柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
初めて見た大きな男の人 月で逢いましょう 「眠くない、春美ちゃん?」 ぼんやりと歩いていたら、手を引いてくれていた彼が不意にそんなことをいった。 ぱちりと一度瞬きをした後、首を傾げて空を見上げるように視線をあげた。広がったのは星空と、苦笑を浮かべた彼の顔。 「大丈夫ですよ!」 元気に響くように大きな声で答えてみると、繋いでいない方の手のひらで頭を撫でられてしまった。……強がりと、思われたのかもしれない。 それは確かに間違っていないので、見上げた視界に写る彼に小さく笑いかけた。 その笑みさえもきっと力なかったのか、彼は戸惑うように目を揺らした。そして少しだけ心配そうに眉を寄せると、足を止めてしゃがみ込んだ。 首を傾げて突然間近になった彼の顔を、見上げるのではなく正面で捉える。同じように首を傾げた彼が、ぽん、と頭に手をのせて撫でてくれた。 心地よい感触に目を細める。他愛無いことだけれど、それだけで眠りに誘われるようだった。 「あと少しだけど、どうする?」 「?」 ぼーっとしたまま彼の声を聞いていると、その内容がいまいち解らなくなった。うつらうつらとしているのが自分でも解る。疑問をのせて首を揺らすと、彼は言葉を付け足してくれた。 「んっと、だから、おんぶ…………しようか?」 このまま歩いて帰るのは辛いだろうと、気遣わしそうに彼がいう。 優しい、音だった。低い音で、自分の周囲には滅多に無い、慣れない音域の声は、けれどほんの数日であっさりと自分の中のとても大切な部類の音に変わった。 それ故に、彼の声を聞くことは好きだった。こくりと、無意識に近い仕草で頷いたのも、きっとそのせいだろう。 あるいは眠さで自制心が効かなかったのかもしれない。いつもであれば大丈夫だといって決して甘えたりはしないのに。 頭を撫でてくれた手が、それじゃあと声をかけて、離れた。広い背中が目の前に広がる。大きな背中に、不思議そうに目を瞬かせながら、夢の中の産物に触れるような辿々しさで手を伸ばした。 寄りかかるようにしただけで、あっさりと身体が宙に浮いた。相手の力強さに目を瞬かせるけれど、それも青い背中に頬を寄せると、どうでも良くなってしまう。 「ごめんね、春美ちゃん」 「…………?」 「僕、つい自分のことばっかりになっちゃって………。無理、していただろ?」 こんな風に疲れきってしまうくらいと、小さく付け加えて彼がいった。肩ごしに見えるのは少し俯いて歩く彼の頬と頤くらいで、その表情は見えない。 ぼんやりとした視界にそれをおさめて、ふるふると首を振った。 「いいえ…いいんです」 「……………」 「わたくしよりも、真宵様の方が、きっと辛いですから」 だからいくらだって我慢出来るし頑張れるのだと、大好きな人を思い描きながら呟いた。 それに彼の肩が揺れた。笑っているのとは違う静かな揺れは、多分溜め息だろう。 次いで……ほんの小さな、沈黙。答える言葉を探しているのか、答えないままでいるべきかを逡巡しているような。 ………あるいは、もっと他の何かを思い倦ねているのか。彼は首を揺らしながら空を見上げた。 肩に顔を埋めて青い布だけを視界に映したまま、彼の言葉を待った。 彼の視界にはきっと星が瞬いている。覚えていないけれど、きっと月も出ているだろう。もしかしたら満月かもしれない。 この街は夜でさえ明るくて、月明かりだけで夜道を歩くなんて真似、しなくてもいいのだ。それ故に、月の顔を見上げることもしなかったと、今更そんなことを思った。 「春美ちゃんは……偉いね」 不意に月を見ていた彼が声をこぼした。まだ顔は空に向けられたままだ。のんびりとした歩調に揺れる背中は極上のベッドのようで、とろとろと瞼が落ちそうになる。 それに必死に抗って、彼の言葉に答えた。 「どうして…ですか……?」 「僕は春美ちゃんほど素直じゃないから、かな」 自分よりも辛いだろう人をいたわれなかったと、彼は寂しそうな声で言った。 けれどきっと、その顔は笑顔を浮かべているのだろう。小さな自分に、彼はいつも笑顔を向けてくれた。それは確かないたわりとともに、彼の好意を自分に教えてくれる。 けれど、たった一度だけ自分の前で彼は、感情的な憤りを見せたことがあった。 出会ってまだ数えるほどの回数しか会っていない、そんな自分が見た、恐らくは稀なる彼の激情。 彼の言葉を考えて、あまり回らない思考で、きっとその時のことを言っているのだろうと当たりをつける。 それ以外で、彼が人をいたわらなかったのだと述懐すべき事柄は思い浮かばない。………彼は、人を責めるということが、極端に少ないから。 優しい、人だ。失うことを知っている人。…………きっと、自分と同じ思いを知っている。大切で仕方のない誰かが奪われるこの不安も、きっと彼は知っている。だから、こんなにも自分をいたわり守ろうと心砕いてくれるのだろう。 そしてそれが故に、彼は不安そうだ。 …………まるで、自分が絶望の淵に取り残されているような目で、時折幼い自分を見つめるから。 「いいえ…なるほどくんは、優しいです」 「………春美ちゃん…?」 繋がっているようで繋がっていない言葉に、彼が不思議そうな声で名を呼んだ。それを落とした瞼で受け取りながら、小さくなっていく声を必死で紡ぐ。 「なるほどくんは……繰り返したくないって、守ってくれています。私のことも、真宵様のことも、とても大切に」 「………………」 「だから…いいのだと、思います」 ぽつりと、小さく呟いて、なんと言えば伝わるのかと、一瞬口籠る。 あまり沢山の言葉を自分は知らない。おそらく、世間という括りの中の常識すらないのだろう。彼が自分をとても危なっかしそうに見つめる瞬間が多々あることから、それは何となく知っていた。 それでも自分でも解る事がある。そしてそれは、彼にだって解る事なのだ。 ………ただ彼は、自身のことになると途端に消極的で、相手への怒りよりも自身への怒りに転嫁してしまう。 悲しみは、他者を巻き込むけれど、怒りは他者に撥ね除けられる。受け入れられることよりも拒まれることを願うその理由など、解るはずもないけれど。 それでも、想像することくらいは、幼い自分にだって出来るのだ。 「沢山怒って、悲しかったと伝えて、いいんですよ」 泣きそうな顔で怒鳴る彼。その言葉を受け止めながら戸惑いすらしない相手。 解っているはずなのにチグハグな人たち。子供の自分には真っすぐな感情以外、整理など出来ない。 だから解るのは、お互いがとても大切な相手なのだと、そう訴えている二人の目の揺らめきだけだ。 ………言葉にすることも出来ない、根底の感情だけだ。 「沢山泣いて、辛いといっていいんです。だって………」 とろとろと言葉が淀みながらも零れる。眠りの世界がすぐそこまでやってきていた。 けれどせめて最後に、この一言だけは伝えたい。そう祈って、ぎゅっと彼の背中で手を握りしめる。…………眠さに負けたそれは、ただ背中に添えられただけに留まってしまったけれど。 「なるほどくんは、わたくしがどんなに泣いても……………」 受け止めてくれたのだ、と。伝えきれなかった言葉は呼気の中で霧散してしまう。落とされたままの瞼はより濃い影を幼い頬に落とした。 背中の重みが少しだけ増した気がする。寄り添うように自分に身体を預ける小さな身体からは、規則正しい寝息が零れていた。 それに小さく笑い、空を見上げる。…………満月に少しだけ足りない奇妙な月は、少しだけ鈍い明かりで空を照らしている。周囲の街頭の明かりの方が強いせいか、時折星すら見え隠れして定着しなかった。 緩く息を吐き、背中の身体を落とさないように、そっと腕に力を込めた。 ………小さな頃、彼女よりは少しだけ大きい頃、自分もこんな風だったのだろうか。ふと思って苦笑が濃くなった。 必死にたった一人を思って、どこにいるかも解らないけれど、悲しんでいないか辛い思いはしていないか、そんな嫌な考えばかりが増して、居ても立ってもいられなくて。 ………もしも自分を嫌いになって返事をくれないのでも、それでもいいから、せめてたった一言が欲しくて送り続けた手紙。 元気だと、教えてくれれば良かった。たったそれだけでよかったのに。 「やっぱり春美ちゃんは偉いなぁ……」 小さく呟いて、振り返る。眠っている幼い顔は、ほんの少しだけ見える睫毛が全てだった。 彼女はこんな小さな身体で、それでも本当に大切なことだけはきちんと知っているのだ。 そしてその為の努力は惜しまないと、当たり前の笑顔で言い切れるだけの自信も兼ね備えている。不安に押し潰されそうだった自分とはまるで違う。 …………あの頃から成長していない自分とは、本当に、違うのだ。 失ったと思って、………思い込むことで自身を守って。再会したにも拘らず、喜び以上にまた失うことが怖くて。拒絶など、して。それが相手を傷つけることくらい、十分理解していて、それでも与えた傷。 そんな自分が優しいわけはないけれど、それでもこの背中に鎮座する小さな敬愛すべき命は、優しいのだと手を伸ばしてくれた。 …………せめてその言葉に胸を張って応えられる、そんな自分でいられるといい。 彼女の大切な人を取り戻せるか否かは、確かに自分の腕にかかっているのだ。 幾度となく繰り返される涙が、次こそは喜びから零れることを祈って、空を見上げる。 こぼれ落ちそうな月は、星の瞬きの合間、ひっそりと輝いていた。 自分が成そうとしていることはきっと、あの月にいる兎と握手するよりも難しい。 ひっそりとこぼれそうな溜め息を飲み込んで、それでも確かな決意を胸に宿し、月を睨んだ。 前 |
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