進む先が同じなど、思わない
同じがいいなんて、思わない
互いが違うからこそ尊いと
………同じではないからこそ、愛しいと
そう、教えてくれた
その歩みを、見届けたい
愚かに願った、ただ一つの我が侭
1:あなたの歩み
現状が最悪だという事くらい、解っていた。それでも溜め息は限りなく吐き出せるのだと、青年は改めて思い知ってしまう。
それが顔に出てしまったのだろう、目の前にいる師は、呆れたような眼差しで溜め息を落とした。
「……………何をそう苛立つ」
「解ってて聞かんで。ったく、あんたも質悪いさ」
ムスッと顔を顰めて、子供のようだと解りつつも青年は机の上に上体を投げ出した。腕の中、口元を隠すように顎を埋めるが、逸らした眼差しだけでも不貞腐れているのが師にはバレただろう。
いっそこちらこそが溜め息を吐きたい。そう思った青年の耳に、しれっとした老人の声が響いた。
「なんの事だ」
まるで素知らぬ風の声に、忌々しげに青年は目を向けた。睨んだ先の老獪な師は、相も変わらずこちらを見る事もなく手元の書物を読み進めている。
目が文を追う事もなく、読み取った画面そのままを瞬時に理解し分析及びカテゴリー分けを行なう。その匠の技は今だ自分が彼に追いつけいないでいる最大の部分だ。いずれは同等にはなるだろうが、それでもこの師に自分が勝るものを携える事を想像が出来ない。
それくらい、この老人の教えを乞う立場にあれる事を、感謝している。が、同時にその立場であるが故の痛みに、青年は顔を顰めた。
「………アレン、わざと選んだんさ?」
微かに低く、青年が問う。その声は偽りを嫌う青さに満ちていた。
隠し切れない己の心情に気付かない弟子を見遣り、老人は胸中で溜め息を吐いた。まだまだこの弟子はしごくべき部分が多々あり、とてもではないが代替わりなど考えられない未熟者だ。
…………その最たる部分は、あるいはこの会話自体かも知れないけれど。
「言っておくが、護衛はあやつが望んだ事だ」
告げる声は、いっそ冷徹だっただろか。また青年の眉が顰められ、視線が逸らされる。
それは、老人を厭うというよりも、それを理解し受け入れてしまう自身を厭うような、そんな潔癖な反応だ。それが当たり前だと知っていた筈の青年の中、生まれ始めたその変化は、吉兆か凶兆か、未だ断ずるには至らない微々たるものだった。
老人は青年の仕草とその声の質、言葉の抑揚までを寸分違わず記録しながら、試算する。幾度となく繰り返した行為だが、やはり今回もまた、どちらだと決めるには足りなかった。
まだ、あまりにこの弟子は成長途中過ぎる。いくらでも良くも悪くもなれる可能性を秘めているが故に、そこに加えられる材料がどう影響を与えるかが未知数だ。
「でもあんたなら選べた筈さ」
それを解っていたからこそ、己自身で関わる全てにラインを引いていた筈の青年の、息苦しそうな音に老人は微かに隈取りの奥、その眼光を細めた。
…………この弟子は、無垢だろう。そして、そうであるが故に、盲目にもなる。
それは危うい均衡だ。情が通わぬ中であれば見据える事の出来る情報を、知らず目を逸らし足蹴にしてしまう。
「選んで欲しかったか、他を」
「…………アレンが俺のせいで怪我なんて、御免被るけど?」
腕の中、埋めていた顔を持ち上げ、見遣った眼差しは鋭かった。苛立たしげに掻き上げた赤い髪が、揺れそうな翡翠に映り、微かに剣呑だ。
それを見つめ、気付かない青年にそっと囁いた、紡がれゆくべき情報。気付くか気付かないか、見据える老人の眼差しは揺らぐ事なく青年を映した。
「同行せずとも、あやつは任務に駆り出される。元帥に次ぐ同調率、おまけに方舟の奏者だ。重宝されるな」
皺の寄った唇の紡ぐその事実に、忌々しそうに青年の顔が歪む。
それらはどうしようもなく覆しようのない事実だ。そしてあの少年は白い光を身に纏い、汚濁に塗れた世界を颯爽と駆けていってしまう。……傷も痛みの穢れも、気にもかけずに守るべきを守る為に。
それが嫌だ、なんて。きっと自分の身勝手なエゴだ。解っていても、それを押さえ込む事など出来る筈もない。
噛み締めた唇が噛み切れそうだった。それをなんとか押さえ込み、震える唇を青年は開く。
「だからって、なんでアレンばっか…………ッ」
………声もまた、震えていた。情けない子供の泣き声のような音に、顔を顰める事も出来ない。ただ渦巻くものを押さえ込むだけで、精一杯だった。
それが解るのだろう、老人は呆れたように息を落とし、手にした書物の角で軽やかに青年の頭を殴った。
「口を慎め。お前に何が出来る」
痛みに呻く声も無視をして、そっと大切な書物を再び手繰る皺の浮く細い節だった指先は、繊細な程滑らかな動きだった。
それを見つめ、痛みに浮かぶ涙を飲み込みながら、青年はその動きが優しくて好きだと、笑った少年の顔を思い出す。
優しいのは、そんな風に受け止め愛でる事の出来る少年自身だ。思い、青年は唇を捩じ曲げて駄々を捏ねるように呟く。
「出来ないから嫌だっつってんさ」
「…………阿呆。それ以前の問題だ」
小さな呻きに、老人は嘆息した。何故解らないのだろうと、考える事自体が愚かだろうか。
あの少年を知り、現状の情報を獲得し、そうして今回の同行を願い出たという事実を掛け合わせて、その答えを見出せないのは、最早愚鈍を通り越している。いっそ凶悪な無知だ。
自然、書物を写し取る老人の眼差しが、微かな険を孕むように鋭くなる。が、それもまた、青年ですら気付かない程微細なものだった。
「小僧の方が余程肝が据わっとる。お前はまだまだヒヨッ子だ」
呆れたその音の響きに、食って掛かるように跳ねた青年の身体。もしも相手が師でなければ、胸倉ぐらい掴んだだろうか。………だから青いのだと、老人は未だ自分達一族の歩む道に徹せない甘い青年を見つめた。
「んな事解ってるさっ!だからって…………!」
「望んだ、と言った」
悲鳴じみた微かな甲高さに、覆い被さるように鋭い呼気で発された、正しい発声による力強さに支えられた静かな声が切裂くように響いた。
あっさりと掻き消えた自分の声に、驚くよりも面白くないように顔を顰めた青年は、老人の告げたその言葉を一瞬聞き損ね、脳内で再生するようにして聞き取った。その僅かなタイムラグの意味を理解しているのだろう老人は、隈取りの奥の瞳を一度落として間を与える。
「………………?」
が、理解し切れなかったらしい青年は、眉を顰めさせて続きを乞うように目を向けてきた。
…………………本当に世話の掛かるヒヨッ子だ。
「奇怪があるわけでもない道中、AKUMAが現れるかも解らない」
一つずつ紐解くように、静かな老人の声が綴る。
「AKUMAを救う事を第一にするあやつが、望んだ」
言葉を誤る事なく咀嚼しろと、静謐の中の気配が鋭く青年に突きつけた。それはきっと、目を逸らすなという、無言の戒めだ。
思い、青年は目を見開いた。………やっと、飲み込む。それらの事実の中、紡がれてしまう、解答を。
呆然とした青年の顔に、漸く理解したらしい間抜け顔だと、老人は肩を竦めるようにまたページを捲った。
「その意味も解らんお前が、ギャーギャーと喚くな。鬱陶しい」
そっと囁いた言葉は、多分、不要な言葉だっただろう。解っているが、それでも添えたのはきっと自分の未熟さだ。
思い、弟子を扱き下ろせない程度には自分もあの光が消える事を痛ましく思う現実に、老人は微かに笑った。
「………………ジジイ、アレン、キツい?」
微かに俯き、その顔を隠した青年が問い掛ける。それを問うのが師に対してである事の違和など、きっと彼は感じていないのだろうと、老人は呆れた眼差しを向けた。
「知らん。想像したところで、それは事実ではないからな」
冷たい程に素っ気なく返された言葉は、あまりに当たり前過ぎる言葉だ。
それに青年は唇を噛み締める。…………そんな言葉が紡げるくらい、この老人は既に理解し、あの少年に関わっていたのだ。
呆然と、たった今思い知った現実に惚けた頭を抱える自分など、足元にも及ばない思慮だ。
「任務に就けない、くらい?」
拙いまま呟く言葉の無意味さくらい、解っている。それでも飲み込み腹に抱えるには、爛れそうな程にそれは痛い。
笑っていたのだ、あの少年は。なんて事はないように、ずっと。隣で戯けて話す自分に、いつもと変わらず朗らかに明るく、ほんの少し控えめに、笑っていたのに。
どれ程のものを、抱えていたのだろう。自分にも気付かせない程綺麗に微笑んで、その裏で、見えぬ刃に刻まれた傷は、どれ程の血を流したのだろう。
考えれば、息が詰まりそうだ。意識的に呼吸を整え、青年は枯渇した喉を潤わせるように唾液を嚥下した。
そんな稚拙な仕草を見据え、本へと落とした視線を微かに眇めさせて、老人は拙い弟子に最後の情報を与える。
「言われてあやつが断る筈はない。今回の同行を打診したのは、室長殿の心遣いだ」
「…………………」
「最近、多くの事が起こりすぎる。………これは、前座であろうがな」
肩すら縮こませるように、椅子の上丸まる図体の大きな子供を、老人は呆れたように眺めた。そのまま痛みを思い殻に閉じ篭るなど、許される筈がないと思い知るべきだろう。
自分達が痛む事は許されない。そしてそれは同時に、自分達以上に痛む存在がいるからこその、現実だ。それらを記録するものが、彼ら以上に傷を負っているなど、吐く愚かさを晒す事は許される筈がないのだ。
どれ程凄惨な記録を刻もうと、痛んではいけない。正確に記載し、後の世に語り継ぐ。それを選んだものが、この世の痛みに涙など、流してはいけない。
それは、世界で懸命に生き世を紡ぐ、記録すべき命達にのみ許された行為だ。
「………?どういう事さ」
「歴史が大きく動く時、それは一瞬だ」
多くの波を見つめ、それらを記録して来た老人の瞳が無機質に光る。記録者の、冷徹な眼差しだ。
それに晒された青年は微かに息を飲みながら、師の言葉を見つめた。
「数年も掛かる事はない。変革は、たった数日で可能だ」
老人の声は、いっそ静かだ。そして、淡々と事実のみを語る。その先の言葉を予測する自身の癖が、今程忌々しく思う事はなかった。
そうして噛み締めた奥歯の音が響くのと同時に、老人の言葉が青年の耳に触れた。
「それらが巻き起こる時期、必ずそれに関与する人物の周囲は動乱が起こる」
「………アレン、が?」
「ただの憶測だ」
震えるように響く青年の声に、涼やかに老人の音が響く。
まだ何一つ確証などない、水面下の動きだけの状況だ。手に入らない情報も多く、推測する以外に術のない事実ばかりだ。
それでも確信に似た思いで、それらの中心に鎮座する人物が、真っ白な光を纏い佇んでいる。
「そうなれば、小僧は記録対象第一候補だがな」
「…………………………っ」
解っていた答えに、青年は息を飲む。引き攣る喉が悲鳴をあげかけて、押し止める為に引き結んだ唇は、滑稽な恐怖の顔だ。
見なくても解るその状態に笑う気も起きないくらい、苦しい。………苦しいのだ。
あの少年を、記録する。解っていた事なのに、その覚悟もしていた筈なのに、胸が軋む。その理由を知らないわけがない。
同様に勘づいている老人は、わざとらしい嘆息を落とし、睨んだ。
「情けない顔を晒すな。貴様は何を継ぐものだ」
玲瓏な、音。何を置いてもただ一つの為、生き続け紡ぎ続けた命だ。それを尊敬こそすれ、疎ましくなど思わない。そんな事を考える事自体、唾棄するに値する。
そう、自分に告げた。問うのではなく、そうであるのだと、確認した。
「解って、いるさ。ちゃんと…………記録くらい、する」
情けないくらい、何も出来ない自分だ。しかも今はイノセンスさえ修理中で、戦闘となれば確実に足手纏いである事が解っている。
だから、出来る事を、やるべき事を見誤りはしない。拒むような愚かさも、持たない。………けれど、同時に擡げた思いが形作る言葉もまた、青年は問いかけではなく、小さく音と変えて呟いた。
「でも、記録以外の時間まで、くれてやらんでもいいさ」
呟きは、微かでありながらも震えずに響いた。
「……………アレンをアレンとして見る事は、止めない」
ひたと見つめる翡翠が、老人の眼差しを射抜く。何を言われようと、覆さないと告げる眼差しに、老人は呆れたように吐息を一つ落とし、また書物に目を戻してしまった。
それに意外そうに青年は目を瞬かせ、顔を顰めた。この師が無視をする筈がない。許されないと定めれば、どんな冷たい言葉でも自分に投げかける筈だ。
にもかかわらず、老人は何も言わない。是も否もなく、ただ受け入れるとように受け流した。
「……………………………、怒らんの、ジジイ?」
困惑に、つい問い掛けてしまう。たとえそれに対して諦めろと言われても頷ける筈がないのに、それでも問うのはきっと、自分の弱さだ。
それが解るらしい老人は、また溜め息を落とした。そうしてページを手繰る指先と一緒に、その嗄れた声を落とす。
「支障が出ないならばな」
あの少年が青年に寄りかかる筈もなく。己を奮い立たせ、より先を歩むだろう幼い背中を眺める事になる確率の方が、ずっと高い。
その背を追う分には、自身の研磨という点に置いて、有意義だ。そう教える声は、それを言い訳に許せる事に安堵する響きがあった。
「………………………………………………。ジジイ、アレンに甘いさ」
それを聞き分けられる青年は、辟易としたような顔で息を吐き呟く。あの少年と仲がいいのは知っているけれど、それにしても自分はともかく、この師すらもその未来が明るいものである事を祈り支える腕を望むなんて。
今までなら、有り得なかった。それがこの教団の中で培われてきたものなのか、あの少年によって開花したのか、解らない。
解らないけれど、あの少年に甘い老人の事は、嫌いではなかった。
「厳しくして欲しいならいくらでもするが」
ちらりと窘める眼差しが、微かに光って青年を射る。………確実に、その対象が少年ではなく自分である事が解る眼差しだ。
それに降参するように慌てて両手を上げて首を振り、いつもの戯けた声で青年は答えた。
「嘘です、ゴメンナサイ」
普段のスタイルを思い出したらしい青年に、老人は胸中で溜め息を落とす。まったくもって、どこまでも世話の焼ける弟子だ。
いつまでも殻を被った雛でいられては困るというのに、なかなか彼の精神は柔らか過ぎて痛み易く、染まり易い。
思い、老人はそれらを凌駕し立ち上がる事の出来る、真っ白な少年の纏うイノセンスを思い描いた。
「どのみち、我らの道に、あやつは必ず関わる。お前とて、それは予感しているだろう」
そして、それはおそらくはこの先の過酷さを増す状況の中で開花する出来事だ。その時自分達がどの立場にいるか、解らない。解らないが、それらは全て、この青年に多大な影響を及ぼすだろう。
気を引き締めて事に当たらなくてはいけない。そう教える厳粛な音色に、青年は微かに寂しい笑みで答えた。
「……出来れば、そんなんじゃない運命の糸、なら嬉しいさねぇ」
「たわけた事を抜かして小僧に呆れられんといいな」
戯けきる事も出来ずに演じる意味などないと、一刀両断した老人の溜め息付きの言葉に、青年は苦笑する。
解っている。永遠に寄り添うなんて、不可能な立場だ。…………それでもほんの微か、夢を見たくもなるのだ。
「キツいさねぇ。まあ、いいさ」
思い、青年はそっと目蓋を落とした。思い描くのは、優しい少年の幼い笑顔。
隣にいて、それを与え続ける事が、いつまで出来るか、解らない。それでも出来る事ならずっと、彼が笑みの中生きてくれればいいと、思う。
「とりあえず、まずはアレンが笑えるようになる事、かね」
全てはきっと、そこからだ。
何が出来るか、何が許されるか、制約の多いこの身には限られた腕しか差し出せないけれど。
それでも彼が笑えるように、考えてみよう。…………守られるという立場に甘んじなくてはいけない身では、あまり格好はつかないけれど。
せめて、彼が今までのように笑い怒り、前を進めるように。
この腕が、彼を支える礎の一つに、なるといい。
そう、祈り、青年は喰えない師に、笑った。
ラビアレ……というか、ラビ→アレを書いてみたくて。
いや、書いてみたいというよりも、初期に舞い戻ってみた、かしら。
初めの頃はずっと一方通行だったよな、と思い。まあアレンにバレていた上での、一方通行でしたが。
成就よりも、慈しみを優先するような愛情が書いていて好きです。そのおかげで大分ラビがへたれていますけど、いつも(苦笑)
そのせいか、ブックマンを書くとラビアレよりも甘くなります。ご高齢者は惜しみなく愛情を注いでいいと思うんだ!子供はそれを一杯受けとスクスク育つといい。
同じように、ラビも育つといいです。……と何度か書いている気がするので、まったく成長していないようですね。
カッコいい兎を書くのは難しいですよ。←ブックマンならいくらでも素敵に書こうとしてしまう自分の意識もどうかと思いました(笑)
11.4.2