自分と同じ早さで走れる人は、いなかった
自分と同じ力を出せる人は、いなかった

子供の中で異質だと知っていた

でも、少し、切ない
同じ、が、いない
それは………絶対の孤独

流すことのない涙は誰も気付かない





02.この距離は変わらず



 歩いている途中、周囲を見回す。少しだけ肌寒いのは、どう考えても自身の薄着が要因だろう。
 巡らせた視界の端、映った自分の肩ははっきりと肌色を見せている。雪さえ吹雪くこの中をタンクトップで歩くこと自体、そもそも自殺行為だ。
 それでも知っている。自分はこの程度では死なない。否、死ねない。
 薄く子供は笑い、歩む足を更に前へと進ませる。景色は白一色だ。おそらくは木々がいるのであろう、その幹すら白く染められていて、地面と空の境界線すらおぼろな雪化粧。
 色素の薄い自分は、それでもこの白の中では異質な色だ。
 ………もっともそんなことをいいだせばこの世界の中ですら、自分は異質だ。
 くつりと子供が喉奥で笑った。そんな当たり前のことをわざわざが確認するかのように物思う己の思考が滑稽だった。
 自分と同じ生き物などこの世界にはいない。まだまだ狭い世界しか知らない自分でもそれは熟知していた。
 同い年の子供たちはあまりに浅はかで幼稚だった。そして、何よりも愚かしいほどに脆弱だった。自分の指先一つでその骨を砕けるほど、貧弱な身体。
 初めて骨の折れる音を聞いたのはいつだったか。覚えてもいないが、少なくともそう遠い過去ではないはずだ。それほど自分は長い時間を生きてはいないのだから。
 あっけないその感触にひどく驚いたような気がする。この程度で壊れるなど、紙細工との差が解らなかった。これが自分と同じ生き物など、到底信じることが出来ないほどだ。
 目を瞬かせている自分と、泣き叫ぶ子供を見つけた大人は、即座に自分を拘束した。異端児だと、知られた。それならばそれを利用すればいいと、そんなことを思い付くのだから、やはり自分はこの世界の中、異分子なのだろう。
 吐き出す息は白く染まる。指先がかじかんで冷たさに凍り付いたように感覚がない。一応血の通った人間であることを知らしめるその現象に安堵は覚えなかった。むしろ邪魔だと、そんな風に思った。
 異質であるなら、いっそすべてが違えばいいのだ。そうすれば絶望すら希望に換えられるし、希望を慟哭に染めることに躊躇う意味もない。
 歪んだ口角は、笑みというにはどこか幼気のない痛ましさが滲む。まだまだ人としての自分を捨てられていないと、子供はつまらなそうに己自身を見遣った。
 吐息を吐き出す。やはり、白く染まった。それを見遣った先、白かった世界に何かが過った。
 「………おい?」
 見間違いかと瞬いたとき、間の抜けた声が問いかけるようにかけられる。
 それはまだ高い、子供の声だ。性別は解らない。雪に邪魔をされた視界には、相手の肌の色と髪の色だろう黒だけが見て取れた。
 真っ白なタンクトップを着ている。自分と同じ服装だ。だとすれば、同じ場所からやって来たということだろうか。そんなことを考え、同時にその可能性を打ち消した。
 自分がいま身を置いているのは、大人たちの修行場だ。子供は自分だけしかおらず、また、子供が在籍出来るような内容を履修しない。基本を既に凌駕し、実践で戦えるだけの実力がなければ壊れてしまう。
 自分を殺すつもりで放り込んだのだろうこの場所で、自分は今もまだ生きている。そんな場所に、自分と変わらぬ身長の子供が入る込むわけがない。
 ならばこの目の前の存在は何だろうか。
 「…………えっと…、アラ…シ?」
 問うような声音はやはり幼い子供のものだ。行事する自分の視線に怯えているのか戸惑っているのか、困ったように眉を寄せて周囲を見回した。
 真っ白な世界に黒い色が落ちた。真っ黒な髪に真っ黒な瞳。丸みの残った頬に中性的ではあるが凛々しい男の子の顔。細い身体、だ。自分と大差ないほどに小さい身体。
 ここに子供がいるわけがない。目を瞬かせて子供は目の前の存在を見つめた。
 これはなんだろうか。………雪の中現れた、人ではない生き物。
 「初めまして、だよな? みんな心配しているから、帰ろう」
 困ったように笑って手を差し出される。初めて差し伸べられた手のひらはちっぽけで小さかった。自分よりも日に焼けたその肌は、寒いせいだろう、僅かに青ざめて見えた。
 それを見遣ったまま、子供は首を傾げる。
 目の前の手のひらには確かな存在感があった。気配の希薄さは、自分と同じような感覚がある。人ではないはずなのに、人のようなチグハグさ。
 「だれだ?」
 問う言葉はどうとられるかを試すような、そんな響き。
 心配をしているのが、か。自分が、か。あるいは、彼が……か。
 どれを選ぶとからかうように目を細めて子供は笑った。くつりくつりと、子供が笑うにはあまりに嗜虐さを秘めた笑み。
 きょとんとした相手は目を瞬かせて、戸惑うように首を傾げた。
 「寒いから、帰ろう、アラシ」
 ふわりと、まるで自分の言葉を包むようにして子供が笑った。真っ白な世界の中の、真っ黒な色。異端の中にたたずむ、異端。
 「帰ろう、アラシ」
 誘うように願うように、その子供が呟く。差し出されている小さな手のひら。健康的な肌色は、寒さに白く震えている。雪にまつわる人外のものにも見えるというのに、それは確かに生きる命のように見えた。
 きっと自分よりもこうした天候の変化に弱いのだろう。だとすれば、花人か鳥人か自由人か。
 ………おそらくは自由人、か。
 そんな風に分析していると、さくりと雪を踏み締める音がした。先ほどまでは一度として聞こえなかったのだから、それは明らかにわざと出した音だろう。
 目を向ければ微笑む子供。大きな黒い目が柔和に細められる。
 惚けたような脳みそは、まるで思考を回らせず、気付けばその手を取っていた。それに体温に触れたことでようやく知れ、驚きに目を丸めた。
 「アラシ? 走れるか?」
 寒いから早くと、子供がいう。わずかに震えている肩。………きっと表情にこそ出ていないがその身体を恐ろしく蝕んでいるだろう。
 何故自分を迎えにきたのだろうか。そんなことを思いながら、自分の腕を引く子供の背中を見遣った。
 小さく細い、まだ鍛える箇所しかないような、そんな脆弱な体。けれどそれは容易く壊れない、そんなしたたかさを内包している。
 戦う術を知っている、それは気配だった。
 …………自分と同じ異端を知っている、それは気配だった。
 くつりと喉奥で笑う。異端が、異端の地で、異端を見つけた。何という滑稽な喜劇だろうか。
 その癖この異端は、自分とは真逆の性情を備えている。他者を包むことを願う声が、蘇るようにして耳に響く。
 「アラシ、足が速いな」
 驚いたような子供の声。きっと今まで自分以上の同年代の子供を見たことがないのだろう。けれどその目には嫉妬も羨望も浮かんでいない。ただ相手を映し認めている、それだけの色。
 すぐに自分も追い付くから、組み手の相手もしてほしいと、無邪気な声が聞こえる。こぼれる子供の言葉を聞き取りながら、一つ一つ仮説を組み立てる。
 ああきっと、と、そう思い、哀れみを込めながら笑った。
 この子供は、自分への供物だ。…………同じように異端であるから、異端の自分を押さえるための、供物だ。
 それを知らず、あるいは知りながらも粛々と受け入れて。この子供は自分を迎えにきた。
 だからこそ、帰ろうなどという、そんな愚かな言葉を口にした。
 帰る場所などどこにもない。…………自分達はそうした生き物だ。優れ過ぎたが故の、排斥。
 知っていながら許す子供と、それを嘲る自分。
 「お前、名前は?」
 目を細め、笑った。吹雪が顔に当たり、頬にその冷たさを打ち付ける。
 「あれ? 聞いてないか? 俺は自由人の、シンタローだ」
 子供は笑いながら振り返り、嬉しそうにそういった。名乗りあうのは、初めてだった。誰かが笑って自分に手を差し出すのも、初めてだ。
 「………シンタロー」
 小さくその名を呼べば、楽しそうに笑う子供。繋いだ手のひらに込められた力が、返答のように返された。
 細めた眼差しの中、揺れる吹雪と子供の笑み。

 

 …………目に入った雪が、涙のようにして、流れた。

 








   


 いつもいつも壊れたアラシばっかりなので、ちょっと趣向を変えてみました。
 まだ他人と自分の違いに若干の戸惑いと寂しさを感じている話。でもそれを悟られることも知られることも嫌っている依怙地さ(苦笑)
 で。同じ位置にいるらしい子供を見つけて、嬉しいと思うのと同時にやっぱり同じではないことが悲しい。
 絶対にそんなこと、口にはしないで、一方的に求め続けるだけでしょうけどね。
 そんなところは所詮アラシ(オイ)

06.12.21