柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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ぼんやりとした世界の中で
あたたかさだけが感じられた
馴染むには少しだけ微かな香り
いつだって感じていたいそれが
ひどく間近で馨る

そっと見遣った先には
どこか遠くを見つめるような横顔
それはひどく静寂で
端正とさえいえる、姿で


無くしたくない衝動に
手を伸ばした。





02:悔しいと、いっそ言えたなら



 微睡みの先には人の肌があった。まずあり得ない状況に脳はそれを夢だと判断する。
 実際、珍しくもない夢だ。触れることに怯える相手の意志を尊重するあまり、どこか自分はそのこと自体に臆病で、拒まれるのではと思うと、願うことさえ成し難い。
 だからせめてと思うのか、夢の中の彼はさして抱擁を拒まない。…………好んでくれるといえない辺り、かなり自分の中に根深く彼の性質が浸透しているように思えた。
 擦り寄るようにしてぬくもりを探す。すぐ傍のそれは微かに震えて、困ったような苦笑の吐息が滲んだ。
 まるで本物のようだと楽しげに笑んで思う。もっとも、彼自身にそんな真似しようものなら、真っ赤になって逃げられるに決まっているのだけれど。
 微かに見遣った先には、彼の頤が映った。その目を覗きたくて視線を移動させると、その頬に何か違和感を感じる。特になにがという思い当たるものがないけれど、ただ強烈に感じたそれに居ても立ってもいられず、そっと近付いた。
 香る彼の匂い。体臭というよりは気配のような微かなそれに目眩のようなものをいつも感じる。思いながら、夢にしては随分と詳細まで再現されているとのんきなことを考えた。
 揺れた彼の気配。戸惑いと驚きに見開かれた、きょとんとした瞳。無防備極まりないその顔を間近で見ながら、苦笑が浮かぶ。
 どうしてそんな幼い顔で、泣くのだろう。
 そんな、彼には似つかわしくないことを思いながら、こぼれ落ちてもいないそれを舐めとるように、頬に唇を落とした。
 何もないはずのそこには、けれど微かな涙の味。それがきっと違和感の正体だったのだろうと思いながら、ぎゅっと不安を溶かすようにその体躯を抱きしめた。
 びくりと盛大に撥ねた身体。喉が引き攣るような音と、柔らかいはずの肉体の感触の凝固。
 まるで現実と変わりないその反応に微かに眉を顰めた。夢なら、もう少しだけ自分の願望が反映しても不思議ではないのにと首を傾げる。
 「………なし…て、くれる……かな?」
 微かな震える声がすぐ間近から漏れる。掠れていてうまく聞き取れなかった声をぼんやりと眺めていると、力のほとんどこもっていない指先が、髪を掴んだ。
 痛みにもならないそれに従うように首を傾げる。ますますおかしな夢だと、どこか依怙地に思い込んだ。
 「…………起きているのか、寝ぼけているのか…………返答次第じゃ、怒るよ?」
 浅くなっている呼気の合間、それでもこちらに解るだけの怒気を込めて彼が呟く。
 はっきりと聞こえる音。確かに感じる体温と身体の震え。鼻先を薫る、彼の匂い。
 まさかと思いつつ、恐る恐る小さな声で、問いかけた。
 「…………本物?」
 「あ、当たり前だー!!!」
 勘違いにもほどがあると彼が絶叫する。耳のすぐ傍であることを考慮するだけの余裕はないのだろう、耳が痛むほどの声だった。
 少し身体を離してしげしげと相手を確認すれば、そこにいるのは確かに自分が愛しく思う相手で、同時に、これだけの至近距離にはそうはいてくれない相手でもあった。
 珍しいと、心のどこかでそんな感想を思いながら、それでも眉が顰められたのは、先ほどの微睡みの最中に感じたことを未だ忘れずに抱えているせいだろう。
 睨むような視線で彼を見据えると、びくりと彼の肩が撥ねる。自分を恐ろしいなど思っていないくせに現れる反応は、きっと条件反射にほど近いのだろう。あまり嬉しいことではないけれど。
 「………何故君は一人で泣くんだ?」
 「…………………………は?」
 こちらの言い分が解らないとありありと書かれた顔で、彼が間の抜けた声を出した。
 まだ間近といえる距離に戸惑いを感じているのか、いつものようなハキハキとした反論はない。
 必死に頭の中を落ち着かせようとしているのか、出来る限りこちらを見ないようにしている視線が忙しなく動き回っていた。
 「別に……泣いてなんか………」
 「異議あり。ならば目元のそれは何だ?」
 「え?!」
 淡々とした声で告げてみれば、彼が慌てたように顔を擦る。パニックになっているせいか、普段のようにこちらが気付かないほどうまく躱すこともなかった。
 心中でほくそ笑んで、そっと相手の顎を掴む。途端に落ち着きはじめていた彼の顔色が器用に真っ赤と真っ青を表現していた。
 「その反応が証拠だな」
 「………嵌めたな?」
 触れた指先に涙などつかなかったのだろう、彼が憮然といった。逸らされたままの視線は不貞腐れたように顰められている。
 普段は相手のはったりでこちらが醜態を晒すのだから、たまにはいいだろうとしれっとした顔で不敵に笑う。それだけで勘のいい相手は返答の意味を理解したのか、むくれるように眉を顰めた。
 それ以上怒らせないようにと顎を掴んでいた指先を解放すれば、ほっとしたかのような吐息が吐き出される。
 …………もう少しだけ傍にいることを安堵として受け止めてほしいと思うのは、自分の我が侭なのだろうか。
 「全く、君は会いに来るのを嫌がるし、弱味を見せようとしないし、泣いている姿さえ隠すし……一体私は何なのだ」
 憮然とした声で本音を交えていってみれば、彼は申し訳なさそうな視線でこちらを見遣る。もっとも、おそらくはその意味は自分が求めている意味とは違うのだろう。
 自分が傷付いている、その一点だけを見極めて、彼は自身の行動を振り返る。それだけであって、実際何故自分が傷付くのか、その過程だけは理解出来ていない。
 「だ、だけどさ、言っただろ?」
 これ見よがしな溜め息に彼は慌てたように口を開く。まだ抱きしめている腕を解いていない割には、雄弁だ。あるいはその事実を認識しないように必死なだけなのかもしれないが。
 「僕は僕のために君が無理するのは嫌なんだよ。ちゃんと自分をいたわれって……」
 だから今日会うのを断ったのだと、それはつい先ほども子供に言い聞かせるように多くの言葉でもって伝えられた。
 決して拒んでいるわけではないと、こちらが安堵出来るように配慮しながら、反応を見極めて告げる仕草はすぐに思い出せる。………それだけの回数、与えられていると考えると若干自身の立場を鑑みてしまいもするが。
 「それにほら、はったりが僕の芸風って言い切ったの君だし!泣かないのは……泣き方がよく解らないからなだけで、別にわざとじゃないし!」
 なんとかこちらが言った言葉を全て否定出来るようにと努力している相手の言葉は、けれどやはり見当違いだ。面白いほど自分の思いと食い違っている。
 彼が、泣きたいようなことがあったのなら、自分はそれを知りたいと思うのに。彼はそれは自分が背負うことだからと教えてはくれない。
 教えてくれるのは、既に己自身で答えを導き出して解決させた、そんな傷跡だけだ。
 ………まるで野生の獣のように、生傷を人に見せることを彼は恐れる。その傷によって何らかの事象が波及することを怯えているのは、その言動から何とはなしに解りはするけれど。
 それすら欲しいのだと、もしも彼にいったとしたら………おそらく途方に暮れて困惑するのだろう。
 自身が原因で傷付くことも、何らかの不利益を被ることも、彼は嫌う。それを求められても与えることが出来ないと、彼の持つ倫理が強張るように、困惑しか生み出さないのだ。
 「だから……えっと、嫌なわけじゃ、ないからな?」
 答えない自分に泣きそうな顔で告げる。それがこの問答だけで成立していたなら、あるいは喜びなのかもしれないけれど。
 震える身体。重ならない視線。笑みを浮かべることの出来ない唇。ゆっくりと意識的に繰り返される呼気。
 それらを統括して知らしめるその表情は、自分が欲しい涙とは若干意味が違う。
 思い、ぎゅっと……その身体を抱きしめる。彼の肩に鼻先を寄せて顔を埋めれば、こちらの胸を軋ませるほどおののいた。
 刻まれる眉間の皺が、彼に見えなかっただけでも良かった。………こんな状態に追いつめる自分を、彼はそれでもすくいとろうと努力を見せるから、せめてそれを奨励してしまう仕草の一つくらい、隠したい。
 「え………っと、あの……御剣?」
 そろそろ離して欲しいと微かな音で告げる彼の声は、身体と同じように震えている。それが悲しい。それが口惜しい。
 自分が知らない何か故に彼が傷つき恐れること。それすら与えてくれず、いずれは乗り越えると笑う人だから、絶えず伸ばす腕を留める術を自分は知らない。
 「嫌だ。まだ………もう少し」
 端的な言葉で切り捨ててしまえば、戸惑いの気配とともに小さな吐息が落ちる。必死に、彼は彼なりに受け入れようとしているのだろう。それがたとえほんの僅かすぎて自分には解らないほど微かであっても。
 自分が見せた弱さを包む彼のように、自分とて彼の傷を包めるようになりたいのに。
 …………彼はその傷を独り治してしまう、人だから。
 震えている彼を抱きしめて、いつかはそれが消える日を思う。そのために自分が出来ることはないのか、どれほど考えても答えは出ない。
 もっと、沢山の人間に触れあって生きていれば、あるいは彼をすくいとれたのだろうか。
 視野の狭い自分の過去を振り返っても詮無きことと解っている。それでもそんな無意味ともいえる真似を幾度も繰り返してしまうほど、自分は無力だ。
 彼が小さな声で自分を呼ぶ。答える声が震えそうで、頷くだけでそれに答えれば、躊躇いがちの指先が、そっと背中に添えられた。
 普段からは考えられないほど辿々しい仕草で背中を撫でる指先と、ほんの少しの沈黙の後に響く、彼の声。
 「…………ありがとう」
 感謝の言葉を捧げられる理由など一つとしてない。その意味すら、自分には解らない。
 それでも彼が笑んでそれを紡いでくれるなら、その思いに応えられる人間で在れるように。噤んだ唇で小さく頷き、理由の解らない謝意を受け止めた。

 いつかはそれすらすぐに紐解ける、そんな存在になれればいい。

 彼の落とす呼気の意味すら解る、

 彼が心安らげ甘えられる、人に。



 …………堅く閉じた目蓋の先で、彼の体温はやはり微かに震えていた。








   



 笑顔で怒りはしなかったですね。良かったな、御剣。というか、基本的にうちの成歩堂は他人巻き込まない限りはそうは怒らないのですが。あとは自分自身の体を大事にしていないとか、そういう理由でもない限り。
 あるいは納得しておきながらも幾度もしつこく言い寄ってきたりか。………おお、これのせいで機嫌損ねる=笑顔で怒るの図式が成立しているのか。なるほど。

 成歩堂は自分の傷には無頓着ですが人の傷には敏感ですよ。可能であるならどんな些細な傷も誰にも負ってほしくない。きれいごとだろうがそう願うのは人として当然だと思う。
 特にこの子の周囲は女の子が多いから、余計に顕著になるのは仕方がない、ということにして下さい。御剣は男だけど子供のようだから………(遠い目)

07.7.16