告げた言葉はどこか気恥ずかしくて
………でもきっと、ずっと告げたかった言葉
報われる事など欠片程も思わず
ただ君の笑顔を翳らせない事だけ、祈ってた
真っ白な光のまま
闇さえ鮮やかに包み照らして
暴くのではなく強かに
受け入れ輝く、そのしなやかさ
この手で包める程、脆弱な筈もなく
それでも
零さぬ涙をほんの微か、
口吻けるように、辿った呼気
…………その笑みにこそ、救われる自分のように
君もこの腕を、ぬくもりを、思いを、
糧とし食んでくれれば、いいのに……………
指先の半分
眼前の様子に、目を瞬かせてしまう。それに呆れたように相手は溜め息を吐いた。
すぐに言葉も出ない愚鈍さを窘めるようなそれに、青年は顔を顰めるように唇を尖らせる。
「……………なんでアレン、そんなとこにいるんさ」
じとっと、恨みがましく拗ねた声で小さく問えば、言われた老人はもう一度溜め息を落とす。そんなところ、とは人聞きが悪い。ただ眠る少年に背中を貸しているだけだ。
正確に言うならば、クッションを抱いてうたた寝をしていた少年に声を掛けたら、そのまま肩に寄りかかられてしまっただけだ。
普段であれば窘めの声で起こし、慌てる少年に自己管理を説くところだが、今日はそれも出来ない。
…………叩き起こそうにも彼が任務帰りである事は知っている。イノセンスは空振りだが、AKUAとの戦闘はあったらしいのだから、疲労も溜まっているだろう。
シャワーを浴びて身支度を整えて、おそらくはそのまま、ただ『ただいま』を言う為だけにこの部屋に訪れたのだ。
すぐに自室にでも帰り、胃袋を満足させたのちに眠ればいいものを、それらより先に優先した理由も、知らないわけではない。
ならばと、せめて本が読めるように、相手を起こさぬよう、位置を入れ替え背中に寄りかからせた。そこに非難される謂われはなく、むしろ老人は眼前で不貞腐れる青年の犠牲者だ。
「貴様がおらんからだろう。まったく、間の悪いヤツだ」
帰ってきてて、真っ先に顔が見たかった、なんて。きっとそんな思いは、この少年にとっては幼かった日にしか存在はしなかっただろうに。
…………この弟子には、永遠に存在する筈のなかった事であろうに。
おそらくは互いに自身がそうして存在を求める事も、願う事もないと思って生きてきたのだろう。だとういうのに、それを見つけ、あまつさえ手にした。奇跡のようなものだ。
だから、か。……………どうも彼らは辿々し過ぎて、周囲の方が溜め息が出る。
「………………俺がって、なんの話さ」
知られていないと本気で思っているのか、あるいは知られたら共にいられないと思い込んでいるのか、青年の声が微かに固い。
背中に寄り添うぬくもり程度に、素直になればいいものを。
もっとも、この弟子が馬鹿正直に自分に全てを話すなどある筈もない。どこまでも背伸びして、育てる腕を安堵させたがる、成長途中の子供と同じだ。
「別に何も言うとらん」
仕方なく素っ気ない声で告げてみれば、苦虫を噛み潰したというに相応しい顔で青年が睨んでくる。…………むしろそれは、拗ねているのだろうか。
あるい、は。…………手放す事を示唆されるとでも思い、怯えているのか。
どれであれ、その程度の事を恐れながら何かを望むなど、自分達の生業の特殊性上、あるべきではないだろう。そんな中途半端な思い、いずれは自身だけでなく相手すら殺す刃になる。
「情けない顔をするくらいなら、選ぶべきではないがな」
冷淡に響く声は、眠る子供には解らぬよう、互いにしか読み取れぬ異質の音で響いた。
それに目を丸め、青年は苦笑をのぼらせる。……意外な仕草に、老人は微かに胸裏で驚きを思う。
「違うさ。ジジイが思った事じゃ、ない」
同じように、互いだけがわかる言語で告げてみれば、老人の眼差しが玲瓏に光った気がした。
解っていると告げるその音が、どれだけ重い制約となるか、理解した上での言葉だと、教えるように返す眼差しは揺るがない。……それに、ほんの微か、老人がほくそ笑んだ気がした。
あまりに一瞬過ぎるその笑みはまるで幻影のように掻き消えてしまい、事実かどうかすら、解らない程だったけれど。
それでも、解っている。この老人が背中を貸す程度には、少年を気に入っているのだ。
どんな人間を相手にしても、その腕が己を傷つけ殺す可能性を必ず考えろと、常に自分に教え育てた小さな背中。
それが誰かにぬくもりを与える様は、どこか滑稽な喜劇だ。
「ほう?ならばなんだ」
からかうよりは重く、強いるには軽く、老人が問う。
それに辟易とした風に顔を歪めてみせれば、今度こそ老人吐くつりと笑った。
「…………………、誘導尋問じゃんか」
彼の背中、少年が微かに身じろいだ。それをあやすように少し頬を向け、目覚める程ではないと見極めて、老人は眼差しを柔らかく彩る。………まるで、どこにでもいる好々爺のようだ。
そんなものを見せつけておいて、その上での、問答か。意地が悪いと、溜め息も吐きたくなるというものだ。
「引っ掛かる方が悪い。まあ答えんでもいいが、そのままアレンに筒抜けになるがな」
強制する気はないが、もしも少年が問う事があれば、それはそのまま伝わるだろう。当然だ。自分達は、記載された事実を過たず告げる為の存在する生き物だ。
楽しげな笑みを皺の寄る唇に乗せた老人の声に、青年は慌てたように目を見開いた。
こんな中途半端な問答、思慮深い少年が聞いたならば曲解して身を退けかねない。彼はどこまでも、自身が誰かの枷になる事を恐れる。………その頬を彩る呪いが、他者にまで波及する事を厭うように。
「な?!それ、脅しさ!?」
「声を控えろ、起きるぞ」
必死に言い募ろうとするその声の甲高さは、子供のようだ。制御も出来ないその様に、老人は呆れたように諌めの言葉を投げかけた。
折角眠っているのだ。この呼気が健やかに響くのは、せめてあと少し、彼の回復が成されたあとでなくてはいけない。
それくらいは承知している青年は、慌てて口を噤んで息を飲む。もっと怒鳴りたい言葉はあるけれど、それのせいで少年が起きてしまうのは避けたかった。
「う…………。はぁ………ジジイ、性質悪いさぁ」
どうせそうした反応全て、知った上での言葉だ。見透かされているのは今更だけれど、隠し事など一つも出来ないのだと思い知ると溜め息も出た。
「おぬしほどではない。で、どうした」
肩を落として呟く青年に、相変わらずの声で老人が問う。記載を聞くのとは違う、微かな親愛を滲ませる音色は、多分、幼い頃から育てた次代への愛着、だろう。きっと当人も自分も認めてはいけないものだけれど。
それでも、もしもこの音色を聞いていたなら、鮮やかに微笑み愛おしむ真っ白な人を、知っている。
その唇が紡ぐ優しさが、世間知らずの甘やかさではなく、過酷さも非情さも知り得ているからこその慈悲で、恵み深く注ぐ慈雨の恩恵も、知っている。
この身はその豊かさに、満たされた。いらないと捨てる筈だった心が、どこまでも深く広がる事を教えられた。
「………………選んだ事、後悔なんか、する気はないんさ」
それはきっと、この先の未来で必要な事だ。この教団から立ち去り、世界を再び根無し草のように廻り、記録を刻む為の生に邁進する。
おどろしい世界の裏歴史。刻むには、血を吐く以上の痛みを抱えなくてはいけない。全てをただ、見つめる為に。どれ程伸ばしたい腕も、伸ばさず中立を保つ為に。
その最中、心壊さず慈しむ世界を思うなら、汚泥の中の蓮の花を見つめるように、尊いものをこそ心に寄り添わせる瞳を持ち得なければ、立ち続けられない。
それを教えてくれたのも、自分の中にそんな柔らかく柔軟な部分がある事を気付かせてくれたのも、たったひとりの人だ。
その腕を選んだ事も、添えられた指先にあふれた涙も、悔やむ事などこの先永遠に有り得ない。
それ、でも。…………喉が焼けそうな思いだって、溢れはするのだ。
「ただ、アレンは俺に、そんな風に無防備じゃないし」
いつだって優しくて、受け入れるように微笑んで。我が侭を、きっと言っているだろうに、困ったように笑うだけで、叶えてくれる。
ただ、それだけで。………少年がこんな風に傍らで眠ってしまうような、そんな安堵を与えられているなんて、思えない。
それが悔しい、なんて。自分に真っ先に会いに来て、甘えて欲しい、なんて。やはりこれもまた、我が侭、だろうか。
「アンタみたいに、上手くアレンの事、甘やかしたり安心させたり、出来んし」
噛み締めそうな唇をどうにか堪えて、それでも顰めてしまう眉をなんとか笑いに誤摩化してみる。………きっと滑稽な、ピエロのような笑み。
それを見つめる老人の隈取りの奥の眼差しは、相変わらず揺れる事もなく深い思慮の奥底に鎮座したままだ。
「…………俺が、アレンから貰ったもの、アレンが同じように受け取ってくれればいいのに」
飲み込む呼気さえ、情けない。この老人の前では、いつだって自分は赤子のようだ。
こんな物思い、抱えているなど失笑されるだけだろう。それでも音に換えたのは、自分自身で噛み締める為だ。こんなもの、懺悔にもならない。
「阿呆」
思い、戦慄きそうな拳を握り締めれば、響いたのは心底呆れたような老人の一言だった。
「んなっ?!」
解らなくもないけれど、それでも言って欲しくない言葉くらい、ある。的確にいつだってそれを示す老人に、牙を剥くように声が洩れた。
それさえ聞き流した老人は、深く長い溜め息を落とす。それはこんな相手を選んだ背中の少年の気がしれないと、言いたげだ。
「黙って聞いとればなんじゃい、情けないだけの泣き言かい」
仮にも少年より年上で、お兄さん面をして世話を焼く癖に情けない。言外にそう響く声に、そこまであからさまにバレていると突きつけられた青年の顔が赤く染まる。
「し、仕方ないさっ、アレン、抱えるばっかで分けてくんねぇもん!」
それならせめて、頼っていいと、甘えて欲しいと、教えるように言い顔を見せるしかないではないか。どんな事だって、彼の支えになりたいし、笑みの源になりたいと祈っているのだから。
情けないけれど、それくらいしか彼の為、出来る事が解らない。人に深く関わるなんて、少年が初めてで、拙過ぎるこの腕で出来る事はどこまでも滑稽だという事くらい、解っている。
そう告げる声に、なお呆れたように短く息を吐き出すと、老人はひたと青年を見上げた。………背中のぬくもりは、未だ健やかな寝息を途切れさせてはいない。
「なら、何故ここにアレンがいる」
「へ?」
「疲れて、腹も減っていて、それなのに何故、誰も居ない部屋の中、アレンが寝てた」
一人他者の部屋に入り込む事だって、おそらくは躊躇っただろう。本や書類に満ちたこの室内、目に入る情報が知っていい事か悪い事か、それすら考えて。
出来る限り小さく丸まって、何も見ないように目を瞑り、そうして待ち続けて……眠ってしまったのだろう。
部屋の外で待っていれば見咎められると思ったのか。自室に戻る事も食堂に行く事も選ばずに、待てば必ず舞い戻る筈の場所で、ただ待っていた。………どれ程時間が掛かるかも、解らないというのに。
その言葉に、青年が息を飲んだ。丸めた垂れ目が瞬く事も忘れて、老人の背に隠れる白い髪を移す。眠りに落ちたまま動かない、白い頬が微かに覗けた。
「…………え、ジジイが入れたんじゃ、ないん?」
「わしがいたら即追い返すか食堂に連れて行くわ」
呆然と呟く声に、老人は素っ気なく返す。体調を万全に整え、戦いに備える。それがどれ程重要な事か、知らぬエクソシストはいない。
「それでもアレンはいた」
その意味を理解しろ、と。老人の声が静かに響く。
掠れた老人の音色に乗るように、微かに少年の呼気が重なり響く。健やかな寝息は、いとけない寝顔とともに穏やかな時間を教えた。
それを見つめ、青年は唇を噛み締めるようにして泣き出したい衝動を堪えた。
何も持っていないこの両手を伸ばして、愛しいのだと、教えて。答える事など有り得ないと思っていたのに、笑顔を差し出してくれた人。
「…………ジジイ、代わって」
小さく呟いて、そっと怯えるような指先で薄暗い室内でも真っ白な少年の髪を梳いた。
無言のまま青年を見遣った老人は、あからさまな嘆息を吐き出したあとに、少年の身体が揺れぬように支え、身をずらす。
その隙間、少年を抱き込むようにして、青年が入り込んだ。
まだ、惑う指先だ。手に入れ掴んだものの眩さに、戸惑っている。
…………それでも。
縋るのではなく、包むようにその指先は少年の髪を撫で、眠るいとけない身体をあたためるように腕に抱く。
泣きそうに霞む眼差しも、戦慄きそうな唇から洩れる呼気も、その意味を知っていて、知らないが故だ。
思い知ればいい。己で思う以上に、捕らえている事を。
それを知り、その罪深さに怯える事なく、その指先を掴めばいい。
世界を知り、愛おしむそのぬくもりを守る意味を。
刮目し、刻め。それを示すその意味すらも、咀嚼し身に貯えろ。
今はまだ、爪先程しか触れ合えない、戸惑いと躊躇いの指先よ。
……………眠るその身を腕に抱き、己の性を、受け入れよ。
本当はね。 キリリク『ラビアレ+ブックマンで、付き合い始めたばかりの初々しい二人』というお題でね。…………初めに書き始めた小説はこちらだったんですよ。
でも可愛げないし。初々しくないし。なんだよもう!とか思い(オイ)
結果、これの続きとして『指先のもう半分』(アレン編)が出来上がったわけです。
休みの日でなければ出来ない無茶っぷりでしたね!まあそれはそれで愉快。
どうぞkikoさんアレン編でもラビ編でも、お好きな方を。むしろセットでも!!(汗)
ご自由にお持ち帰り下さいませ。リクエストありがとうございました!
11.2.11