柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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遠く遠く、近いはずの人。
腕を伸ばせば捕まえられる、けれど。

その心は、一体どこにあるの?





人知れずと……  6



 目が覚めれば、見慣れた天井がそこにはある。当然だ、自室で眠って見知らぬ天井があったら驚く。
 それでも不意に別室の天井を思う。壁や、窓。無機質な家具や、外から入り込む鮮やかな夕焼け。
 そして…………息すら止まりそうな、濃密な甘み。
 上体を起こし、頭を振った。馬鹿な考えを追い出すように。
 答えは見つからない。自分のことでさえ整理しきれないのに、彼の出した答え以外の明確な解答など、解るわけがない。
 見つけなくてはと思う一方で、諦めろと囁く、彼の声音。
 「…………上等だ」
 ギリリと布団を鷲掴み、睨む先には夕日を背負った男の残像。
 逃がしてやる気は毛頭ないと、噛み締めた唇の下で毒づいた。

 脳天気な空は昨日と同様の青空だった。
 今日は非番だが、いつだって結局は書類などのデスクワークをやって一日は過ぎる。普段は見回りや尋問などが主になる分、どうしてもこういったところに皺寄せがきてしまうのは否めない。もっともそれを不満には思っていないのだが。
 ただ……今日は書類を見ていても、まるで脳内に言葉が入らなかった。
 先ほどから何枚かサインすら誤っている。こんなことは初めてだった。
 これ以上の失態を重ねるのはよそうと、矢立を片付けた。書類は棚の隅にしまい込み、その上から重しの代わりに判子を入れた箱を乗せる。
 急がなくてはいけない書類は最近ではなかったし、最悪、別の日に見回りの合間に行えばいい。そう自分を納得させて一息入れようと部屋を出た。
 給湯室に行く途中、若い隊士がちょうど現れ、ついでにと茶を頼む。低い腰で自分の命を聞き取った相手は、慌てたように駆けていく。………どんな噂を聞いているのかは知らないが、とりあえず碌な情報を得てはいないのだろう隊士の、哀れなほどの狼狽ぶりに溜め息が漏れる。
 何一つ噂を否定していない自分も悪いのだろうが、それでもよくここまで尾ひれが付くものだ。もっとも、手ひどい尾ひれの大部分は自分の片腕がわざわざ生やしているようだが。
 それもまた、自分が隊を率いる上で迅速さを得られるようにという考えの元の、歪んだ行動だ。
 どうも彼は素直に自分を表すという行動が苦手でいけない。そう思いながら、不意にそれが自分のことのように思えてぎくりとした。
 ………感情をあからさまにすることは禁忌に近い。人らしくあっては隊をまとめられない。上に立つ人はどこまでも清らかに。全ての汚濁は、自分に。そう思って生きてきたからこその、真実味ある噂の数々。
 だから、なのか。
 自分自身の感情はいつだって良く解らない。麻痺させた感情についていけなくなる、この感覚。
 溜め息を幾度吐こうがそれは変わらず、靄ついた脳裏は晴れない。
 「………………」
 鬱屈と吐き出した溜め息に、何の意味もない。それよりもどうすべきかを考えなくてはと思い、角を曲がる。
 同時に突出した影をぎりぎりのところで避けた。
 「あぶねっ」
 「………っと、悪い…ってトシか」
 「近藤さんじゃねぇか」
 まるで避けもしなかった相手を見定めて、はあと深く息を吐く。きっとこの人は、たとえ平隊士がぶつかってきたところで大丈夫か、なんて笑って声をかけるのだ。
 そういう人だ。………だからこそ、人が集まりそれを支えたいと、自分のような人間でさえ思う。
 欠点も余りあるが、それを霞ませるに足る包容力が彼にはある。これでモテないのは、思い込みの深さと粘着力の高さのせいだろうが、そこはあえて問題にはしたくなかった。
 ふとそう思いいたり、彼ならばどうなのだろうと考えたのは、多分浅知恵だった。
 自分の知らない答えを、知っているだろう人に縋るのは趣味ではない。自分できっちり問題を見据えて、万事策を練る方が自分には合う。
 それなのに、知らず問いかけてしまった。
 「なあ近藤さん……あんたなら、どうした?」
 「は?なにがだ?」
 突然の言葉に顔を顰め、奇妙なものを見るように昔からの幼なじみを見据える、目。実直すぎて陰りがない。このご時世、こういう人もあまりにも珍しい。
 問いかけようとした唇が、けれど不意に近付く影に噤まれる。振り返ってみれば、先ほど用を言い付けた隊士が、通り過ぎればいいものか思い倦ねて角で止まっていた。
 それを見遣り、とんと近藤の肩を押す。話があるのだという、それは昔からの無言の癖だった。
 心得ているガキ大将はにっと笑い、遠くで縮こまっている隊士に笑いかけながら手を振った。
 「おう、お前、こいつの部屋にそれ運んでやってくれるか?」
 「は、はいっ!」
 言葉の少ない土方に代わり、にこやかに声をかけ、無言の重圧を軽やかに変える。………昔から、そうなのだ。だから頭も上がらない。
 彼は自分の中の淀みすら知らず、たとえ知ってもそれすら包む、深い慈父の精神がある。
 障子を引き、部屋の中央に座布団を引っ張り出す。二人がそこに腰をかけるのと大差なく隊士が入り込み、お辞儀をしながら熱い茶を出した。
 そうしてそそくさと辞退していく姿は日常茶飯事だが、鹿爪らしい顔の土方に変わり近藤が笑いかけるので、少なくとも恐れに震えて出ていくことはなかった。
 「で、どうしたんだ、トシ」
 お前が相談事とは珍しいじゃねぇかと笑う目の奥、昔から変わらない兄貴分の情の深さが見て取れた。
 この人、なら。違う結果だったのではないかと思ってしまう。
 少なくとも悩ませるよりも先に身を引かれるような、そんな事態にはならなかったのではないか、と。
 「あんたなら……そうだな、俺たち真選組と、あの女…妙だったか?どっちも抱えられそうだな」
 相談するにも質が違い過ぎたかと、溜め息のように言い淀む。
 何と言えばいいか解らない。そもそも、自分の答えすら解らない状態で、相手の答えに対して明確な提示が成せるわけがない。
 「お、なんだなんだ、お前にも春か?春なのか?」
 「詮索はいいんだよっ」
 「つれねぇな。俺はお妙さんのこと、なんだって話してんじゃねぇか」
 「おかげで危うくしょっぴかなけりゃいけねぇかと悩んだぜ」
 「人様の美しい愛に対して失敬な言葉だな!」
 本気で憤慨していそうな言いざまに溜め息が漏れる。
 本人がどう思っていようと、近藤の行動は他人から見れば立派な犯罪者のそれだ。訴えられないことが不思議でならないほどだが……結局はあの一味は己の敵以外にはどこか甘い面があるのだろう。
 思い、ふと、違和感がざらりと脳を湿らせた。
 一味……と考えたが、それは正確ではない。万事屋と一括りに扱うが、そうではない。
 急速に考えが冴え渡る。水面に放られた石の波紋のように、投げかけられた疑問がゆっくりと見えなかった有耶無耶さを晴れさせていく。
 愕然と、した。自分は何と言う愚かな思い違いをしていたのだろうか。
 違うのだ。根本から、全てが、誤っていた。
 自分は確かに組を背負っている。それは他の何にも換えられない。組を揺るがすものがあれば、有無をいわさず切り捨てるだろう。
 けれどそれは一人守るものではない。いま目の前にいる局長、そして片腕たる沖田を筆頭とした幹部連、それらが団結して、守るもの。
 たとえ自分一人が潰えたとしても、決して組は消えない。
 自分がこの腕から取りこぼしそうになっても、他にそれを守るものが確かにいるという、この安堵。
 けれど、彼らはどうだろうか。
 「いねぇ……んだ…」
 ぽつりと、落とされた音。無意識の声音は見開かれた瞳から零れたように静かだった。
 まるで自分の存在を意識に入れていない様子に、近藤はきょとんと土方を見遣る。彼に何があったかは解らないし、一体誰を思ってそんな自失状態にまで陥っているのかも、知らない。
 それでも今日彼は非番で、思い悩むには十分の時間が与えられている。
 しばらく時間がかかるだろう問答の果て、どんな顔で戻ってくるかと大欠伸を晒しながら目蓋を落とす。
 ふと気付けば昼寝をするにはもってこいの、やわらかな日差しが室内に刺し込められていた。
 そんなものには目もくれず、土方は切れ切れに脳裏を巡る見つけた答えを縫い綴っている。
 そうして決定的な立場の差異を、思い知る。
 彼は一人抱えるものを守るもの。己が潰えればそれを肩代わりするものはなく、むしろ、守りたかった存在たちがその弔い合戦をしかねない。だから彼は………あんなにも飄々としているのだ。
 抱えることの恐ろしさを彼は知っている。守れなかった時の無力感も、空気の凍るような孤独感も。おそらくは自分が感じたことのないほどの深さで、彼は実感しているのだ。
 だからいらないと、いうのか。片方を守れば片方に手がいかず、結果、中途半端に往生するのが嫌だと。
 そう……いうのだろうか。
 解らない。解るわけがない。
 自分はそんな感情を持ったことはない。昔、まだ組ではなく寂れた田舎道場に仲間と集っていた頃でさえ、なかった。彼ら以上に大事なものはなく、同じ天秤に吊るせるような存在も、なかった。
 自分の守りたいものは全て同じ場所にあり、決して遠く離れてなどいなかった。それはそのまま、自分の度量の狭さを指し示すのかもしれないけれど。
 彼のように、遠く離れたものたちばかりを愛しく守ろうとなど、思ったことはない。
 選ばれたことを誇れというのか。そうして誇りだけを胸に、全てを忘れろ、と。
 …………出来るわけもない相談事だ。
 答えなど知らない。自分は彼よりも何ランクも優しい迷路の中で生きている。
 そうした世界で見つけた答えが、彼の迷路の出口に導く答えだなど、思わない。
 正しい道を選んで清らかな出口を見つける、など、そもそも自分達に似合いもしない絵空事だ。
 それならもう、自分の得意の方法で打破するまでだ。納得も同意もいらない。掻っ攫ってしまえば、いい。そうして自分が思ったように彼もまた、思えばいい。
 自分とは違う迷路を歩む人間の出口はここと、そういえる人間はこの世にいないのだと。己の言葉だけが真実ではなく、選ばれる現実は他にもあることを、知ればいい。
 まるで違う価値観、世界観。それでも通じるものがあると、そう知っている。
 それに賭けたいなど、たいした純情だ。これでは近藤のことを揶揄することも出来はしないと、小さく笑んだ。
 「……戻ってきたか?」
 不意に、声が聞こえる。身近な、昔馴染みの声。
 一瞬何故その声が聞こえるのか解らずじっと相手の顔を見て、次いで窓の外、思い出せる頃の日差しよりも大分傾いた、その影の長さに息を飲んだ。
 「………………っ!」
 「ああ、気にすんなって。それより、さっきの悩み事の答えってのは出たのか?」
 にっと昔から変わらない深い笑みで近藤は笑って、不作法さえ気にもせずに許し、大丈夫かと問う。
 自分にとって守りたいもの。それが、彼にとっての守りたいものと同じ感覚であるなら、確かに自分の行動は浅はかで愚かだった。そう思えるのは果たしてよいことなのか、解らないけれど。
 それでも、笑んだ口元は変わらない。
 「ああ」
 不敵に、そう呟く。
 納得も同意もいらない。自分はそうだと、思ったから。そしてそう思ったからには、それを貫き通す。
 彼が彼の武士道を貫くように、自分は自分の武士道を貫こう。
 たとえ彼がそれを歓迎しなくとも、結果は変わらない。

 懐を探り取り出した煙草に火をつける。
 燻る紫煙はかすかに彼の色を、思い出させた。









   



 うろうろうろうろ。ようやく答えらしきものが見つかった土方さん。
 子供の我が侭のようだと、私は思いますが。
 それでも、そういうのが結構大事なのです。
 少なくとも諦めることを自分に課せる大人には、眩いものですよ。

 次回で完結です。長かったな〜。

05.2.1