柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
彼を見送る。 02.まるであの日のように 自分を見る視線を感じた。じっと、幼くも思える視線で自分の肩を見遣っている。 それを敢えて知らぬ振りをして、手の中の書類を仕上げていった。あと、何枚だろうか。いい加減溜め息が漏れそうだった。 普段から生半可な量ではない仕事をこなしてはいるが、最近は特にひどい。年末に向けてのしわ寄せが悪化している気がする。 そんな事を考えながらもさらさらとペンは動き、見遣った書類の内容は全て脳内に叩き込んだ。 早く終わらせなくてはいけない。本当ならば家に彼が来た時点で全て放棄して明日に回しても良かったが、珍しく急にやって来たこの男がそれを気にして即帰ろうとしたのだから、仕方が無い。 明日でもいいのだといって納得する男ではなかった。………その分明日無理をする気だろうと言われれば、それに返す上手い言い訳が即座には浮かばなかった。 邪魔をする気はないのだと踵を返そうとする肩を、無理矢理掴んで室内に引き上げたのは、つい30分ほど前だろうか。 それから黙々と書類を仕上げていくだけの自分を、彼は気が散らない程度の気遣いを発揮して、それでも自由気ままに振る舞っていた。もっとも、精々ソファーを陣取り、冷蔵庫の中身を吟味し、適当に摘む、その程度の事だったが。 そうして、時折覗くようにして自分の背中を見遣る。正確には、肩だろうか。位置関係的に、背中を見るというのは適切ではなかった。 次に彼が口を開けば、当然帰宅の旨を告げるために決まっている。 …………彼の忍耐と自分の処理能力と、どちらが勝るか。正直、解らなかった。 それでも、帰したくはなかった。そこに居るだけでもいいから、同じ空間に居たかった。随分と長い間会っていない気がするのだ。それは勿論、そんな大それた時間ではない。 けれど、長かった。声も聞けず、文字にすら出来ず。幾度も繰り返しそれらを送ろうとしては、時間が合わない事に歯噛みした。 そんな中の、降って湧いたような時間だ。明日も仕事があるのだから長居など出来ないのだろうけれど、ほんの少しでも言葉を交わしたい。彼の姿を見つめていたい。 そう祈り、彼が退屈さに飽きて帰ろうと立ち上がらないことをひたすらに願った。 さらさらとペンが紙面を滑る音が響く。もう既に成歩堂が立てる音がしなくなった。それでも、視線は感じる。 邪魔にならないようにとテレビもつけていない。この部屋に彼が好む雑誌があるとも思えない。 時間を潰せるわけが無い。すぐに飽きるに決まっている。 早く早く、持ち帰った書類が苛立たしいほどの量に思える。 その時、恐れていた音が、落ちた。 …………トンと、床に足が触れる音。布ずれの音。歩く、彼の足音。 顔が青ざめているのではないかと、自分でも思う。まだ満足に彼を見つめてもいないのに、帰ってしまう。 足音が近づく。真後ろにそれが到達した。心臓がうるさい。彼に聞こえるのではないかと思うほどだ。 ペンを持つ手が、止まる。 帰宅の言葉が聞こえたら、なんと答えればいいのだろうか。きちんと冷静に受け止めて、見送らなくてはいけない。彼とて忙しいはずだ。その中を、わざわざやって来てくれたのに、相手が仕事に没頭しているなど、張り合いが無いに決まっているのだから。 間違っても、詰ったり文句をつけたりしてはいけない。そう考えて、小さく深呼吸をし、背後の人が声を掛けるのを、待った。 「…………………?」 足音が、止まって。暫くの沈黙。音は無い。声も、無い。ただ彼はそこに居る。 そうして、小さく小さく息を吐き、座る気配。 ライティングディスクを前にした自分の後ろに座れば、当然見えるのは彼の頭くらいなものだ。訝しんで振り返れば、彼は大きな欠伸を晒していた。 間の抜けたその顔に目を瞬かせていれば、彼は大きな目を眠そうに擦り、ちらりとこちらを窺う。 また、沈黙。 …………なにをしたいのかも、なにを考えているのかも、正直まるで解らない。彼は自分にとって最大級の難問だ。 椅子を引く事も出来ず、かける言葉も思いつかない。窮地に活路を見出せずにペンを握り締めていると、彼がようやく声を発した。 「…………邪魔、かな?」 こんな場所ではと、そういう意味だろうか。言葉を汲み取り切れず、パニックに陥りそうになる。彼はなにをしたいのだろうか。帰りたいわけではないのだろうか。 答える術を思いつけず、困ったように彼を見下ろせば、寂しそうにその眉が垂れた。 瞬間、察する。…………間違えた、と。 「ごめん、やっぱ、帰るよ」 「違う、ダメだ。帰るな」 立ち上がりかけた彼の肩を押さえ込み、床に腰を落とさせる。目を瞬かせて乱暴な腕を見遣る彼は、戸惑うように首を巡らせた。その視線の先は、時計。………もう間もなく、日付が変わる。 帰るなといっていい時間ではない。終電が無くなってしまう。 一瞬の、躊躇。けれど、やはり腕が放せない。 「………君の負担に、なりたくはないのだ」 言い倦ねるように、呻いて告げる。確実に、たったいま負担となる行動を押し付けているというのに、とんだ矛盾だ。 いつだって法廷で矛盾を突きつける彼は、けれどこんな時はそれをせず、揶揄すらせず、じっと自分を見上げて小さく首を傾げた。そしてそれは、そのまま静かに床へと向けられてしまう。 「僕も、なんだけどね?」 突然押し掛けて居座って、邪魔以外の何ものでもないだろうと、困ったような声が静かに落ちる。 俯く顔が、見えない。しゃがんだままの彼の、今は尖りもしんなりとした後頭部が見えるばかりだ。 「………君がいない方が、辛い」 そっと、その髪を梳いて、きっと彼にとっては重いだろう言葉を小さく呟く。 彼は優しくて甘いから、願えばいつだって精一杯の努力で応えてくれる。それが負担にならないなんて、思ってはいない。 自分は欲張りで貪欲だ。彼が与えてくれるものは、どれほど積み重なっても満足など出来ない。 もっともっとと願って求めて、彼を困らせるに決まっている。 だから、彼と同じように精一杯の自制で、ほんの少しを願う事すら……彼にとっては多大な祈りだと、解っている。 椅子の後ろにしゃがんだままの彼の頭が、少しだけ揺れる。肩を押さえる腕に触れ、離すように示唆された。 やはり帰るのかと暗澹たる思いで手を離せば、彼の身体はそのままスライドして、隣にやって来た。 瞬く視線の先で、こてん、と。まるで子供のようにその頭が自分の膝に寄りかかったのは、夢だろうか。 「………あんまりさ」 「ム」 「甘やかさないで、欲しいんだよね」 調子に乗っちゃうよ、と。本当に困ったように彼が言うのだから、おかしなものだ。 甘やかされているのは自分だ。調子に乗っているのも、自分だろう。大型犬のように擦り寄る、普段は甘えなど欠片も見せてくれない彼の髪を、梳くようにして撫でた。 「君はもっと甘えるべきだろう」 相手の事ばかり考えて自分のことを二の次にする、愛しい人の性情は、それが故にいつも受け身で献身的だ。 「うるさいな、これでも甘えているんだよ、鈍感検事」 可愛くない物言いを可愛らしい声音で告げるのだから、困った男だ。苦笑しながら、赤く熟れる耳を見つめる。 「解りやすくしてもらいたいものだ。証拠品は、明確でなくては意味が無いぞ?」 「………なら、さっさと終わらせろよ。君の背中ばっかり、見てたくないんだよ、僕だって」 小さく小さく、彼が呟く。悔しそうな、情けなさそうな、そんな音。 表情が見えないように顔を伏せているのは、多分、その声に見合う情けない顔を晒しているからなのだろう。見たいのはやまやまだが、そんな事でこんな風に愛らしい振る舞いをしてくれる彼の勘気を買う事は、あまりにも野暮だ。 そっとその頭を撫でて、彼の事を思う。もしかしたら、一緒にいるのに……追いかけ続けた頃の寂しさが思い出されるのだろうか。 自分が彼を見送る時に感じる寂寞と焦燥を、あるいは彼も感じるのだろうか。 淡白で素っ気なくて。恥ずかしがり屋で臆病で。その癖、誰よりも深く自分を思い情を捧げ、その幸せを願ってくれる人。 「私も、君の顔を堪能したいものだ」 だから顔を上げて欲しいと、髪を撫でる手をそっと頬に滑らせれば、小さく唸る声がする。 羞恥心と戦っているらしい彼が答えを出すのは存外早く、そっとズボンの裾を掴むと、出来得る限り小さな声で、呟いた。 「………仕事、終わったら、いいよ」 彼なりの精一杯の譲歩は、随分と可愛らしいもので、知らず笑みが浮かんでしまう。 「承知した」 書類は、あと片手ほどだ。そう時間はかからない。それまでの間、こうして彼のぬくもりを膝に感じているのもいいだろう。 愛おしい存在が自分と同じ思いを僅かでも抱えてくれている事に満足を覚えながら、ペンを握り直す。 先程までの焦燥感が嘘のようだ。 たった一つのぬくもりが寄り添うだけでこうも気分が変わるのだから、自分も現金な人間だろう。 そう、思い。 赤く染まった首元を晒しながら、 おそらくはそれ以上に赤い顔を気にしている彼を 久方ぶりに抱き締められるだろうか、と。 抱擁一つですら溺れてしまう初心な想い人を見下ろした。 ようやくお題が全部終わりましたよ。順番通り書いていないですがね。 このお題では『普通にお付き合い中』な二人を書こうと思って頑張りました。出来る限り擦れ違わなくて、出来る限り恋人っぽく、甘めに。 …………うん、これでも出来る限りそうしたのです(遠い目) 恋愛感情って、表現する事が難しい。ただ人を慈しむ事なら、もっとずっと簡単で示す事も出来るのに。 おかげで私は成歩堂は書きやすいけど御剣は書きづらくて困ります。何考えているのかなぁ、この子………。 08.4.30 |
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