柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
多分、なにも考えもせずに呟いた 06 消せない想い 目を瞬かせて彼を見る。内心、冷や汗が止まらない思いだった。 起きた瞬間にまさか彼が自分を見ているなど思いもせず、反射的に固まってしまった身体が恨めしい。鈍い彼は、それでも目に見える事象には呆れ返るほど鋭いのだ。 解っているのだからそれを躱すために必要な手段もちゃんと想定していた筈なのに、どうしても突発的な事態には対処が追いつかない。 そもそも彼を拒む意志のない自分に、全てを事前に押し隠してなかったことにすること自体、無理な話なのだろう。それでももう少しだけ、先延ばしにしておきたい。 せめて彼が自分で自覚するまでは、足掻きたい。それまでの間にその思いが変化してしまえば、それはそれでなんの問題もないのだから。 ひどく身勝手な物思いをしながら、たったいま彼から告げられた言葉を噛み締める。 ………折角先に防衛線を張ったというのに、それに対して真っ向から攻撃を仕掛けられた気分だ。牽制されていることさえ解っていない相手には、その点を主張しても首を傾げるばかりで無意味であることは解っているけれど。 どう切り替えそうかと思い悩んで視線を彷徨わせていると、頬に触れていた彼の視線が不意に消えた。 ちらりと見遣った先の彼は、消沈した姿で俯いている。おそらく、触れることは許されないと、そう己で結論づけてしまったのだろう。 意固地な彼は自身で出した解答をそう覆そうとはしない。盲目的とも言うべき視野の狭さは、まだ歩き始めた赤子が親の与える環境でしか世界を知らないようなものだ。 彼は、価値判断の基準を全て自分に当て嵌めてしまう。もしもこれで自分が嫌だなどといえば、おそらくこの先、他の人間全てにそれを当て嵌めてしまうだろう。 まだ、彼は人と関わるという現実に不慣れで、初めて手を伸ばした自分という存在に、怯えてさえいるのだから。 「駄目なわけじゃないよ、御剣」 慌てて俯く彼に声を掛ける。いま撤回しておかなくては、後々余計にこじれてしまうのは目に見えていた。なんといえば伝わるのか脳裏に幾通りも言葉を連ねて考えるが、彼が無自覚であるという観点を抜きに出来ないことを考えると、伝える言葉は極端に曖昧なものに変わってしまう。 ………そして困ったことに、彼はこと感情というカテゴリーに関して、曖昧な表現では何一つ伝わらないという特技を持っていた。 俯いていた彼が微かに顔を上げて自分を見上げる。寄る辺ない子供のような表情は、その体躯には似合わないもので、少しだけ滑稽だ。 「だが、君は………」 好んでいないのであればそれはするべきではない事柄なのだろうと、彼は顔を顰めて告げる。唸るような、というべきくぐもった声で。 それを眺めながら、発言の意味をどうして彼は気づかないのかと嘆息しそうになる。 触れたい、と。………それはそのまま告げているようなものだ。 友人に差し出すには少々風変わりな要求だと、彼はおそらく気づいてはいないのだろう。まだ友人という距離感すら掴め切れていないのだ。願いの全てが友情から去来するものだと、あるいは思い込んでいるのかもしれない。 それはひどく不器用で拙い感情のあり方だ。表現の仕方も知らなければ、差し出し方すら知らない、原始のままの情。 幼い子供の間に誰もがそれらを、失敗を重ねながら取り扱い、その方法を学んでいく筈なのに、一度断絶されたその方法を、彼はまた一から積み上げなくてはいけない状態にいる。 元々知っていた筈の手段すら、いまはもう解らないのだろう。全てを踏みつけてしまったから、彼の手持ちのカードの中に、それらは何一つとして残っていない。 それは、寂しさしか自分に呼び起こさせない、事実だ。 「違うよ、御剣」 つい、そう呼びかけてしまう。それはもう、無意識というよりも条件反射だ。 彼が打ち拉がれる様は、見たくない。………なにがあろうと自分は、やはり彼には幸せであってもらいたいのだ。幼かった日、自分に幸を与えてくれた人だ。その後どれほど傷を与えられようと、与えられた情が消えるわけではないのだ。 だから、与えたい。自分が彼からもらったものを、いま必要としている彼に、全て返したい。 自惚れるわけではないけれど、いまそれを彼に手渡せるのは、恐らくは自分だけなのだ。…………悲しいと、思わずにはいられない事だけれど。 「なんて言えばいいのかな……えっと、じゃあ、君は?」 どういえば彼が納得出来、この話を有耶無耶に出来るのか、必死になって脳裏でロジックを構築する。日常生活でまでそんな風に頭を使っていては疲弊しそうだが、彼相手に手抜きの弁論は逆効果だ。 それならば持てる限りの知能を使って求めるべき解答へと誘導しよう。………どこまでそれが通用してくれるのかは、解らないけれど。 一瞬思案し、そっと、彼に問いかける。 「君は、色んな人に触られたりするの、平気?」 「嫌いだ」 かなりこちらが切なくなる早さの解答が返された。勿論、予測通りの否定の言で。 それに揺れそうな瞳を瞬きの中で隠し、苦笑を浮かべる。からかうような、そんな顔で彼を見つめて、戯けるような調子で言葉を繋げた。 「じゃあ、僕も触るのは駄目?」 「何故そうなる」 やはり即答で返される言葉に、吹き出すように笑う。彼は訳が解らないという顔で呆然と自分を見つめているが、段々と不機嫌に顔を顰め始めた。 からかわれたと思った彼が睨みつけてくる視線を感じ、手を挙げて少し待つように示した。 深呼吸を数度して、なんとか呼吸を整える。向き合った彼は、それこそ法廷で被告人である自分を見ていた時のような、そんな形相で睨んでいた。 それを見つめると、悲しくなる。…………自分が傷つくのではなく、彼が傷ついているのが、解ってしまうから。 己の脆さ全てを覆い隠すように、彼は冷徹になる。そうでなければきっと、相手を追い詰める事も断罪する事も難しいのだろう。自分を見るその冷たさは、いつだって必ず、そんな脆さを内包していた。 「ねえ御剣、同じじゃないかな、それは」 そっと、その顔がより傷つかないように慎重に、問いかける。 言葉を吟味して、彼の中の脆い部分を掠める事のないように、ゆっくりと囁く。 睨む視線に揺らめきはない。まだ、自分の言葉を咀嚼しきれていないのだろう。思い、そっと吸い込んだ呼気を緩やかに吐き出した。 「誰も彼もが駄目ってわけじゃ、僕もないよ」 「……………………」 「ただ、突然だと驚くよっていうだけ」 言い聞かせるように一つずつ、確認する。少しずつ、彼の表情に変化が現れた。 許されるのか、許されないのか、戸惑うように揺れている感情。拒まれる事を恐れて問いかけられない、そんな心理すら、浮かんでいる。 「それにほら、この歳でそうそうないだろ、男同士で抱きついたりとかも」 続く言葉に彼は少し怪訝そうな顔をする。………自身が感じたものとの差異を、考えているのだろう。 それを見つめながら、小さな小さな牽制を少しずつ色々な場所に配置して、出来る事なら回避する事を、祈ってしまう。 いまの彼の価値観は、全てが自分に起因してしまう。 それでは、折角広がり始めたその世界を、また狭めてしまう事になる。 やっと解放されて、彼は自由になれたのに。今度は自分という檻に捕らえられてしまってはなんの意味もない。 「しかし………」 彼は呻くように小さくそう呟き、けれど繋がる言葉が思いつかないのか、悔しそうに唇を噛み締めた。 まるで幼い子供のようだ。本当に幼かった頃、彼はとても自信に満ち溢れていて、こんな顔を晒した事はなかったけれど。 あるいは、やっとその感受性が開いたのだろうか。大人の模倣ではなく、彼自身の意志で紡がれる、視野が。 見つめがなら感じるのは、歓喜。 彼が彼の道を歩める可能性が、何より自分には嬉しい。自分が与えられたものの少しでも、彼に返せたような思いに、心が温まる。 自然浮かんだ笑みに、彼は少しだけ息を飲む。どうしたのかと思えば、その腕が、伸びた。 躊躇いながら、それでも求める事を止められないその指が、ぎゅっと縋るように背中に回される。 視界の中、見えていた筈の彼の顔が消えて見えない筈のその背中が広がるのを確認しながら、真っ白な脳裏で、懺悔した。 自分は知っていた筈なのに、捕らえてしまった。 …………手放すつもりだったくせに、無意識に繋ぎ止めてしまった。 求めてばかりの彼に与えれば、よりいっそう自分だけにその心を寄せると解っていた筈なのに。 抱き締め返す事も出来ないまま、ただ、小さく震える自分の身体を持て余して、彼の腕の中、固く目を瞑っていた。 捕らえたく、なかったのに。 それなのに。 打ち消し霧散させるべき想いの種に、水を与えてしまった。 あとはもう、芽吹くばかりなのだろうか…………… そんなわけで無自覚なまんまそれでもこうですよ、御剣。 飢えているからなんも自覚しなくても与えてくれるだろう人に手を伸ばしているよ。 やっと世界が広がって、自分で歩き始めたのに、目の前にずっと欲しかったものが転がっていたせいで動かないんだよ。 必死に相手は逃げて少しでも多く世界を歩かせようとしているのに、そんな事頓着もしてくれていないね。 まあそれがうちの御剣ですから。半ば諦めが入りますね……… 07.10.23 |
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