座る彼の顔。
 視線に気付き彼も顔を上げる。手にしていたマグカップが机に置かた音が響いた。
 「どうした?」
 問う声の中、確信めいたものが煌めく。法廷で感じる、事実を掴みかけているときの彼の声。
 「………いや…、君でもアールグレイくらいは知っているのかと、そう思っただけだ」
 彼の声が耳に谺する。ゆっくりと、静かに。
 鼻先をくすぐるのは薄らとしたベルガモット。…………柑橘系のはずのその香りすら、甘く感じる。
 くらりと脳が揺れる。あるいは、意識が。けれどそれに従うわけもなく、一度落とした目蓋の裏側に置き去りにして、揺れる視線を押さえ込む。
 ほんの数秒の間、彼はただ自分を見つめていた。静謐ともいえる空虚ささえ感じさせるほど、ただ見つめていた。
 そうして僅かに細められた視野は柔らかく笑みに染まり、ゆったりと口角も持ち上げられた。
 許すことに慣れてしまった彼の、それは癖、なのかもしれない。
 偽りや思い違い、あるいは裏切り。この職に就く限りは必ず付きまとうそれらの一つとして、彼はその心に留めない。許しを請うものを許すことを、知っている。…………おそらくは自分こそがその最大の因となったのだろうけれど。
 真実を見据え、そこへと辿り着くための事実を手にしているときの彼は、ひどく静かだ。誰かのためにしか熱くなれない不器用な彼は、それ故にこんな時でさえ相手の心裏を抱きしめようとする。
 …………隠されていることを知っていて、隠し続けるだろうことも解っていて、それでも秘密を暴くのではなく、包み込んで、そのままでもいいのだというように。
 「まあ、ね。他にも名前くらいは解るよ。……味が解るかっていわれても困るけどさ」
 苦笑してそう付け足した彼が、ふと間をあけて考える仕草をした後、そういえば、と言葉を続ける。
 「最近はこれ、飲まなくなったな」
 「?以前は飲んでいたのか?」
 あまり紅茶を飲むイメージのない彼に不思議そうに返してみれば、困ったような顔をされた。それは大抵、一つの時期を示すキーワードで、すぐにいつ頃のことかが知れ、知らず眉間に皺が寄った。
 理解したことが解ったのだろう、困ったように彼は頭を掻きながら視線を逸らして口籠りながら答えた。
 「………まあ、うん、君がいない頃のことなんだけどね?あの頃は何か……これ飲むと少しだけ落ち着く感じがしたからさ」
 毎日ではないけれど案外よく飲んでいた気がすると、懐かしい思い出でも話すような顔で彼はいった。
 それが刺として彼の中に未だ残っていることは、解る。そしてそれを刺と認識しないように努めていることも。…………誠意を持って接する相手を責めることを、彼は好まない。呆れるほどに潔癖な男だと、こちらが遣る瀬無くなるほどだ。
 どれほど彼は思い悩んだのだろうか。身勝手な自分の行動がどれほど痛めつけたかなど、悲しいほど後になってからしか、自分には解らない。今も、そうだ。解ったつもりでいて、解っていなかった。
 ベルガモットの香りを求めるほど、彼は悲しんだのか。不安を感じ、恐怖を感じ、心をどれほど掻き乱したのか。
 そして何よりも………彼にその自覚など皆無なのだ。
 その時にはあったはずのそれすら、許す行為の中で霧散する。どこまでも自身に対して無頓着な、彼の悪癖。
 癒し方など自分には解らない。彼はいつも奔放であやふやで………何よりも、自身の傷を自身で乗り越えることをこそ、よしとするから。
 伸ばす腕の方法など、昔も今も自分は知らない。知らないからこそ過ちばかりで愚かな行為しか示せない。それでも彼は、それを仕方がないと笑って受け止めてくれてきたから。
 せめて出来ることを一つずつ。知っていることを与えられればと、そんな幼子のような行為を積み重ねている。
 「………では、今度は別の種類の紅茶でも持ってきてやろう」
 「うん?」
 「ティーパックなどではない、リーフティーをな」
 せいぜい努力して入れ方を覚えろと意地悪くいってみれば、思った以上に苦虫を噛み潰した顔を晒して恨みがましい視線を向けられた。
 それでもその目の中、笑みが溶かされていて。そうしてそれに安堵するのは、結局は自分なのだろう。
 会いに来ようという、たったそれだけのことを喜んでくれる。そしてそれを当然のように許してくれる。自分に教えられることを教えてみようかと示してみれば、受け入れてくれる。
 何もかも自分が願うことで、それでも彼は、その願いを嬉しいのだと示してくれる。
 「じゃあ今度、ポット選ぶのにつき合えよな?」
 …………そうして些細な約束を、極上の笑みでもって与えてくれるのだ。
 ほころぶ唇を自制しようとして失敗して、どこか陳腐な苦笑で諾と唱えれば、彼は楽しそうに笑って、約束だと、いった。
 それはそれは嬉しそうに、幸せそうに。………彼の中のそうした感情に、自分が起因として産み落とせることがあると、教えるように。
 鼻先を馨るベルガモットさえ、今はもう、霧散して感じた。



多分きっと彼は知らない
彼を呼び、応えてもらえる
それがどれほど自分にとって喜びか、なんて
だからいつもいつも不安そうで
躊躇うように寄り添っている
だから……ゆっくりで、いいよ
いつか気付いたその時に
そんな過去さえ愛しいと
二人笑えれば、それがきっと

一番の、幸せなんだ












 一応両思い的な感じの二人を、と思ったんですよ。というか、常にそのつもりで書いているのですがね、私。
 どうも御剣は成歩堂に感情を感知されている自覚がなくて、そのせいで一方的に許されているような感覚に陥りやすいのです。が、解っているからこその安堵で度量が大きいのですけどね、うちの成歩堂。……淡白さは変わらないだろうけど(オイ)
 それはそれでどうなんだろうなー。まあいずれ御剣が我慢出来なくて告白でもすれば何らかの発展が……なさそうだよな、私の書くキャラってみんな(遠い目)

07.6.26