柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
さあどうぞ召し上がれ 菓子と紅茶の関係論(後編) キッチンからは湯の沸く音がした。 カチャカチャと茶器の揃えている手際のいい音も聞こえる。 それに耳を澄ませながら、成歩堂が笑んでキッチンを見遣る様に、両親が苦笑する。まるで彼が御剣の親のような優しい眼差しだ。 「……怜侍の紅茶はなかなかでしょう?」 その意識をこちらに戻すように、父親が声をかけた。すぐに気づいた成歩堂が目を瞬かせて、少しだけ目元を赤くしながら頬を掻く。 微かな逡巡のあと、小さく頷いて成歩堂が答えた。 「本当は、おじさんの方がいれるの、上手なんですよね?」 御剣がいっていましたと告げながら遠慮がちに成歩堂がいうのに、両親は目を瞬かせた。 実際、成歩堂と初めて会った日、折角だからと父親が紅茶を入れたのだ。その腕前は既に披露されており、成歩堂も既知のものだった。 今更聞く事でも確認する事でもないと首を傾げそうになりながらも、父親はにっこりと笑んだ。………なんとなく成歩堂の様子から、彼が逡巡した理由が窺えたからだ。 それがもし正しいなら、父親として喜ぶべきだろう。そう思いながら、成歩堂に答えた。 「上手というのもおかしな話なんだがね」 「?えっと、どういう意味ですか?」 父親の返した答えに戸惑うように成歩堂が首を傾げる。素直に解らない事を問う姿勢に父親は笑みを深めて頷きながら、隣に座る妻を見遣った。 それを受けて母親もまた微笑み、言葉を継ぐようにして口を開く。 「例えばね、成歩堂くん」 そっと彼女の細い指先がテーブルに乗せられた皿を指差した。 そこにはフラップジャックとマフィンが乗せられている。 示されるままに目を向けた成歩堂に教えるように、母親は言葉を紡ぐ。柔らかな、音色。優しく包む性情が窺えて、成歩堂はその声を気に入っていた。 「私は成歩堂くんと違ってお菓子作りは趣味だし、お稽古に行ったこともないの」 「でもおばさんのお菓子はおいしいですよ」 お世辞でもなんでもなく、純粋に成歩堂はそう思い、彼女に答えた。 実際、独学だけでこれだけ作ることが出来れば十分なレベルだろう。そう思わせるくらいには、彼女の作る菓子も料理もおいしかった。 「ありがとう。だけど、やっぱりお店のものとは違うでしょ?」 それは歴然とした事実として違うのだと母親はいう。 ………材料が違う。技術が違う。レシピが違う。機材が違う。全てに差異があるのだから、同じ名前の菓子であってもまったく別のものが出来上がるのは当然だ。 そして、多くの人間は店の菓子を美味しいのだと言う。家で作るものとはやはり味が違うと。 そう説いてみせれば、成歩堂はとても難しい顔をした。それはきっと、二人が告げたいことと同じ思いを抱えているからこその、反応だろう。 思い、両親は嬉しそうに笑みを深め、父親が母親の言葉に付け加えるようにマフィンを一つ手にとった。 「それでも私はね、妻の作るマフィンがどの店のものよりも美味しいと思うよ」 「それは、当たり前だと……思います。僕が言うのもおかしいですけど………」 そうした菓子を作り、売っている店のものが言う発言ではないかもしれない。それでも成歩堂には二人の言うことが当然の事実に思える。 大切な人が、自分のために作ってくれたものだ。それが美味しくないわけがない。 躊躇いをもちながらもきっぱりと、成歩堂は自身の信念のもと、それを告げた。 誰だって、自分の大事な人の笑顔を望むものだ。そのための努力だって惜しまない。それが人に……否、生き物に宿る情だろう。 向けた好意はいつかは必ず届くはずだ。同じ形ではないかもしれないし、それが遠い未来になることもあるだろう。 それでも必ず、情は還元される。そう、信じている。 だから……幸せを。笑顔が浮かぶ美味しい菓子を提供出来たなら、CHIHIROに訪れた人たちも、いつかその好意が巡り巡ることを知るだろう。笑顔は、連鎖するのだから。 真っすぐに目を逸らすことなく答える成歩堂の真摯な姿に両親は頷きながら、嬉しそうに笑んだ。 「なら、怜侍の紅茶を私がいれるものよりも気に入ってくれたなら、私は親として喜ぶべきだろうね」 だから遠慮せずに告げていいのだというように笑んでみれば、成歩堂は驚いたように目を丸めて瞬かせた。 …………柔らかな雰囲気で時折忘れそうになるが、この人は敏腕弁護士だった。人間観察の腕は、あるいはこの家の中の誰よりも長けているのかもしれない。 苦笑して、頷く。降参するように両手を上げながら。 「なんだか誘導尋問にはまった気分ですね」 「油断禁物、だね?」 「はは……そうかも!でも、僕は御剣のいれてくれる紅茶、好きですよ。一番、僕に飲みやすいと思うんです」 明るく答えた成歩堂は、それだけは掛け値なく真意なのだと知らしめるように、両親へとその言葉を差し出した。そうして、嬉しそうに笑んでキッチンで奏でられる紅茶をいれる音に耳を澄ませる。 それを見つめて、父親は先ほどまで飲んでいた紅茶を一口飲んだあと、手にしたマフィンを口に運んだ。 「それでいいと思うね。………私が感じる一番と君が感じる一番が同じでなくてはいけない理由はないのだから、ね」 そうして、満足そうにマフィンをまた、口にする。 それはどこか、自分の作った菓子を食べる御剣に似た顔で、成歩堂は少しだけ面白く感じた。 まったく似ていない父と子は、けれどやっぱり血の繋がった親子だ。こんなにもそっくりに嬉しいと表現するのだから。 「やっぱりおじさんは御剣の父親ですね」 小さく笑い、成歩堂が楽し気に言えば、父親は面食らったかのような顔を一瞬して、笑った。 「それは、褒め言葉……かな?」 「当然ですよ。僕の大事な友人の父親なんですから」 そう、言って。成歩堂は柔らかく笑んだ。…………甘い菓子を口にした幼子のような、無邪気な笑みを。 それを見つめて、二人は同じように幸せそうに微笑む。 微かな足音がして、アッサムの香りが強くなる。父親が初めに、ついで母親が。最後に少し照れくさそうな顔をして成歩堂が、キッチンから帰ってきた御剣へと顔を向けた。 「?どうかしただろうか?」 三人が三人とも酷く嬉しそうに自分を迎える様に、戸惑ったように御剣が問う。それに首を振って、父親は着席を促した。 不可解そうにしながらもそれに従い、御剣はそれぞれの前にカップを置いて、いれたてのアッサムをサーバーした。 立ち上る、濃厚な香り。赤味の強い水色がカップに広がり、ふわりとぬくもりが空気に溶けた。 母親の薦めるままにマフィンを手に取り、それを口に含みながら成歩堂は差し出されたカップを手にした。 ふくよかな香りが鼻先を掠め、一口飲めば舌から喉へと微かな渋みの滋味が流れて溶けた。 飲みやすい、紅茶だ。普段はさして紅茶に拘らないけれど、御剣がいれる紅茶はどれも美味しい。素直にそう思い、マフィンを頬張りながら隣に座った御剣に目を向けた。 「?」 「ううん、やっぱり美味しいなって思っただけ」 首を傾げて何事か問う御剣に、彼の母親の作ったマフィンを食べながら、成歩堂は相手の疑問を読み取り答えた。 「?そうか、母さんは昔から得意だからな」 残念ながら自分は不得手だったがと言いながら、御剣はフラップジャックを手にした。 それを口に含むのを見ながら、マフィンを飲み込んだ成歩堂が、菓子ではなく紅茶の話だと訂正しようと口を開きかけた。 そこに丁度被さるようにして、母親の声が楽しげに響いた。 「あら……これ、不思議な味ね」 「だろう?シェークスピアの作品にも度々登場するものだが、なかなかユニークな焼き菓子だと思ってね」 だから余計に印象が強いと父親が笑って母親の言葉に応えると、思い出したように成歩堂が御剣の腕を叩き、呼んだ。 紅茶を飲んでいた御剣はカップを戻し、成歩堂の方を見遣ると、ほぼ同時に成歩堂が笑顔を浮かべて答えた。 「そう、シェークスピア!それでさ、御剣、今度少し付き合ってくれないかな?」 「???よく解らんが、構わないが………」 「ほら、前にいっていただろ、君。ハロウィンのカボチャはカブの代用だって。調べたらさ、フラップジャックって、シェークスピアの時代はパンケーキみたいなものだったんだって」 「ほう、それは知らなかった」 楽し気な成歩堂の発言に、向かいに座る父親が意外そうに答えた。同じ感想なのだろう。御剣も頷いている。 それを目におさめ、若干興奮を抑えられないように成歩堂は両手を動かしながら、身振り手振りを加えて話を進めた。 「はい!えっと、ネットとかで調べて見つけたんですが、あったんだよ、レシピ!!で、今度作りたいなって。それで味見を……」 「……落ち着け、成歩堂」 ぱたぱたと自分と父親たちに交互に顔を向けては話をしているせいで奇妙な口調になっていることすら気づかずに話を進める成歩堂に、御剣が紅茶を差し出した。先ほど食べかけだったマフィンもそのままなので、力が込められた指先が染み出た油分に汚れていた。 珍しく興奮が抑えられないのは、過去に目指していた役者として意識故だろうか。時折見える子供のような一面に御剣は笑んでフキンも差し出した。 自分が周囲を置き去りにして先走っていたことにようやく気づいたのか、成歩堂は与えられたフキンで指先を拭ってから紅茶を受け取り、赤い顔のままそれを一口飲み込んで、深呼吸をした。その背を御剣が撫でながら様子を窺っている。 甲斐甲斐しく世話を焼いている息子の姿に苦笑しながら、父親が落ち着いた頃合いを見計らい、声をかけた。 「ところで、パンケーキとカブ……一体どんな繋がりがあるのだろう?」 「………ん、っとですね、白カブのすり身を入れるんです。僕も初めてだから味の想像がつかないんですけど……。だから、試食して、改良出来るならして、出来ればハロウィン限定でイートインメニューに加えたいなって」 手にしていた残りのマフィンを口に入れていた成歩堂は紅茶とともにそれを飲み込み、なんとか父親の質問に答えた。 真意が解り、御剣一家は頷きながら微笑む。本当に、一途に彼は自身の店を、そしてそこに訪れる人々の喜びを願っていると感じる瞬間。 それが、確かに人に与えられ、共鳴し、波紋が広がるようにしてあたたかな空間を作る。きっと、彼がいるとあたたかく感じる因は、そんな無償の思いを絶えず願っているからこそなのだろう。 「御剣のいっていたアップルサイダーと相性が良ければハロウィンセットもいいしね」 楽しいだろうと健やかな魂が奏でる声音に目を細めて聞き入っていれば、声を向けられていた御剣は嬉し気に笑みを浮かべて告げた。 「ああ、楽しみだな」 「でもごめんな、僕の都合で味見付き合わせるけど……」 「構わない」 相手の言葉が綴り終わるより早く、断定するようにして御剣が肯定を示す。あまりの早さに両親すら目を瞬かせた。 首を傾げてもの問う視線を向ける成歩堂に、柔らかな笑みを浮かべたまま御剣がその解答を示した。 「母の作るものも好きだが、君の作るものが一番、私には馴染む。だから気にする必要はない」 美味しいと言われることを喜ぶ人だから、思ったままを口にした御剣は、同時に静寂に包まれた室内に内心首を傾げた。 絶句したようにこちらを見遣っている父と母。同じくこちらをむいたまま硬直した成歩堂。 おかしなことはいっていないだろう。反芻してみても、事実でしかない。告げた口調を思い返しても決して排他的な態度ではなかったし、むしろ自分としては穏やかだったといっても過言ではないはずだ。 三人の反応の理由が解らず、御剣の眉間に皺が寄る。不愉快ではなく、困惑のそれ。幸い室内にいる人間は全員その差異が解る類いの人たちだったため、御剣の反応によって場がざわめくことも凍てつくこともなかった。 「…………成歩堂?」 訝し気に問いかければ、一瞬で時間を取り戻した室内の中、成歩堂の顔が真っ赤に茹であがった。 ますます不可解そうに眉を顰めた御剣の反応に、成歩堂は居たたまれなさそうに視線を彷徨わせ、思いきりよく立ち上がると、その勢いと同じほどの声音で口早にいった。 「あ、ありがとう!僕ちょっと、ミツの様子見てくるね!!」 「???ああ」 すぐ横を向けば見れる飼い犬の様子を見てくるとソファーから立ち上がった成歩堂を、首を傾げながらも承諾し、急ぎ足で遠ざかるその背中を物寂し気に御剣は見送った。 その様を見つめながら、深い溜め息とともに、父親が息子に声をかけた。 「………怜侍、もう少し、言葉は選ぶものだよ」 「?しかし、事実なのだが…………」 たとえそれが事実だとしても、まるで異性の恋人に捧げる睦言のような甘い言葉に、本人は気づいていない。 気づいていないからこそ周囲が途方に暮れるのだが、それすら、解らないのだ。 もう一度深い溜め息を吐き、父親は開け放たれたガラスドアにしゃがみこんで愛犬を抱き締めている、息子の数少ない友人に若干の同情を寄せた。 まだまだコミュニケーション方法も感情の表し方も幼児のように拙い息子は、きっとこれからも似たようなやり取りで彼を困らせたり戸惑わせたりすることだろう。 せめてそんな時、自分や妻が彼にとって憩いであれればいいと思いながら、まだまだ未熟な息子に苦笑を向けて、精進するように告げた。 それを製菓技術の向上と受け止めたのだろう息子は、厳かに頷きながら、我慢が効かない子供のように立ち上がり、成歩堂を追うように庭に向かう。 「成歩堂くん……今日は夕飯食べていってくれるかしら」 困ったように笑いながら、母親は呟き、夫を見遣る。 同じ顔で苦笑する夫は、小さく頷いてその視線をガラスドアの前に佇む二人へと向けた。 「CHIHIROに行ったあと、一緒に帰ってくるように言っておこう」 きっと今日もまた二人、特訓をするのだろう。そう仕方なさそうに笑い、父親の顔をした夫は微笑ましそうに彼らの背中を見つめていた。 まだまだ自分の告げた言葉の意味を飲み込みきれていない息子は、それでもきっとこの希有なる友人に感化され、ゆっくりと羽化していくだろう。 そう、祈りながら。 息子のいれた、ただ一人のための紅茶のお裾分けを、口にした。 あなたのための紅茶をどうぞ あなたのためのお菓子をどうぞ 誰かのために作られた 幸せを象るものを どうぞどうぞ、その手に取って たった一人のためにいれた紅茶はきっとその人には最上の味なのだろうけど、幸せをお裾分けしたいと思って作られたお菓子と一緒なら、一緒に溶け合って沢山の人に美味しい、を分けられるかな、と。 一人に限定は出来ないけど、でもお菓子を作るのはやっぱりそれを食べた人が美味しいと笑顔を浮かべてくれるのが嬉しいからだしね。 それが解ればきっとお父様の心配も杞憂で終わってくれるでしょうけれど、きっとダメなんだろうな、困った息子だよ、まったく。 ちなみにフラップジャックは紹介欄にシェークスピアの作品にも度々登場、とあったのでずっと気になっていたお菓子でした。先日作ってみたので、取り合えず満足。 次はパンケーキの頃のレシピに挑戦したいものですが、未だ勇気がなくて手をつけていません。だってパンケーキに白カブですよ。白カブ………! 味の予測が不可能すぎる…………! 07.12.15 |
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