体が熱かった。
 身の奥から込み上げる熱が、心臓さえ燃やし尽くす。
 喉はとうに叫ぶ機能を忘れ、掠れた呼気だけを漏らし続ける。ヒステリーを起こす、ぎりぎりの境界ライン。
 脳裏には浮かんでは消える、かつての記憶。
 鮮やかで美しい、昔の思い出。
 なくせないたった一人の友達。ただ彼が喜ぶ顔を見たくて我慢し続けた、叶うことのない願い事。
 それは自分に寄り添ってくれる女の子でも埋められない空白。彼だけが埋められる、彼だけのためにある、空洞。
 その空洞が、崩れる。埋められるのではなく、広がった空虚に堪えきれなくなり、崩壊した。
 掠れた呼気の振動にあわせるように、体からは?が、舞う。
 陽炎を起こし、地面は揺れ、空中に岩石が飛び交った。
 海は荒れ空は快晴を潜めて暗くなり、嵐を呼び寄せた。風はただよう柔らかさを忘れて荒れ狂い、命の源たる自然たちはその穏やかさを嘆きの渦に放り捨て、狂いはじめた。
 世界が、流転する。
 全てが正しき場所にはない、崩壊の始まり。
 過ちこそが正しさと変わる、激動の始まり。
 誰も決して望みはしない。悲しみしか生まないその序曲が耳の奥に谺した。
 「…ぁ……ぁああああ―――――――っっ!!」
 意味をなさぬ単語がただ喉から絞り出される。
 守りたかった、のだ。
 ただ彼を。あの、幼かった日、自分を慈しんでくれたたった一人の友人を。約束を違えることのない、優しいあの男を。
 彼の守りたがっていたものを守って、彼の心を守りたかった。彼が喜び笑ってくれるなら、自分はどんなことだって我慢しようと、約束した。
 自分、自身と。
 それでも毎年盆の時期、帰りきたカムイに彼の消息をそれとなく教えられては心安らかせていた。それだけが、自分と彼を繋ぐ細い糸だった。
 その糸を手繰って、彼に会いにいくことはさして難しいことではなかった。この身を置いて魂だけとなればいつだってカムイは叶えてくれただろう。あるいは、一本竹に願うことだって、できた。
 それでもそれをしなかったのは、我慢ができなくなるからだ。
 たった一度でもそれが叶ってしまえば、我が侭が口をつく。
 そして今度こそ、彼がそれを叶えてくれることが解っていたから、我慢し続けた。
 きちんと知っているのだ、自分は。彼がこの世界に必要とされていることを。
 彼がこの世界を愛しいと思い、守りたいと、そう思うようになったことも。
 だから離れたことは間違いではない。そう言い聞かせて、会えなくても大丈夫なのだと、そう戒めてきたのに。
 彼が、いなくなってしまった。
 自分はそれに気づいてしまった。いまも途切れぬ絆が、離れ離れのまま、どれほど会うことなく言葉も交わさず名も囁かなかったか、解らぬのに、それでも気づかせたのだ。
 でも、彼はいない。
 あの過去の日、その身をなくしたあと自分の前に現れたように、彼は現れない。
 消えてしまった。もう、本当に会うこともできない。
 自分を守るために、彼は消えてしまった。あんなにも痛々しいまでに己の身を傷つけて、死を受け入れた。
 絆を、彼も知っていたのだろうか。自分が今も彼を忘れず思い続けていることを、彼が気づく術はないというのに。
 それでも過去の思いを信じ、その身を、壊した。
 全ては自分が因となったことが、解る。
 もしも彼の体でアスが自分を殺しにきたというのなら、自分は対峙できただろうかと思えば、否だ。
 他の誰であっても自分は守るものを守るために、その力の暴走を食い止めただろう。かつてコタローと対峙した、あのときのように。
 けれど彼は、別だ。彼こそが、守りたい象徴だったのに。
 守りたいその人が自分の死を望んで、それにどうまみえればいいかなんて、自分は知らない。
 そうしてその一瞬の虚を、確実に突かれるだろう。そうした戦地での駆け引きを自分以上によく知る彼は、克明にその結果を知っていたのだ。
 だからこその、この結末。
 彼は最後の最後まで、自分を守ってくれた。
 約束した全てを守って、そうして、違えぬままに、逝った。
 出会いが間違いだなど思いたくはない。それでもと、思う。
 赤の一族の末裔である自分が、彼を壊した。
 青に生まれながら赤となり、人でありながら悠久を生きる体を有して。
 どれほど彼は傷んだだろうか。この聖地、一歩として外に出たことのない自分にはまるで解らない。周りの視線を気にしなくてはいけない、組織の頂点の思いなど、解るわけもない。
 それでも彼は悠然と笑んでいたのだろう。その身の内の傷などないかのように、かつて自分の傍にいた、あの笑みで。
 彼が自分のもとに流れ着いた、あれが全ての始まり。
 運命と、そんな単純な言葉で済ませることができない。
 あれがそうだと括ったなら、いまこうして嘆く現実さえ、運命だというのか。
 世界が、あまりに暗い。
 …………真っ暗な、闇の底。
 たった一つ求める消えてしまった輝きを探し、力が暴走する。
 どこにいるのと、泣きじゃくる子供のように。

 彼を見送ったあの日の思いが、身を裂くように、思い出された。

 

 地面は揺れ続ける。空中に浮いていなければ立っていることさえ難しい振動。
 青の暴走に赤の暴走。
 互いに反発しあう力同士が、同じ思いで暴れはじめた。
 空を見上げて暗雲の立ち籠める世界を思う。誰もが解るだろう。この世界の命は、あと僅かだ、と。
 「お前は、本当に良く働いた」
 ふうわりと、優しく笑んでアスが呟く。
 もしも彼がいなければ、もっとずっと長い時間のかかる計画だった。
 この身を分けて干渉し続けなくては不可能な、この饗宴。
 それがたった一つの肉体を壊し見せつけるだけで可能だったのだ。
 なんという大仕事をこの影は成し遂げたことか。賞賛を与えるようにアスは軽やかな拍手を鮮やかな笑みとともに送った。
 もう彼にも自分の声は聞こえまい。
 赤の暴走はあまりに強大だ。元々青とは違い多種を受け入れず純血を守り続けたからこそ、少数となり今はもう、最後の一人にまで減った一族だ。
 それ故に、その血の濃さは青の比ではない。
 だからこそ秘石は赤の傍に寄り添っていた。そうでなければ赤はその身を食い荒らされる。
 まさにいま目の前で暴走している青年の、その末路を思いアスは笑う。
 守りたかった友人の死に狂い、壊された体を悼んでいる青年は、気づくまい。
 彼に寄り添い、必死で今も守ろうとするその御手を。
 ………その魂を崩れさせる、己の莫大な力の奔流を。
 「そんな、愚かな人間のために、な」
 戻ってきたならそんな悲しみ、味わうこともないというのに。それでも、その消滅すら解っている短い時間さえ、影は寄り添う先を己で定めた。
 愚かだと呟き続ける自分の執着もまた、人間じみている。
 事が終わったなら消してもらわなくてはいけない。この先の悠久、自分には成さねばならぬことがあるのだから。
 思い、アスは空を蹴る。
 最後の仕上げを自分は行わなくてはいけない。
 自分がつかえるべき青の後継者を、秘石を継ぐものを、迎えにいかなくては。
 眠っているその全てをこと解(ほど)き、導きを。
 「………安心しろ」
 少なくとも、一人くらいは助けてやろう。そう、皮肉にアスは笑う。
 影が守り続けた世界。慈しみ続けた命。
 その全ては崩壊するが、その中のたった一つくらいは、守ってやろう。
 自分達の、遠大な計画のために。
 そうしてアスは闇色に埋(うず)められた空の先、消えた。
 迎えるべき幼い指先のもとへと、馳せるために。

 全ては順調。
 赤は暴走し、青は破壊し尽くされる。
 世界は崩壊し、全ては無へと帰すだろう。
 そうしてまた、世界は作られる。

 自分達が手繰るがまま、に。

 

 卑しい笑いの先には、滅びを。
 人とは滅びるために生きる生き物なのだから。








   


 そんなわけでパプワの嘆きとアスの思惑。
 ………どんどんアスを嫌いになっていきます。どうしたものでしょうか。いや、書いている私が悪いけどな。
 まあ決定的なまでにアスは人間と自分を別個のものと思っているので、そのせいもあるかと。
 不完全で脆い、人形と大差なく、ね。

 パプワもちゃんとシンタローのこと思っていますよ。
 私はシンタロー視点からのパプワを書くのが好きですが。大人視点からの子供を書くのが好きというか。
 でも子供もちゃんと大人を思っている。そういうのは、書かなくても当たり前すぎて。言葉に変える方が嘘くさいというか。
 うーん……難しいものです。

 一応次回で完結予定。
 あとはまあ………始末記みたいなものです。