幼い祈りの声に、答える言葉が解らなかった。
 与えたいものがあっても与えられない。その痛みを、痛感する。
 ………だから、彼もまた、ああして笑ったのだろうか。心を鎧、笑む事で………痛みを分たず己で抱える事を、選んだのだろうか。
 それは、けれど、悲しい。分ちたいのだと、そう祈る声に与えるにはあまりにも独善的だ。
 「ジュニア…………」
 小さく、マナが名を呼んだ。けれど顔を上げられなくて、ジュニアはマナの肩に顔を埋めて動かない。
 その幼い背中をマナは撫でようとして………重く動かない左腕に苦笑した。
 ずっと、養父とともに過ごすようになってからは、少しずつ動かせるようになっていたこの左腕は、かつてはただの木偶の坊のように重く、動く事も制限される厄介者だった。
 今もまだ痛みを教える右腕をなんとか動かして、ジュニアの背中に触れた。そっと、撫でてみる。上手く力加減が出来たか、自信がなかった。それでも見る限りは柔らかく撫でられた。
 それを教えるように、肩に擦り寄る額が甘えるように揺れた。首に触れる髪がくすぐったくて、まるで大型犬を抱き締めているようだった。
 とても………愛しい、ぬくもりだ。
 「…………ありがとう、ジュニア」
 「……え?」
 自然、落とされた言葉は、自分でも不思議だった。けれど、それが一番しっくりとくる言葉だった。
 驚いたように目を瞬かせたジュニアの顔が、ようやく覗けた。不思議そうな瞳の中、笑む自分が映っている。
 こんな風に人の目に映る自分を見つめるなんて、不思議な事だ。………こんなにも、傍にいる事を許されるなんて、不思議な事だ。
 不思議だらけで成り立っている、チグハグな世界。こんな世界だから、自分まで不思議に満たされたのかも、しれない。
 そうでなければ、こんなにも素直に、思いを言葉に換えられる筈がない。そんな資格があるなんて、思っていないのに。
 ……………それとも、今この身体は養父に愛され満たされた頃のものだから、それが故に、躊躇いが薄いのだろうか。
 瞬くジュニアの隻眼の中、笑う自分は幼かった。
 「僕を心配してくれて。大切に、してくれて」
 傾げられた首が問い掛ける。感謝が何故捧げられたか解らないと、その幼い瞳が言葉を促した。
 それに、微笑む。心がそうして定めたように、綴る音とともに零れた、喜びの笑み。
 「僕はすぐ、そういうのを忘れて、いつもみんなに怒られていたから」
 そっと、ジュニアの頬を撫でてみた。………少し、力が強いかも知れない。彼の頬の動きを見ながら、微調整をする。
 それに気付いたのか、そっとジュニアの指先が手のひらを覆い、ぬくもりを分け合うように頬を寄せて来た。
 …………それが、涙が込み上げるくらい、心地良かった。
 「君みたいに、本当に優しい事を、僕はちゃんとあげられないけど」
 この子供のように、喜びを与えるなんて、きっと出来ない。この先の未来、自分は彼に、おそらくは多くの痛みを与えた。
 出会ったばかりの頃、繕う笑みで触れる指先に、怯えた事もある。仮面の笑みに同じ笑みを返した事もある。知らず与えられた傷を抉る言葉に、戯ける事も出来ずただ笑んで流した事も。………どの時だって、彼は酷く驚き、次いで悲しそうに顔を歪めていた。
 傷つけた、きっと、沢山。傷付いた以上に、傷つけた。それでも彼は飽きる事なく腕を差し出し、優しくしようと努めてくれた。
 それが、嬉しかった。こんな自分を見限らず伸ばしてくれた、優しくあたたかな不器用者の腕。
 自分が彼のような腕を携えているなんて、思えない。
 思えない、けれど。…………何か、与えたかった。この子供が欲しがっているもの。願ってくれた事。考えて……差し出した、1つだけあげられる約束。
 「………もしも、君が僕を見つけたら、いいよ」
 「マナ?」
 驚くように、小さな唇から名が零れた。今まで、彼には歴史に影響を与える事を恐れて与えなかった、この先の約束。
 自分の情報をあげられない。自分の生きる時代の情報も、あげられない。でも、希望くらいなら、あげられるのだ。
 ひた向きに向けられる眼差しを見つめ、マナは一つずつ、咀嚼する。嘘とならぬように、叶えられる範囲を探り、噛み締めるように言葉を綴った。
 「一緒にいられるかは……解らないけど」
 「………………………」
 「でも、君が知りたい事は、全部教えてあげる」
 これは……きっと、自分自身の、誓いだ。現実の中、彼にも教えなかった事がどれ程あるだろう。
 その中の最たるものは、この想いだ。………もっとも、こんなにも重く深く穿たれているなど、いま目の前にいる子供に教えられたようなものだけれど。
 いつだって自分は、失って、初めてその重さに驚くのだ。
 結果を見て、ようやくそれに気付くのだ。
 …………もっと聡く、優しく、生きられればいいのに。
 思い、そっとジュニアの頬から愚鈍な左腕を引き寄せ、抱き締めるように右手で支え、見つめた。
 「…………左手の事も、知りたかったでしょう?でも、君は聞かないでくれた。僕が、隠していたから」
 これは醜く、罪の証のように赤く染まった神の使徒としての武器だ。
 ………いつかジュニアが成長し、『ラビ』となったその時は、彼の中、記録として残るもの。
 だからこそ明かせなかった、『マナ』と『アレン』を繋ぐルートの一つ。
 それが言い訳である事くらい、解っている。この醜い腕を、晒したいと思えるわけがない。
 ましてや…………今は、この左腕の他にもこの身に宿る自分以外の意志を知っているのだから、尚更だ。噛み締めた唇が、微かな痛みを教えた。
 きっとそんな物思いに沈んだ自分の顔は、さぞ痛ましかったのだろう。ジュニアは慌てたように幼い両手で左手を包み隠すように添え、首を振った。歪められた眉が、悲しげだった。
 「マナが嫌なら、言わなくていいん。マナの事、全部知りたいけど、暴きたいわけじゃ、ない」
 精一杯の言葉は、誠実だった。こんなに幼くても、彼は人として携えるべき正しさを身につけ、己の中に構築している。
 それを知らず、自身を評価しないのは、きっと彼が佇む場所の過酷さ故だろう。優し過ぎるから、彼は傷だらけだ。
 その傷が、癒されるといい。この先誰かが、彼を包みあたため、微笑みを咲かせてくれればいい。その為の糧になら、喜んでなれるから。
 「うん。………だから、この世界じゃ、駄目。きっとそれはルール違反だから。だから、もしも僕を見つけられたら、いいよ」
 自分を咀嚼し、その意味を知って、次の人の為、花開け。祈ればきっと、ジュニアはまた怒るだろう事を、そっと微笑みの奥に隠し、マナは言葉を綴った。
 「もしかしたら、僕はおじいちゃんかもしれないし、まだ生まれていない、お腹の中の子供かもしれないですけどね」
 「………マナ、言葉、戻っちゃった」
 不意に、ジュニアが残念そうに呟いた。添えられていた両手が、そっと左腕の固さを解すように撫でた。
 そのくすぐったさに首を竦めながら、言葉の意味が解らず、マナは首を傾げた。
 「?何がですか?」
 「敬語。ずっとマナ、俺にそうだったのに、今は普通だった。同い年の友達みたい」
 とても残念そうにジュニアは呟き、もう一度マナの左腕を優しく撫でた。固いだけでなく、服越しでも奇形を教えた。それがきっと、マナを寂しい物思いに捕らえるのだ。
 こうしていれば、少しは消えるだろうか。見目が変わらなくとも、その冷たい皮膚にぬくもりが宿り、彼を凍えの中で守れるだろうか。
 「………………あれ、またやっちゃいましたか」
 じっと見上げた先、マナはきょとん目を瞬かせ、次いで困ったように苦笑した。まるでちょっとした失敗を見つけられた子供のような、顔だ。
 それに目を瞬かせ、ジュニアは首を傾げる。いまいち、自分の言葉とマナの言葉が繋がらなかった。
 「また?」
 「前に、仲間にも言われたんです。気を許していると、敬語が無くなるって。気をつけているんですが、たまにやっちゃうみたいですね」
 養父の真似をするなと言われても、手放せない。これはもう、自分の一部だ。大切な思い出の一つで、無くす事の出来ない血肉となったものだ。…………自然に消えるならばまだしも、自ら意識して手放すなんて、出来る筈もない。
 それでも、零れ落ちてしまう。自らの足で歩む事を決めた時から、見据える先が輝き始めた。
 失った左腕を取り戻した時に、きっと自分は決めたのだ。贖罪のため捧げ尽くすこの命を、ほんの少しだけ、我が侭に自分の為に、歩ませる事を。
 …………それを、関わる人々が願い求め、祈ってくれたと………………本当はずっと、知っていたから。
 その癖、こうして今もまだ手放せないとしがみつく過去があるのだから、頑だと自分自身、思う。それら全てを誰もが苦笑ひとつで受け入れ認めてくれる今を、どれ程感謝してもし足りない程だ。
 「普通の方が、いいさ?」
 微笑むマナを見つめ、ジュニアがそっと囁きかけた。注意しなくてはその微笑みが消えてしまいそうで、呼気すら微かにしてしまう。
 ……とても、マナが幸せそうだったから。
 自分の声のせいでそれを壊したくなくて、それでも、自分もそれに加えて欲しくて、差し出してしまう。我が侭だと、意識も出来ないひた向きさ。
 少しだけ寂しそうなジュニアの眼差しを見つめ、マナは楽しげに笑う。
 こんなささやかな仕草は、未来においても変わらず残されていて、それがひどく懐かしくあたたかかった。
 「彼の真似をして話している君が言いますか」
 ちょんと、包帯から垣間見えるだけともいえる短い指先で、軽やかにジュニアの額を叩いた。
 その額を片手で覆い、照れたように目元を赤くしたジュニアは、口籠りながら小さく言い訳をした。
 「う………だって、マナ、そうすると嬉しそう」
 「…………君は君だから、あの人の真似なんて、しなくていいんですよ?」
 しどろもどろな子供の言い訳に、少年は悲しげに眉を顰めた。
 自分の態度のせいで、この子が己を曲げるなんて、あってはいけない事だ。
 彼は彼の定めた道を、己の意志に基づいて選び歩む、人だ。だからこそ幼いこの身でもあの老人の後継者である事を己で定める事が出来た。
 それを……歪めるなど、したくはない。ほんの欠片だって、彼にとってのマイナスなど、増やしたくないのに、思うようにならないのが歯痒かった。
 「君にあの人を重ねる気はないんです。嬉しそうに見えるなら、それは君に対してで、彼を思い出したからじゃないですよ」
 この幼い子供を見つめる事は、喜びだった、から。
 ……………彼が自分に差し出す事を躊躇い恐れ、掻き消した全てを、教え与えてくれた、から。
 決して、彼の幼い頃だから愛しいと思ったわけではないのだと、教えたくて……けれど難し過ぎるその事を、精一杯の言葉で綴った。
 その言葉の先、驚いたようにジュニアは目を丸めていた。………また何か、おかしな事を言ったのだろうかと、少し不安になりながら少年は彼を見つめた。
 「俺見てて、嬉しい?」
 不思議そうな声は、純粋な音色だった。試したり探ったり、そんな色の入り込まない生粋さ。
 目を瞬かせ、少年は首を傾げた。通常、どういうものかは解らないけれど、今少年の周囲にいる人達は、子供というものをとても大切に愛しむ人達ばかりだ。
 幼く懸命な命を見つめる事を、喜びをもって微笑める人達が教えてくれた、これは次世代を祝す心だろう。
 「君は色々教えてくれて、クルクル変わって、楽しいし、優しいですから。嬉しいですよ、一緒にいるの」
 言葉に換えるには難しい、自分も過去に味わった事のない眼差しの意味。
 拙いままに告げてみれば、ジュニアは嬉しそうににっこりと、子供の笑顔で笑った。無垢なその笑みは、いとけなく歳相応だった。
 「なら、手……離しちゃ駄目。危なくても、一緒に逃げるんさ」
 「………あ、やっぱりそこは念押しますか」
 それでも、しっかり者でちゃっかり者だ。きっちりと押さえるべきは押さえようと逃がさない子供の言葉に、少年は苦笑して戯けてみせた。
 が、あまり彼には笑えない言葉だったらしく、キッと眦を吊り上げて睨んだ幼い顔が、腕を伸ばしてしっかりと両肩を掴み、押し迫って来た。
 「当たり前さー?!本当に俺、心臓止まる気がしたん!!もう嫌さ、あんなの!」
 言葉の勢いのままに身体も近づけるものだから、右腕を負傷している少年には溜まったものではない。
 腹筋だけで身体を支えようにも、鍛えてもいない幼い身体はふにゃふにゃで、まるで使い物にならず、唯一左腕だけがつっかえ棒のようにして身体を支えていた。
 「ジュ、ジュニア?!落ち着いて。あーもう、ほら、僕、両腕どっちも使えないんですから、のしかからないで下さいっ」
 このままでは本当に倒れ込んでしまう。困ったように叫んでみれば、ジュニアは目をパチクリと瞬かせ、首を傾げた。その眼差しに広がるのは、あからさまなくらいの好奇心だ。
 「………両腕?あれ?左手も?」
 確か動いていた筈だと、ジュニアはその隻眼を手袋に覆われた左腕に向けた。
 それに苦笑するようにマナは笑み、困ったような眉のまま、躊躇いがちに言葉を綴る。
 「養父に引き取られる前は、ほとんど動かなかったんです。肌の色も醜いし、汚くて」
 そっと、ジュニアが退いて楽になった体勢の中、マナは自身の左腕を抱えるように包帯に巻かれた右手を添えた。
 傷付いたのは右手の癖に、時折、まるでそれ以上に痛むかのように、マナは左手を扱う事がある。
 見つめた先のマナは、笑んでいた、けれど。………きっとそれは、本当に笑っていないのだと、思った。
 顔を顰めかけ、ジュニアはそれでは駄目なのだと息を飲み、瞬時に選んだ方法を実行する為、マナに手を差し出した。
 「………………マナ…、左手貸して」
 あっているか間違っているか、解らない。それでも、顰めた顔で笑ってと強請るよりはきっといい筈だと、結局は強請る声でマナに乞うた、左腕。
 「?重いですよ?」
 不思議そうに首を傾げ、差し出された動きのぎこちない左腕。手袋に覆われ、長袖の中に隠され、皮膚は元より、その形も見て取る事は出来ない。
 それを手に取り、ジュニアは手袋に覆われた左手の甲に、口吻けた。
 その一部始終をしっかりと視界に収めた少年は、ギョッとして、思わずジュニアの赤い髪を押し退けるように、右腕を押し付けた。
 唐突な動きに傷付いた右手が痛みを感じはしたが、そんなものは気にならない。
 「ジュニア?!汚いですよ、手袋!!」
 この世界がどういった状態かいまいち解らないけれど、小さくなった際も何故か同じままのこの洋服で、決して清潔なわけがない。
 ましてや先程までは地面に寝転がっている状態だったのだ。どこもかしこも砂埃に塗れている。
 そんな焦りの声にジュニアは困ったように笑って、少し屈んだまま口吻けた左手を大切に包みながら、マナを見上げた。
 「そっち?誓いなのに、つれないさ」
 クスクスと楽しげな声がそんな事を言った。言ったのは、解った。けれど、いまいちその意味が浸透してこない為、少年は目を瞬かせて首を傾げてしまう。
 「はい?」
 「マナを見つけるの。絶対、二人生きて現実世界に戻って、赤ん坊でもジーちゃんでも、マナの事見つけに行くん」
 告げた言葉の意味を、取り損ねている。それは多分、たった今の言葉だけでなく、先程の告白も。
 子供が親を、……保護者を求めるような、そんな可愛い感情ではない。我武者らに、この存在をなくしたくないと、しがみついて離したくないこの腕が、そんな甘ったれた感情の筈がない。
 解って、と。ひた向きに見つめた眼差しの先、マナの瞳が困惑に揺れた。
 …………一瞬、泣き出しそうに見えた、マナの顔。それと同じ色に染まりかけて、ジュニアは笑む事を己に課すように、笑った。
 「大丈夫、俺ってば優秀な後継者だから、どっちも諦めないで両手に持てるさ。だから、そんな心配そうな顔、せんで?」
 まるでそれを選べば迷宮にでも陥り道を見失うというように、マナは不安を溶かした眼差しを向ける。
 そんな筈がないのに、マナはいつも自身の存在が傍らにある事がマイナスになるとでも言うような、躊躇いと怯えを滲ませる。
 ……………そんなマナが見つけていいと言ってくれたから、こんなにも自分は嬉しかったのに。
 「待ってて。俺、絶対見つけるから。誰か他の人、見つけてもいいけど、でも、俺が見つけに行った時は、会って」
 もしかしたら、その怯え故に、逃げていってしまうだろうか。
 ……………こんなにも綺麗で優しい人なのに、悲しいくらい、自身を大切に出来ない人だから。己の価値を知らず、過小評価しか出来ない人だから。
 伸ばした腕を、取ってはいけないと目を瞑り見なかった事に、されてしまうだろうか。それこそが最上だと、勘違いをして。
 「無視だけは、せんで…………?」
 不安で。怖くて、小さく震える声が笑んだ唇から零れ落ちてしまう。
 その音色に驚いたように、マナの目が丸くなった。躊躇いの微笑みが、純粋な驚愕に変わって、少しだけ怒ったように眼差しが強くなる。その一連の動き、ジュニアは呆気にとられるように見詰めた。
 「しませんよ!当たり前でしょう?!例えどんなに歳が離れていても、君が来たら、すぐに解ります。無視なんか、出来るわけがありません」
 真っ直ぐな言葉と感情と眼差し。マナによく似合う、穢れなさだ。それを嬉しそうに愛でながら、ジュニアは頷き、茶目っ気を滲ませてイタズラをする子供のように笑った。
 「じゃあ、約束。俺は見つけにいくよ。覚悟して?」
 「………約束なのに、なんで脅しみたいな事になっているんですか」
 クスクスと笑うジュニアに、マナを小さく破顔する。
 言葉が優しく響くのが、心地良かった。差し出した心が当たり前に受け取られて大切にされるのが、嬉しかった。
 ……………それはきっと、お互いに。
 「だって、見つけた時、マナの傍にもしかしたら誰かもう居るかもだし。そうだと、もしかしたら割って入っちゃうかも?」
 そういう意味だよ、と。教えるつもりで言った言葉に、マナは苦笑して首を振る。
 「いませんよ。あの人がいなくなったら、同じ意味での特別なんて、現れるとも思えません」
 その答えにジュニアは苦笑する。………伝わりきっていないらしい事には気付いたけれど、そう押し付けてもきっとマナの方が戸惑ってしまう。
 マナはどこか、与えられるものに怯える節がある。こんなにも多くのものを与える人なのに、自分に注がれるものには躊躇いで手を伸ばせないのだ。
 早く、気付くといい。そうして、………出来る事なら、笑んで抱き締めて欲しい。
 選んでくれればいい。自分なら、マナの世界の後継者のように、手放したりなんかしない。亡くすまでずっと、この腕を繋いで一緒にいるのだ。
 マナの胸に下げられた守り石のように、寄り添って。その鳥のモチーフのように、生涯をただ一人の番(つがい)とともに、暮らすのだ。
 「じゃあ、俺が現れるまで待ってて?」
 誰も選ばないで、後継者の事も諦めて。そうして、自分一人を待ち望んで。
 そんな幼い不遜さを声に滲ませてしまえば、じっと見つめるマナの瞳が探るように頬を撫でた。
 「…………ジュニア、誘導したでしょう?」
 「ちぇー、マナ鋭いから言質なかなか取れないさ」
 結局最後に、バレてしまう。一番初めの時に全て見透かされたのだから、きっと今回もどこかでバレると思ったけれど、なかなか上手くいったと思った道筋は、途中で零した真意故に破綻してしまう。
 惜しかったと溜め息を落としてみれば、苦笑するマナが頭を軽く叩いた。
 「本当に油断も隙も無いですね、あなた達は………」
 呆れたような、けれどどこか楽しそうな、マナの声。
 それが嬉しくて、ジュニアは満面の笑みを浮かべた。優しい指先があたたかく自分に触れる。それだけで、こんなにも心弾むのだ。
 「あはは、うん、油断しちゃ駄目さ♪じゃなきゃ、捕まってとって食われちゃうよ、マナみたいに優しいとさ」
 もしかしたら、そうして終わりにするAKUMAの方が優しいかもしれない、貪欲さで。きっと自分も、マナに腕を伸ばす。
 彼の世界の後継者が躊躇ったこの腕を、むしろ喜んで差し出してしまうだろうから。
 自分にだって、本当は油断してはいけないのだ。抱き締めて閉じ込めて、自分の世界に連れ帰りたいなんて、考えているのだから。
 「言っておきますが、僕は現実世界でなら、かなり強いですからね」
 むっとして、マナが拗ねた声でそんな風に答える。意味が違う、ときっと解っていない。マナはどこまでもまっさらに、相手の感情の優しく柔らかな部分を掬い取っては愛でてしまう人だから。
 「上等!力比べしてみるさ。そんで、一杯一緒にいんの。きっと楽しいさ♪」
 仕方なしにそれに乗るように弾ませた声で、幼い子供のような我が侭を口にする。
 そっと、その合間、織り込むように祈りを添えて、マナの腕を包んだ。
 「だから、手、離さんで?」
 「……………解っていますよ。約束ですね」
 仕方なさそうに、それでもマナはそう告げてくれた。
 彼は甘くてお人好しで、誠実な人だから、口にしたその約束は、たとえはめたようなこの口約束でも、きっと履行してくれるだろう。
 それににっこりと嬉しげに笑った子供は、両腕でマナを抱き締めた。
 「うん。マナが生きていてくれるなら、俺、なんとか生き延びて戻れるし。危ない真似する為に、手離すのはなしな?」
 この手の中、生きてくれればいい。可能な限り、この腕で守ってみせる。駄目なら、共に果てるまでの話だ。どのみちこの世界の中、希望などこの手の中の存在以外にないのだから、それもまた覚悟すべき未来の一つだ。
 「心配させてごめんなさい。あなたが生きてくれれば、僕も生きられますよ。だから、あなたも無茶はしないで下さいね?」
 肩に埋めた顔を覗きたいように身じろぐマナの意志を感じ、ジュニアは顔を上げるとお互いの表情がきちんと解る距離を保つように身体を離し、戯けたように笑ってからかう声を紡いだ。
 「うーん、なんかお互い様みたいな話かも?って感じさ」
 首を傾げて告げた言葉に、マナの銀灰色の瞳が柔らかく細まった。
 「似た者同士……って、言うんですよ、そういうのは」
 そう言って、マナは笑った。
 動きのぎこちない、少し震える左腕を、差し出して。
 赤くなってしまった白いマフラーに包まれた右手を、差し出して。
 そっと………幼い自分の手のひらを包んでくれた。
 「頑張って、無事に帰りましょう」
 幼い顔に不釣り合いな、優しい微笑み。けれどそれは、ひどくマナに似合っていて、頬が綻ぶ。
 …………嬉しくて、大きく頷き、そっと背を伸ばして、マナの頬に口吻けた。
 「一緒に、絶対に!」
 そうして浮かんだ笑みは、きっと無邪気に歳相応だった。
 真っ赤に染まったマナの白い肌を見つめながら、未だ夢想でしかない未来を思い描く。

 大人になった自分の傍ら、彼がいる。
 優しく微笑み、時に厳しく、自身の信じる道を弛まずに歩き続け進み続ける、美しい歩み。

 それを誇らしく見つめ、世界を愛でた。
 鮮やかに美しく輝く、汚泥の底にあった筈の、世界を。

 

 …………君と一緒なら、世界はきっと、こんなにも愛おしく染まる。

 








   


 ……………本当に口説き出した。てか手を出し始めたよ、ジュニアー?!(汗)
 い、いや大丈夫、これ子供。これ以上は何もしない、平気。
 子供相手だと油断しきているので、意外とあっさり手を出されますね。それはそれでどうだろう。
 ラビ相手だったらちゃんとその辺りも考慮して距離を保つのでそうあり得ないのですが。難しいところです。
 ………ラビを不憫に思った方、きっとそれはとても正しい意見じゃないかな、とか。思います(苦笑)多分うちのラビ、手を出せてもキス…しかも、バードキスまでだろうな、きっと。

11.1.1