荒れ果てた空。渦を巻き異常気象を伺わせる風。
洞窟の奥、その轟音だけでそれを感じながらアスはいまも扉に捕らえられたままの己が主人に向き合った。
僅かに青い光が明滅し、それを引き止めるように豊かな赤い光が辺りを敷き詰めた。
それを振り切るかのように沈黙を守り続ける、命の源。
その哀愁の様を見つめながらアスは喉奥で笑う。
「……もう、扉に力はなさそうですね」
呟き、腕をのばす。あっさりと扉は崩壊し、青い秘石は中空に漂いながらアスの手のひらへと降り立った。
赤い瞬きは、止まらない。
引き止めるように、諌めるように。………その明滅を繰り返し、悲しむように震えていた。
青はそれに応えない。決別を、言い渡すかのようだ。
どこかそれは先ほどまで見ていた人間たちの茶番劇に似ていた。そうした感覚が麻痺しているアスには、その様は滑稽でしかなかった。
止めようと思えば、赤は止められるのだ。もうその扉に拘束力はない。守るべきものがいなくなったのだ。その力さえ、世界を破滅に向かわせるために行使されているのだから。
それでも赤は止めない。青の自由意志によって自分の元に戻ることだけを願っている。それは圧倒的なまでの受け身だ。
人は自分を狂人のように見るが、自分から見ればその他全てが狂人だ。
求めているなら腕をのばせばいい。壊し尽くしたければ徹底的に。手段を選び摩擦をなくし、などとしているから、事態は悪化したりこんがらがったりするのだ。出来る時に迅速に、最良の手を打つ。それだけのことで十分なのに。
人とは情という不可解な鎖を後生大事に抱えて生きている。だから、こうして滅びを止めるものがいない。
愚かで滑稽だ。それを愛でることを好む馬鹿な番人もいたが、自分にはその感覚も解らない。
おそらく自分は変異種なのだろう。
たとえ自分から作られた影でさえ、自分を理解できないほどの。
そんな自分が、滅亡と創造の曲を奏でる指揮者となるのだ。なんという、皮肉であることか。
くつくつと喉奥で笑いながら、アスは侮蔑の視線を赤に送り、抱えた青をその瞬きから隠し、消えた。
世界が脈動を終えるまでの、その数分を隠れ潜み待つために。
「…………………」
辺りを見回した。
土塊ばかりだ。あるいは、燃やされ薙ぎ倒された緑。
かつては聖域と呼ばれ、子供と影がただ共に生きることを求めた土地。
それもまた、ここまで蹂躙され見るも無惨な有り様だ。そんな感傷を持つにはほど遠い身ではあるが。
所々に青の一族が転がっている。炭化したものもいる。識別は難しかった。もっとも建物のない辺りで死んだ彼らはまだましだろう。少なくともその身はまともに残されているのだから。
そう考えながらふと気づく。屍骸の数が多いことに。
青以外の男たちを加えたとしても、自分がここを去る時にいたのは5人だ。が、更に二つ、影が増えている。
「………わざわざ追ってきたのか」
おそらくはマジックとグンマか。彼らは二人とも両目が秘石眼だ。暴走の役には立つと思っていたが、どおりでこの地からの振動が思った以上に早いはずだ。
その様を見ながら忌ま忌ましそうに息を吐く。優秀な後継者になれるかと思っていたものはそのほとんどが情を植えられ腑抜けに変わった。それだけは、影の失態だ。
生存者は、この島にはいまい。自分が守るためにその力を残した場所以外は。
粛正された土地はどこか瑞々しい気がした。
この先、悠久の時間をかけて地球は己を癒すだろう。そうして今までとはまるで違う世界を築くのだ。
その間自分達は王国を築こう。この地上は、干渉があまりに多い。
もっと隔離され、自分達の言葉だけが絶対となる、そんな王国を。
そうしたなら、もっとずっと別の生き物が生まれるだろう。こんな、脆弱で脆い、人形以下の生き物ではなく。
思い、辺りを見回してみれば、からんと、小さな音が響いた。
けほけほと掠れた咳が聞こえる。肺でも悪そうな、そんな咳。
そちらに目をやる。生存者は、自分が作り上げた。そのものを迎えるために、自分は再びここまでやってきたのだ。
小さな男の子が不思議そうに困惑した目つきで辺りを見回していた。
よろけそうな、そんな足取りで。
「こんにちは」
ふわりと笑んで、アスは声をかけた。この惨劇の場には似つかわしくない、爽やかさで。
けれど知っているのだ、アスは。この笑みは、影が笑う仕草と同じ。それを愛しいと刻まれている命には、警戒を解かせる最も効果的な手段であることを。
案の定ホッと息を吐き、子供はおぼつかない足取りでアスの傍までやってきた。
「シーちゃ……どぉこ…?」
問いかけは、幼い。言葉もうまく綴れない。
喉に異常はなく、成長が遅いというにはあまりに聡い子供。原因不明の遅滞は、けれど確かに原因があることをアスは知っていた。
「失礼します」
そう呟き、アスは自身の手のひらを傷つけ、血を滴らせた。そうしてそれをそのままトチギの口元に手を被せる。自然流れ込んだアスの血を、トチギは強制的に飲み下すこととなる。
瞬間の、爆発的な激痛。
叫び声さえあげられないトチギは喉を押さえ目を見開く。体の奥から何かが組み替えられる。ざわめきが肌を伝った。
収縮される瞳孔。ゆっくりとそれが戻った頃、隠され続けた秘石眼が、現れた。
その、両目に。
喘鳴とともに地に足をつき、虚脱感にかすみかけた脳を頭を振るいトチギは立ち上がろうと、した。
その腕を支えるようにアスが寄り添う。その優しい雰囲気にトチギは目を瞬かせた。
幼い自分にも解る。世界が壊れたことが。
そして体も弱く言葉もうまく綴れないはずの自分が、こうして生きている不思議さ。
そんな自分をまるで初めから知っているように近付く、自分を育ててくれた叔父によく似た笑みをくれる人。
なによりも、この身の軽さ。普段の鉛のような重さもなく、力は抜けても支えられないほどではない、信じられないほどの開放感。
これを解き放ったのは、確実にこの男だ。何者なのかも解らないけれど、味方、なのだろうか。
「………だれ?」
問いかけは、明確な音だった。淀むことなく滑舌は滑らかだった。
自分の音に自分で信じられず、思わず口を覆う。
その指先を優しい大きな手のひらが包んだ。
「呪が解けたんですよ、トチギ様」
「…………え?」
「赤の一族があなたにかけた呪です。秘石を継ぐものとして不完全であるように、ずっと、ね」
そう呟きながら、アスは笑んだ。子供が安心するように、影を真似ながら。
ずっとずっと封じられていた子供の能力。絶大すぎる力を有した場合、成人するまではその力は解放されない。周りが、その力を恐れ子供のうちに抹殺する可能性を回避するために。
そんな太古に刻まれた免疫は、見事に今、花開いた。
未知数のまま、誰の目にも止まらぬように隠し続けたその力。
「赤………?」
「ええ、そうです。世界をこんな風にしてしまった、悪い一族ですよ」
きょとんと首を傾げるのは、おそらくは影から話を聞いているせいだろう。夢物語のような、そんなあの子供と影の話を。
困惑を色濃く映す目に、憂いを深めた目で、覗き込む。先ほどの愁嘆場の、あの男たちのような涙をたたえた滑稽な目で。
「赤は……卑劣です。シンタローもまた、赤の、昔ともに生きた子供のために死にました」
「………死ん…だ? シンちゃん、が? え……だって、シンちゃん……」
明日旅に出るはずだったのだ。その子供を探しにいくために。
それなのに、死んだ?
確かにこの辺りの様子を見ればどんなことになったか予測はできる。それでも信じがたかった。
トチギの知るシンタローは誰よりも雄大で、誰よりも寂しそうだった。そして誰もが彼を守ろうと、していた。
だから決して彼は死なないと、そう思っていたのに。
まして彼が探しにいくとあんなに楽しみにしていた子供に、殺されるなんて。
「本当ですよ。彼を守ろうとして、青の一族もまた、死に絶えました。あなただけが生き残りです」
辺りに散乱する炭化したヒトガタは人形ではないのだと、小さく哀れむように呟く。肩を、微かに震わせてその惨劇から子供を隠す振りをしながら、わざとその目に焼き付くように注意して。
子供の肩が硬直する。
あと、もう一押しだ。
「でも……シンちゃん…は………」
きっとどこかで生きている。そう、祈るようにいった。
みんなが彼を守るために命を捨てたのなら、シンタローは必ず生きている。生きようと、どんな姿になろうとそう決めて生きていてくれる。そういう、人だから。決して周りの努力を無になどしないでくれる。
希望にすがる子供の幼気な瞳には大粒の涙。
それが溢れる寸前に、アスは優しくその頬を撫で、代わりのように、その目から涙を落とした。
「いいえ、ほら、この秘石をのぞいて下さい」
青い光をたたえた、それは一族の象徴だったと聞かされた、秘石。あの戦いの後に生まれたトチギにとって実物を見るのは初めてだった。
震える指先で秘石を包み、恐れを目に宿しながら、覗き込む。
その丸いつるりとした球体の中、無惨な屍骸が一つ、浮かぶように映されていた。
ずっと…父が傍にいられない間さえ、代わりに一緒にいてくれた叔父。誰よりも鮮やかで、心の深い、傍にいると心地よい、人。
ボロボロのおもちゃのように、人としての形さえ朧になって、横たわっている。
あんなにも、素晴らしい人なのに、こんな………姿に。
こぼれ落ちた涙は後を知れなかった。姿を確認出来ない父たちの死より、はっきりとした形で目に焼付けられた彼の死は衝撃だった。
ただ谺すのは何故という、疑問。
世界の崩壊よりも何よりも、彼がこんな姿をさらして死ななければいけないその理由が解らない。それを与えた赤の一族が………彼が話し続けてくれた子供が、憎かった。
「地上は…まだ危険です」
その目にたたえられる復讐の色を認めながら、アスはゆったりといたわるようにトチギに声をかける。その身を抱き寄せながら。
「いきましょう、赤の手の届かぬところへ。そこで、青の王国を」
決して悲しみのない、己のままで生きられる王国を。
……………戦うこと破壊すること、その本能を押さえることのない、王国を。
「あなたが王となり、秘石を継いで、造りましょう。微力ながら、番人である私もお手伝いさせていただきます」
「うん……行こう、そこに」
ぎゅっと、アスに縋り付きながらトチギが呟いた。暗い暗い、静かな音で。
ふうわりと二人の体が空へ浮いた。
アスの肩へ腰をおろし、小さなその体躯でトチギは地上を見下ろした。
力があれば、守れただろうか。自分が守りたかった全ては、優しさや暖かさでは守れないものだったのか。
崩壊した世界は、空しいまでの静寂。
問いかけに答えるものがいないことを理解して、トチギは唇を噛んだ。
言葉をあまり交わすことのないまま、父は逝ってしまった。
感謝を捧げるより早く、シンタローは壊されてしまった。
守るための力が、必要だ。そうして、この悲劇を引き起こした赤に、報復を。
「……………赤に、報復、を……………」
風にさえ乗らない微かさでトチギが呟く。
その目は青く青く、瞬いていた。
終わりました。終わりなんです、これで。
初めからトチギがヒーローでいうところの冥界の創始者にしようと思っていたので。
何の意味も脈絡もなく突然天上界襲うのもどうよ、と思っていたので。その理由付けに、この神話を用いてみました。
こんな終わりなんですよ。だから書くの嫌だったんだって。
子供が…ずっとあまりで歩くこともできなくて穏やかで静かな場所での暮らしをただ幸せだとそう感じられるような子がだよ。
こんなことに利用されて、自分が好きだった人たちが望むのとまるで違う方向に歩き出してしまうのは、書く身としても読む身としてもただ痛い。
……痛いんだって。
書き始めた時点で悲劇だってことは覚悟していたのですが。そういう完結だけは決まっていた物語ですから。
それでも絆故に途絶える、というのは、やはり悲しい。
思うことが狂気に繋がるのが悲しい。
こんなことが決して起きませんように。
情は優しいまま、狂いませんように。
そんなことずっと思いながらの神話シリーズでした。
長い間書けずにお待たせした時期もありましたが、なんとか完結にこぎ着けました。
応援して下さいましてありがとうございました。
グンマたちが島に来た経緯とか、クリ子ちゃんの話とか、色々書いた方がいいのだろうがストーリーの流れ上、入る部分がなかったものなどもいくつかありますが。
とりあえず、一度これで終幕です。
また精神的に落ち着きましたら、あるいは番外としてそれぞれの視点からのものを書くかもしれませんが、今は出来る限りはそっとしておきたい感じです。
それではまたいつか、このシリーズでお会いすることがありましたらよろしくお願いします。