柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
静かな人だった 最後の1歩の距離 「……………?誰、だっけ?」 声をかけてまず言われた言葉がそれだった。この場合なんと答えればいいのか解らず、一瞬脳内が真っ白になった。 まさか忘れられているなどとは思いもしなかった。 自分が覚えているから、なんて馬鹿な理由からではない。普通、自分が弁護士でいられなくなった法廷での相手検事の顔くらい、覚えているものだろう。 ましてその兄と友好を持っているのだから、話題くらい出ても不思議ではない。それ以前に、自分達兄弟は顔も似ていて、兄を知っていれば弟である自分を見て何の反応もしないはずがない。 にもかかわらず、目の前の男は明らかに不審そうに自分を見ているだけだ。もしも名前を呼ばなかったら、そのまま気付かずに歩き去っただろう結果が目に浮かぶほどに。 「まさか………自分の最後の法廷の相手検事を忘れたとかいう気かい?」 おそらくはそうなのだろうと思いつつもからかうように問いかける。 せめてものクールな素振りは、けれど相手にはばれていたらしい。冷めた視線で見据えられた後、子供を窘めるような笑みで答えが返された。 「ああ……あのときの坊やか。元気そうで良かったね」 じゃあこれでと続きかねない軽やかさで彼は答え、すっと肩が揺れた。そのまま本当に背を向けられそうな気がして、知らず腕を掴んでしまう。 どうしてと問われても答えられない。そんな気持ちに襲われたまま、けれど腕を掴んだ力だけは緩まなかった。 身じろぐように彼が軽く腕を揺すった。離せと示していることは解っていたけれど、敢えて無視をして彼の顔を覗き込む。 憔悴した様子はなかった。むしろどこか鋭利さを秘めていて、何かを追い求めるような、そんな純粋な意欲を秘めている。 それは犯罪者のものではなかった。 …………罪を犯す人間が携えるには、あまりに清らかな色だ。 動揺しそうな胸裏を飲み込んだ息でなんとか留め、唇の端にだけ余裕の笑みを浮かべてみる。………到底上手くいったとは思えないけれど。 相手の視線は相変わらず冷めていて、嫌われているというよりは、まるで無機物にでもなったような恐怖に襲われる。自身を追いつめた相手に、人はこんなにも無関心でいられるものなのか。背筋が凍るような思いが、した。 「………用がないなら、手、離してくれる?」 いつまでたっても行動を起こさない相手にじれたのか、あるいは単に鬱陶しかっただけか、静かな声で彼が言った。 法廷で聞いた、あの最後の静謐さを思い出す。 糾弾されれば誰もが泡を食って反論するものだった。有罪無罪関係なく、自分の正当性を主張するはずだった。そんな見苦しさを想像していたのに、彼は、彼だけはただひたすらに静かだった。 まるで予見でもしていたかのようだ。…………そんなはずあるわけもないのに。 有罪であれば、あんなあからさまな罠に嵌まるはずもない。無罪であるなら、あんな静かにいられるはずがない。 どちらが正しいのか解らない。ただただ谺すのは疑問。 不正を暴いたと褒められながらも、褒めてくれた相手たちはどこか落胆していた。まるで何かを見落としているような、そんな目で自分を見るものもいる。 正しいことをしたはずだった。それなのに、この居たたまれなさは何だったのか。 解らなくて答えが欲しくて探しまわった先にいたこの男は、そんな自分の心境などまるで知らずに、その上自分という存在すら、知らないかのようだ。 「あんたは……ねつ造をしたんだろ?」 それを確認したかっただけだと吐き出すように早口でいえば、きょとんと相手が目を見開いた。 存外幼く見えるなどという不謹慎な感想は、おそらくはひどく緊張している自分自身を紛らわせるための防衛手段だったのだろう。 自分が笑んでいるのかどうかすら解らない現状で、相手の表情になど気を回せる余裕があるはずがないのだから。 惨めだ。そんな気持ちを味わいながら見遣った先の相手の顔は、ひどく不可解そうな不思議なものを見つめる視線だった。 「そんなことはどうでもいいんだよ」 返された言葉はひどく素っ気なかった。切り捨ててさえくれない、躱したともいえない。まるで空気に対して質問をしたような、そんなやり切れなさだけが残った。 顰めた眉を晒して睨みつければ、彼は小さく息を吐き出して、そっと掴まれた腕を振り解いた。 「君は……与えられた情報だけで真実が解るって、思っているのか?」 掴まれた腕を軽く摩りながら、少しだけ顔を顰めて彼がいった。おそらく腕には痣くらい残っているだろう。力加減など出来はしなかったのだから。 呆然と見遣った先には、厳しい眼差しを携えた廉潔な弁護士の彼。否、もう今は弁護士でなどないはずなのに、それでもその目はあの法廷で見た生粋の視線。 穢れなど寄りつけもしない、空恐ろしいほどの意志。 「真実が知りたければ、自分で探す以外に道はないんだよ」 だから邪魔をするな、と。 ………切り裂くほどに真っすぐなその視線が告げた。 その襟元にはもう弁護士バッチなどないのに、彼は今もまだ、真実を探しているのか。 「……………だがあんたは、違法の証拠品を持って……」 「なんで検事はさ」 言いくるめられるのを厭って相手を追いつめようとした瞬間、静かな声が遮った。 静かすぎて、逆に耳が痛かった。感情的になっている自分がひどく無様な男に思えた。相手がそうなるべきであるはずなのに、まるで立場が逆だった。 なんでだと睨む視線が悔し紛れの憎悪を孕む。 …………それさえ淡々とした視線が見遣るだけで、受け取ってさえもらえなかったけれど。 「真実を放り出して、目先の勝利だけ欲しがるんだろうな」 さらりと告げられた言葉は、ひどく鋭利な刃物だった。 この身を両断するに足るだけの、凶器だった。 息を飲んで相手を見遣る。冷静なその視線が、身に痛かった。 何故自分は彼に声をかけてしまったのだろうが。まるで足下から全てを崩されるような、こんな恐怖を味わうにも関わらず。 …………予感が、しなかったわけではないのに。 自分こそが間違っていると、そう囁く周囲の視線が身を切り裂くほどに痛かったから。耐えきれなくて、彼にそれを押し付けようと、した。 そんな愚かささえ、今は呪わしい。耐えていれば、少なくとも、世界が崩壊しそうな、こんな感覚を味わうことはなかったのに。 「君はいらないんだろ、真相なんて。なら、僕の邪魔をしないでくれる?」 「………………?」 そっと彼の足先が動く。立ち去るつもりだ。けれど身体が動かなかった。その腕をまた掴もうと、逃がさずに、自分の優位を確かに知らしめてやろうと思ったのに、動けなかった。 喉がひどく渇いた。暑くもないのに汗が滲む。 どれほど大きなコンサートの直前でも、こんなにも緊張した記憶がない。 何故、それほどまでに彼に揺さぶられているのか。ここは法廷ですらないというのに。そして、自分はただ、彼が違法者であることを確認したかった、それだけだというのに。 見遣った先の彼の唇が動く。柔らかな動き。けれど、注がれる視線の無機質さに、ゾッとする。 「僕は、何も得ようとしない人間と関わっていられるほど、暇じゃないんだ」 斬りつける、声。切り捨てる、声。 それは自分が与えるべきもので、彼が被るべきもので。それなのに、確固たる信念の元、彼はそれを自分に突き付ける。 安穏としたぬるま湯の中にいるだけでは真実は手に入らない。 歩き出す勇気もないものが自分の前を立ちはだかるな、と。 自分が裁いたはずの相手は、そんな事実すらなかったかのように、立ち去っていった。 ……………ただひたすらに、前を見据えたその視線だけをその身に宿して。 痛かった。ひたすらに。 打ち砕かれた壊された世界の中、 呆然と立ち尽くしていた。 そうして、恐る恐る歩きはじめる。 彼がいっていた、真実の道を。 それでも怖くて、たった一つの真実だけは、暴かなかった。 自分の罪が、露見する。 裁かれるべきでないものを裁いただろう、この罪悪感。 償うことの出来ない罪ほど重いものはない。 それだけが、真実という道を後押しする、 痛みの、剣。 成歩堂のことだからきっと検事の人たちにも好かれてはいたと思うのですよ。表面的かどうかは別として。正しいことをする人間が排除されるのは嫌だしな。 で。そんな彼がねつ造なんぞするはずないと、ちゃんと思われていて、でも事実として違法な証拠がそこにはあって。 本来ならまず真っ先にその証拠品があることを提示できた情報にこそ疑いを向けるべきなのにそれをしなかった彼を、それでも責める理由がなくて。 正しかったといいながらも、誰もが口を閉ざしてしまう、そんな環境に初法廷以後いなくてはいけなくて。 そんな場所にいたらやりきれなくて直接本人に直談判いって逆にばっさり切り捨てられた感じです(笑) 響也さんはなんとなく真相を知っていて、でも既に裁いてしまった後で、どうすることも出来なくて。 無力と無知の結果の恐怖を知っているのではないかな、と。 冤罪を作ることはその人だけへの影響ではなく、それを作り上げてしまった人の罪にさえ、なるから。 07.5.18 |
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