「ん?シンタロー、どこいくべ?」
「もうよそっちゃっただわいや!」
テーブルへとサンドイッチとサラダを運んでいるミヤギとトットリが、ダイニングではない方向へと進むシンタローを見つけて声をかけた。
昼食の用意を命じた張本人がいなくなるとは何事だろうと訝しむ二人に振り返ったシンタローが軽く口元に人さし指を当てた。それが意味することを悟り、口を噤んだ二人は心得たように笑んで手を振り、ダイニングで待つ子供達に食事を始めるように声をかけるのだった。
その声を微かに背に聞き、シンタローは目的地である部屋に辿り着く。
………先ほど少し外にでたのがいけなかったのか。また熱がぶり返してしまった。
大丈夫だと笑った幼い顔を思い出し、遣る瀬無く唇を噛む。………あんなにも小さな身体で、それでも必死で生きているのに。虚弱体質と言ってしまえばそれまでだけれど、それでも遊びたい盛りの子供がみんなと同じことが出来ないことにどれだけ傷ついていることか。
言葉さえ、辿々しい。人とあまり多く関れなかった証かのように拙い語り声はそれでも必死で心を伝えようとする。………考えてみれば、この子供が生まれてから、自分も目にかけるようになれたのは確か退役してからだった。それを考えれば総帥という座にありながら幼い自分達の面倒もしっかり見ていた父はある意味偉大だったのかもしれない。
いまもまた、祖父として孫を可愛がりはするけれど………もう昔のような固執は見られない。慈しみ方に変容がでたのかわからないが、それでも少し安心した。自分と同じ溺愛ぶりをこの細い身体が受けたなら、あっさりと壊れてしまう気がする。彼に愛しまれるということは、あまりに強大な枷を背負わされることをも意味してしまうから。
生まれながらの覇王といえば聞こえがいいかもしれないが、結局は人が従わざるを得ないカリスマ性があるということだ。それを間近でずっと浴び続けていれば、自然とそれに負荷が加わる。自分には耐えられたが、あの子に耐えられるとは限らない。
「トチギ? 入るぞ?」
軽いノックの音とともに声をかければ掠れた声さえ返らない。きっと答えてはいるのだろうけれど……………
音もなく室内に入り込めばまっすぐに縋るような視線がシンタローを捕らえる。
ずっと、きっと不安に侵されていたのだろう。静かな室内に自分の浅い呼吸だけが響くことの恐怖をその身に刻んでいる幼子。
いたわるように…安心させるように笑んだシンタローはベッドサイドに座り込んで視線を間近にする。
声は、かけない。ゆっくりとただ相手を見つめて、そうしてただ安堵を送る。
…………かける言葉の無意味さも、激励の重さも知っているから。
必死で……これ以上ないくらいに必死で生きているものにこれ以上一体なにに頑張れと言えるのか。だから願われるままにこの瞳に映す。できる限り近くで…できる限り穏やかに見つめ続ける。
縋る視線が穏やかに和み、笑むように不器用に唇が開かれるまでは………………
緩やかに細く小さな腕が伸ばされる。………否、正確にいったならそれは伸ばされるだけの力を持たずにベッドの上で蠢くだけだったが。
それを感じ取って指先を包み込む。熱に侵されたせいか赤い頬の割りに、指先はひんやりとしている気がした。それに顰めかけた眉を引き留め、シンタローは掠れた音を聞き取ろうと耳を寄せた。
「シーちゃぁ…パーの……」
話を聞きたいと、幼い唇が必死で綴った。
ずっと……ずっと夢見ていた楽園の話。元気で賢く、まっさらな子供が奏でる夢物語。自分には願うことと憧れることしかいまは出来ないけれど、いつか友達になりたい優しい夢。
………祖父や父が時折思い出したかのように語ってくれるその話はひどく美しかった。けれど、この人が奏でる囁きはそれだけではなかった。哀しみと苦しさを内包して、それでもなお輝く現実の光。
実感がわく、確かな音。遠い過去の記憶でも確かに間近に感じる。手の届かない幻ではなく手にとれると信じさせる。
失ったことで諦めていないその響きが好きで、幾度でも幾度でもねだってしまう。
諦めてばかりだった自分に勇気をくれた。信じることを願った声音ではなく、事実しか知らない声。誠実に語られる唇の伸びやかな声音が痛みも苦しみもやわらげてくれる。
大きな指先が、優しく髪を梳いて汗ばんだ額を冷たいタオルで拭ってくれた。その仕草さえ手慣れた様子にホッと息を吐く。
……………嘘を、見抜く力が子供には備わっている。言葉に変えることのできない直感とも言えるそれはあまりにも深層の部分を指し示して伝わらないことの方が多い。あるいは認めたがらない大人の意固地さに捩じ伏せられる。
けれど、この指は決してそれをしない。
与えられた言葉を受け入れてくれる。我が侭を、知ってくれる。どうしてそうしたいのかを考えてくれる。
…………与えるだけではなく与えられることを甘受してくれる。
ひた向きに見つめればそれに答えてくれる。見つめきれないと逸らされることのない視線。それを注がれたまま語られる美しく優しい彼の記憶はあたたかく心地いい。
額を拭うタオルが離れ、ゆったりとしたシンタローの声が室内に響く。
遥か遠く…それでも確かにいまもまだ繋がっている絆を確かめるように…………………
眠りに陥ったトチギの食べ終った皿を持ちながら音をたてないように注意してシンタローは部屋から出た。
小さく息を吐いて遣る瀬無さを霧散させる。………わかっている。自分が憂いてもどうすることも出来ない。
子供は幼くとも自分の命の責任をしっかりと知っている。
そして死期をも悟る。まだ時間があると笑って伝えられた時の言い様のない重さに息も出来なかった。あどけなさの色濃く残された面の裏、どれだけの思いを抱えているのか自分には測ることも出来ない。
ダイニングの近くまで辿り着けばひょっこりと先の入り口から顔を覗かせるものがいる。まるでここにいることを知っていたようにタイミングのいい出現者にきょとんと目を瞬かせる。
「あ、やっぱりシンタローだっちゃ♪」
まるでクイズで正解したようなノリで答えたトットリに声にかぶさるように返事をしたのはシンタロー自身ではなく奥にいるらしいミヤギだった。
「早くくるっちゃよ。僕の特製スープもおまけっちゃv」
「ってコージはん、なにあんたちゃっかりシンタローはんの分食べようとしとりますんや!」
「あー? あれだけじゃ足りんわ」
「だったら自分で作るっちゃ! それはシンタローのために作ったやつだっちゃっ」
「…………あーもーうるさいべ。わけりゃいいだっぺ」
子供のような喧嘩に発展し始めた3人を眺めながら、呆れたようにミヤギがコージの腕からお玉を奪って鍋をかき混ぜる。この島に生えている多くのきのこや薬草をミックスして味付けをしらトットリ特製のサバイバルスープ。見た目がいいとは言い難いが味は確かだ。それを知っているからこそコージも手を出すのだが。
変わらない……否、変わったあとのままの4人を眺めながら小さくシンタローは吹き出すように笑う。………どこか噛み締めきれないように眉を寄せて。
微笑ましい、あたたかい。それは確かなのに。
それでも不意に思い出させられる。否、違和感に身を包まれてしまう。
………何故ここには自分達しかいないのか、と……………
こんなにもかつての日に近似していながらも決定的に足りない。
憂えれば悲しむ人たちを知っているからこそ、笑うことを自分に課したけれど、それでも零れてしまう。甘やかそうとする腕が、笑うなと願うように伸ばされるから。
笑みを象るはずの唇が不格好に引き攣られそうになった瞬間、額に影がかかった。
太く逞しい…傷だらけの腕が突然眼前に迫り、身構える間もなくシンタローの頭を思いっきりぐしゃぐしゃとかき混ぜる。遠慮などまったくしていない力加減で、引っ張られた髪が悲鳴をあげるが、意にも返さない悪戯っ子のような無邪気な笑み。…………その奥に鎮められたいたわりの静けさ。
「おいコージッ!」
変わらない声でその名を呼べば背中にも見知った気配が加わる。ぽんと軽く叩くような、優しいぬくもり。
いつの間に後ろにまわったのか……気配のなさは彼独特。幼い顔で笑んで、やわらかな音を醸す。
「ほら、入り口にいつまでもいないっちゃ。僕達もご飯食べたいっちゃよ?」
「………へ? お前ら食ったんじゃ………」
すでに食事は終っているものと思っていたシンタローはトットリの言葉に不思議そうに答えてその顔を見ようと振り返る。………瞬間に後ろ髪を思いっきり引っ張られて首がすごい音を立てたけれど…………
痛みの走った瞬間に問答無用で蹴り飛ばした対象物を認識する暇もなかったが……多分悲鳴からいってアラシヤマだろうと見当をつけると、呆れたようなミヤギの声が届いた。
「いまおめーが蹴った奴が後で食べるって駄々こねたべ。しかたねーからな、ガキども先に食わせてオラたちはこれからだべ」
綺麗にテーブルに並べられた5人分の食事。……多分コージはすでに1度は食べながらももう1食、なのだろうけれど。
自分のことを待っていてくれる食卓。ぬくもりの残った空間。……懐かしくて、苦しくなる。
それを飲み込み、シンタローは一歩前に出てその空間に踏み込んだ。見ていることは怖いくらい哀しみを注がれるけれど、勇気を持って踏み込んでしまえばそれが自分を傷つけることがないことをきちんと知っていた。
だから、笑いかけられる。義務ではなく………心が緩む瞬間。
「とりあえず、コージ、アラシヤマ拾ってこい。飯にしようぜ」
「人に頼まずに御自分でやってくれまへんか………」
「なんだ、もう復活してたのか。飯食うぞ」
あっさりと真後ろに迫っていた背後霊のようなアラシヤマを見るなり一蹴するように言い切って席についてしまう。………それでも、隣の席を空けて座るから、泣きながらもアラシヤマはホッとしたように息を落としてこっそりとその席へと足をすすめる。
それを見ながら苦笑していたミヤギとトットリもまた席につき、いつの間にかすでに食べ始めているコージにぎょっと目を向ける。からかうというよりは幾分非難を込めて名を呼べばしれっとした顔でお変わりを要求される。………あんまりにもいつも通りで、昔もいまも関係ないと感じさせる瞬間。
呆れたように笑うシンタローも、そんな様子にほっと息を吐くアラシヤマも変わらない。
……………それでも、確かに月日は流れている。
ゆっくりと悠久に思わせるそれは、それでも変革を待ち望んでいる。
誰も知りはしない。時の彼方での出来事。…………だからこそ、いまは穏やかに。
まるで破綻を迎える哀れな生け贄を一時の夢に住まわせるような残酷なる優しさで……………
「あ、そういや……もうすぐグンマの奴が来るんだった」
サンドイッチを頬張りながら思い出したことをシンタローは口にする。口の中にものがある分聞き取りづらいが、正確に理解したらしい面々が少し意外そうな顔をした。
ずっと……いまは何年も研究室にこもっている。勿論元来社交的な人間だから引きこもるようなことはないが、それでも昔よりもずっと研究に没頭していた。その理由は痛い程よくわかるけれど…………
そんな彼が突然なんの約束もなく赴くなど珍しい。そう驚く姿がありありと伝わったシンタローはサンドイッチを飲み物で流し込み、一息つくと事情を説明した。
「………昨日今日とトチギの熱が高いからな、元気づけと、ついでに状態の確認に来るようにいっておいたんだ」
「悪いのか?」
シンタローの言葉に眉を顰めてコージが声を重ねる。正直、そうした意味での訪問は嬉しくないのが本音だろう。研究が大切であることも、それがトチギの身体を楽にさせるためのものであることも熟知している。それでも………傍にと思ってしまうことは傲慢か。
あんなにも小さな指先で途切れがちな息を大丈夫だと笑って。
………縋ることも知らない恐ろしささえも受け入れた幼い子供の傍を離れられる親の気持ちなどまだわかるわけもない。
どちらの思いもなんと話に理解出来るシンタローは小さく苦笑して瞼を落とす。………ああして眠っている姿は、別に初めてみるわけではない。初めて見た相手は自分と変わらない年の子供だった。ガリガリの身体と目だけが異様に大きくて…痩けた頬がより一層生気を失わせていて。正直、それが人間であるのか疑ったことさえあった。
それでも受け入れることが出来たのは生きるというなによりも絶大な意志を垣間見たから。
怯えたように伸ばした腕をそれでも受け止めてくれる優しさに涙したから。
………知らない人はわからなくて当然だ。
自分だって、正確には測りかねている。ただ過去の記憶が確かに教えてくれるだけ。子供を厭っているのではなく愛しているが故に離れなくてはいけない時期があるということを。
不可思議な笑みを残してシンタローの声は変わらずに響く。笑みの理由を知らしめるわけではなく、心を見透かすように浸透する声の波。
「ま、あいつも生真面目だからな。理由がねぇと、来られないんだろ。なんかに願掛けでもしてんのかね………?」
小さな筈の声は、それでも誰もの心に染み込む。あますことなく注がれた音はぬくもりを内包し、示された声の奥に潜む事実をこっそりと伝える。
会いたい。それでも会えない。…………それは自分達もよく見知った感情。
ただそれが事実会うことのできない距離か、会うことが出来ても自らに禁じているか。
…………どちらがより苦しいかなんて知る由もない。
比べることなど出来ないものを、それでも正当化したいが故に比重してなんになるというのか。少し罰の悪い顔をしたコージは立ち上がる。それを目で追えば、変わらぬ笑みを向けられた。
「ほんじゃったらまあ、ココナッツももう少し必要じゃな。とってきとくわ」
「あ、オラもいくベ」
「マンゴーもいるっちゃね。僕おいしいところ知ってるっちゃ♪」
楽しげに響く声たちを眺めながら見送れば……一人残ったアラシヤマに気づく。てっきりついていったものと思っていたシンタローは何故いるのかと疑問をのせて見やる。
それに対してどこか不貞腐れたような視線を返して、小さな音が返された。
「…………さっき忍者はんとジャンケンに負けて片づけを押し付けられたんどす………」
絶対に、確信犯だ。
マンゴーを採りにいく約束をミヤギとしたから押し付けられたことは火を見るより明らかだ。自分が一体なにをしたというのかかなり問いただしたいが、今更いっても不思議そうにさあと言われるだけにしか思えない。
小さな溜め息を吐いて立ち上がればどこか楽しげな笑いを零したシンタローもまた立ち上がった。
シンタローも自分を置いてどこかにいくのかとかなり情けない視線で背中を追おうとしてみれば……その背は晒されることなく隣に寄った。
「しかたねーな。今日だけ特別に俺も手伝ってやるよ」
ポンと軽く叩かれた肩の熱に少し涙ぐみながら、アラシヤマは先に進むシンタローを慌てて追い掛ける。
この先、こうして5人変わることなく一緒にいられればいい。かつてこの島にいた頃のように成長しただろう子供達と一緒に。
それはきっと全員の夢。
まるで泡沫の夢だと、知っていた。
それでも願うことも祈ることも忘れることは出来ない。
……………絶望とともに刻まれた傷は、世界とともに引き裂かれることなど知りはしないから……………
…………フフ…4人の視点パート2ですかね…………
まあシンタローとトチギのシーンが書けたのでよしとします。
次回でトチギのことは詳しく書ければ……いいな。
本当に長くなるよこのシリーズ。いまだにシンタローサイドすら話が終らん。
でもグンマが出てきて青の一族の人たちが絡んでくると話は進んでいきます。
…………いい方には絶対に進まないけどね。
段々4人組に慣れてきました。ええ……ずっと書き慣れないなーと思いつつ書いていました。
そうよね。私パプワは結構書いていたけど、シンタローとパプワとチャッピー、そしてイトウくんしか書いていなかったわ!
一回ミヤギ&トットリをちょびっと出したくらい。アラシヤマは書いていたけどね…………
逆に彼は書いていた経験があって今回困る人。
……………なんせこれは完璧健全だからね☆