柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
『やっぱり出来たのね。さすがだわ』 甘い雨垂れ 大きな溜め息を吐き出して、汗で濡れた額を拭った。退廷のときはいつもそうで、どれだけ彼が消耗しながら戦っているかがよく解る。 それでも一心に無罪を信じて。………依頼人の言葉を信じて、真実を見定めようと喰らいつき続ける。 それが正しいと、そう教えたのは自分だった。そう思いながらも、彼のその姿はどこかが食い違っているような、かけ間違われたボタンのような、そんな危うさがある。 「なるほどくん?」 声をかけると弾かれたように顔が上がる。少し精悍さの増した幼い顔立ち。意志の強さの際立った、対峙した相手を射抜く視線が真っすぐに注がれる。 瞬きを一度して、それは嬉しそうにほころび、姿勢を正してお辞儀をした。 「千尋さん、今回もありがとうございました。おかげで………」 「ストップ。毎回いっているけど、私は助言しただけよ?」 あくまでも勝訴をもぎ取ったのは彼の力だとほのめかせば、照れたような困ったような顔で彼が首を振った。否定……の仕草ではあるけれど、そこに卑下する翳りはない。目を瞬かせて首を傾げてみせると、彼は心得たように口を開く。 こんな時、思う。彼はよく人を見ている。どんな仕草をした時に相手が何を思っているか、親しければ親しいほど知っているのだろう。そして何よりも本能とも直感とも、あるいは感性ともいえる部分で、理解していることがある。 ……………囁かれる言葉の真偽を、彼は無意識に区別してしまう。 何故という説明が出来るわけではない、それでも確かに知ってしまうが故に、彼は真実を引きずり出せる。それは誰も知らない天性の、才だろう。 「いえ、助言のことではなくて………隣に、立っていてくれた、からです」 頭を掻きながら子供のようにいう彼は、とても弁護士としての頭角を現している人物には見えない。一人で立つ自信がないわけではないだろう。今までも、どうしても真宵の都合が付かない場合は一人で法廷に立っていた。 それでも彼の言葉は、確かにそう思っている響きがある。問いかけようと口を開きかけた時、係官が退廷を促した。 仕方なくそれに従い、有耶無耶のまま帰路についた。 帰り道、空は暗さを持ちはじめ、夕方の赤から宵闇を招き寄せていた。 それを見上げながら、半歩後ろを歩く自分の弟子を伺う。特に何をいうでもなく、ぼんやりと歩いている。 未だ真宵の身体に憑依したままの自分に異議を唱えはしないのは、疑問に思わないわけではなく、単に自身の与り知らぬ決め事があるのだろうと思っているのだろう。 自分にも真宵にも信頼を寄せているからこその無防備さは微笑ましくもあるけれど、それは同時に彼の脆さにも見える。 「そういえば、なるほどくん」 ふと思い出し、振り返りながら名を呼んだ。はい、と答えながら首を傾げた彼が大きく一歩進んで隣に立った。 その顔を見上げながら、いつものように微笑んで問いかける。先ほどの、疑問を。 「退廷する前の話なんだけど………、なるほどくんは助言より隣に立つことの方が大事なのかしら?」 「え?」 思いもかけないことを問いかけられたように目を瞬かせた彼は、困ったように視線を彷徨わせた。 その間も歩む足は止まらないが、5歩ほど進んだ後、頷く仕草のまま俯いた彼が、小さく口を開けた。もしかしたら表情を隠したかったのかもしれないけれど、身長差故にどうしてもその顔は全て見えてしまった。 「いえ……あの、千尋さんが隣にいると、思い出せる、からなんです」 躊躇いを持って途切れ途切れに言われた言葉は、昔にも見た顔で綴られた。 …………泣き出しそうに光をたたえた瞳で、それでも嬉しそうに笑う、チグハグな笑み。 どきりと心臓が鳴る。それは、触れてはいけないことだったのかもしれない。 解らないにもかかわらず解った振りをした、あのときのツケが回ってきたのだろうか。思いながらも、笑みは崩さなかった。彼に教えた言葉の通りを、自身でも実践する。 笑みは、逆境の中でこそその真価を問われると実感とともに思ってしまう。 「あら、どういうことかしら?」 その口で教えてほしいとねだるような、あるいはたしなめるような響きでもって問いかければ、困ったように彼は首を傾げた。どうせ解っている相手に隠す意味もないというような、そんな顔。 はったりはきちんと効いているらしいと内心安堵する。言葉の続きを促すように首を傾げてみせれば、彼は真っすぐに前を向きながら、呟いた。 「まだ、弁護士になったばっかりの頃、僕のミスでやり直しの書類が山になったことがあったじゃないですか」 暗みがかった赤が、彼の顔を彩っていた。彼の奥にある空に、星が瞬きはじめている。チグハグな顔。チグハグな空。 ………………さして遠くはない過去の話なのに、彼はひどく昔のことを思う瞳で、語っていた。その目は光を反射して煌めいている。 「あったわね。今も書類は苦手みたいだけど、あの頃はもっとひどかったものね」 「にもかかわらず、僕は意地を張って一人で明日までに終わらせるって言ってきかなかったんですよね」 失敗談を話す割に、どこか彼は嬉しそうだ。あるいは、幸せそう、なのかもしれない。どちらにせよ、しっくりとこない印象であることに変わりはない。 それはあの時にも感じた。……………朝、様子を見にいったときの、あの顔を見た瞬間に感じたこと。 「その時、千尋さんが言ったんですよ?」 「…………?」 「はったりでもいい、信じるから頑張ってみなさいって」 出来なくて当たり前。それでもその可能性に食らい付くなら、信じるから頑張ってみればいい。たったそれだけのことを、まるで大事な宝物のように彼がいった。 そのことに驚いてしまう。からかいさえ込められている言葉に、彼がそんなにも感銘を受けたとは思わなかった。 目を瞬かせてみれば、彼は苦笑した。きっと彼には解ったのだろう、自分がそんなにも彼に影響を与えた言葉とは思っていなかったことを。 「僕、ずっと強がっていたんです。千尋さんに出会う前から。出会った後も、ずっと」 出来ないことも出来ると思ってやらなければ、出来ない公算の大きさに負けてしまいそうになる。心までそれに取り憑かれたら、立っていることさえ危うい。 だから平気だと、大丈夫なのだと、言い聞かせて強がって、形振り構わず必死になった。 「でも、千尋さんは、強がりをはったりだって、いったんです」 「………………?」 「強がりは弱点を隠そうとするようだけど、はったりは、勝負を賭けているようでしょう?」 ほんの小さな言葉の違いでしかないけれど、それはきっと、彼にとっては大きな違いだったのだろう。噛み締めるようにその言葉を口にする様が、愛おしむようで、少し照れてしまう。 彼の瞳が煌めく。その奥で星が瞬いた。赤は静々と幕を降り、暗闇が顔を覗かせる。それでもまだ、彼の目には光がたたえられている。 笑みを浮かべているのに、それでも……彼の瞳には、それがたたえられたままだ。 ………こぼれはしない雫は、いつもぎりぎりのところで彼自身が抱え込んだまま、落とされはしない。 「だから、強がるのは止めたんです」 悪戯を仕掛ける子供のような顔をした彼が、瞬きをしてその目に浮かぶものを霧散させた。また、彼はそれを降らすことなく抱え込んでしまうらしい。 その仕草を、寂しいと、少しだけ思った。 「僕が怖がって怯えて強がったら、本当のことなんて見えないですから。その代わり、ばんばんはったりかまして相手を揺さぶることにしました」 「まるで子供の口ゲンカね」 「まあ、そうともとれますかね」 たしなめる言葉に肩を竦めるだけで受け流した彼は、それでも、と小さく呟いた。 「腹の底から言い切った言葉は、不思議と本当になるんですよ」 その言葉の真価を知らない彼はラッキーなのだろうと苦笑する。そんな他愛なさに笑みが洩れた。 彼は知らない。恐らくは、この先も一生解らないだろう。それはきっと、彼だけの持つ特別な才能。彼自身に自覚のない、誰にも気付かれない、彼だけの。 答えだけを知ってしまい、そこへの解答を口に出来ない、戸惑いばかりの未熟な弁護士は、一つの武器を手にしてから、確かに前に進む術を覚えた。 根拠もなく、後先すら考えない、ただ己の中の真相を知る何かに従った言葉を吐き出す。それは確かにはったりという言葉でくくられるものだ。 けれど、彼に限っては、真実を導くロジックの道筋への切符。 「なら、大切にしないとダメよ?」 その言葉に身を任せるべき時を見極めるのは、彼自身だ。安易に頼るのではなく、戒めもまた必要なのだと暗に囁けば、心得ているように彼が微笑んだ。 「はい、千尋さん」 嬉しそうに楽しそうに、それでもどこか、泣きそうな目で。…………彼は、笑う。 きっとそれはまだ、手に入れていないからだろう。自身の心にさえはったりという魔法をかけているほど、彼はいま憔悴しているから。 帰ってくればいい。早く早く、彼の元へ。 死した自分とは同じ世界にはまだ足を踏み入れていないはずの彼の親友を、叱責するように思いながら空を見上げた。星の瞬きの合間、月が零れるように浮いている。 甘露の露が零れるようなそのまろみある月を見て、隣を歩む彼を映す。 出来ることなら彼の中の甘露もまた、零れれば、いい。 誰かがその甘露をすくいとり、 自身に注いで構わないのだと、 その腕を伸ばしてくれれば、いい。 ………今はもう、この腕は伸ばすことすら叶わないから。 千尋さんとなるほどくん。理想的であるが故に書くのがすごく気が引ける二人です。難しいよ。 07.6.7 |
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