自家用のセスナに乗って空を眺める。………それは確かに心地いいことなはずなのに……心が重い。
 本当にこの景色を共有したい小さな腕はいまだ気圧の変化にさえ耐えられない。それが絶望的な意味を有しはしないことくらいは知っている。………子供のような願望ではなく、我が身で起きた確かな変化。
 絶大なる力を有した遺伝子は、それを取り込むまではこの上もない凶器だった。虚弱なわけでもなく、遺伝的欠陥があるわけでもない。ただ純粋に己の身体が戦っている。力を有すことができるのかと、試されている。
 幼い頃を思い出せば切なさだけが込み上げる。
 隔離された室内。医者たちが赴く以外には訪問者もいない真っ白な部屋。
 動かない身体を嘆く気もなかった。自分の身体は生れた時からこうだった。自由に動くということさえ知らないのに、嘆き方さえ判らない。
 ただ寂しかった。
 誰もいないことがどうしても堪え難かった。
 それでも確かに与えられるものがあった。
 「…………」
 思い出した記憶に小さく笑う。
 彼は昔から悪戯ッ子だった。厳重に立ち入りを禁じられた自分の部屋に、それでも持ち前の好奇心から訪れた。あっちこっち汚れていて、僅かに血を滲ませている箇所さえある。………医療従事者が見たなら雑菌の塊である彼に驚いたことだろう。
 それでも彼は現れた。
 …………入り込めるはずのない自分の部屋までやってきた。
 眩い太陽の光を背負ったまま、その人はやってきたのだ。きっと誰も信じはしない。その時彼が、自分に力をくれた。
 自分を確認した瞬間に恐れるように見開かれた瞳。青ざめた顔と声さえ出ない驚愕。手にとるように覚えている。
 その全てを自分は知らない。…………厳めしい顔で冷たく見る視線ではなかった。自分を見て、確かな嫌悪を感じた視線。
 傷つかなかったわけがない。それでも、自分を見ていることを知った。実験物でも研究対象でもない。いまここに生きている自分を見たからこその確かな反応。………健やかな魂が眼前の生きる気力さえも持たない異物に拒否反応を示しただけの事実。
 考えたこともなかった。自分は、考えることさえ放棄していた。意志を持つことが邪魔だとどこかで思っていた。諦めることが一番いいのだと……思っていたから。
 でもどうだろうか。この異邦者であったなら自分のこの状態になってもなお自分と同じことを選ぶのか。生きる意志と眩さを抱き締めた瞳が壊されるのか。
 嫌悪は自分とは違うが故。………自分であれば戦う現実から逃げ出した臆病な敗者の哀れな末路故。
 そんな瞳は嫌だった。映してくれるのならもっと優しくあたたかなものがいい。汚物のような視線ではなく、同じく尊厳ある存在として認めて欲しい。
 漫然と生きていた自分に確かな意志を与えてくれた。
 真直ぐな視線。逸らしもしないで見つめる。恐ろしいなら逃げればいいのに……自分の流した涙に捕われて動くこともできないのだろうか…………?
 汚くて醜くて……こんなにも腐臭漂う存在を、それでも見捨てられないというのか。
 涙の意味など知らない。ただ………心になにかが灯った。
 こんな風になりたいと、憧れさせた。目標をくれた。そうして伸ばした腕を怯えたように寄せられた眉で………しっかりと握ってくれた。
 哀れみでもなく、優等生の反応でもない。
 ただ……自分の意志を知ってくれた。それを支持するように、力を分けてくれた。
 恐ろしい癖に。怯えている癖に。
 …………逃げ出したい衝動を、それでも堪えてすくいとるのか。こんなちっぽけな涙を。
 流した涙とともに生きることを思い出した。………否、知った。
 だから彼に預けたのだ。自分の一番愛しい魂を。
 たったひとり自分の元に残ってくれた同じ血を宿す存在。自分の番(つがい)であった人ははもういなくなってしまったけれど、その小さな身体の中に息づいていると信じている。
 小さく………溜め息を落とす。
 満足のいく結果はいまだ得られない。自分の時のように意志だけが克服出来る類いかは正直判らないのだ。あの幼い日から流れ続けた時の間、知りもしなかった事実が浮き彫りになり、なにが因となってしまったのかが判らない。
 「僕の血じゃ……血清にはならないしな………」
 ワクチンを、作りたかった。呪縛のような自分達の濃過ぎる血に脅かされる者がもうでないようにと祈って着手した研究。………最初にそれを必要としたのが自分の血を受け継ぐ存在だなんて、笑うことも出来ないけれど…………
 それでも、絶望なんて知るつもりはない。
 自分を生かした奇蹟はいまもまだ消えはしない。そしてその希望は確実に消え入る命を引き止めてくれるだろう。
 戦うのではなく受け入れること。無作為に行なうのではなく、選ぶこと。当たり前のようでなんと難しいことか。それでも彼は簡単に自分に示してくれた。
 それをいまもまだ……信じている。
 ぼやくように呟いた言葉が窓ガラスを曇らせることもない気候の中、はにかむように笑んでくれるだろう幼い容貌を思い出し青年は静かな笑みを口元にともした。憎まれても仕方がないと思っているのに、それでも優しい腕は喜んでくれる。滅多に会いにはこない自分の父を。
 ………決して彼が事実を教えているわけがないのに。誰にも、この真意を伝えてはいないのに。
 無辜なる瞳はなにを求めるよりもこの腕を信じ愛しんでくれる。いっそもう……勿体無いまでに………
 だから、自分にも力を。
 あの幼い瞳が永遠に閉じられることなく自由に生きるための力を与えたいから。
 力が欲しい。命を燃え上がらせる、なによりも強い力。
 それがどれほど得難いものかわかっているのだけれど…………………
 「シンちゃんの願いが叶えば……いいのに」
 そうしたら自分の願いも叶うかもしれない。
 …………どこかくだらないともいえる願掛けを込めた渇望。叶えられる日がきたなら自分はどうするのか。いまもまだ……決めかねてはいるのだけれど……………
 それでもいまは微笑める。愛しい人たちの誇りでいられる。
 細く小さな呼気を落として静かに青年は目を閉じた。どこか懺悔にも似た眉間の皺は、窓に映される以外に誰の目にも止まることはなかったけれど…………………

 見上げた青空の先に影が見える。雲ではないそれに初めに気づいたのはトットリだった。
 指差したまま、傍らで果物を袋に詰めているミヤギの髪を引っ張る。昔と同じく長く伸ばされた髪はしなやかな張りを見せながら所有者に刺激を与える。
 僅かに顰めた顔のままミヤギが振り返る。たしなめるような言葉とともに。
 「人の髪引っ張るなっていってるべ。その癖なお……」
 「セスナだっちゃ! グンマが来っちゃよ、ミヤギくん♪」
 満面の笑みでとぎられた言葉はそのまま紡がれることを忘れる。……普段は言い様に使われる癖に、ちょっとした時には絶対に自分の言葉を聞きはしない。まるで見計らったかのようなタイミングで晒される無防備な笑みや無邪気な仕草。叱れないことを確信してはいないかと時折頭を痛めるが、それももう今更だ。
 互いが一緒にいることが心地よいと知っているのだ。そうした一面さえ、認めて一緒にいるのだからとやかく言っても始まらない。
 いまだ髪を掴んだままの指先を軽く叩いて解かせ、ミヤギは立ち上がった。
 「シンタローに知らせるベ。結構早かったベな」
 「きっと大急ぎで来っちゃ。グンマ、トチギのコト大好きだっちゃ♪」
 自分の血を遺すことにあまり執着はないけれど、ああした感情を見ていることは好ましかった。だから、シンタローに言われるまでもなくトットリは知っていた。どれほどグンマがわが子を思っているかも、焦がれているかも。
 時折……被る、冷たい視線を携えながらもわが子を溺愛していた元総帥。これもまた血なのだろうか。グンマの執着は時にそれを彷佛させる。
 だからこそ離れているのか。…………思いが人を押しつぶすことがあることを、多分グンマはよく知っている。従兄弟という立場でずっと見つめ続けたシンタローの苦悩も傷も、自分達以上に。
 不器用な血だと思う。だから、優しくしてもいいかなと時折考えるぐらい。
 やわらかな笑みに隠された深遠なる思いに曖昧な表情を返し、掴みきれなかった感情を霧散させつようにミヤギの声が響いた。正直、トットリの意識は深過ぎることがあって掴み所がない時がある。だからといってそれらを根掘り葉掘り聞かなくては不安になるわけでも、相手が判らなくなるわけでもないのだけれど。
 「コージッ! そろそろ戻るベ。客がきただ!」
 少し遠くにいる筈のコージに聞こえるように大きな声をかけた。
 すぐに応答の返事が寄せられ、ガサガサと少々大袈裟なほどの音を響かせて大柄な姿が目に入り………ミヤギとトットリが目を見張る。
 「なんじゃ、けったいな顔を晒しよるのう」
 「それはお前だべ〜〜〜ッッッ!!!」
 「なんでラフレシアなんて被ってるっちゃっっ!?!?」
 明らかな腐臭をものともせずに背負っている物体は大きすぎてコージの背後に被さっているようにしか見えない。近くにいるだけでも香りがかなりどぎつく色づくように感じるというのに、もっとも身近にいる筈のコージはどこ吹く風で手にとって不可解な顔で眺めていた。
 「この辺りで一番でかい花をもぎ取ってきたんじゃが……おかしいか?」
 「コージの美的センスがおかしいっちゃ!」
 きっぱりと言い切った言葉にきょとんと首を傾げ、仕方なさそうにコージは手に持っていたラフレシアを地面に置いた。綺麗とも汚いとも思わないが、とりあえず珍しいものであれば喜ぶかと思ったが……これではいけないということは二人の反応で充分理解出来た。個人的にはこんなものを渡されたら大爆笑で喜ぶのだが。
 「トチギが欲しがったら持っていってもええじゃろ?」
 「…………そんなことは一生ないから安心するベ」
 まだ惜し気に眺めているコージに水浴びをしてから戻るように遠ざけつつミヤギがぐったりと答えれば、なにひとつ気にしていないという変わらぬ笑みが口元を彩る。
 ………ある意味、この男も大物なのかもしれないと背中を見送りながら一足先に報告に戻らせたトットリのあとを追うのだった。








   


 やっとグンマ登場です。彼は髪切っていて欲しいな………なんとなく。
 しかし長かったな、青の一族登場まで4話使ってしまったよ。私らしいよ。

 連載っていいですね〜。いつもの短編も好きなんですが、ちょっと道草的なものを加えていても構わないんですものv
 …………だってパプワではそういうのなかったら雰囲気ないじゃないですか。特にガンマ団は!
 なんで結構楽しく書いています、ボケと突っ込み。この島なら可能だ!という感じで。
 まあそんなわけでこの先もより一層無駄に長くなっていくことだけは確定☆ということです。アハハハ…………