困ったような顔をして
少し、目を逸らして
唇だけを笑みに染め
小さく小さく、彼は頷く

そんな顔ばかりなのだ、と
憮然とした顔で告げる幼馴染みは
やはり幼馴染みのそんな癖を
ひどく不満そうに呟いた


どうして、寂しそうに微笑むのだ、と


それに気づかないから
きっとお前は
馬鹿だなって言われるんだぜ?



18.笑顔



 「邪魔するぜー!」
 「うん、邪魔だから帰ってくれ」
 矢張がいつもの通り唐突に立ち寄った成歩堂の事務所のドアを、威勢のいい声で叫びながら勢いよく開けてみれば、まるで言われる言葉が解っていたかのような素早さで成歩堂が答えた。それはもう、電光石火とも言えるタイミングだ。いった言葉と同時のツッコミに矢張は唖然とした顔で相手を見てしまう。
 一瞬の沈黙と気まずさに気づいてか気づかずにか、その間を縫うようにして可憐な声が響いた。
 「あ、やっぱりさんだ!」
 明るい笑顔でそういったのは、この事務所の副所長で成歩堂の助手でもある真宵だ。当然面識のある矢張の来訪に嬉しそうな顔をしている。
 その声に救われたような笑顔を浮かべて返事をしようとすると、やはりそのタイミングを心得ているような絶妙さで成歩堂が口を挟む。
 「真宵ちゃん、矢張は帰るからお茶は出さないでいいよ?」
 にっこりと笑顔を浮かべたまま、少しだけ冷たい口調が室内に谺した。
 わざわざ給湯室に足を向けていた少女の背中にそんな声をかけ、足を止めてしまう。振り返った真宵が不思議そうな顔で成歩堂を見た後、ちらりと矢張を見遣った。
 あからさまなほど、成歩堂がこうした態度を取る場合、大抵は相手がその原因を知っている。基本的に大雑把で何事も気にしない質の彼が怒りを示すのだから、その時点で相手に伝わるのが当然といえば当然なのだろう。
 今回も例に漏れず、それを晒された相手はあ〜とかう〜とか単語にもならない声を小さく呻きながらあちらこちらを見遣っていた。
 それを確認し、真宵は今度は成歩堂を見遣る。小さく首を傾げて問うように目を瞬かせれば、彼は忌々しそうな顔を一瞬矢張に向け、次いで苦笑を真宵に向けると、軽く手を振った。外出をしていていいという合図だ。
 真宵はその合図にぱっと顔を輝かせて、大きく頷くと手に持っていたファイルを元の棚にしまい、デスクに座る成歩堂に声をかけた。
 「ね、ね、なるほどくん」
 「ん?」
 弾む声に優しい笑みが向けられる。機嫌の悪さを表面に出す割に、その対象外にはいつもと変わらない応対をしてくれる。それを有り難いと思うべきか怖いと思うべきかは、判断が分かれるだろう。真宵は前者で、彼を怒らせることのない立場上、安心していつもと変わらない言葉を投げかけた。
 「仲直り、出来るといいね!」
 けらけらと笑うような声で核心を突いて、真宵はポンと軽く成歩堂の背中を叩いた。目を瞬かせて自分を見上げている成歩堂に、真宵ちゃんを舐めちゃ駄目だよ!とウインク付きで告げて、ひらりと長い髪を舞わせながら背中を向ける。そのまま振り返ることなく、途中すれ違った矢張に挨拶をして、真宵はあっさりと事務所から姿を消してしまった。
 …………相変わらず勘のいい子だと舌を巻きながら成歩堂がその後ろ姿を見送った後、たっぷり10秒は沈黙が流れた。
 「しっかし、真宵ちゃんもしばらく見ない間に可愛くなったよな!」
 それが唐突に破られた。成歩堂はその原因を胡乱そうに見上げ、あからさまな溜め息を吐く。
 出来ることならそのままいっそ帰ってくれないかと、手近にあるファイルの一つも投げつけたいが、それによってファイルが痛むのは遠慮したかった。
 「そうだね、じゃあもう僕しかいないし、帰れば?」
 素っ気なくあっさりと告げてみれば、矢張は泣き出しそうな顔でこちらを見遣る。どうせ彼のことだ、自分が怒っている原因を知っているし、その原因からどうにかならないかと相談を受けたのだろう。………相談という名の脅しかもしれないが。
 「なるほどーよー……お前、解ってやってんだろー?」
 いくら何でも酷いぜ!と嘘泣きで訴える相手を睨み据えてみれば、面白いほどびくついてくれた。法廷で相手検事を見るのと大差ない目つきだったが、そこまで怖いものなのかと改めて自分の目つきを見直してしまった。もっとも、自分以上の相手ばかりが相手検事にいるような気がしなくもなかったけれど。
 「さあ……なんのこと?」
 「御剣だって反省してたぜー?いい加減許してやれよ!」
 この俺に免じて、なんて調子のいい茶化しを入れて言う矢張に、先ほど同様胡乱そうな眼差しを投げやりに押し付けて、成歩堂は手の中の書類を束ねた。彼がいてはとてもではないけれど書類など書いてはいられない。折角久しぶりにやる気になったというのにいい迷惑だと、不機嫌そうな顔で溜め息を吐いた。
 それを眺めながら、やっと自分と話す気になった相手に矢張は表情を明るくして、当たり前のようにソファーに座った。相手がそこに来ることを疑ってもいない態度に溜め息も出ないが、実際その通りの行動を与えてしまうのだから、あながち矢張の予測も間違ってはいなかった。
 それに小さく苦笑を乗せて、仕方がないと覚悟を決めるように息を吐き出した後、成歩堂は伸びをしてソファーに近づいた。
 矢張と対面する形で腰掛け、ソファーにゆったりと身体をもたれかける。そうして、彼が聞きたいのだろうことを、根掘り葉掘り問われるより早く、口にした。
 「いっておくけど、僕は怒っているわけじゃないよ?」
 「………あからさまに嘘じゃねぇか、それ?」
 先ほどの成歩堂のように胡乱そうな目つきをする矢張に、成歩堂は素っ気なく目を逸らし、すっと視線を鋭くした。
 ……………顰められた眉は、けれど、怒っているわけではない。
 それにきょとんと矢張が目を丸くする。聞いた話では、彼が怒ってしまいメールすら返してこないと言うことだったが、これは違う。
 怒っている、その顔ではない。それに気づいて、げんなりとした表情を矢張は浮かべた。
 「本当だよ。怒ってない。泣きたくないから、そうしているだけだよ」
 あっさりと事実を口にした成歩堂に、それはそうだろうと、その解りやすい現実に矢張も頷いた。
 泣きたくないから、唇を引き締めて。泣きたくないから、眉を顰めて。泣きたくないから、視線を鋭くして口を閉ざす。
 …………………昔からの、彼の癖だ。それこそ、小学生の頃からの。
 付き合いは長くはなかったけれど、幾度か御剣もその姿を見たはずだ。それでも耐え切れなくて泣き出した姿こそが、自分たちの友情の始まりだったのだから。
 だというのに、彼はすっかり勘違いをして勝手に意気消沈しているらしい。
 「もしかして……」
 「いったよ、僕は。怒っていないって。勝手にあいつが思い込んで頓珍漢なメール寄越すから、返信しようにも出来ないだけ」
 謝罪をされても困る。しかも、謝罪すべき事柄が間違った謝罪など受けることは出来ない。だから返事は出来ない。ただそれだけだ。
 隠す意味もないとすぐに手持ちの情報を全て晒した成歩堂は、溜め息を一つ吐きだす。
 怒ったわけじゃない。ただ、戸惑っただけだ。そうして、それに苦しくなって、滲みそうな涙を飲み込んだだけだ。
 ほんの少し気が緩んでいて、普段のようにうまく出来なかったけれど、怒ったわけではない。鈍感な相手はそんなこと気づきもせず、自身の言葉が不愉快だったのだと誤解して慌てていたけれど。
 「んっじゃあ、あいつにそういってもいいわけ?」
 微かに凹んでいる気配を滲ませる成歩堂にすっぱりと問いかけてみれば、やはり顰められた眉。怒っているように見えなくもないけれど、揺れている瞳はその感情をよく教えてくれる。
 これだけ解りやすいのに、御剣は間違える。その事実に少しばかりの苦笑と溜め息が胸中に浮かんだ。
 多分、成歩堂にとっての御剣も、御剣にとっての成歩堂も、侵し難い存在なのだろう。自身の価値基準に当て嵌めて身勝手な判断をしたくないと思うせいで、余計にこんがらがってしまうことを、人間関係に疎い御剣はまだ解っていない。
 だから……きっと、成歩堂も晒せない。与えてしまえば、より感情を求めて腕を伸ばす相手を、知っているから。
 「………明日…いや、明後日までに、僕からあいつに連絡を取るよ」
 そのときお前のこともいうから何もしなくていい、と。深い溜め息を吐き出していう成歩堂に、矢張が笑う。それに気づいた成歩堂がむくれるような顔で睨んでくるが、先ほどのような気迫はなかった。
 とっくの昔に彼の感情など独占していたくせに、御剣はそれに気づかず不安と戸惑いに揺れて、時折こんな風に相手に負荷を与えている。見ていて歯痒いくらい、微妙な距離を保ち続ける二人だ。
 相手を思い遣って、慈しんで、その成長を祈って。お互いにベクトルは違う部分で、同じような意志を注ぎ合っている。それに成歩堂は気づいていて、御剣は気づかない。………それこそが、こうした端から見れば犬も食わない状況の原因でしかないと、やっぱり成歩堂は知っていて、御剣は知らない。
 「なら、ま、いっか」
 あっさりとそういって、矢張はにんまり笑う。幼い頃の付き合いのある友人たちがうじうじしているのはやっぱり楽しくはない。どうせなら、どちらも笑ってどちらも幸せな方がいいに決まっている。そこに、勿論自分も笑って加われるというのが最低限の条件だけれど。
 「そうだよ。だから邪魔だから帰れっていったんだ」
 苦笑して、成歩堂はそんな憎まれ口をたたいてソファーから腰を上げた。ちらりと時計を見て、まだ真宵が帰ってくるまでに時間があるだろうことを考え、給湯室へと向かう。
 どうせ作業も一時中断を余儀なくされたので、ここで休憩を入れようと、気分転換に向かうその背に、矢張の声が届く。
 「俺、腹も減ったから菓子もつけてくれよー」
 「客でもないくせに偉そうにたかるなよな」
 辟易とした顔で振り返りながらそう返し、成歩堂が給湯室に消えた。その姿を見ながら、どうせ手には菓子も持って帰ってくる幼馴染みを矢張は思い、人がいいよな、と笑った。


 優しくて、厳しくて、
 だからこそ、不器用に笑う人

 悲しみも痛みも与えたくないと願って
 それをたたえる術を見失ってしまった人

 だから、それを晒そうとしては、奇妙に歪んで
 不格好な笑みが、残るのだ


 いつかは彼も気づけばいい。
 そうしたなら、自分になど相談せずに
 ただ、寂しい人を抱き締めて、慰められるのだ。



 …………まだまだきっと、遠い未来の話なのだろうけれど。







 相変わらず矢張にだけは遠慮なしな成歩堂です。
 かなり手酷い扱いですが、御剣には羨ましいポジション。なにせ甘えてくれるし我が侭いってくれるし頼ってくれるし。……………どれだけ当たり前のことをしてもらえていないんだ、御剣!
 いや、フォローするならば決して御剣だけではなく、矢張だけ特殊なのです。うちの成歩堂は人に甘えたりするのが苦手な子なので。甘やかされるの好きなくせにね(笑)

 笑うこと、は。色々な形であり過ぎて表現が難しいです。怒るときにも悲しむときにも使う表情だから。
 それをいつも取り違えて右往左往する御剣がいるんだよ、という話だとでも思ってあげて下さい(笑)それを成歩堂はある程度解っていて、その上で知らないことにしていますが。
 で。どうすればいいのか解らなくなって、矢張に偵察を依頼するわけですね。脅すとも言いますけど。頼りたくないけど成歩堂に関してはもっとも的確な情報をもらってきてくれるので、この上もなく迷惑だけど切り離せない存在です。
 まあ、いつか矢張経由でなくても気づけるようになるといいね。………いつか、ね………。

 一応10.キーボードが冒頭部分の御剣がいっていた流れになります。普通にすれ違う二人だよ、全く。

07.9.22