柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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いないよ。どこにもいないよ。
どうして?どうしていないの?
探しても探しても。
どこにもいない。
泣きじゃくり声が掠れ
それでもどこと呼び続ける。

いつか会えると
同じように泣きながら
叶わない可能性の高い希望を
ささやかに願って彼が口にした。

それにいっそう泣きわめいて、
困り果てた彼は
同じように泣いていた。





01:空を見上げる一筋の涙



 ぼんやりと窓を見遣れば、そこには茜空が広がっていた。
 窓を開けていたことを今更気付いた。どうりで先ほどから車の音やら雑多な町の音がよく聞こえるはずだ。
 そんなことを思いながら、自分の今の現状からなんとか意識を遠のかせようとした。………あまり意味はなかったけれど。
 小さく息を吐き出して、そっと隣を見遣る。
 すぐ目の前で揺れるのは灰色がかった髪。あまりに間近すぎてその色がぼやけて見えるほどだ。
 それを確認して、急激に心臓がまた跳ね上がる感覚に居たたまれなくなる。いっそ立ち上がって離れてしまいたいけれど、そうしたなら起こしてしまうだろう彼を思うと、それもできなかった。
 彼が忙しいことはよく知っている。今日も裁判所ですれ違ったのだから。もっとも彼とは携わった事件が違うので内容までは解らないけれど。
 ただ彼が手こずっていて、とても苦労していたことだけは知っている。それは普段以上に険しい顔つきや眉間の皺の深さでも容易に知れた。
 無理をしているな、と思った昼過ぎ頃。今日でお互い決着が付くのでその後に会う約束を、キャンセルしようか悩み、その旨をメールで送った。出来るだけ彼に休息を促したかったからこそのそれは、けれど逆効果だったらしい。
 思った以上にスムーズに終わった自分の裁判とは逆に、ぎりぎりまで時間のかかった彼が、法廷に立つが如く険しい顔つきで事務所に乗り込んだのはつい1時間ほど前のことだ。
 返事がなかったから了承したのだとばかり思っていれば、なんてことはない、承服しかねるからこそ文字のやり取りではなく直に異議を申し立てにきたのだ。しかも、事後処理すべてを放り出して。
 その場でやらなくてはいけない全ての手続きは終わらせたようだが、いつものようなスマートな処理は望めなかっただろう。それくらい、彼は憤っていたし焦っていた。
 明日辺りイトノコ刑事が怒鳴り込んできそうだと思いつつ、今は真横で眠っている相手を見遣った。
 なんとかこちらの言い分を伝えて、激昂していた彼を落ち着かせたのはつい15分ほど前の話だ。自分のことになると途端に視野の狭くなる彼は、自身で考えていた結論以外をなかなか受け付けない。
 宥めて落ち着かせて相手の話を聞き入れて、なんとか静かになった頃に自分のロジックに巻き込むのは、もう毎度お馴染みでさえある。彼自身にはまるで自覚がなさそうで困るけれど。
 思い、間近の寝息に重ねるように、また小さく息を吐き出す。
 彼の手解きでなんとか煎れ方を覚えた紅茶は、もう冷めてしまったことだろう。視線だけで机の上のカップを見れば、何となく色合いが濃くなって渋味を増しているように見える。
 彼から始まった一方的な話し合いが終わった後、彼は疲れをようやく自覚したのか、自分が紅茶を入れている間にソファーで眠ってしまっていた。
 だからこそわざわざ自分の事務所になど来ないでいいから家で休めといったのだが、おそらく現状を指摘して伝えても、彼は首を縦にはしないだろう。
 それは多分、彼の中で譲れないことの一つなのだろう。いまいち自分には解らないけれど、解らないからといって無下にするつもりもない。
 あまりにも克明に彼はその態度の中にそれらを刻むから、解らなくともすくいとりたいとは、思うのだ。あまり器用ではない自分には、戸惑いや躊躇いが強くて、いつもいつも彼に不安を与えているのは否めないけれど。
 例えば、大抵、彼が訪ねてきて自分が座るのは、正面のソファーで。
 …………時折彼がその視線だけで隣に座ればいいと訴えていることも解ってはいるけれど、あえて触れずに躱しているのも、事実だ。
 だからこそ眠っている彼を見て、ちょっとした悪戯心と多少の歩み寄りの努力を心掛けてみようと思うのは、至極当然のことだった。………起きていない時にという点は多少卑怯かもしれないけれど。
 けれど今は、そっと隣に腰掛けた10分前の自分を少しだけ恨みたい。大人しく一人で正面に座って紅茶でも飲んでいれば、少なくとも現状はなかったはずだ。
 若干深くなった溜め息を落としながら、頬をくすぐる彼の髪を意識から排除する。………嫌だ、と。いうつもりはないけれど。
 それでも落ち着かない。怖い…けれど、それともまた違う、この感覚。
 …………解ってはいるのだ、戸惑いの正体くらいは。この上もなく、恥ずかしいだけだ。
 「……………………」
 軽く俯きながら吐き出した溜め息に揺れる、彼の髪。肩に乗る、彼の重み。腕に触れる、彼の熱。そこに確かにその人がいると解る、その証。
 それこそを彼が求めていることは、よく解る。それがなければ不安だと、いつだって腕を伸ばしてくるのだから。
 見えるだけでは足りなくて。彼は触れることでこそ安堵すると、怯える自分に告げる。それを許してほしいと揺れる瞳と、拒まれることを覚悟したような悲痛さとを内包して。
 思い、頬に当たる髪を確かめるように、そっと擦り寄ってみる。さらりとした感触がくすぐるように肌を滑り落ちた。ぬくもりもない毛先に触れたはずなのに、何故かひどく熱い気がして頬が紅潮する。
 羞恥を思うような行為でもないというのに、それでもどうしたって反応してしまうことは否めない。実際、こうした状態の自分を彼に見られることは出来る限り避けたいことだ。ひどく嬉しそうに微笑んで自分の頭を撫でる、そんな姿が目に浮かぶ。
 あんまりにも長い間彼を追いかけていて、彼が振り返られないことが当然すぎて、今現在彼が過剰な執着を自分に示していることを知ってなお、自分はそれを実感しきれていないのか。
 ……………思い、窓の外を見遣った。
 茜空はより濃くなり、真っ赤な夕焼けが目に染みるようだ。子供の頃は一日があまりに早く終わってしまって、もっと遊びたいと駄々をこねることも多かった。
 そんな自分を(たしな)めながら慰めてくれたのはいつだって、いま自分に凭れて眠る彼で。一緒になって喚いていたのは……自分たち共有の親友だ。
 三人で一緒に色んな場所に行った。手を伸ばせばいつだってそこに彼がいて、笑いかければ不器用ながらも彼も笑んでくれた。それがどれだけ幸せかということも知らず、子供時代はその尊さを当然のように与えてくれた。
 それが崩壊する、その日まで。自分は考えたこともなかった。
 消えてしまう人もいるなんて。明日もまたといって、もう会えなくなるなんて。
 探して。……探して探して探して、真っ暗な夜になるまで探し続けて、親に危うく捜索願いを出されかけたあの日。
 矢張とともに泣きわめきながら、自分は唐突に理解した。………そこにいるということの儚さを。
 もう彼はいない。伸ばした手を掴んではくれない。笑いかけても応えてくれない。真っ暗になった夜と同じほどの絶望で、それを思い知った。
 それでもはっきりと自分の中に残ったのは、彼がくれた言葉や思い。一緒にいた事実の中で与えられたそれらが、自分をすくいとってくれた意志の先で、確かに前に進む勇気をくれたから。
 あの日から、自分は思うことの尊さを実感した。そこにはいない彼を思うことで、慰めになったから。………もっとも逆に彼は、触れることの重要さを実感したようだけれど。
 なにからなにまで真逆だと思いながら、そっと目蓋を落とす。同時に零れた軌跡が頬を辿る。そよぐ風に、頬が少しだけ冷たかった。
 彼の髪を濡らさぬようにそれを拭い取り、凭れ掛かる質量を思う。
 認めてもらえる喜びを。たった一人でも戦える強さを。真実を見据える勇気を。未来を信じ歩む揺るぎなさを。
 与えてくれたのは、あの幼かった日の彼だった。
 手を繋ぎ笑いあって、他愛無い話をしながら遊び回った幼い日がなければ、今の自分など存在はしない。心を、意志を、汲み取ってくれるその確かな充足があったからこそ、自分は触れることも叶わず見ることも許されなかった15年を乗り越えられた。
 もっとも、そんなことを引き合いに出せば返答に窮して落ち込む彼が容易に想像出来るのだから、言うつもりもないけれど。
 いつになれば気付くだろうか。…………彼が信じられないと言い切るそれこそが、自分を支え続けた原動力だと。
 きっと教えなければ永遠に気付かないのだろうと、苦笑の中でそんなことを思いながら、眠る彼を見つめた。健やかな寝息はひどく静かで自分の溜め息すらこの室内では大音響に思えた。
 顔も見えはしない。髪が揺れる様と、その隙間から覗ける肌だけだ。微かに見える鼻先と睫毛も、揺れる髪に邪魔をされてしまう。
 この距離を恐れないかと問われれば、どれほど返答に窮しても首を振るしかないだろう。怖いものは怖いし、どれほど心許そうと、そう簡単に払拭される問題でもない。
 それでも拒んでいるわけではないのだ。肩に乗ってしまった頭を振りほどけない程度には、許している…けれど。…………怖いと思いながらも拒まない程度には、許しているけれど。
 眠る彼は気付かないまま、微かな寝息を零すだけだ。……もっともいつも恥ずかしいからと自分が逃げるのだから、気付かないのは当然なのかもしれないけれど。
 思い、苦笑が浮かんだ。そっと見遣った空はまだ真っ赤な夕焼け。あともう少しだけこのままでいて、茜空が暗くなったら、彼を起こそう。一緒にいるのに勿体ないと、よく解らない理屈で怒られるのは自分も遠慮したい。小さく笑ってそんなことを思いながら、そっと目を閉じる。
 頬に当たる質のいい髪。眠る彼と同じように、微睡むようにそっと身体を寄せる。
 先ほどより少しだけ近さを増した熱に、同じほどの大きさで疼く怯えを飲み込んで、苦笑とともに、呼気を落とした。

 寝ぼけた彼が、夢現つのままに頬に口吻けるまでの、あとほんの少しの時間。


 静かで穏やかな、優しい時間が、流れた。



嫌だ、なんて……いわないけれど。
まだ少しだけ、時間が欲しい。
我が侭を承知で困らせて、
それでも知っているのは、
不貞腐れながらも最後には互いに甘い、

鏡写しの、
幼子のような許容の、笑み。










 あえてラスト部分を書かなかったのは笑顔で怒る成歩堂が存在しそうだからだよ☆
 心臓に悪いそうですよ、その姿は。ならば怒らせる行為をしなければいいと思うのですが、不可解なことです。

 甘やかしているようで甘えている、そんな感じの雰囲気を目指してみました。いや、いっつも御剣ばっか甘えていてそれはそれでどうなんだろう、と思いまして。
 下手すると成歩堂が甘える相手が矢張になってまた御剣が騒がしくなりかねないしなーと。
 …………己の中の御剣がどれだけ嫉妬深いのかをちょっと悩みました。

07.7.14