柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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昔から彼はお人好しだ
だからこそきっと
自分は彼を放っておけず
学級裁判以後も
誰一人として彼を糾弾しなかったのだろう

彼はそれを自分のおかげといい
自身の人柄など見向きもしない
だからこそ周囲は彼を思い
傷付かぬようにと願うのだ


傷つけた相手すら、思いやる彼だからこそ
遣る瀬無くとも彼らしいと
嘆息とともに、苦笑する





3.道行く人は何処へ



 インターホン越しに聞こえた声は、少しだけ懐かしかった。
 彼が弁護士を辞めてからその経緯を教えられ、しばらくの間音信不通だったのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
 自分の方も忙しかったが、それに輪をかけて彼は忙しかった。
 「珍しいな」
 室内に招き入れながらそう告げてみると、彼は困ったように苦笑した。………少しだけ目の下にくまがあるのは、寝る間も惜しんでいる証拠だろう。
 それでもおそらく自分に指摘されることを嫌って仮眠くらいはしてきたのか、髪のセットはされていなかった。
 しげしげとそんな彼を見つめていると、彼はそれに気付いて少しだけ睨んできた。あまり外見上の特徴を指摘されることを好まない彼は、無意味に凝視されることも嫌う。
 微苦笑を浮かべ、ソファーに座っているように告げてキッチンへと向かった。紅茶を用意して戻ってきた5分程度の間、慣れた仕草で彼はソファーに凭れかかって身体をほぐしている。
 疲労は、溜まっているだろう。彼は若さ故の体力のみで猛進する、そんな悪癖がある。
 もっとも彼の仕事上どうしても過酷さを増しがちなのは否めず、それを他者に託すことの出来ない事務所の事情もあるのは理解出来るけれど。
 もう少しだけ自分の身も顧みてほしいといったところで、彼はそれくらいはしていると答えるのだ。彼の基準はあまりに大雑把すぎて、見ている側としては冷や汗が浮かぶことは理解していない。
 「とりあえず、飲みたまえ」
 「ん、ありがとう」
 そっと差し出したティーカップを触り、熱さを確認している彼の正面に自分も座った。
 氷を一つだけ加えて若干熱さを冷ました紅茶は、彼にもすぐに飲めるだろう。見遣ってみればほっとしたように笑んで、カップに口を付ける姿が映る。
 熱くて飲めないということすら意地っ張りな彼はなかなか言わず、結局いつも冷めて渋くなった紅茶を飲んでいることを不思議に思ったが、先に氷を一つ入れておくだけで、彼は嬉しそうな顔をするのだ。
 そんなに飲みたかったのなら早く教えればいいと憮然といえば、きょとんとした彼が、自分が気付いてくれたことが嬉しいだけだとあっさり告げた時のこちらの動揺も、おそらくは知らないのだろうが。
 勘がいいくせに鈍感な彼は、それ故にいつも奇抜で目を離せない。
 今日の訪問も唐突で、メールで確認されたのも、ほんの30分程度前の話だ。事務所との距離を考えれば、出がけに確認をとったと考えて差し障りはないだろう。
 明日が休日だからこそ、彼も躊躇いつつも珍しく夜遅い訪問を敢行できたのだろう。そうでなければこちらの疲労を気遣ってなにか用があろうと先送りする。
 「で?一体どうしたのだ」
 突然の訪問もこんな時間であればなおのこと、嬉しさ以上に怪訝さが滲む。
 まして彼は今現在子供を引き取り育てているのだ。今まで以上に遅い時間の訪問はなくなるだろうと思っていた矢先の出来事に、驚きは隠せなかった。
 そんなこちらの感情は、おそらく筒抜けなのだろう。困ったように眉を寄せて、彼は少しだけ考え込むように視線を落とした。
 小さな沈黙の間、もう一口紅茶で喉を潤わせた。こちらがカップを置いたタイミングで、彼が顔を上げて唇を開く。
 「あのな、少しお願いがあってきたんだけど………」
 「…………君が?私に?」
 かなりの驚きを感じたが、逆に声は静かだった。驚き過ぎて実感が湧かないせいだろう。目を見開いて彼を見遣れば、戸惑うように視線が彷徨っている。
 出来ることは自身でどうにかしてしまう彼だから、あまりものを頼まれた記憶はない。
 勿論、仕事上の資料などに関してであれば便宜を図ることを頼まれはするが、それも無茶な要求はしなかった。公私混合を、彼は好まない。
 その潔癖さは自分も良しとするところで、だからこそせめてプライベートでくらいはもう少し頼ってくれてもいいと思っていたが、それが彼に適用されることはそうはない。
 まして彼が面と向かって、しかも彼の常識内では非常識に加えられるだろう時間帯の訪問をしてまで、何かを自分に願うなど、今まで一度としてなかったことだ。
 驚きが過ぎていけば、感じるのは喜びだ。自然と笑みが唇を彩った。
 それを彼は見遣って、顔を赤くして俯いてしまう。どうも彼は相手が自分の行動で喜ぶことに慣れず、戸惑いばかり示していた。
 「あの………だけど、ね?」
 「ム?」
 「……………怒らないで、聞いてほしいんだけど………………」
 躊躇いをかなり含んで彼はそう呟いて、俯いたままでさえ視線を逸らしている。
 それに目を瞬かせ、不可解そうに眉を顰めた。自分が彼に願われて怒るようなことがあるのか考えてみるが、ないと断言が出来る。
 彼の中の価値基準は自分よりもよほど潔癖で清廉だ。彼が人に願うことなどささやか過ぎて、叶えることを厭う相手すら思い付かない。
 そんな相手の言葉を聞き入れないほど自分の心も狭くはないと思うが、あるいは怒るような頼み事が存在するのかと想定する。
 ………………どう考えてもそれは彼自身が願わないでくれるだろうことばかりで、首を傾げることしか出来なかった。
 「ム?………まさかとは思うが、会うなとか、そういうことか?」
 「違うよ。いや、でもある意味そっちの方が優しいのかな………」
 一応という思いで告げた可能性はあっさりと否定された。が、それに続く悩むような言葉に自然と眉が寄る。
 それ以上に自分が嫌だと思うことが存在するのかと考えると、彼の言葉を聞くのに若干の躊躇いが生じるのは否めなかった。
 それは相手も十分理解しているのだろう。告げるのを止めようかと思いはじめているのが見て取れた。
 「…………構わないから言いたまえ」
 このまま何もいわれない方が落ち着かないと、少しだけ素っ気なくいってみれば、彼は苦笑を浮かべた。余裕のある振りをする自分を簡単に看破するのだから、こちらとしては分が悪いことこの上ない。
 微かな躊躇いの間の後に、彼はそっと唇を開いた。
 「新人検事だから君が知っているかは解らないんだけど………牙琉検事、知っているかな?」
 「……………………。知らないわけがないだろう」
 君を追いやった張本人だと、憎々しげな思いを込めて告げた言葉に彼の目が揺れる。
 彼は、どこか人に甘い。他者に向ける負の感情を嫌う傾向もある。
 それはひとえに幼い頃の学級裁判での傷が、彼にとってあまりに深く根ざしているせいもあるのだろう。元来の性質ということも否定しきれないけれど。
 思いながら、軽く息を吐き出して自身の感情を押さえ込む。彼に向かって怒気を向ける謂れはない。
 「えっと……実は、ね。今日彼に会って………それで、かなり凹ませちゃったと思うんだよ」
 「君が怒ったというなら、それは彼の自業自得だろう。気に病む必要はない」
 伝えづらいというように躊躇いながら告げる言葉に、呆れたように返す。
 実際、彼が怒りを向けるというならば、相手になにかしらの非があるに決まっている。それは欲目でもなんでもない、単純な事実だ。
 そもそも彼が怒らなくとも、周囲はあの新人検事を責めるだろう。
 それこそが彼を追放した男への罰だ。この先の彼の検事としての活動は、とても困難な道のりであることは想像に容易い。
 弁護士も現場の刑事たちも、控えめながら検事という役職の人間も。誰もが彼の存在の尊さを知っていたのだ。
 そして処分すら、彼は自分から望んだ。
 違法な証拠を確認もせずに提出したそのことへの裁きを受けると。………世間を騒がしてしまった現実の問題がある以上、裁かれた人間がいなければ法曹界への傷になるとでも思ったのか。
 燔祭(はんさい)の子羊となったキリストでもあるまいし、彼が捧げものとして屠られる謂れなどない。にもかかわらず、それ以外に世間の口さがない輩を黙らせる有効な手段は、確かになかった。
 それを見越しての彼の言葉は………たった一人以外には諾とされた。彼の意志をこそ尊重しようとした、彼の仲間たちによって。
 だからこそ、この清冽な彼を追放せざるを得ない状況を作った検事を、快く思えない心理は当然だ。
 「彼は相応の罰を受けて当然だろう」
 皮肉げな笑みで告げた言葉に、彼の目がまた揺れる。悲しそうな瞬きに訝しげに顔を顰めてそちらを見遣れば、彼は躊躇いがちの笑みでたたずんでいた。
 「…………ごめん」
 そっと彼は謝罪を口にする。寂しそうなその顔のまま告げられた言葉に疑問を示して目を細めれば、彼は軽く首を振った。
 「やっぱり、頼まない方が…いいのかもしれない」
 「なにをだ?」
 嫌な予感を覚えて、少しだけ険しい声で続きを促せば、悲しそうな苦笑で、彼は呟く。
 「あの坊やを、導いてあげて欲しかったんだ」
 出来ることなら君に、と。彼は俯きながらいった。
 自身でも無茶な要求をしていると解っているのだろう。………否、解ったのだろう、今更になってようやく。
 彼は自身のことに無頓着で、既に決着の付いた問題であれば見向きもしない。
 だから、時折忘れがちになるのだ。周囲は彼ほど彼のことに淡白でなどあり得ないということを。
 「彼は怯えていたから………多分、君と同じ場所を目指せるんじゃないかって」
 真実を見据えることが出来る人間になるかもしれない、と。彼はそういった。
 自己陶酔に浸らず、周囲の言葉や態度の中の真実を読み取って恐れていたから。そうした人間は一人でも多い方がいいと、彼は躊躇いを含みながらも誠意を添えて囁く。
 …………呆れるほどの、無関心さだ。
 自分を追いつめ、その胸に輝いていたバッチをもぎ取った愚かな相手の行く末を思うというのか。自身を傷つけたことすら、もう既に済んだことと。
 どうしたならそこまで自身に関心を向けずにいられるのかと、詰ってやりたいほどだ。
 呆然と見遣った先の彼は、それでも笑っていた。泣き出しそうに揺れる瞳で、それでも彼は笑う。
 「………ごめん。君を傷つけたかったわけじゃ、なかったんだけど………」
 瞬きを落として、不器用に笑んで。
 「我が侭だった。………ごめん」
 こちらが切なくなるような微笑みで、彼は謝罪ばかりを口にする。もっとも傷付いていいはずの彼こそが、他者をいたわり慈しむというのなら、それを敬虔なものと尊ぶべきなのかもしれない。
 …………………そんな彼だから、自分は救われ、彼を支えたいと願ったのなら。
 彼の傷すら、包む覚悟を持たなくてはいけないのだろう。どれほど遣る瀬無くとも、憤りを覚えても、彼がそれを望むというのならば。
 「……………たいした我が侭だな、本当に」
 小さな溜め息とともに、そっと額を押さえて目を伏せて。苦さの浮かびそうな自分の顔を隠して、その感情が声に乗らないことにだけ、意識を払った。
 小さく撥ねた彼の身体に、おそらくは自分の感情は彼には筒抜けなのだと思い知りつつ、そっと、せめてもの願いを、口にした。
 「……………出来るだけの便宜は、図ろう。君が、望むなら…………」
 囁くよりも小さな声で、今はまだ許しきれない相手の未来を引受ける覚悟を、口にする。
 その空恐ろしいほどの恐怖に似た重責を背に感じながら、それらを今までどれほど抱えても笑っていた彼の胆力を思う。
 「君は厄介ごとにばかり、巻き込まれるな」
 苦笑して、彼の肩に乗るその重責を欠片ほどでも与えられたのならと、彼を見遣った。………他の誰でもない自分を真っ先に選んで託そうとしたその信頼に、せめて失望させないだけの結果を与えたい。
 固く握りしめた拳を見つめる彼が、そっと笑んで。



 謝罪とともに、感謝の言葉を、口にした。









   



 個人的意見としていっていいなら、不可抗力で傷つけた相手をそこまで憎む意味はなかろうよ。と思う。
 犯罪者にも良心くらいはあると思うしね。というか、それを信じなかったら多分私はこの歳までまともに生きていることは不可能だったと思うし。
 だから出来る限り許せることは許す方がいいと思う。でも、それが全ての人間に適用される感覚でないことくらいは知っているので。
 適任であろう人に願うことさえ相手にとって痛みなら、願うことは本当に困難な行為だなと思います。
 …………まあうちの成歩堂の、自分自身への無関心っぷりがひどいせいもあるのですけどね。多分治らないよな、これ…………(遠い目)

07.7.10