満ちては欠ける月夜の晩に
酒と肴を取り揃え
一人晩酌繰り返す
存在を変えても
時代を変えても
姿を変えても
いつのときもたった一人
月を見上げて燻る酒
呷った喉に走る熱
滲む月を見上げたままに
滲まぬ瞳を眇めてた
いつのときも、たった一人
03.移ろいは私を残して
世界が平和になった。
まさかそんな夢物語、実現するとは思っていなかった。
いつの世も必ず何頭の変動はあり、それらは大抵がより絶対的な力に飲み込まれるものだった。そしてこの世界、絶対の力を有しているのは、針の塔という中枢だったのだ。
それに叛旗を翻せば、必ず待ち受けているのは死すら願いたくなり過酷な呪い。この先も決して変わらないだろうと、ずっと思っていた。それは確信に満ちた諦め。
それが小さな腕によって壊された。
力故の破壊ではない。その心一つで、昔年の歪んだ情動を正し光を導いた。あり得るはずのない、それは奇跡だ。
ぼんやりとそんなことを思いながら岩上、空を見上げた。つい先日、この空が暗雲に覆われ世界が狂ったとは到底思えない、穏やかな青空。
たった一人の子供が望み、その命をかけて取り戻した世界。
……………眩く感じるのは、きっとそのせいだ。もうとうにこの世界への愛着など薄れ、摩滅する己を願ってきたのに、今更また、この世界を守っていた子供の頃の感情が漂うなど。
あり得ない現実はあり得ない事象を携え、あり得ない変化を人にもたらした。それは、全てが善へと運ぶ、まるで創世記。
「仙人? どうかされましたか?」
夢想に耽るように空を見ていると背後から声をかけられる。まだ気配を完全には隠せない弟子の存在は、数m先から知っていたので驚きはしない。それを彼もまた知っている。
空を見上げたままの姿勢でのほほんと、他者から見ればそう映る笑みを乗せ、青年は楽しそうに告げた。
「いや、平和だな〜と思ってな」
それは心からの言葉だ。世界に歪みを見たあの日から、ずっと思うことのなかったこと。何百年と経て、初めて実感したこと。
まだ年若い弟子はそれに目を細め、幸せそうに笑んで頷いた。
「はい。爆殿のおかげですね」
当然のようにそういって、彼は自身もまたそれに貢献したことを考えない。それは謙虚というよりが本当にそう思っていないが故だろう。彼はどこか、あの子供を盲信してしまう悪癖があった。
友人としてその傍らに立ち続けるだろう彼は、純粋さ故に傾斜も激しい。過去にそれが災いしてあの子供に一方的な感情を押し付けて戦ったことを思い出す。
そんな愚かささえ、彼には愛しいのだろう。そう眇めた視野の中に愛弟子をおさめ、小さく青年は笑った。
「ま、お前も頑張った方だな。でもよ、平和になったてのに、まぁだ修行か?」
いい加減人里に降りた方がいいのではないかと問うようにいうと、存外真剣な眼差しが向けられた。
多分、いつかは言われると分かっていた言葉だったのだろう。その目には決意が秘められており、頑なまでに強い意志が添えられていた。
片眉を上げて驚きを示してみれば、真摯な瞳のまま、弟子はその口を開いた。それはいっそ厳かな響き。
「………世界はまだ、安定はしていません」
「……………?」
「針の塔の崩壊によって混乱は生じています。トラブルコールも絶えません」
痛ましい思いを抱えているのだろう、弟子の言葉は少し強張っていた。その言葉を聞き咎め、驚きを示していた瞳が訝しげに顰められた。
その変化に気付いた彼はそっと瞼を落とし、地面を見つめるようにして、囁いた。
「トラブルモンスターは消えましたが、地形の変化によって災害が起きていますし、…………人同士の争いも、あります」
噛み締めるような言葉はそうした場面に遭遇したのだろう。急激な変化は柔軟な子供たちには受け入れられたとしても、頑迷な大人には難しいものだ。それは長い年月で見てきた地上の人間の変わらない性質。そしてそれが故に、世界を守るGCは子供でのみ構成される。
そんな悲しい現実は、当然この平和になった世界にも晒されて、その責務から解放されたはずの子供たちは、今度は別の種の痛みを抱えなくてはいけなくなったらしい。
顔を顰めて苦いものを飲み込むように拳を握る。彼は今まで何もいわなかったが、きっと他のGCも同様に痛みを耐えているだろう。その身を危険に晒して己の国を守るGCであることに誇りを持っている彼らだから。
幼いといえる子供たちだというのに、そんな部分ばかり大人以上に早熟だ。守ることの意味をその歳で知ってしまい、耐えることの必要性をその身でもって実感してしまっている。
「………あいつ、は………」
思い、不意に湧いた疑問が知らず唇から漏れた。言わなくとも良かったと思ったのは音が己の耳に響いた後で、パッと顔をあげた弟子はその長い耳を揺らして確かに言葉を受理したことを示した。青年はばつの悪い顔でそれを眺め、深く息を吐き出した。
「爆殿は………自国だけでなく、他国の調停も行っています。ですから、私も………」
強くありたいのだ、と。噛み締めるように彼が呟いた。
腕力だけが強さではないのだと、この弟子はもう知っている。けれどそれも確かに必要な強さなのだ。心だけが強くとも、実際の暴力に適うことはない。言葉を巧みに操れたところで、圧倒的な力には成す術もないのだ。それをいなせるだけの力がなければ、互いに被害が及んでしまう。
だからこそ、慢心することなく修行をつけてほしいのだと、彼はいう。………遊びたい盛りの子供なはずなのに、遊ぶことの意味すら知らないように、誰かを守る術を求めている。
そんな純正さは、やはり奇跡だろう。この時代は、奇跡を起こすために作られたのだろうか。そんなままごとめいた考えが一瞬浮かび、青年は苦笑した。
自国を愛するGCは多い。そのために命を賭けるのだから当然だろう。そして、自身の家族を守るために戦うものも、友人を救うために戦うものも、やはり当たり前に多いのだ。
けれど、あの子供は世界を愛していた。だからこそ、現実となった奇跡。
自身の国だけを顧みるのであれば、彼はあんなにも傷を負わなかった。痛みを知らずに済んだ。たとえそう説いたとしても、あの子供は当然のようにやはり腕を伸ばすだろう。
それは、純然たる誠意だ。世界という膨大な質量を持つものに対しての、誠意だ。
その目に映る全てが心安らかであることを願うかのように、彼はその腕を伸ばす。尊大で居丈高に、けれど繊細さを添えられた優しい小さな手を。
人という種だけではなく、土地という区切られたものだけではなく。
その手の触れる全てを守りたいと、愛しいのだと、あの幼い子供は体現するように生きていた。
そんなことを思い、青年は乱暴な手つきで己の髪を掻き混ぜた。………分かっていたことだ。彼らは前に進み世界を安定させていくだろう。それには遠大な時間がかかり、途方もない労力捧げなくてはいけない。それでも彼らは進む。それが、この時代に生きているGCの弛まない意志だ。
そしてそれを支えるために、あの子供は駆けるだろう。世界を股にかけ、疲弊していたとしても不敵に笑んで。颯爽と、風のように過ぎ去っていく子供だから。
そんな彼を守りたいと、支えたいのだと自分の弟子はいう。今はまだあの子供に負担しかかけられていないと、きっと彼自身分かっているのだろう。だから、前に進むために力が欲しいと願っている。
それもまた、純然たる誠意だろう。子供の規模とは比ぶることも出来ないが、それでも十分立派な類いだ。
「やれやれ……俺は楽隠居はできないのかねぇ」
ぼやくように呟いて、けれどその口元には笑みが灯る。
彼らは未来を勝ち取った。自分達が望むままに変化する、定められていない、改竄されることもない、本来の未来を。
諦めてしまった自分は掴めなかった輝きは、ひどくまぶしい。もう自分より長くこの世界にいた人間はいないけれど、自分の時間もまた刻み始めた。………先に進む彼らの後押しくらいは、出来るのかもしれない。
自分はこの地に留まって、彼らに関わる以上に世界に関わることはないけれど、それでも彼らが望むなら、力も知識も与えよう。
「何をいっているんですか、仙人」
苦笑して呟く自分の言葉に弟子は首を傾げて疑問を示した。それに同じ仕草で返して同じ疑問を示してみれば、困ったような笑みを浮かべ、弟子は至極当たり前の道理を説くようにいった。
「爆殿は、有能な人を放っておきませんよ。………次にサーに来たら扱き使うといっていましたから」
くすくすと楽しそうに弟子がいい、顰めた顔を晒した青年に嬉しそうに目を細めた。
一緒に、進むのだ。と。…………この子供たちはまるで見透かしているようにいうのだ。自分は師であり、彼らは確かに教えを与えた弟子であったはずだ。けれど彼らは世界に取り残された自分さえ、未来に行くために立ち上がらせようとする。
摩滅していくことさえ良しとしていた、無為なるままの自分を。
「…………年寄りを労るって言葉をしらねぇ奴らだぜ」
文句を言うように呟く声は、けれどどこか喜びが滲んでいる。
諦めていた未来。変わらないと疎んでいた世界。壊れるためにだけ進むと思っていた歯車は、最後のGCたちによって鮮やかな変貌を遂げた。
それを完成させるまでの激動の日々を、自分もまた、支えるらしい。
…………もうこの世界のために動こうなど、到底思えはしないけれど。それをあの子供が望み、この弟子が願うなら、少しくらいは老体に鞭打つのもいいかもしれない。
歩み方も忘れた愚者の手は、駆けることしか知らない子供たちの腕に引かれ未来へと立ち上がった。
これはカイ爆←激、ですかね。でも爆を欲しいと思うより、見守る方にベクトル傾いている激。
まあわざわざカップリングに設定する必要のない話、ということでもあります。ただ傍にいる人が大切だと言う、それだけの話。
その人が目に映る全てのために身を削ることさえ厭わないから、守りたいという。それだけのこと。
06.11.15