どこにいくの
ずっと一緒にいたのに
どこにいくの
傍にいてくれるはずでしょう
どこにいくの

一緒にいてよ
どうしたら傍にいてくれるの
ずっとずっと一緒がいいんだ
離れないで
どんなことだってするから
だから 一緒にいて





05.消えゆく泡沫に祈る



 「一緒に帰ろう」
 初めて伸ばされた手は、小さかった。自分と同じくらい小さな手。
 目を瞬かせてその手を取った。暖かい、小さな手。
 笑い方を知らなかった自分はそれに疼く頬が笑みを辿ろうとしていることが解らなかった。だからその時どんな顔で子供を見遣ったか解らない。
 きっとさぞかし滑稽な顔だっただろう。
 それでも子供はぎゅっと握った小さな手を愛しそうに目を細めて笑ってみていた。ほんわかと、寒いはずの場所にいる自分の胸が、暖かくなった。
 不思議な子供だ。自分には解らないものを当たり前に与える子供。
 なんでと思いながら彼を見遣る。言葉を知らず、不機嫌に引き結ばれた口元はそんな辿々しい問いかけすら綴れなかった。
 前を歩く子供は時折振り返っては笑った。嬉しそうに楽しそうに。いつも遠くに見えていた子供たちと同じような、優しい笑み。自分が近付けば壊れた、そんな笑み。
 焦がれていたなんて、いわない。
 欲しかったなんて、いわない。
 ただ、それが与えられないことに漠然とした不満があった。自分にだけは決して与えられないそれに、不満だけが燻っていた。
 俯くようにして視線を逸らし、地面を睨んだ。真っ白な地面には子供のつけた足跡が綴られている。それを追うようにして自分の足が映る。
 誰かと一緒に、こんなにも間近で歩いたことなど、あっただろうか。
 …………あるはずのない記憶を探る努力すら放棄した脳内は真っ白だ。無意識に縋るように手のひらに力がこもる。
 「なあアラシ」
 ぽつりと、こぼれ落ちるような声が聞こえた。それは降り注ぐ雪のような、そんな静かな音。
 知らず伏せられた面は惹かれるようにして頤を上げた。視線の先に映るのは幼い子供の顔。少しだけ戸惑ったような笑みの、彼の顔。
 「これからも、よろしくな?」
 ずっと一緒だろう自分達だから、仲良くなれると嬉しいと。自分には望めぬはずのことを彼は言った。彼は言って、笑った。
 呆然とそれを見つめる。それはとうに諦めたことだった。望むことなど愚かな、そんな夢だった。
 誰かが自分の傍にいるなどあり得なかった。壊すことしか出来ない自分の傍に、生き物も物も与えられはしなかった。
 与えられた彼は、きっと自分と同等の力を持っているのだろう。それはこの吹雪の中でも笑って歩けるその姿から容易に想像できた。
 それでも、知っていたのだ。
 …………自分が他者に好かれる類いの人間ではないことを。
 それでもいいというように子供は笑った。仲良くなりたいのだと、笑うこともない自分に笑いかけて、腕を伸ばした。凍えた自分にぬくもりを与えてくれた。
 「………………………」
 無意識は正直だ。拒もうと思っていたはずなのに、頷いていた。
 また子供が笑う。安心したように喜ぶように。
 自分は知らない、優しい笑み。自分では作れない、無邪気な笑み。
 瞬きながらそれを辿るように手を伸ばす。きょとんと丸まった目が、細くとも無骨さを秘めた自分の指を見つめる。触れるぎりぎりの位置で止まった自分の指に首を傾げ、じっと見つめる大きな黒目。
 拒まれないだろうことは解っていたのに、触れても壊れないことも解っていたのに、動けなかった。
 そうしたなら、子供は頬を寄せた。
 暖かさが指先に揺れるように触れる。くすくすと楽しそうに悪戯を秘めて子供は笑い、目を瞬かせる自分の頬にその手を伸ばした。
 「雪で寒いときは、誰かと手を繋ぐんだ」
 子供は教えるように綴って、また笑った。そうしてその手を離し、彼の頬に触れる自分の指にその手を重ねた。
 「そうすると、あったかいんだ」
 嬉しそうに彼はいい、ぎゅっと自分の指を握りしめた。彼という体温にすべてを包まれるような、そんな感覚。くらくらと、まるで酸欠のような気分に浮かされた。
 「だから」
 彼の声が響く。甘い、とろける菓子のような、そんな柔らかさ。
 「そんなに怯えなくていいんだ」
 一緒なんだから、と。子供は笑い、自分は目眩のような陶酔に、我を忘れた。
 ぎゅっと、ただ彼を抱きしめる。触れてもいいと、そう許されたことがただ嬉しかった。傍にいてくれると彼から望んでくれたことが嬉しかった。
 「…………………」
 それでも言葉を知らず感情も知らず、ましてや表情などという機微さえ表せない自分は、力の限り彼を抱き締めることで離さないという意思表示をした。
 さぞかし痛かっただろうその抱擁を、彼は顔を顰めることもなく諾々と甘受した。翌日長袖を着ていたことから、盛大な痣が残ったことは間違いないだろう。
 だから、自分はこの存在を守ろう。自分の傍にいてくれると初めていった人だから、命の限り彼の傍にいて、彼を守ろう。
 彼は自分と同じ道を歩んでくれる。自分の考えを言わずとも汲み取ってくれる。包み込んで癒してくれる。
 なんて甘く優しい、とろけるような檻だろう。小さくまだ成長途中の子供の手のひらは、それでも大人たちが選んだ自分の監獄だ。
 檻たる彼はそれを知らず、罪人である自分はそれを知ってなお彼を選ぶ。
 純粋で穢れなく、いとけなくありながらも世界を見渡す幼い子供。無知で粗野で暴虐的な自分とは正反対の、正の道を知っている子供。
 それでも彼はその純正故に自分の傍にいてくれる。哀れで無知な自分を愛しみ導こうとするだろう。
 だから、自分は彼を選ぶ。…………選んだなら、離しはしない。
 腕の中の自分と変わらない小さな体をただひたすらに抱きしめた。離さないと誓うために、彼にそれを知らすために。
 そうして、知らず頬に冷たさを覚える。
 それが涙と名付けられるものだなど、自分は知りはしないけれど。
 いつの日かきっと彼はそれを知るだろう。この日この時自分が抱きしめた、その意味を。
 ……………その時彼は悔やむだろう。きっと自分から離れるだろう。それでも
 自分は彼を選び…………選んだなら、離しは、しない。
 まだ笑い方を知らない頬が痙攣するようにして唇を蠢かした。無邪気とは到底いえない笑みがこぼれ、その無様さを見せたくなくて、彼の肩に顔を埋めた。
 涙を見せたくないと勘違いした子供は自分の背に手を回し、優しく撫でてくれる。なんて暖かく優しい仕草だろうか。
 離さない離さない。………もう二度と、一人には戻らない。
 こんな暖かさを与えられて、手放せるわけがない。
 だから、きっとこの子供は後悔するだろう。自分に選ばれてしまった。選ばせてしまった。そのことを悔やむだろう。それでも、自分は離さない。

 

裏切りも 拒絶も 別離も 自分には関係はない。
ただ彼が生きていて、そこにいる。
それだけが確かにあるのなら。
……………自分は彼を選び続けよう。

パラノイアと言いたければ言えばいい。
狂気の沙汰と罵りたければ罵れ。
それでも自分は彼を掴んで離さない。

 

彼を赤く染めて。
自分の血にすら塗れさせ、仲間の死を甘く囁こう。
彼の大事なものを一つずつ取り上げようか。
その心臓に抉り出し、その赤を飲み干してみようか。
その綺麗な瞳に憎悪を灯らせて、自分の名を呼ぶように、仕組んでみようか。
離れるなんて許さない。
別の道も選ばせない。
どんな手段を持ってしても、自分を忘れさせなどしない。
この腕は、彼にだけ捧げられるものなのだから。

 

愛しい人。
涙に塗れて地に伏して。
そうして誰の手にも落ちずに生き延びて。

…………ほら、これで、一緒にいてくれるでしょう?

 








 今回のお題では全編通してアラシの善性の歪み方、みたいに書いてみました。
 元は優しかったけどその表出手段を与えられないまま歪んで壊れた、みたいに。
 彼もまた、強かったからこその犠牲を強いられた、というような一面も楽しいものかと思いまして。
 でも最終的には何一つ変わっていないので、きっと根本からアラシはアラシなんだ。そう思いました(苦笑)

06.12.31