柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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きっと誰にも解らない

呟いたのは、どちらだっただろうか
多分、どちらもがそれを思い
どちらもが、それを零しはしなかった

ただ、どこまでもその言葉は谺した

僕の中で。
そして
………………彼の、中で。





もしも君が泣くならば



 半ば眠るような眼差しで周囲を見遣ることにも慣れて久しい。
 自分自身に変化はないけれど、それが故に周囲が憤慨し抗議をし続けることに困り果てて身に付けた処世術は、存外今の生活に見合ったもので、なかなか使い勝手のいいものだった。
 喉奥で蟠りかけたものを飲み込んで、視線を中空に漂わせる。ただそれだけで面白いほど簡単に対峙する人間の思考がずれてくれる。
 …………そうでなかった初めの人は、誰だっただろうか。
 ふと思い、苦笑する。
 戸惑うことも悲しむこともなかったのは、多分、面識がなかったが故のものなのかもしれない。そんなことをその時はうっすらと思いながら、今はそれとは違う見解を弾き出してしまう。
 「成歩堂さん?」
 不意に少し下の位置から声がかかる。
 彷徨っていた視線をのんびりとそちらに向けてみれば、大きな目で真っすぐに見据える若き弁護士が立ち尽くしている。………それこそ、途方に暮れる、という趣で。
 何かあったかと瞬きをしながら口元を緩ませる。現状確認をするようにまた周囲に目を向けてみて、ようやく彼が戸惑っている理由に思い至った。
 道が、違った。自分が帰ろうとした成歩堂なんでも事務所は、自分の足が向かおうとした道は通らない。無意識に進もうとした方向に何があるかをすぐに思い至って、のぼりかけた苦笑を欠伸を噛み殺す仕草で誤魔化した。
 「えっと……どこか、寄ってから帰るんですか?」
 返事を返さない相手にじれたのか、あるいは沈黙に耐えられなかったのか。それとも単に質問しなければ答えてくれないと解っているのか。………そのどれもでありそうな青年は逸らさない視線を惜し気もなく相手に押し付けて問いかける。
 「いや?もう帰るよ」
 簡潔かつ明解な解答だけを口にして、そっと足先を正しい方向に向けた。それに合わせて青年もまた、そちらへと身体を向ける。
 しばらくは沈黙が続いた。その沈黙は少しだけ重く、緊張を孕んでいる。ちらりとも視線を向けなくともそれは十分理解出来た。
 頭一つ分小さなこの青年の能力を、自分はよく知っている。
 嘘は吐いていない。けれど、隠し事はしている。だからこそ、きっと、彼は気付いたのだろう。自分が敢えて口にしなかったことがあるということを。
 それを彼が問いかけるか否か。………それは自分が考えるべきことではなかった。決めるべきは彼自身だ。
 すぐに問詰めなかったということは彼もまた、なにかしらの予感を抱いているということだろう。そしてそれをまだ未熟で経験の浅い思考を用いて、必死に解明しようとしている。
 すぐに答えを教えるのは簡単だ。けれど、それでは何の意味もない。きちんと考え、自身で答えを導き出すロジックの道筋。彼は、それがまだ少しだけ甘い。
 彼個人の能力のおかげでなんとか保てている弁論は、その実ひどく危なっかしい。
 利用出来る時に利用出来る命題で出来得る限り考えさせる。それを行うにも、今の自分のポーズはひどく適したものだった。
 そこまでのことを考えてなどいなかったけれど、世の不思議なのか、運命の悪戯なのか、こんな時は7年前の自分の選んだものを少しだけ賢かったと褒めてやりたくなる。
 大分歩き続けた。人情公園の中に差し掛かった頃、チリリと首筋に視線を感じる。
 おそらくは彼がその能力を使用しているのだろう。眼力とはよくいったものだと思うほど、それはいっそ物理的な痛みを感じるほどの刺激だった。
 「………………?」
 緩く笑みを浮かべた口元をそのままに、首を傾げるように斜め後ろを向く。
 それだけで彼と視線があった。見上げる視線と見下ろす視線。そのどちらもが問いかける意味を孕んでいた。
 真剣な眼差しだ。自分がずっとその目を携え真実を追い求めていたように、彼もまた情熱と一途さだけでそれを知りたいと足掻いている。
 まだまだ途方に暮れることの方が多い半人前の弁護士は、それ故に必死さと我武者らさだけで食らい付く気概を秘めていた。
 「あ、の……成歩堂さん………?」
 「なに?」
 他愛無い日常のやり取りのような素っ気ない言葉。それに諦めるなら、それはそれでいいだろう。引き下がるのもまた、手の一つだ。
 観察するように見遣った先の視線は、それでも揺らめかずに自分を見つめた。言葉を探しながらも、ただひたすらに見つめている。自分には解らない何か、緊張を示すその特徴を見据えているのだろう。
 それでも呼吸は乱れず、視線も揺らめかない。大抵の人間ならば示してしまう、単純なサインは全て消した。今の自分のそれを見抜くには、彼や娘くらいの特殊な能力が必要だろう。
 そうでなければいけない。…………そうであれば、少なくとも今の自分がいる意味がある。
 「先生に……会いたいですか?」
 回りくどくいうわけもなく、確信だけしか問えないそれは、無邪気さというよりは言葉を操り慣れていないせいだろうか。軽く吐息を落とし、成歩堂が苦笑を示した。
 それに慌てたように肩を撥ねさせた青年は、言い繕おうと口を開けるが、やはり言葉は見つからなかったのか、慌てるばかりで声は出なかった。
 「会いたいけどね。なかなか、会う理由がないものだよ」
 ただそれだけだと、吐息と同じ軽さで答えた視線は遠くを見つめていた。
 慌てた青年を落ち着かせるわけでもなく、気遣うわけでもなく、ただ空の彼方にある雲を眺めているようなのんきさで告げられた言葉。
 それを飲み込み、青年は戸惑うように眉を寄せた。子供のようなその表情に雲を見つめた視線が落とされた。
 それに触発されたのか、するりと落ちたように青年の喉が震えた。
 「恨んで、いるからじゃ……ないんですか?」
 知りたかったこと、なのだろう。淀みない言葉は幾度も幾度も彼が心の中で呟き続けたものだ。
 それを見つめて成歩堂は笑った。淡く、幼くさえ見える、その笑みで。
 「なんで?」
 けれど答えは解答ではなく、問いかけだった。
 目を瞬かせて青年が見上げた先にあるのは、真っすぐに目を向ける、優しい笑み。
 それはどこか、慈愛という言葉を思い起こさせるもので、普段の彼からはそぐわない、そんな暖かさに満ちている。
 混乱しかけた脳内を更に叩き潰されそうな笑みに、困惑が加速していく。どちらが問いつめているのか解らないような状況の中で冷や汗を流しながらも、青年は言葉を探し続けた。
 嘘は、解るのだ。隠されていても見えてしまう。でも、それでも、否、だからこそ。
 …………解らなかった。
 何も反応してくれない腕輪が悲しい。隠されていない。嘘も吐かれていない。それでも自分は彼の言葉が解らないと、それを認めなくてはいけなかった。
 「だって………成歩堂さんが弁護士でなくなった理由は………」
 小さくなっていく声に覇気など求めることは無理だった。泣き出したくなるような絶望が目の前を泳ぐ。
 同じ立場に自分が立ったなら、どうだっただろうか。何の含みもなく、こんな風に笑えるのか。
 答えを出すにはあまりにも、自分は無知だ。遣る瀬無いほどそれを痛感する。
 「解ろうとするのは、正しいだろうね」
 ぽつりと、突然成歩堂が呟いた。それは今までの会話と繋がっているようで、まるで繋がっていない。声の質が、まるで違う。
 青年に語りかけているのではない。視線は確かに向けられているけれど、その先に他の誰かがいるように、思えた。
 呆気にとられて見遣った先、変わらぬ笑みのまま、彼は囁く。優しい、寂しい声で。
 「でもね、理解出来ないことはある。それは事実だし、どうすることも出来ないよ」
 悲しい言葉。けれど、それを実感している響き。
 戸惑いが切なさに移行して、青年の大きな目が揺れる。泣きたいわけではないけれど、他に感情の行き場がなかった。
 「あいつは僕を助けようとしてくれた。でも、僕はそれを拒んだ。僕は真実を晒すことを選んだ」
 「…………………え?」
 「わからない?オドロキくん」
 呟かれた言葉は青年に向けられていて、突然の現実に脳がパンクしそうだった。
 それでもなんとか与えられた言葉を飲み込んで、目を見開く。零れそうな瞳はきらきらと日差しを浴びて光る。涙が零れないことの方が不思議な状態だ。
 それを見遣りながら、首を傾げてもう一度、成歩堂は問いかけた。
 「わからない?」
 少しの沈黙の後、青年が首を振る。いっている意味がまるで掴めないと困惑した顔は、子犬のように途方に暮れていた。
 仕方がなさそうに笑った成歩堂は、一度頷き、口を開いた。
 「もう一度、考え直してみようか」
 「え?」
 「単純な話だよ。君の初めての法廷、あいつが犯人だと示すために最後まで決定的に足りなかったパーツは、何だった?」
 「……………え」
 目を瞬かせて、必死になって思い出す。あの法廷は成歩堂が一緒に戦ってくれた、唯一のものだ。
 むしろ彼自身が戦ってさえいた。自分はそれに必死に追い付こうとしていただけで、まるでビデオでも見ていたような、そんな気分さえする時があった。
 繰り返し考えた。何か違和感があった。それは、なんだったか。
 「…………………あ……」
 「わかった?」
 もれた掠れた声に、成歩堂が耳聡く声をかけた。それに目を向け、ぐっと力を込めた視線で、問いかける。
 「動機………ですか?」
 「そう。より正しくいうなら、被害者との繋がり」
 「でも……それは………」
 立証されたのだからと言いかけて、息を飲む。それを知っていたのは誰であったのか。…………そして、立証するために必要なものを携えていたのは。
 驚愕に目を見開く青年に小さく頷き、成歩堂は音を紡ぐ。寂しそうな、切なそうな、それでも法廷で聞くあのはっきりとした芯の通った声で。
 「だから、僕に選ぶ権利があったんだよ」
 「でも………!」
 「彼は僕を助けただろうね。僕がただじっとしているだけで、ちゃんと第三者を………どこにいるか解らない、そんな第三者の存在を明らかにして、ね」
 まっすぐな声。まっすぐな視線。法廷の資料を見る度に背筋に震えがくるほど真実だけを見据えたそれらが、突き刺さるようにして向けられる。
 それから逃げることが出来ない。否定したくて、拒否したくて、必死で逃げようとしても、それでも逃れることは出来なかった。
 「だけど……それでも、逃げられるわけがないです!だって、事実面識が………!」
 震えそうな身体を奮い立たせて、噛み付くように大声を出す。
 「ないよ。解っているんだろ、オドロキくん」
 けれど返ってくるのはいっそ静謐とさえいえる淀みない声で。泣きたくなる。どうしてこの人は、こうなのだろう。
 追いつめている立場のくせに、そのくせ、追いつめられたものの持つ痛みを、誰よりも背負っている。それを隠して、押し殺して、その目に映る悲哀の色さえ、飲み込んで。
 みぬくまでもない。ちりちりと痛む手首がいっそ忌々しい。突き付けても救われない。何も出来ないと痛感させられるだけの、傷を抉るだけの存在でしかない自分が疎ましかった。
 「僕が実証しなければ、第三者は永遠に現れず、あいつは今も君の師匠としてここにきっと一緒に立っていたよ」
 それは絶対的な、響き。
 …………絶対的な信頼とさえ、見えるほどの、響き。
 犯罪を犯した。己を貶めた。それを知ってなお、彼は言い切るのだろうか。その相手が、自分を救うために手を差し出しただろうと。
 根拠などない。証拠もない。それでも彼は、まるで当然のようにそう呟くのだ。
 それはリンゴが落ちるのと同じほどに、当たり前なのだと。疑うべき余地すらない事実なのだと。彼の声の響きに、思い知らされる。
 「あいつは僕がそれを選ぶと思っただろうな。でも、僕は選べなかった」
 「…………それ、は………」
 正しいことだと言いたくて呟いた声は、けれどそれ以上続けられなかった。
 あまりにも悲しい。憂いさえ己の中で昇華しようとする目の前の人が、救われることを願っていないことが、悲しい。
 痛みを受け入れることが己に科せられた罰だと、そういうように、彼は粛々と身を晒している。
 「解ろうとすることは正しいんだよ」
 彼が、呟く。
 「でもね」
 優しい声。暖かい声。
 「どんなに頑張っても、理解出来ないことはあるんだ」
 寂しい声。………悲しい、声。
 それは混じり、空に浮かぶ雲のようにゆらゆらと風に揺れた。
 自分に向けられたのか。自身に言い聞かせているのか。それとも、今はもうここにはいない、遠い場所に一人住う人に、告げたのか。
 それさえ解らないけれど、ただ、悲しくて。


 …………泣くことのない目の前の人の代わりに、ただ、頬が濡れた。








   


 なんとなく、霧人さんは助けるつもりはあったんじゃないかなーと。
 もちろん自分には一切危険がないように用意周到に、だけど。で、その大前提で、成歩堂が沈黙し続けることがあって。
 でもやっぱり罪は罪。罰は受けなくてはいけないから、真実を選んだ成歩堂は、それはそれで罰を望んでいる感じ。

 しかしまあ、オドロキくんが面白いくらい頭の悪い子になっているな、この話(笑)

07.5.17