たとえば

微笑みかけてみる
手を差し出してみる
優しい言葉をかけてみる

簡単で単純で、容易く人に取り込める
その手法

自分の笑みの、唇の角度から目の細め方
綴る音の高低から響きの余韻まで
全部、計算して晒せる

だから、初めに、見せて

笑顔も憎悪も涙も嫌悪も
一番、初めに、記録させて

他の誰かのあとなどでは、なくて……………




地鏡のように。1



 宿の部屋はどこに赴いても質素で簡素だ。
 どのみち眠る為にしか使わない場所だ。凝った作りである必要もないし、基本みんなで雑魚寝だ。それを考えれば、今回のように3部屋も使うのはむしろ贅沢かもしれない。
 そんな事を考えながら、別室にいる真っ白な少年を思い出し、青年は背中合わせに新聞を読んでいる老人に声を掛けた。
 「なー、ジジイって、アレンの事気に入っているさ〜?」
 「唐突になんだ」
 確かに何の脈絡もない言葉だ。けれど、それならば老人は黙殺するのが常だ。が、今回は違う。その言葉の根拠を彼自身が自覚しているからだろうか。
 思い、少しそれが面白くて、青年は唇を笑みに象った。
 「んにゃ、さっき、食堂でわざとアレンに多めに飯いくようにしたさ」
 旅暮らしで経費の管理も年長者の老人が担っている。当然、宿の手配から食事の手配まで、だ。その大部分の雑用は自分が押し付けられるが、忙しい日や戦闘のあった日、老人は必ず何を言うでもなく少年に数品多めのおかずを付けている。
 初めこそ困って辞退したり、みんなで食べようと申し出ていた少年だが、それに乗るのが青年一人の上、それを窘められてしまうオチまで毎回一緒では、有り難く受け入れるのが一番いいと理解して喜んで食べている。
 見ていて気持ちいい程、あの少年はよく食べるのだ。勿論、食べないでもいられる事はいられるようだが、そうするとどうしても集中力や馬力が落ちる。
 戦闘となればそれが命取りになる事もある。だからこその配慮と、こっそり少女が少年に耳打ちしていたのを思い出した。
 「あやつは寄生型だからな」
 しれっとした動揺の欠片も見せない老人の声は、相変わらず平淡だ。あの少年に掛けるいたわりの声には、時折本当のぬくもりが混じる癖に、この老人は昔から食えない狸のままだ。
 「それだけじゃない量だったさ?」
 クスクスと笑ってみれば、背中の気配は呆れたような、鬱陶しがるような色を窺わせる。きっと老人にしてみれば解っている事を引き延ばす自分が面倒臭いのだろう。そんな事に時間を使うならば、少しでも多く記録をしろと言いたいに違いない。
 解っているというように、新しい新聞に手を伸ばす。記録も怠っていないと示せば、やはり呆れたような吐息が聞こえた。わざとらしいと思われたようだ。
 これが自分でなくあの少年だったら、もっと違う対応をしただろうにと、クツリと喉奥で笑った。
 思い、脳裏に蘇る。………少女が教えた時に、そっとこの老人を見つめていた、少年の眼差し。
 柔らかく透き通った、まだあたたかなあめ玉のような綺羅やかな瞳は、月明かりのように静かに輝いていた。
 考えてみると、それを見てから随分、あの少年に構う時間が増えた気がする。………初めて見たあの目を、もう一度記録としてきちんと残したいという欲求だろうか。
 珍しい欲求だ。一度記録すれば更新されるまで欲しがる意味もないのにと瞬く眼差しの先、揺れた文字を補正して読み取る。
 その文字を追う瞳からは切り離された聴覚が、老人の音を拾った。
 「何が言いたい」
 その声に、会話が繋がっていたらしい事に気付く。否、驚く、だろうか。老人がそれを続けるとは思わなかった。
 それはやはり、あの少年の話しだからだろうか。考えながら、青年は皮肉に唇を歪める。
 「だから気に入ってんなぁって思っただけ。………やっぱ、予言の子だから?」
 お人好しの好々爺のふりをしても、結局その源に横たわるのは自分と同じ、この業深き使命だ。
 より深くそれに穿たれている老人が、まるでそれを知らない少年にあんな眼差しで見つめられるのはおかしな話だ。
 いつか、あの少年はそれを知って、今までの人間達のように嫌悪と憎悪の眼差しで自分達を映すだろうか。
 …………それもいいかも知れない。あの綺麗な眼差しが、浮かべる事を想像するのも難しい感情を落としたなら、きっとそれは初めての色だ。そしてそれを告げるのが自分であれば、初めにそれを記録出来る。
 もしもその可能性が目の前に転がっていたなら、素知らぬ振りをするのは難しい、誘惑だ。
 そんな暗い光を、一瞬垣間見せた翡翠が見える筈もない背中側の老人は、わざとらしい溜め息を一つ落とし、手にしていた新聞を畳むと次の雑誌を手にした。……まだ自分のノルマはいくつも残っているのに、老人はそれより多かった量を既に読み終えたらしい。相変わらず化け物じみた早さだ。
 「解っているならわざわざ確認をするな」
 手にした雑誌を開くのと同じタイミングで、老人が呟く。それはどこか、牽制めいた声だ。
 ………まるで自分の方こそが捕われる可能性があるような声に、青年はクスリと笑う。
 「俺も気に入ってんよ、アレン♪」
 明るく弾む声は、けれど無感情の音だ。わざと紡いだその音色が、彼の心配が杞憂だと知らしめるだろう。
 それに、微かに老人の指先の、ページを手繰る音が乱れた。 
 「……………」
 沈黙に隠された真意は読み取れないが、おそらくはまた、ここに来た当初のように揉め事を起こすなという窘めだろう。特に、記録対象になり得る相手との距離は、大切だ。
 解っていながら、青年はクスクスと笑うのを止めず、思い出したいつもの澄まし顔の少年が、子供のように食って掛かる姿に吹き出しそうになる。
 「あいつさ〜、からかうとす〜ぐムキになる癖に、笑いかけるとすぐ絆されんの」
 表情一つで、コロコロと変わるのだ。しかも、こちらが意図したように。かと思えば、意外なところで大人びた対応をしてみせたり、逆にこちらを窘めたりもする。
 それでも、基本青年が見た少年は、まだ人に不慣れな子犬だ。根本は、誰かに甘えたくて優しい腕に飢えている。ただ、その腕を眺めている事が多いばかりで、擦り寄る事がないのは、きっとその方法を知らないからだろう。
 「見てて飽きないし、面白い♪」
 いっそ教えてみても面白いかも知れない。そうしたら、どんな顔を見せて、どんな態度をとるのだろうか。
 まだきっと、それはこの師も知らない筈だ。ならば自分が初めに記録出来るかもしれない。
 うっそりと笑んで、その愉悦に近い感覚に酔いそうだ。本当に、あの少年は面白い。
 元々子供も動物も眺めているのは好きだ。その両方が混ぜ合わされ、尚かつ節度を保ち己の事は己の責として請け負えるあの少年を、気に入らない筈もない。
 ただ、いつでも切り離せるようにいるだけだ。それだけは自分達にとっての命綱なのだから、明確に、
 「………精々愛想を尽かされんように距離を保つ事だな」
 それを理解している老人は、溜め息のように長く息を落とし、呟いた。
 その声がどこか咎める響きが含まれていて、苦笑する。いくら自分が軽く人と関わり輪に加わる事が得意でも、きちんと境界線くらいは把握している。
 相手の内側に加わる事があっても、自分の内側は常に記録で埋め尽くす。それが生き抜く為の手腕だろう。
 そう老人が教え込み、きちんと今まで自分は履行して来た。確かにこの教団は面白くて、戦士としての記録に心が揺れる事もあるけれど。それでもまだ、大丈夫。十分距離は保てている。
 この距離を保てるなら、心配など無用だ。そして自分は、この距離を壊すつもりはない。
 「解ってるっての、ちゃんと記録しますよ」
 にんまりと、人懐っこく笑ってみせて、その笑みに見合う人の良さそうな声を紡いでみせる。
 これさえあれば、問題はない。基本、教団の人間はお人好しだ。今までの記録地の人間よりは、格段に。
 「どうだかな」
 呆れたような老人の返答に、まだ仮面が彼程うまくないのは承知と、青年はつまらなさそうに唇を尖らせた。いくら自分がどれ程優秀であったとしても、老人程年期を籠めて作り上げていないのだ。多少のお目溢しは貰いたい。
 そんな文句を言おうかと思えば、ドアがノックされる音が響いた。この気配は…まさに今話題にのぼっていた少年だ。
 解ってはいたが、青年はキョトンとした声でドアに問い掛けた。
 「ん?誰さ〜?」
 「アレンです。ラビ、もうそろそろ時間ですよ?」
 案の定返された少年の声に、はたと青年は時計を見遣った。…………確かに、昼食の時に取り決めた待ち合わせ時間になろうとしている。
 困ったような少年の声は、けれどいつもの事だと慣れている。つい記録に夢中になって時間を忘れるのは一度や二度ではない。いい加減、彼もそれを知って待ちぼうける事なく声を掛けてくるようになった。
 「あ、やべ!ジジイ、俺ら午後の情報収集いってくる!」
 慌てて立ち上がり、室内に彼が見ても問題のない書物しかない事を確認しながらドアを開けた。
 別にその必要もないが、取り合えずそのまま放置するよりは心持ち安堵を感じるだろう。このドアという板一枚で、人は印象を変えるものだ。
 思った通り覗けた少年の顔は、柔らかくほころんだ。軽い会釈を自分に、そうしてキョロリと向かった眼差しが、見つけたというように老人を見ると、ぺこりと頭を下げた。………さらりと流れた白い髪の間、同じく白い項が、思ったより細いと思ったのは、初めの印象からずっと変わらない。
 「すみません、ブックマン。お仕事中なのに………」
 躊躇いながら、気を使いながら、それでも少しでも声を掛けたいというようにそっと、少年は音を綴る。
 自分がそれに気付くのだから、老人が気付かない筈がない。読みかけの雑誌からわざわざ顔を上げ、老人は少年に目を向けた。
 「いいって、アレン。ジジイ、じゃーな!」
 多分、そのまま自分が何も言わなければ、老人から少年に気軽い言葉の一つや二つ、送られただろう。けれどもう、時間だ。わざわざそれに付き合う必要もない。
 別段不必要な日常会話の一つだ。削除されても問題はない。団服を羽織りながらドアに大股で向かい、青年は少年の薄っぺらな肩を叩いた。相変わらず細い。あれだけ食べて何故嵩が増さないのか、謎だ。
 「あ、ラビ!もう………、では、夕方には帰りますから。いってきます、ブックマン」
 「すまんな、小僧。そのワンコの面倒も見てやってくれ」
 サクサクと歩き始めてしまった自分の背中に、困ったような少年の視線が注がれる。一瞬の惑いのあと、少年は老人に声を掛けてドアを閉めようとしたらしい。が、それに被さるように呆れた溜め息とともに老人の声が響いた。
 ……………わざと自分にも聞こえるように調整された声の方角に、青年はげんなりと顔を顰める。
 前からやって来る人がいなくてよかった。かなり滑稽な顔だ。
 「あははっ!はい、承知しました♪」
 少年はひどく上機嫌に笑って、弾んだ声で老人に応えると軽やかにドアを閉めて歩を進めた。身長差のせいもあるが、先を歩く青年に追いつくには少し駆けなくては少年には難しい。
 追ってくる気配は嬉しそうだ。あの老人の言葉程度でよくそんなにも気持ちが変われると、首を傾げたい。
 そうしてようやく追いついた綻ぶ口元を見遣りながら、青年は唇を尖らせて問い掛ける。
 「……………アーレン、面倒見んの、俺の方っしょ?」
 何故自分がこの少年にと、微かな咎めに少年を眼差しをあげて、ふわり、微笑んだ。………初めて見る、微笑み方だ。こんな優しい笑みも、作るのか。
 そうして綴った音は、先程老人に向けたものと同じ、明るく弾む柔らかい声音。
 「でもブックマンに頼まれてしまいました。ワンコの面倒♪」
 クスクスと楽しそうな声の響きに、思わずムッと顔を顰めてしまう。なんとなく腹立たしく感じたのは、きっとこの年下の幼い少年のからかいに反発してだ。
 その程度の事で普段ならば苛立つ事もないのに、つい反応してしまったのは、先程まで彼の話をしていたせいだろうか。………それもまたおかしな話ではあったけれど。
 「だれが犬さっ!アレンの方がそうだろ!」
 楽しげに弾む隣の少年の足取りの理由が、老人のほんの少しの気遣いの声のせいである事も、解る。
 どうも彼らは2人して自分をからかう癖がある気がしてならない。それをどうこう言うつもりもなかったのに、なんとなく今は否定の方をとりたくなってしまった。
 不可解な話だ。そんな風に思い、声が棘つかないとように押えながら、唇を尖らせた。少年なら、きっと拗ねた程度に受け止めてくれる筈だ。
 「犬ならラビですよ。性格的に」
 コテンと首を傾げた少年は、子供のように愛らしい笑顔でそんな事を言う。………この笑顔で言われても、小動物系に言われては納得のしようもないと噛み付きたい。
 彼の隣にいれば、自分など野生の肉食動物よりもなお獰猛だろう。そんな事も解らずに愛玩犬を愛でるような柔らかさで自分を見遣る少年の気が知れない。
 「なんか納得出来ないさ………!」
 老人にしろ自分にしろ、随分と気を許し過ぎだ。いつその腕に牙を剥くかも解らない駄犬相手に、そんな風に微笑むものではない。もっとも、そう仕向けているのは自分達なのだから、彼を責める謂れはないと言われれば、それまでだ。
 解っている筈のそんな当たり前の事に、不意に湧いた苛立ちが奇妙で、青年はむうと顔を顰めて腕を組んだ。そんな仕草も、この話題の流れなら不自然ではないだろう。
 思った通り受け流したらしい少年は、そんなにこだわらないでもと言いたげに苦笑してこちらの顔を覗き込んできた。本当に怒っているのかどうか、確かめたいようだ。
 それに小さく笑んで返してやれば、ホッとしたように寄せられていた眉が解かれた。
 「まあそんなものです。あ、でも、そうですね。僕も、犬かな」
 ふとこの話は終わりというその声の調子のまま、思い出したように少年がぽつりと落とした。
 多分、何も青年が反応しなければ、それはそのまま有耶無耶に消えてしまった、そんな言葉だ。が、耳に触れたその単語に、青年は目を瞬かせて少年を見つめてしまう。
 ……………ひどく、それは愛しそうな声だった。
 柔らかな笑みが、その頬を彩っている。懐かしい、愛おしい、切ない、そんな彩りに染められた、泣き出しそうに煌めく銀灰のほころび。
 綺麗な、輝きだ。意外と黒さを持ち合わせていた少年が晒したのは、多分、初めての色。

 なんだろう、この色は。

 何が、彼をこの色に染め上げたのだろう。

 

 真っ白で、けれど黒くて
 その実、灰色にもならない
 そんな無色透明の少年。

 ……………まるで願うように望むように美しく染まった銀灰の色。

 

 探るようにそっと、青年は翡翠を煌めかせた。

 









 無自覚鈍感の罠張り兎の始まりですよ。
 平気……最後までには矯正してやるから………!←目標。
 ただ今回アレンもそんなラビに対抗する為、キツい事平気で言えちゃう子ですので、ご注意を。
 まあより正確に言うなら、キツい事実の言葉を躊躇わない、という事ですが。

 時系列的には元帥探し中、クロウリー城後、です。
 多分ストーリーに合わせて飛び飛びに原作追っていくかと。
 …………さて、今回は何話で終われるかなぁ……………

11.4.9