柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






ずっと願っていたことは、他愛無いのだ

ただ、彼の傍にいたい
好かれたいとか
求められたいとか
必要とされたいとか
そんな祈りは、とうに果てているから

ただ、傍にいたい

彼が願うその時に、この腕を差し出したい
痛みを抱えて顔を顰めるその顔を
癒せたなら、どれほどいいだろうか

なにも求めることはしないから


ただ、傍にいさせて





04 素直になろう



 事務所の鍵を開け、彼を招き入れた。律儀に挨拶をして彼は中に入り込み、自分が同じように室内に入るのを待っている。
 法廷での不遜な態度とはまるで逆の、戸惑いばかりを浮かべる表情で周囲を見渡すプライベートでの姿が、どこか微笑ましい。おそらく、こんな風に理由もなく誰かの空間に足を踏み入れることすら、今まで稀だったのだろう。
 ………思うと、痛む胸がある。それを彼に気づかせないために笑みを浮かべ、ソファーにでも座っているように声をかけ、給湯室へと足を向けた。
 小さな応えを背中で聞き、彼がソファーに座る音を耳にする。それだけで、どこか安堵を覚えるのだから、我ながら重症だろう。
 そこに彼がいるということを教えてくれる全てが、心地よいのだ。もう二度と戻らないと思っていた筈なのに、それはまた還ってきた。
 幾度思い返しても許せる筈のない彼の身勝手さは、それでも彼にとっては必要な行為であったのだろう。どれほど考えても自分には理解出来ないけれど、かといってそれを全てひとまとめに否定し追いやるほど狭量でありたいとは思わない。
 出来ることなら、彼の全てを許したい。………許したいという観念は少々語弊があるけれど、彼が彼であることを認め、奨励したいのだ。
 自分が欲しかったそれを同じように彼に与えたい。利己的な意識ではあるけれど、彼もまたそれを求めていることを感じるので、惜しむつもりもなかった。
 それでも、時に戸惑うことはある。
 彼は、己の感情表現がひどく不得手で、まったく感じさせないか、全てを晒してしまうかの二択にほど近い。だから、か。………彼が途方に暮れたような目で自分を見つめる時に揺れる感情が、自分にはあっさりと伝わってしまう。
 彼にその意識はなく、その自覚すらない、感情。
 あるいは、自意識過剰な面もあるのかも知れない。少々行き過ぎていても、自分が思う感情とは異なるものかも、しれない。そう思いつつも、それらを否定するにはあまりに顕著にそれは差し出される。
 「……参るよなぁ」
 小さく呟き、沸騰した薬缶の湯を湯冷ましに注いだ。本当ならすぐにでも急須に入れてしまいたいが、それでは美味しいお茶が入らないと助手である少女に呆れたように指導される日常のおかげか、その行程はすっかり習慣化していた。
 無意識のまま湯冷ましの中のお湯を急須に入れ、湯のみへと注ぐ。
 鮮やかな黄緑の水色を見つめながら、先ほどの彼の様子を思い出した。
 …………彼の歩む足の緩やかさに、初めは首を傾げた。彼は威風堂々と颯爽とした歩みで進む姿ばかりを見かけていたから、戸惑う子供のようなその緩やかさに、何かあるのかと思ったほどだ。
 そうして、意図してか無意識かなど解らないけれど、彼は見上げたのだ。………自分の、事務所を。
 その時の表情など、きっと彼に自覚はない。遣る瀬無い、寄る辺ない赤子のような途方に暮れた迷い子の目。渇仰していながら諦めるように顔を顰めて見つめる視線の先にあるものが、どうして自分の事務所か、なんて。………考えるのも愚かだろう。
 いっそこれが今日はいない助手の少女に向けられているものなら、納得もできた。年齢的な差異はあれど、あの少女の快活さと底抜けの明るさは時に沈みゆく彼を引き上げ背中を押してくれるだろうから。
 そんな儚い希望を持って、彼に声をかけた。自分を見た瞬間の揺れる瞳に、希望はやはり儚いものでしかなかったと痛感したけれど。
 彼は、あまりにあからさまだ。自覚がないからこその仕草なのか、まるで突きつけるようにその意識を自分に寄せる。戸惑いも不安も遣る瀬無さも拒絶への、恐怖も。
 好意という感情に付随する恐れの全てを、抱え切れないというかのように彼は自分に垣間見せるのだ。
 そうして、見つけてしまえば自分は腕を伸ばさずにはいられない。我ながらいっそ病的だと思うほど、自分は彼に甘い。
 なにがあろうと最後には許してしまう。どれほど手酷い仕打ちを受けても、自分が最も辛いと思う真似を突きつけられても、それでも彼が彼として生きてくれるなら、それ以上の喜びを見出せないのだから、自身でも呆れ果てるほどだ。
 「………………ま、あいつは解らないだろうな、きっと」
 注ぎきった急須を端に寄せ、なみなみと茶を注がれた湯のみを両手に持ちながら、そっと呟く。
 きっと彼は、解らないだろう。自分が彼の感情に既に気づいていることも、それを憂いで持って眺めていることも。
 ましてや、その感情を忌避すべきものとも考えず、当たり前のように容認してしまっているという現実さえ、知らないだろう。
 それもまた仕方のないことなのだろう。そんな風に思いながら、給湯室を出て、ソファーに座る彼の元に歩み寄った。
 一人待たされていた彼はようやく現れた自分を視界に入れて、ほっとしたように小さく息を吐く。まるで自分がどこかに消えてしまっていたような錯覚を受けるその様子に苦笑が浮かぶ。
 「ほら、これしかないけど、いいだろ?」
 ティーパックの紅茶やインスタントコーヒーよりは味がいいだろうと、茶化すように彼に言う。残念ながら、自分は彼が好む嗜好品は知らない。恐らくは紅茶が好きなのだろうことは予測が出来るが、かといって逆に好んでいる紅茶を適当に入れたティーパックのもので提供されても困るだろう。
 拘りのある人間に同じ拘りを持たない限り、別ジャンルのものを渡した方がいい。少なくとも、手つかずという状況にはならないのだから。
 彼は軽く頭を下げて礼を言い、一口それを飲んでテーブルに乗せた。彼の対面に座りながら、自分も同じように湯のみをテーブルに置く。
 そうして、座り込んだ瞬間から、沈黙が降った。
 当然と言えば当然なのかも知れない。彼は恐らくは口下手で、日常生活の中での世間話など無縁だろう。自分もさして饒舌なわけではなく、振られた話に乗ることの方が多い。
 どちらもが受動的であった場合、会話が弾まないのは当然だ。まして、片方が戸惑うように萎縮しているのであればなおのこと。
 彼はいっそ面白いほど、緊張していた。それこそ借りてきたネコという表現がそのまま当て嵌るほどだ。
 一挙手一投足、全部の意識を自分に向けている。問うまでもなく、きっとどんな言動で自分の癇癪に触れるか解らないと思っているせいだろう。………それはそのまま、自分を怒らせたくないとか、嫌われたくないという感情に基づくものなのだろうが、あまり彼にその自覚はなさそうだ。
 ただ、漠然と感じ取っているのかもしれない。今もまだ、自分が悲しんでいることを。それが故に、それを触発しかねない己という存在を表現することを、出来うる限り最小限に押さえているように、見えた。
 そんな真似はしなくてもいいのに、彼は時に素っ頓狂ないたわりを見せて、自分の苦笑を誘った。
 「なあ御剣」
 不意に彼を呼ぶ。小さく肩が跳ねて、彼がこちらを窺った。戸惑うように深くなった眉間の皺は、見ようによっては怒っているようにもとれた。損をするタイプだと、苦笑が深まってしまう。
 「言うまでもないかな、とは思うけど……いいかな?」
 自分の言葉に彼がびくりと震えた。それを自身でも自覚したのだろう、顔を更に顰めて逸らした。
 そうして、苦悶というに相応しいその表情のまま、何かを耐えるようにその腕を組み、俯く。小さく蠢いた唇が微かな音を自分の耳に届けた。微かすぎて正確には聞き取れなかったけれど、断片とこの状況と彼の性格を考慮すれば、何となく解る。
 …………端的な返答だったそれは、確実に自分の意志には沿わない意識によって織り成されているのだろう。困ったように笑い、彼の名を呼んだ。
 それでも反応しない彼に焦れるでもなく、もう一度。渋々といった態で諦めたように顔を持ち上げたその目を、真っすぐに見つめて、笑んだ。
 「解ってないから、そんな顔なんじゃないかな?」
 「…………なにがだ」
 先ほどの返答を否定するように告げてみれば、彼はやはり顔を顰めた。より濃くなる眉間の皺は、いっそ彫刻に刻まれたかのように定着し始めている。もっと気楽に生きればいいのにと、そんな彼を見ているとどうしても思ってしまう。
 「だから、僕は、君さえ嫌じゃなければ、また来てねって言おうと思ったんだよ?」
 本当に解っているのかとからかうように問いかける言葉に、返答はなかった。
 ただ、返されたのは驚きに染まった彼の顔と、途方に暮れたように揺れる、その感情だった。
 噛んで含めるようにいって聞かせた言葉は、きちんと彼の中に響いたのだろう。だからこその、この反応だ。
 彼は、解らないのだろう。自身の行動を振り返って、その上で、彼はここに訪れることを拒まれると思い、あんな風に途方に暮れた目で事務所を見上げていたのだから。
 なんてことはない、話なのに。ただ一言だけ言えばいつだって許されたことだ。
 自分は、彼に願うことはほとんどない。どれほど彼が自分を傷つけようと、たった一つの根源さえ許してくれるなら、それ以外は大抵、容認出来るのだ。
 それを知らない彼に、教えることが正しいのか、自分は解らない。それでもいま告げなければ、彼はこのまま怯えて縮こまるばかりだろう。そんな風に彼の歩む足を捕らえるような真似、自分はしたくはない。
 「僕は、君がいてくれれば、嬉しいよ」
 「………………」
 「こうして会えるなら、それが一番いいんだ」
 それ以上の願いも、それ以外の望みも、自分には思いつかない。ただ、彼がいなくなることだけが、途方もなく恐ろしい。
 「それだけでいいんだよ」
 そっと、躊躇うように顔を顰めて思い悩む彼に最後の言葉を差し出して、笑いかける。受け取ってくれることを祈って捧げた音は、遣る瀬無さそうな彼の顔を溶かしはしない。
 それでも、不器用に彼は、笑った。泣き笑うような、そんな顔。
 微かに頷き、ぎゅっとその拳を握りしめて、まるで厳かな宣誓でもするかのように睫毛を伏せて、囁いた。
 「君が、それを願ってくれるなら」
 自分もそれを願いたいと、躊躇うように恐れるように彼は言う。
 その言葉の響きに自覚のない彼の感情を見つめながら、それでもそれを受け入れて、微笑む。

 自分の願いは、たいしたものではないのだ。

 けれど、それを叶えるにはひどく遠回りを必要として

 幾度も見失いかけて、消えてしまった


 だから、願わせて
 拙い腕と未熟なこの声で

 それでも精一杯の思いと方法で、告げるから




 どうかどうか、傍にいて。








   



 うちの成歩堂の基本欲求。→傍にいて欲しい。
 まあ滅多に口にはしませんけどね。一度伝えて受け入れてもらえたら何度も言うものじゃないと思っていますし。繰り返し言い過ぎても鬱陶しい願いだと、自覚もあるので。
 そしてそれ以上のことは一切本当に願っていないというこの現実が、ミツナルなのに一方通行に見える要因ですね。いやはや、だって解らないんだもん、抱き締めて欲しいとか抱き締めたいとか言う感覚がいつ湧くものなのか(汗)
 うーん、人肌恋しいときなんて凹んでいる時か悲しんでいる時か、そういう慰める時だとばっかり思っていたからなぁ。そしてそういう時も出来る限り独りで耐えてきた人間としては、首を捻るばかりだよ。

 そして面白いくらい現時点でバレバレですね、御剣。自覚ない御剣より先に気づく成歩堂が凄いのじゃありません。そこまであからさまで自覚のない御剣が凄いんですよ!
 ………だから自覚すると手に負えないくらい子供化するわけですね、困った子ですよ。

07.10.23