何が彼の中、彩ったのか興味が湧いた。それは綺麗な光だった。白にさえならない少年の中に添えられた、原始の色。
 先程師が添えた色よりもなお、それは鮮やかだ。………もしも今この会話の中、与えたのが自分なら、面白い。
 灯った原因がなんであるか、考える。会話、仕草、声の抑揚、表情。思い出し、解体する。が、うまく選り分けられたカテゴリーの中に、合致すべき情報はなかった。
 ならばまだ、足りないのだ、情報が。それならば、手繰るなら、会話からが望ましい。先程の会話から糸口を掴めるかと、キョトンとした顔で青年は問い掛けた。
 「?何が?」
 そうして、青年は少年の中、何が転がったのかを見据えるように、にっこりと笑ってその顔を覗き込む。
 なかなかこの少年から情報を引き出すのは、骨が折れるのだ。柔らかな笑顔や物腰に騙され易いが、彼の内面は鋭利な刃物にも似た鏡だ。
 ヘタをすればこちらの情報が写し取られてしまう危険もある。……それはそれで、スリルがあって面白いが、万に一つも盗まれるわけにはいかない情報を多く携える身には、警戒が必要な事は確かだ。
 それでも綺麗に笑んだ少年は、クスリと笑うような仕草で目を瞬かせて、首を振った。
 フルリと揺れた白い髪が、否定ではなく拒否だと、すぐに解ってしまう。…………やはり踏み込ませてはくれないかと、胸中で溜め息を落とした。
 「いえ、こちらの話です。僕も動物なら、犬がいいなっていう」
 「ん?俺と一緒?」
 クスクスとからかう声で言ってみれば、少年はニヤリと唇だけで笑んでこちらを見上げた。
 その笑みの黒さに見覚えのある青年が、これはやり返されるな、と思っていると、少年は黒い笑みを浮かべたまま、さらりと素っ気ない声で応えた。
 「いいえ。まったく無関係の話で!」
 きっぱりと明るい声で言いきった少年に、苦笑が漏れる。
 こちらが軽く応対すれば、同じように彼もそうなる。おそらく、そうして相手の反応を見極める術を、生きる為に身につけたのだ。
 「うわ〜、つれないさ、アレン。同じ犬なら『はい♪』くらい言うさ」
 ただの子供とは少しだけ違うそんなところも、気に入っている部分だ。戯けて砕けた声に、彼も破顔してみせる。
 「まあ嘘でよければいくらでも言いますよ?『僕、ラビと同じ犬がいいですね♪』?」
 「あはははは………心に沁みる声さねぇ」
 げんなりとした声で肩を落として答えれば、少年は楽しそうに笑った。よく笑顔が咲くようになった。それも最近気付いた、彼の変化だ。
 少しはAKUMAと戦う意味を理解したのかもしれない。………否、それは無い。クローリー城で聞いた彼の叫びを思えば、彼はこの先もきっと、同じ甘さを無くさずに生きるだろう。
 …………記録の途中で途絶えないといい。そんな事になったら、面白くない。歴史は正常に紡がれるからこそ、記録する甲斐があるというものだ。
 もしもと想像出来るような、そんな中途半端な時期に消えるようならば、この腕で助けなくてはいけないだろう。
 それくらいなら、許容範囲の筈だ。老人も文句は言わないだろう。
 「お褒めに預かり光栄です」
 ふふ〜ん♪としてやったりといった響きで告げながら、少年は階下に下りようと階段に足を向けた。………そちらに行ってしまうと、階段の向こう側にいる少女には声を掛けられない。
 はてと首を傾げて青年がちょんと、少年の肩を突ついた。
 「あれ、リナリーには声かけんの?」
 必ず出掛ける前には声を掛けてから。それがリナリーが少年に課した約束だ。一体彼女にこの少年がどう映っているのか謎だが、少年も快くそれを引き受けていた。
 まるで姉弟のように仲のいい2人は、物事に頓着しないせいか、室内に二人っきりになる事も珍しくない。一度からかおうと、多少時間が経った頃にこっそり覗きに行ったが、本当にまったく微塵も怪しさがないノリで楽しげに話している姿に毒気を抜かれたものだ。
 男なら、もう少しあの状況で心動かされるものはないのだろうか。若干、彼のそうした部分に不安を覚えたのも確かだ。もっとも、それによって少年自身に不具合もないようなので、敢えて何も言いはしなかったけれど。
 そんな事は知らない少年は、はたと気付いたように目を丸めたあと、申し訳なさそうに眉を垂らした。
 「あ、僕、先に声掛けちゃったんです。クロウリー残していくので、もしよければ近くの公園でお花でも見て気晴らしさせてあげて下さいって」
 何か話したかっただろうかと、階段の中途半端な段差で少年は立ち止まってしまう。
 その背中を軽く押しながら先を促し、ただ気になっただけと解るように隣を歩きながら笑いかけ、話を続けた。
 「ああ、植物園、あったさね。てか、それクロちゃんとリナリーがデート?」
 それはまた、室長にバレたら帰ったあとに恐ろしい目に合いそうだ。顔を引き攣らせかけた青年に、少年は朗らかに笑った。
 「ないですね、それは。クロウリーはラビみたいにリナリーをそういう目で見ませんよ」
 キッパリと言いきったその声に、若干引っ掛かりを覚えてしまう。まるで誰彼構わずのような物言いは、流石に嬉しくない。
 一応、色々と考えて相手は選んでいるのだ。……もっとも、確かにこの少年には情けない姿を見られているのは確かだが、美人に目がいくのは男として当たり前の事だ。むしろただ微笑んで流してしまう少年の方が、不自然だと言いたいくらいだが、多分そんな事を言っても一行の誰一人として味方はしてくれないだろう。
 「人聞き悪いっ!」
 それでも一応と、文句を告げてみれば、解っているというように少年の目が柔らかく細められた。
 ………まるで猫のように笑うと思って、目を瞬かせてしまった。考えてみると、あまりこんな距離で話す事はない。ついいつも少年とは、1歩の距離を保っていた気がした。
 仲良くした方が得策なら、いつも通りスキンシップを交わして慣れ親しめばいいものをと、内心首を傾げる。突然では驚かすだろうが、これからはそれも考慮して関わっていかなくてはいけない。
 そんな思慮とは他所に、青年は笑う少年の声を聞いていた。……耳に心地いい音色だ。あまり普段大きな声を出さない印象が強いが、今日は随分機嫌がいいのか、口数も多い気がした。
 「あはは、あ、でもリナリーが言っていたんですが」
 「ん?」
 不意に思い出したように、パッと少年の顔が輝いた。
 その変化に苦笑しながら先を促せば、輝く瞳のまま見上げた幼い笑顔が、期待を乗せて青年を見つめる。こんな顔をすると、本当にまだこの少年が幼いのだと、思った。よくこれで今まで生き残れた、とも。
 予想する以上に過酷に生きてきただろうに、この少年はそんな事を忘れさせるような言動を零すので、時折彼の過去に関する記録を封じてしまいそうだった。
 そうして見遣った少年は、階段を下りきるとそのまま宿の外の道を指差すように示して、弾んだ声で囁いた。
 「この街の中心の大通りで、結構盛大な市場をやっているそうです!」
 思いの外フロアに響いたその声に、宿の人間が微笑んでこちらを見ていた。きっと観光にきた子供と思われた事だろう。………それはそれで好都合なので誤解に任せておくけれど。
 普段は周囲の視線を少年は気にし易いのに、今は気付いていないらしい。どうも、今日は彼の調子が上手く掴めない日だ。
 とはいえ、よりよい方向に向かっているのであれば、わざわざそれを掘り起こす必要もないだろう。彼は下手に突つくとそこから言葉を飲み込んでしまう悪癖がある。
 形にされなければ情報として蓄積出来ない。無言は、正確さに欠ける情報源だ。出来ればもっと沢山、この少年には話して欲しかった。
 なかなか、彼の声は耳に心地良く、記録する事は楽しい。まるで本当に気のいいお兄さんのように、慕う腕に笑いかけるのも、嫌いではなかった。
 だからまた、いつものように青年は戯けて笑い、少年に瞬かせた目を向ける。
 「へ?そんな情報なん?」
 「はい!だから情報収集してお腹が空いたらそっち行くといいよって、お小遣いもくれました!」
 ほらと見せたのはがま口で、多分中には金銭とともに、領収書を貰う旨も記載された紙が入っている事だろう。子供っぽい年季の入ったそのがま口は、おそらくは少女が幼少期に兄から渡されたものに違いない。
 そしてそれを今度は、そのまま後輩エクソシストに渡したのか。本当に、あの少女はこの少年を気に入っているらしい。恋愛云々というよりは、もっとずっと身近で深い感情でだ。
 「リナリー……姉ちゃんか母親さ…………」
 苦笑してぼやいてみせれば、アレンも同じ苦笑を浮かべていた。彼にとっても同じ意見らしい。が、そこにはにかむような微笑みが添えられている事を見れば、迷惑など欠片もないのだろう。
 むしろ、申し訳ないくらいだと言いそうな様子に、胸中で溜め息を吐いてしまう。どうにもこの少年は、差し出される無償の腕というものに慣れていない。与えると、困ったように凍り付いてしまうのは、今までの生活があまりに荒んでいたからだろうか。
 考え、それは無いと断言してしまう。
 ………少なくとも、知らない筈はない。この少年は、拾われたのだ。貧乏な旅芸人が、なんの戦力にもならない幼子を拾い育てる意味など、そうありはしない。慰み者にされていないのならば、それは無償の腕だった筈だ。
 彼が慕うその養父が与えたものを、彼が忘れる筈はない。
 ならば……と、考えた脳裏に、少年の嬉しそうな声が響いた。
 「まあお金の管理はブックマンですけど。だかさこれ以上はって言ったら、こっそり分けてくれたんです♪リナリーにもお土産買わないとダメですね!」
 ………………柔らかな、音。それを聞き取って、納得しそうな自分に呆れてしまう。
 忘れられないからこそ、か。だからこそ、この少年は惑いながら恐れながら、それでも拒否も否定もせずに差し出される腕を眺め、戸惑い、そっと、微かに爪先を握り締める。
 そのぬくもりをくれるだけで充分だというように、たったそれだけを与えた相手に、こんな風に深く響く音を捧げる。
 少女も老人も、きちんと節度を理解し分を越えぬ関わりをするものだ。そんな相手に捧げるには随分といとけない意志だろう。子供とて、もう少しずる賢くなれるものだ。
 そんな少年を、道化も過ぎると詰るのは簡単だ。言えば困惑の中眉を垂らし、それでも笑んで頷く事だろう。けれど、同時にそれは、永遠にこの少年の傍らから排除される可能性を秘めている。
 仕方なく、青年は腹の内でのたうつモノを飲み込んだ息で押さえ込み、蓋をしきった事を確認してから、息を吐き出した。………その吐息に欠片程も感情が加わらない事を確かめ、唇を笑みに変える。
 たかだか笑う事にこんな風に労力をかけるなど、随分久しぶりだと、胸中で嗤ってしまう。単純な癖に複雑怪奇な少年は、時折こちらの手に余るような顔を覗かせるから目が離せない。いつだって、記録すべきものが眠っているのだ。
 「なんか、アレンのがリナリーとデートしそうさ」
 きっと二人が並んで歩けば似合いのカップルだ。室長が見たら嫉妬でコムリンくらいけしかける事だろう。
 そんな想像をしながら笑って見遣った先、少年はクスリとどこか大人びた顔で唇を弧に変えた。
 「それもないですね。僕もクロウリーと一緒ですから」
 柔らかい音は、変わらない。が、その響きが変わった。
 目を瞬かせ、脳内で二つの音をリフレインさせる。同じ音。けれど、僅かに違う響きは、ほんの微か、後者が震えていたからだ。
 何か彼の中、引っ掛かるものがあったか。思い、自分の問いかけと彼の返答を比較検証してみる。………が、検索結果は思わしくなかった。
 恥じらうわけでも照れるわけでもなく、ただ静かな微笑み。その癖、震えた声。少女への懸想がバレたというならば、もう少しその顔にも兆候が出る事だろう。が、その顔は、先程浮かべたように穏やかで愛おしく、そして…………切なく乞う、笑みだ。
 この場面で出されただけならば、2人の関係性を怪しむが、既にそれは他の場面で記録した。ならば、違うカテゴリーに分類すべき事柄だろう。
 ちぐはぐだ。彼の中、何が声を震わせたのか。声と表情と感情に、共通性が見られない。
 「うん?どういう意味?」
 仕方なく、まるで愚者のように首を傾げて問い掛けてみれば、笑った少年が一歩前に出てしまう。
 細い肩が目の前を流れ、それを追うように白い髪が揺れる。その刹那を瞬きとともに切り取っていると、笑みを含んだ声が響いた。
 「内緒です☆………ほら、それよりラビ、まだ聞き込みしていない場所、どこですか?地図持っているんですから、ちゃんと見て進んで下さいよ?」
 ふふ…と、含み笑うように告げる少年は、明らかにこの話題を終えたがっている。
 踏み込む事はまだ許されない領域らしい。………やはり彼はガードが固い。
 仕方なく息を吐き出し、拗ねたように唇を尖らせながら、その声に乗ってみせた。勝算のない駆け引きは禁物だ。ヘタを突つけば破綻してしまう。
 顔を見せたくなかっただろう答えはもう終わった。ならば隣に並んでも逃げる事はないだろう。思い、青年は前を行く少年に大股で近付いて、その顔の前に持っていた地図を開いてみせる。
 「話逸らしたさ。まーいいけどな。………んっと、あー、じゃあ、こっちの方の外周回りつつ、この道通って中心地に向かうさ」
 キョトンとした少年は一瞬あとに地図を見下ろし眉を顰めた。………彼にとって地図は難解な書物らしい。
 それに含み笑い、トンと、自分達の今居る場所を指先で叩いてみせる。
 ……………まだ、距離はあって当たり前だ。なかなか捕らえ所のない少年は、のらくら躱す事にも長けている。
 やはりもう少しスキンシップを増やす方向で関わっていこう。触れる事に慣れると、人は心も開き易い。そう考えながら、もう既に覚えてしまっている地図を見る振りをして、指先でこれから赴く道を辿って答えた。
 「うん………?」
 けれどその意味を察する事が出来なかった少年は、それでも何かを伝えようとした事は解って、首を傾げた。幼いその仕草に破顔して、青年はグシャグシャと真っ白な髪を掻き混ぜた。
 その思った以上に柔らかな質感に気付き、そんな年下相手には常套手段のスキンシップもしていなかったらしい事に、初めて思い当たった。これでは少年が懐きはしても心を開きづらいのも道理だ。
 苦笑しかけた唇をニッと強かな笑みにすり替え、青年は立てた指先を少年の鼻先に突きつけながら、その意図を教えた。
 「そうすれば調度おやつの時間に市場に着くって事。……行きたいんしょ?」
 「はい!!わー、早くおやつの時間になるといいですねっ」
 途端に輝く笑顔は子供のように弾んだ声に彩られた。本当に食べる事が好きな子だ。もっとも、食べなくては死活問題なのだから、仕方がない事かもしれない。
 もう少し燃費がよければ、彼自身も生き易かろうにと思いながら、スキップでもしそうな足取りの少年に窘めの声をかけた。
 「アレーン、一応聞き込み調査が目的さ?」
 「勿論です!…………とはいえ、正直師匠の情報なんて無い方が平和なんですけどねー………」
 「おーい、アレーン、目が澱んでんぞ。ほら、ふらつくと転ぶって」
 呆れたように繰り返された間延びした名前の呼び方に、頬を膨らませた少年が睨むように振り返る。思った通りの反応に、青年は笑んだ。
 ………年下であっても子供扱いは嫌う少年だ。むくれて読めもしない地図をひったくろうと指を伸ばしてくる事だろう。そうしたら、その腕をとって、ヘッドロックでもしかけてみようか。
 「そこまで子供じゃ……、?どうかしましたか?」
 そのまま文句を綴る筈だった言葉が、途中で消えてしまう。つい地図に伸ばした腕を、即座に気付いて掴んだ青年の指先のせいだ。
 何事だろうとキョトンとした眼差しは、既にむくれていた事など忘れているらしい。
 それに苦笑を浮かべ、青年はその腕を引き寄せ少年の体勢を崩そうかと目を向け………止めた。微かに眉を顰めて、青年はそのままぐいっと少年の右手を持ち上げる。
 いつもは左手同様に手袋に包まれている右手が、最近は素肌でいる事が多い。書類を書く事も任務の一環の為、常にはめる習慣が無くなりつつあるのかもしれない。
 それは多分、悪い事ではない。素のままを晒すというのは、引っ込みがちなこの少年の精神にはプラスに働くだろう。
 …………けれど、それはそれで、不注意が増える事にも繋がるのかもしれない。
 思い、掴んだ手のひらの小指側を、少年に見せた。先程引き寄せようとして見つけてしまったもの、……そこにある細い赤い線。
 切ったばかりらしいその切り口は、まだ乾いていない血がプクリと浮かび上がっているところだ。
 これなら多少痛みがあってもおかしくないが、残念ながら戦闘によって痛みに慣れてしまっている自分達は、小さな傷に気付かない事が多い。
 それでも傷は傷だ。ちゃんと管理しなくてはいけないと、教えるように見せたその手のひらを、少年は首を傾げて目を瞬かせた。

 それに、苦笑が濃くなる。

 彼は見せた傷の意味を、解っていない。
 これだからきっと、あの少女は少年を心配して止まないのだ、と。

 

 青年は小さく胸中で息を吐き出した。

 








   


 初めはね、前後編で終わる筈だったんです、この話。でもね。
 実はまだ、当初書いていた前編にすら到達していないんですよ☆
 ………その前編があまりに唐突に始まっていたから、辻褄合わせを書いていたらこうなったのです。まだもうちょっと続きます………。

 そういえば書き忘れましたが、『地鏡(ちかがみ)』は逃げ水の事です。
 これをタイトルにしてファイル見る度に『地獄のように』って読めてびくっとします。怖い読み間違い………(汗)
 でもちゃんと、ラストはまとまる……と思いますよ?
 ラビが自覚せんと始まらないので、いま暫くはただの意地悪兎ですけどね。いや、次の次くらいで、うん、意地悪っていうか……、性格悪くなっててごめんなさい。先に謝っておきます(汗)

11.4.9