見通しは悪くない、通路の真ん中のような場所で休んでいたのは、つい先程までの事だった。
 休憩中はジュニアが猫のように懐いてくるので、それをあやすのに時間が潰れるし、気も紛れるが、その甘えの中に時折、答えてはいけない質問を混ぜ込んだりするのだから質が悪い。
 その上それは天然ではなく計算なのだから、なお気を抜けない。…………それでも、この薄暗く生の気配の希薄な洞窟の中、誰かに触れたいと思う子供の心理は解らないわけでもなく、少年は子供の好きにさせていた。
 とはいえ、その休憩時間も、そう長いものではなくなってきた。
 「流石に、疲れるさー」
 軽やかな足取りで先導するように手を引いてくれているジュニアが、呑気な声でそんな事を呟く。
 その姿は先程までのAKUMAとの鬼ごっこに、命を賭けて逃げ切った姿は垣間見る事も出来ないくらい、余裕だ。
 「…………どこが、です、か?」
 それに比べて、息を切らせて手を引かれる事でなんとかついていっている少年は、本当にぐったりとしていた。
 少し顔が青いのは、きっと酸素が足りていないからだ。思い、ジュニアはもう少しだけ歩調を緩やかにし、そろそろ休憩出来る場所に連れて行こうと脳内の地図を見つめた。
 「んー、ほら、心臓。早いっしょ?」
 掴んでいたマナの右手を、そっと心臓の上に乗せてみる。歩くだけだった動きにプラスされた動作に、少しだけマナの息が上がる。が、それもすぐに落ち着きを見せ始め、相手の心音の速度を測った。
 しかし、どう控えめに見ても、その速度はたった今、顳かみで感じる自身の血流の速さよりも、ずっと一定していて落ち着いたものだった。
 「僕の、方、が………」
 「マーナ?無理してしゃべんなくていいさぁ?」
 必死になって答えようとするマナに、ジュニアはその額を指先で弾いて笑う。
 マナはいつも、答えようとするのだ。言葉を与えれば打って響く音色。返せない質問にさえ、首を振り駄目なのだと答える。無視をする事がないのだ。
 こんな時までその律儀さを見せなくてもいいだろうに、それは多分、お人好しである以上に、その痛みを知っているからこその仕草だ。
 …………自分自身を醜いと断言するマナだ。きっと、それに見合うだけの経験は、してきたのだろう。
 その中のひとつに、存在すら掻き消されてないものとして扱われる、それがあったとしても不思議はないけれど。
 それでも、自分の前ではそんなこと、忘れればいいのに。
 思い、無理であろう事を痛感する。自分はブックマン後継者だ。彼の知る彼の世界の後継者同様、必要とあらば非情にも無慈悲にもなれる。
 それが彼を傷つける事がなければいい。………せめて、傷つけた事くらい、気付けるといい。
 きっとそれすら自分には難しいのだろうけれど、こんなマナを見ると、そう思わずにはいられない。そんな自分が、不思議だ。
 「でも、これで確実さね。時間だけじゃなく、AKUMAの出てくる距離、短くなってる」
 すっと、ジュニアの眼差しが鋭くなった。仮定が、事実に変わっていく。そしてその仮定は、どれも自分達にとってあり難くないものばかりだ。
 どうすれば、この仮定を乗り越え別の事実に導けるか。何を加え、構築式を立てれば、打開策に繋がるか。
 考えなくてはいけない。今までの知識、この世界の理、自分達の持つ能力。全て、合わせて。
 思考の淵に落ちかけたジュニアの眼差しの中、微かに乱れた呼気が緩やかな深呼吸を繰り返していた。
 それが、小さく掠れた声を、そっと紡いだ。
 「そうです、ね」
 柔らかい、音色。薄暗い思考の中の、たった一つの灯火。
 それを眺めるように目を瞬かせて、ジュニアは切り離していた世界と自分の意識を繋げ合わせた。
 マナを見遣ってみれば、不思議そうに見つめる眼差しが返される。きっと、ここに心が存在していなかった事に、違和感を感じたのだろう。
 妙な事に鋭いマナの仕草は、きっと彼の世界の後継者が繰り返し彼に与えてしまった仕草故の、反射だろうか。
 苦笑に変わりそうな口元を気力で留め、ジュニアは掴んだ腕の力を籠めながら、空いた指先をマナの眼前に差し出した。
 「となると………マナ、いざって時は、俺から離れるさ?」
 意味は解るだろう、と。ジュニアは余計な説明は省いて、絶対に約束させなくてはいけないただひとつを突きつけた。
 それさえ守ってくれれば、どうにでもなる。マナさえいなければ、いくらでも非道な真似、自分は出来るから。
 …………自分の身を守る為になら、他者を足蹴にするくらい、ものともしない。生き残らなければいけないその覚悟の差だと、割り切れる。
 踏みつけるその相手が、マナでさえ、なければ。
 「嫌です」
 それなのにマナは、真っ直ぐな眼差しのまま、一瞬の迷いもなく即座にそう言い返すのだ。
 キッパリと言いきった、短い否定の言葉。その中にある意識の強固さには、もう苦笑するしかない。
 「マナー、さっきも言ったさ。マナだって自分のこと大事にするの」
 そうでなければ意味がない。自分の事も相手の事も守りたいなら、そうするのが一番なのだ。……誰かの犠牲の上でなんて、この人はきっと救われない。
 だから、自分の身を守るから、マナはマナの身を確実に守ってもらいたいのだ。自分の為にその身を差し出すような、そんな真似、間違ってもして欲しくはない。
 だからからかうような軽い口調の中、ジュニアは真剣な音色を響かせてマナに告げた。
 それを見つめ、マナは困ったように眉を寄せ、小さく頤を振る。
 否定というよりは………戸惑いに近い、その仕草。
 「僕は、誰かを犠牲にして、生きたいと思えません。誰だって、幸せに生きる権利があるって、祈ったら……いけませんか?」
 困惑に染まった眼差しには、何が悪いのか解らない慈しみの色。
 それに、驚いた。…………マナは、そんな博愛の言葉を告げながら、そこに加えない存在がある事に、気付いていないのだ。
 「悪くないけど、でも、それはマナが幸せになってからでしょ?」
 目を瞬かせて告げた、外されたたったひとつの存在をジュニアが呈示してみれば、マナはきょとんとジュニアと同じように目を瞬かせた。
 そうして、笑んだ。………柔らかく、幸せそうに、満ち足りた微笑みで。
 「幸せでした、もう充分」
 その微笑みが言い切った言葉は、過去形だった。その事実に、愕然とする。
 ………それはもう、それ以上の幸せはいらないのだと、諦めているのだろうか。今まで与えられた全てで、これ以上の恵みを願わず、生きるつもりなのか。
 そんな寂しい事を、意識もせずに口にするくらい、マナはどこかがズレている。
 こんなにも誰かを守ろうとする癖に、驚くくらい、自分の存在を無下に切り捨ててしまっている。
 寂しいと、そう周りの人が思う事すら、知らないのか。こんなにも聡く、人の機微に敏感な人なのに、たった一つ、自分自身に対しての情だけは諦観でしか眺められない。
 ………それが、ジュニアの知らないマナの今まで故の、仕草なのだとしても。
 それでも、願いたい。このあたたかな腕が、優しい眼差しが、冷たく泣き濡れるのではなく、幸せに綻んで欲しいと。
 「……………もっと、沢山幸せになるの。マナが泣かないでいいくらい」
 マナに突きつけていた指先を、寂しく力なくしなだれさせて、ジュニアはそっとその頬を撫でた。
 冷たい肌は、きっと汗が引いた直後だからだろう。しっとりとしているのも、そのせいだ。
 決して涙が流れたせいではない、けれど。それでも、痛感する。この人は、いつだって泣いていたのだろうと。
 自分でも知らずに。微笑んで、傷付いて、それでも零さなかった涙が、心の中であふれている。
 だからきっと、解らないのだ。自分の存在の希有さも、大切さも、差し出される腕の意味も。………自分を愛おしむという、その事さえも。
 知らないのだ。自分とはまるで逆に。守り方も、生き残らせ方も。自分というカテゴリーに対しての全てを、マナはきっと、放棄した。
 諦める為か、生きる為か、それとも、誰かを守り生かす為か。解らないけれど。
 ただマナは、その腕で自分を守る事だけを、学ばずに育ったのだ。自分のように、自身を生かす為だけに育ったのとはまるで違う。
 その意識に、ジュニアは気が遠くなりそうだった。
 「?泣きませんよ、僕」
 不思議そうなマナは、首を傾げて己の頬を擦る指先をくすぐったそうに見下ろしている。
 微笑む仕草は変わらず優しく綺麗なのに、それがひどく悲しく思えて、ジュニアは眉を寄せた。
 誰か一人の為に痛む胸、なんて。持ち合わせていない筈なのに。軋むような感情、疾うに消え果てた筈なのに。
 思い出す。ひとつずつ。
 植えられる。欠片程の種を。
 ………それが芽吹く事が正しいかなんて、知らない。ただ、マナのくれた全てが、愛しいと思う。
 「泣いてるでしょ、マナ。泣かない癖に。だからもっと、幸せって笑えるようになるんさ」
 幸せを教えてくれた人が、幸せになれない……なんて。
 その笑顔が寂しく彩られるなんて。
 そんな事、想像するだけで苦しい。幸せに、なって欲しいのに。笑んで生きて欲しいのに。その為なら、自分を選ばなくてもいいと、思ったのに。
 俯きそうな顔をなんとか押し止めて、ジュニアはマナを見つめた。伝わるかどうか解らない、自分でもまだ理解しきれていない、知識の処理しかなしてこなかった分野の願い。
 どうしたなら、その思いが伝わるか、解らない。解らないから、せめて願っているのだと、その祈りを捧げるように真っ直ぐにマナを見つめた。
 ひたむきな瞳に、マナは困惑したように眉を垂らす。泣き出すのではなく、途方に暮れたようなその仕草に、ジュニアはそっと顔を寄せ、間近な額を重ね合わせた。
 小さな接触が与える小さなぬくもりは、それでも心に大きな安堵を与える。
 マナが教えてくれた、ジュニアの知らなかった法則だ。
 重ねた額に、抵抗は無かった。頬に添えられた手のひらも、拒まれない。それでも、マナはひどく困った顔をして、小さく蠢かせた唇を開いた。
 「…………それは、でも、一人じゃ…無理なんです」
 「?」
 小さな声が、躊躇いがちに綴った言葉に、ジュニアは目を瞬かせる。
 拒否………ではない。解らないのでも、ない。
 マナの声は、どうしようもない事に戸惑った幼子のようで、ジュニアは間近なその瞳を見つめた。
 近過ぎて焦点の合わないぼやけた視界の中、映るのは鮮やかな満月。
 「誰かが笑っていないと、僕は笑い方が解らないから。だから、幸せになって下さい。僕を幸せにしたいなら」
 躊躇う声が、それでも祈りに変わって捧げられる。
 美しく透き通る音色。朧な視野の中、鮮やかに咲き誇る月下の花。
 ……………願う祈りは驚く程単純だ。単純な癖に、それはあまりに甘く響く。
 それは、願って欲しい事だ。自分の傍ら、笑んで欲しいと、祈った事だ。自分こそが彼を笑みに包み幸せにしたいと。そう、願ったのは確かだけれど。
 微笑むマナの笑みは、あまりに純粋で、溜め息が零れそうだ。
 そうした経験のない自分にだって、解る。マナの言葉に含まれるものが、誰にだって与えられるいたわりや慈しみの一環である事くらい。
 自分にだけ捧げられる祈りでは、なくて。
 きっと………マナの世界の後継者にこそ、捧げられた言葉、で。
 それが届かないからこそ、全てに。思いの全てをただ与え捧げる事で完結させてしまっている。
 祈る声は清楚な程美しいけれど、そうであるが故に、与えられた側は搾取しそうになってしまう、危うさだ。
 「……………マナー……それ、また質悪いっていわれるさ…………」
 クラクラと、目眩に似た甘さに息が詰まりそうだ。自分ではない後継者に捧げられている事くらい、知っているのに。
 それでも、溺れそうだ。マナの差し出す全てが、心地良過ぎて。その腕を引き寄せて、腕におさめてしまいたくなる。
 無防備も、ここまでくると質が悪い。年上の癖に、……否、年上であるが故だろうか。自分に対して、マナはあまりにもいとけなく心を差し出し過ぎだ。
 「え?!何か僕、また悪い事言いましたか?!」
 「悪くないんさ。でも、だから、うー……………」
 驚いたように目を丸めたマナの声がいっそ痛い。勘違いと解っていても、それに疼く心が情けない。こんな風に自分のコントロールを離れてざわめくなんて、無かったのに。手繰れない己の意志に溜め息が出そうだ。
 俯いてどう言えばいいか悩むジュニアを見つめ、マナは慌てたように重ねた額を解くと、頬に添えられていたジュニアの手を解放した。
 一歩離れた距離が、ひどく遠い気がした。その小さな距離に、ジュニアは目を瞬かせてマナを見つめる。
 自分の浅ましさがバレたのか。だからこそ、離れたのか。近づきたくもないのか。
 マナの性格からいって、そんな筈はないのに、随分とネガティブな思考が沸き起こり、顔が青ざめそうだった。
 そんな事にも気付かず、マナは両手を前に出して近づく事を拒否し、ひどく恥ずかしそうに俯いて泣き出す事を我慢するように唇を噛み締めている。
 …………何か、間違えた。伝え方か、濁し方か、態度か。解らないけれど、マナが何かを勘違いして、自分自身を責めている事だけは、解った。
 「ご、ごめんなさい。僕、どうもこういうの間違えるみたいで。気にしないで、ジュニア。嫌な事は嫌って言って構わないんですから」
 震える声で、自分の過失に打ち震えてマナが俯いた。呟く言葉の全てが、拒絶を前提に綴られている。
 マナは、きっと『後継者』と歩めないと、自分自身で決めている。彼の世界の、だけではなく、自分すら、一緒にいてはいけないと。あるいは、心を与えても与えられても、いけないと。
 そんな筈、ないのに。どこまでも彼は、自分自身に対して卑屈だ。
 「嫌じゃないんっ!」
 もう一歩離れようとする足を押し止めるように、突き出された距離を保つ為の腕を、ジュニアが握り締めた。
 必死に言い募るよりも先に、どうしても否定したい言葉だけ、先に零れてしまった。
 …………いつもならもっと、上手く理論を作り上げて反論すら許さない程に己の言に相手を巻き込めるのに。
 マナ相手にはそんな事も出来なくて、辿々しい、子供のような文句しか出ない事が、もどかしい。
 寂しそうなマナの瞳を、笑顔にしたいのに。そう伝えたいのに。
 「えっと、だからさー、マナ、そういう事言うと、相手が期待するんさ」
 自分の浅ましさを告げるのは、物凄く恥ずかしい。…………マナが、別の人を想っている事を知っているのに、告げるなんて。
 その想いを、初めにからかい軽口で躱したのは、自分なのに。
 まるで感化されるように同じになるなんて、どれだけ自分は単純なのだろう。この人を独占している守り石の持ち主が、ひどく羨ましい。
 「?幸せになって欲しいのは当たり前ですよ?」
 「……………特別だから、そう思ってくれるって、思うんさ」
 不思議そうなマナの言葉は、予想していた。躊躇いながら、ジュニアは用意していた言葉を口にする。
 真っ赤に染まった顔は自覚済みだ。頬どころか、耳まで熱い。きっと、俯いたところでマナの視線から隠す事など出来ていない。
 「へ………………………?」
 素っ頓狂な声が、洩れた。マナの呆気にとられたような顔。
 見上げた視線だけでそれを見つめ、伝わった言葉の稚拙さに、ますます赤くなった肌を恥じてジュニアは蹲るようにしゃがみ込んでしまう。
 目を瞬かせ、少年は子供の言った言葉を咀嚼する。
 当たり前の事を、言ったつもりだった。誰もが優しいあの教団の中、幸せになって欲しいのだと、みんなに願った。自分の事など顧みないでいいから、戦う傷は全部自分が背負うから、傷付かずこの戦いの中、小さく芽吹く幸せを手にして、と。
 けれど、それに向けられた困ったような笑みを、思い出す。
 それを告げた青年は戸惑うように、泣きそうに、それでも慈しむ眼差しで頭を撫でてくれた。初めの頃はそう呟いても、不可解そうに眉を上げて同意の軽い返事とともに頷くだけだったのに、いつの頃からかそんな変化をした、青年の態度。
 それは、あるいは…………子供の告げた理由故、なのだろうか。
 「え?ええええ???そ、そんな事、言いました?!え?!じゃあ僕、今まで結構失礼だったかも?!」
 混乱して、少年は真っ赤に染まっていく頬を両手で押さえるように包み、泣き出しそうな羞恥の中で叫んだ。
 しゃがみ込んでしまった子供同様、立つ気力が萎えて足から力が抜けてしまう。
 …………へたり込むように座った地面は、冷たかった。
 泣きたい思いで、必死に脳裏に青年を思い出す。なんと告げただろう、自分は。青年が不快に思うような、嫌な事を言っただろうか。思いを押し付けるような真似、しただろうか。
 解らない、けれど。もしかしたらそうなのかもしれない。呆れるくらい、自分はこうした事に無頓着で、無知だと思い知る。
 こんな幼い子供に教えられるなんて。しかも、その相手にすら羞恥を与えるくらい、当たり前の事で。
 ……………もういっそ地面に同化してしまいたい。羞恥に浮かぶ涙を懸命に堪えて、少年はなんとか突っ伏す事だけはせず、立てた足に顔を埋め、小さく丸くなる事で消えたい程の思いの波に耐えた。
 「一杯に言ったらそうなるかも?」
 そんなマナの様子に、少しだけ余裕が戻ったのか、子供はそろそろと顔を上げて小さく笑ってそう告げた。
 きっと、優しく純粋に人に捧げただけの思いだ。自分のように彼に感情を捧げていないなら、そんな問題はない。
 ただ彼に、同じ思いを捧げていたなら、その腕を引き寄せる事を許されていると、思ってしまいそうなだけだ。
 ………マナにはもう、たった一人が、いるのに。
 「いえ、主に彼ですが………。でもそれだと、あれ?どっちにしろ迷惑かけてたんじゃ…………」
 蹲り、自身の頭を抱えるように唸っているマナに苦笑する。
 きっとそうだろうとは思っていたけれど、マナは随分、彼の世界の後継者を甘やかしていたらしい。そうだとも知らないまま、その優しさに浸らせて包んでいたのだろう。
 こんな心地いい羊水、ジュニアは知らない。その中で育まれ、世に生まれる事が出来たら、どれ程の幸に包まれるのだろうか。
 …………もっとも、こんな喩えをマナに告げたら、AKUMAの弾丸に打たれた事を教えた時のように鉄拳制裁を加えられそうだけれど。あれもまた、彼の世界の後継者が似たような失敗をしたが故だろう。そうでなければ、あんな発言、出る筈がない。
 思い、結局は帰着する先が、彼の思い人が自分ではないという事実である事に、ジュニアは遣る瀬無く笑んだ。
 「いや、それ多分、絶対喜んでたから忘れていいと思う」
 いっそ斬り捨てていいと思う、けれど。
 それは告げればマナが傷付く言葉だ。だからこそ飲み込み、ジュニアは笑んだ。
 痛みが襲う胸に、気付く自分が不可解だった。こんなもの抱える筈が無かったのに。それでもそれを忘れたいとは、思わない。
 これは、マナが抱えている痛みだ。
 思い、……痛みの意味が、なんとなく解った気がして、ジュニアはそっとマナの俯いて隠された顔を願うように、赤いその髪を撫でた。
 その幼い指先に、震えるようにマナの身体が跳ねた。
 「本当に僕こういうの慣れてなくて………」
 捧げられる掠れた声。小さく震えている肩。真っ赤になった耳。赤い髪にも負けないその色に、笑みが浮かぶ。
 自分でも、マナに与えたり教えたり出来る事が、あるのだ。マナが自分に与えたり教えたりするのと同じように。
 それは自分の中、鮮やかにマナが彩るように、マナの中に自分を残す手段なのかもしれない。
 マナを探す手がかりは少な過ぎて、マナがそれを零す事も、きっとなくて。………それを取り零す為には、マナの中、自分が存在しなくては、どうしようもないのだと、思うから。
 ……………きっと、そうでなければ、繋がらないのだ。
 片方だけが押し付ける思いは暴力だけれど、互いに有する思いなら、きっとどれ程の歳月を経たとしても、途切れずに紡がれる。
 それがあれば、きっと手繰れる。マナと、現実の世界の中、出会う為に。
 そう、願って。………ジュニアは打ち沈みそうな寂しさを、この先の未来での希望に換え、笑んだ。
 …………願ってばかりで、望んでばかりで、彼がどうにかしてくれる事ばかり、思っていたけれど。
 その腕を伸ばしてと、我が侭に掴み引き寄せ願うのではなく、伸ばしていいのだと、怯えるマナに教える事も、きっと出来る。彼が、与えてくれたように、きっと。 
 「俺は嬉しいから言っていいよ♪マナの声も、言ってくれる言葉も、大好き♪」
 どんなに彼の世界で彼が傷付き生きていたのだとしても、ここにいる自分は、マナがとても大切で、その思いのどれもが愛おしいと、教えるように。
 蹲る赤い髪を撫で、そっとその肩を包んだ。押し付けるのではなく、縋るのではなく、包めるように。
 ………自分が安堵を感じる為ではなく、マナの震えこそが消える事を願って。
 「そう、ですか。それならいいんですけど……あの、でも、本当に嫌な時は言って下さいね?」
 包むぬくもりの優しさに、戸惑うようにマナが囁く。赤い頬が、より一層紅くなったのは、きっと自分の醜態を恥じたからだろう。こんな時、マナは年上の気概を覗かせる。
 どうせ、この世界では同じ程の肉体だ。そんな事、気にしなくていいのに、マナはきっとずっとこの世界の中、我が侭に願うばかりの自分を抱き締めようとしてくれたのだろう。
 大丈夫と、愛されているのだと、寂しくて飢えた自分に、精一杯の思いとともに、世界の優しさを降り注ぐいでくれた。
 ………自分に、そんな真似が出来るか解らないけれど。
 にっこりとジュニアは笑い、おずおずと顔を上げた戸惑うマナの瞳に、明るく弾む祈りの声を捧げた。
 「うん。マナも、言ってな。俺、きっと一杯間違うから」
 「?????はあ……解りました??」
 言葉が噛み合ない気がしたマナは、キョトンとした眼差しで見上げたけれど。
 それでいい。今はまだ、自分はきっとマナを上手く包めない。
 告げられる事を、出来るだけ告げてみよう。捧げられるものを、マナのように惜しみなく、捧げてみよう。
 空っぽの自分に、マナにあげられる程の綺麗なものがあるのか解らないけれど、欲しがるばかりではなくて、与えられるように。
 寂しいマナが、満たされるように。
 ………きっと、それがマナと繋がる、一番初めの一歩だ。

 あなたはきっと、自分と同じ。
 ………寂しくて悲しくて泣いてた子供。

 知っているから、伸ばしてくれた優しい手のひら。

 この手は幼く未熟で頼りないけれど。

 

 ……………あなたを包み、あたためられたら、いい。

 








   


 きっとアレンは、過去形の幸せしか、思い出せないと思うのですよ。
 今現在も幸せだけど。でも、それ以上を求める気がない。今まで幸せだったんだから、それ以上なんて自分には過ぎた願いだ、とか。
 自己否定と過小評価の結果の、当然過ぎる帰結に落ち着く感じ。
 自分を守る事よりも他を優先するのは、根底にそういったものがあると思うので。
 この先、アレンがアレンである為に、自分自身の幸せを考えられるようになっていくといいと思いますよ。

 まあ早い話。形は違えど、アレンもラビと同じ自己完結の相手最優先の悪癖はあるのです(苦笑)
 ただアレンの方は肉体を犠牲にする事を厭わないけど、ラビは自分の使命故にそれは出来ないというだけで。
 どっちもどっちだから、アレンはラビを責めれないという節もあるのですが。まあ無自覚の部分です、その辺は。
 どっちもお互いを見て、自分自身の慈しみ方を覚えるといいですよ。願うなら、まず自分がそれを出来るようにならんとね!

10.12.6