誰もが持つ二面性
正邪を合わせる人だから
誰もが表裏を持っている
呼吸と同じ
心音と同じ
瞬きと同じ
生きるからには合わせ持つ
二つに一つ、ではなくて
一つと一つ、合わせ持つ
どちらが本当など
………問うも、愚かだろう?
04.半月はもう見えない
暮れ行く夕日を眺めて、迫り来る宵を見遣った。
茜色の空は段々と濃くなり、紫を帯びて闇に変わる。その曖昧な境界線の中を、元は白かった雲が様々な色に染まりつつ漂っていた。
一日の中で、最も空が多彩な色に染まる時間だ。細めた視野の中に広がるそれを寝転がった姿勢のまま楽しんだ。
今はもう、誰も自分の元にはいない。弟子たちは世界を駆け回っているし、親友は今頃新たな星の開拓に追われている。先月会った時、しばらく来れないといっていた。この調子では数カ月は音信不通だろう。
もっとも、こまめに連絡を入れるような性質に人間ではなかったのだし、便りがないのは元気な証拠と、根拠もないことを思い青年は笑った。
微風が肌をなぞる。心地いい感覚だ。ここ暫くは世界はあまりに急激に回り、空をのんびり見上げるような暇もなかった。
こうしてぼんやりと時間を過ごすことも嫌いではない。本を読んでいるのでも修行をしているのでもいいが、それらを放り出してさぼるのもまた、格別の楽しみだ。
まだまだガキの頃のままかと、もう変化もしないだろう己の本質を見遣って青年は苦笑した。落とした瞼の裏側、茜を僅かに残した空の残像が映った。
もう、夜はすぐそこまでやってきていた。
「…………まさか熟睡するとはな…………」
ぽつりと誰にいうでもなく呟いて、青年は頭を掻いた。辺りは一面の闇で、空には綺麗に切り取られた半月が浮かんでいる。瞬く星も添えられて、今ここにいる姿を誰かが見たら、まさか寝過ごしたとは思わず、夜空を堪能しにきた風流人にでも見えるかもしれない。
そんなことをぼんやり思いながら青年は何とはなしに月を見上げる。すぐに帰ろうと思う理由もなく、少し鳴った腹の音だけが気になったが、さりとて動く気にもならなかった。
随分と長いこと空腹という感覚を知らなかった身には、流れはじめた時間故に舞い戻ってきたそれに、いまいちついていきそびれる。最後に食事を取ったのはいつだったかとそんなことを思いながら見つめた月は、苦笑しているようにも見えた。
それに笑んで、青年は伸びをする。
大昔、まだ自分が外見と同じほどしか生きていなかった頃、こんな風に空を見上げては憧れを抱いたものだった。
武術だけでなく知識も求めたのは、いつかはこの星だけでなく、あの月にすら足を伸ばしたかったからだ。もっともそんな真似をすることはなかったけれど。
………針の塔に居着いた当初、多少は研究もしたのだ。が、何故かそれを止められた。蓄積させたはずのデーターすらいつの間にかコンピューターが拒否を出し削除してしまう。この星を守るものが他の星を思うのはタブーだと、そんな理屈を付け足してなんとか自身を納得させるのには、やはり時間はかかったけれど。
それでもあの頃は何もかもが新鮮で楽しくて、疑うこともなくあの塔を愛していた。守るということに誇りを持っていたし、出来ないことはないと、そんな不遜なことも思っていた。
たいした力もなかったくせにと浮かんだ苦笑は、月明かりに瞬く星に似ていた。
綺麗に半分だけの月は、それを補うように星に支えられている。きっと、あの過去の自分もまた、こうしてもの思う自分がいるからこそ、まだ救われるのだろう。
愚かであったことを愚かだと、そう認めることは難しい。それでもそれを受け入れるだけの時間が自分にはあり、それを突き付ける事実もあり、そして…何よりも。
「………………………」
思い、細めた視野に半月を映す。愛しむようにその眼差しに溶ける月は、儚くもありながら凛としていた。
それはあの子供のようだ。
過ちだらけのこの世界の中、曲がることも折れることも嫌い、不器用なまでに真っ直ぐと、己の思うがままに突き進む子供。
そのくせ彼の軌跡は、振り返ってみれば全てが誰かを思い己を差し出す痛ましさ。
アンバランスな子供だった。潰えるために生きていくような、そんな危うさ。壊れるだろうとそう思い、強さを与えてみようと思った。願うままに花開く才には驚かされた。不可能などないと、そう思わせるような彼の眼差し。
彼が自分の前に現れ、その生き様を突き付けて、そうして………救われた。自分だけではなく、彼の仲間となった者たちも、ウロボロスの中、永遠に捕われていたはずの魂も。そして、この世界という基盤すらも。
彼は壊すのではなく構築した。破壊故の創造ではなく、傷を癒し道を示す再生。
小さすぎる体に雄大すぎる意志で、どこまでもチグハグな子供は誰の負担となることも嫌い一人立ち尽くしていた。
それはどこか、見上げる月に似ているのかもしれない。ちょうど半分だけの月。真ん丸いはずの月は、その半分だけを闇に隠して半分だけを輝かせている。
彼もまた、そんな存在だ。
痛みも悲しみも苦痛も、きっと誰よりも知っている。それを負わされる覚悟をしているのだから、知らないわけがない。
それでもそれを、彼は見せない。包み隠し己の中でのみの約定のように、他者に与えはしない。分け与えることでその責さえも与えることを恐れている。
不器用というべき、なのかもしれない。信じていないというよりは、傷つけることを極端に恐れているのだから。それ故に、傷を負うものに彼は優しい。
だから、誰もが彼のもとに集うのだ。GCになるものなど、傷を持っていて当たり前だ。子供と括られる年齢で、国を守ろうとするなど、生半可な正義感では成り立たない。
求めて求めて求めて。それでも失うことを知っているから、守りたいと、そう切に願うのだ。
その意志を子供は愛しみ、その手助けを諾とする。その身に幾度傷を負おうと、死を間近に感じようと無関係に、彼は歩むだろう。彼の好むその意志がそこにある限りは。
「随分物騒な顔で月をしているな」
不意に空気が揺れ、そんな声が聞こえる。目を向ければ前方には子供の姿。
相変わらず神出鬼没な子供だと笑いかけた唇は、半月を背に立つ子供を視野におさめて固まった。
……………彼が、抱える闇など自分は知らない。
眇めた目の先、不可解そうに自分を見る子供。彼の生い立ちも知らないし、想像しただけの、おそらくは正しいだろうその境遇も、知らない。
ただ彼が自分達に示す事実だけを飲み込む。それを、彼は今はまだ望んでいるから。
緩く息を吸い込み、腹に力を込めて、青年は笑みを唇に乗せた。そっと落とした瞼には、たたずむ半月と子供の姿。まるでそれで一つの満月になれるかのような、そんな姿。
「のんきに隠居している老人に、今度はどんな厄介ごとだ?」
笑いを込めた声でからかうように言ってみれば、そっと歩む足音が耳に触れる。リュックの中身を探っている音が響き、何か植物の、花をつけているだろうその香りが鼻孔をくすぐった。
「テンパでこの花の蜜を食べたものが何名か苦痛を訴えてな。成分分析をしろ」
「………せめて『お願い』しろよ。相変わらず可愛げねぇなぁ」
命令口調で言い切った子供に苦笑して、飲み込んだ息とともに目を開ける。子供との距離は縮まり、見遣った先はちょうど彼が抱えている花があった。顔の映らないその視線の位置にほっとして青年は緩く笑んだ。
彼はあまりに潔くて、自分はあまりに悪足掻きをし過ぎる。互いの良さも悪さも自覚しているが、ふとしたときに見える彼の抱える重さは、彼の望まない形で自分に彼を求めさせる。
………いっそ自分の腕の中に堕ちてくる、そんな弱さがあればよかったのに。
そうすれば、彼の中の闇も傷も、自分は余さず啜りとる。甘やかされることなど望んでいない彼に、そんなことを囁いたところで、訝しまれるだけであろうけれど。
「自分の能力を活用してもらっているんだ。感謝しろ」
不遜に胸を張り、子供がいう。その声を聞きながら、青年は吹き出した。
偉そうでも感謝していることをその目は囁く。素直でない子供の、精一杯の妥協。そしてそれ以上に、彼が自分のもとに来る理由も、自分は知っている。
「イレブスの方が設備整ってねーかあ?」
「………活用出来ん設備に意味はないだろう」
からかうように至極当然のことをいってみれば、ばつの悪い顔で子供が呟く。どうせばれていると互いに知っているのに、それでも彼は決してそれを口にはしない。
一人ここに残る自分を気づかっているなど、そんなこというわけがない。彼の優しさは言葉と換えられることはなく、ひどく自然に、己の我が侭のように差し出すから。
「ま、いい暇つぶしだから構わねーけどな。で、報酬は?」
「あるわけないだろう」
「言い切るなよ。じゃーまあ、今日の夕飯作ってくれりゃ、引き受けてやるぜ」
くつくつと笑って、青年は楽しそうに目を細めた。顔を顰めた子供は、それでも反論はせず、小さく息を吐いて軽く頷いた。
立ち上がる青年の前、慣れた仕草で子供が歩く。自分の元にくれば食事を共にする、そんな習慣は身に付いたようだ。
次は何を身に付けさせようか。人に不馴れな片面だけの彼は、両面を差し出すことを躊躇い続け、人との距離を測っている。
まだまだ時はかかるだろうが、月が満ちるように、彼も満ちる。それまでの間、自分はまた、違う月夜を抱えていよう。月を隠す闇になど、なるわけにはいかないから。
そんな詩的なことを脳裏で思い、青年は苦笑いのように口角を上げた。
目の前の、まだ成長途中の背中を愛しそうに見つめながら。
今はまだ半月の子供。
いつかは、満月となればいい。
ゆっくりゆっくり、時をかけて。
今回は一歩引いて相手を待っていられる激で。この話の中では爆の方が臆病ですな。
でもやっぱり根本的に激は根暗な感じですが(笑) まあやはり激だからと諦めて下さい。
06.11.16