キョロキョロと辺りを見回せば微かな気配が居間の方から感じられる。
 てっきりトチギのところにいるのかと思ったが、違った。珍しいと思えば更に珍しい姿が見られた。
 「………シンタロー?」
 小さな声は返答を求めてはいない。少なくとも、その名を持つ人には。
 視線はシンタローにむけられながらも返事を求めた相手は別であることをきちんと知っているアラシヤマが更に潜めた音を零した。
 「寝とりますわ。……昨日、明け方までなにか調べとりましたし…………」
 心配そうなアラシヤマの言葉を聞きながらも何故そんなことを知っているのかと問い返したくなる。……もっとも、言ったところで無意味だろうけれど。
 なによりも知っているということは同じ時間まで起きていたということ。不器用極まりない上に何の意味もなさない思い。……それでも確かに心をあたためる拙さ。
 好きも嫌いもなくただ笑みがのぼる…そんな感覚を無邪気に楽しみ、トットリは改めて足音を消してシンタローのそばに膝をついた。
 「よう寝とるっちゃ。………でも起こさないと怒られるっちゃね」
 ちょっと勿体無いと苦笑して張りのある頬を軽くつっついてみる。………昔、まだこの人が総帥となるより以前はこんなことが出来る筈もなかった。張り詰めた空気が眠りさえも浅くしていた。意識が決して休まることのない魂に眉を顰めた。正直、自分は疲弊していることにすら気づかない彼に驚嘆は覚えててもそれ以上の感覚は何一つもてなかった。
 友のミヤギが感じるような憧れや心酔もない。むしろどこか……冷めて彼を見ていた。
 自分がどうしたって全てを割り切れてしまう人種だから………その分自分が好む全ては優しくあたたかく、どこまでも儚い残像だった。その中にあの過去の日、くだらないと視線を逸らした人が加わるなんて思いもしなかったけれど。
 「起きるっちゃよ、シンタロー。待人が来たっちゃ」
 楽しげな声音は、けれど少しだけ力ない。
 …………わかっているから。眠りに落ちたあと、覚める泡沫の時に聞きたい声が自分達でないことを。本当に待っている人はまるで違うことを。
 それでも現実が変わってくれるわけでもなく、また彼は逃げないことを自身に課しているから。
 少しだけ寂しい指先が優しくシンタローの身体を揺する。
 ほどなくして睫が震えて眠りが覚めることを知らせれば、静かにアラシヤマはシンタローの隣から離れてコーヒーをとりにいった。
 「あー……トットリ? なんだ………?」
 僅かに焦点がぼやけている。さすがに連日の睡眠不足が祟っているのか。……つい、気心の知れた者の前では醜態がこぼれる。遥か昔はこんな情けない真似、することはなかったというのに………………
 強くなったのか弱くなったのか問う気もないが、その微妙な答えをそれでも知っているシンタローの視線は少々頼り無い仲間を見つめて綻ぶ。
 なんとなくそんな感情を読み取ったトットリは軽く苦笑を零し、次いで楽しげにおもちゃを披露する声音でとっておきの言葉を綴る。
 「グンマのセスナが見えたっちゃv」
 お待ちかねの来客だと告げれば……なんとやわらかく眇められた瞳だろうか…………?
 心からの歓迎。態度でもなんでもない、はっきりと示される好意と親近感。そしてなによりも判る、近似された喜び。
 …………自分と同じ立場でありながら、自分では得られない喜びを噛み締める者を、憎むのでも羨むのでもなく……ただ喜べる希有なる魂。
 「そうか、じゃあ飲みもんでも用意しとくか」
 「いまアラシヤマが用意しに行ったっちゃ。シンタローは顔でも洗うといいっちゃ」
 「おー……そうすっかな」
 ちらりとキッチンを顧みて、特に支障はなさそうな様子を見て取ったシンタローは立ち上がり伸びをする。
 手を振って見送るトットリに軽く声を返して入り口をくずればしんとした廊下。………子供達は別棟でいまは勉強中かと窓から差し込む日の光の具合で思う。勉強の好きな、変わった子供を小さい頃も見た。一番そばで。昔はあれこれ教えてやった筈が、いつの間にかその頭脳は自分を越えてしまって少しだけ悔しかった過去。
 随分……久し振りに血縁者に会う気がする。そういえば昨日、もう1通メールが来ていたかと思い出した内容を反芻しながらシンタローは洗面所に向かった。
 詳しいことは特に何も書かれてはいなかった。けれど自分に来いという位であるならきっと一族の集まりなのだろう。グンマが来るのであれば直になにがあるのか聞けば十分だ。
 そう考えながら、不意に水に濡れた自分の掌を眺める。
 …………もう、この身には1滴たりとも青の一族の血は流れてはいない。それは周知の事実であり覆すことのできない現実。
 それでもいまだあの人たちは自分を血縁者と認め、なにかと目にかけてくれる。………昔と変わらない態度で…僅かな哀愁と自身を責める色を携えて。
 もっとも、喜ぶべきか厭うべきか……まるでそうしたことを感じさせないほどまっすぐに自分を見るようになった人物もいるのだけれど。
 冷たい水に晒されて目の覚めた肌をタオルで多少乱暴に拭い、シンタローは苦笑する。
 時間が解決することは数多くある。それは確かだった。けれど………その時間がどれほど必要かは人それぞれ。そして流れた時の分だけ新たな傷も構築される。……………それは永遠の掟。
 わかっているから逃げることをやめた。傷は癒える。必ず。………あの島には永遠の掟は存在しない。やわらかく傷を与えることのない楽園はただ優しく傷んだ魂を抱き締め癒してくれるのだろうから。
 この島同様に、新たな島もまた、子供を守り導いてくれる。
 ………自分がいなくても、きっと大丈夫。
 子供の柔軟さとしなやかさはそれを確かなものと信じさせてくれるだろう。
 だから自分はここにずっといた。
 逃げないことを誓うために。突き進むことを忘れないために。
 そうして………いつかあの子供のいる島に再び赴くことを自分に許せるようになるまで、この世界を守ることを決めていた。
 不敵に笑んだ自分の顔を鏡に映し、確認するように鏡の奥にいる自分を見つめる。
 大丈夫………もう、自分に出来ることはない。この世界は有能な後継者に恵まれて美しく歩み始めたから、自分のためにだけ生きることを許された。
 総帥をやめたということは、鎖を解き放ったということ。………それを誰もが認めたということ。
 それでも足踏みしていたのは……僅かな恐れがあったからか。
 世界中のどこを探してもないかもしれない。本当に……最後の楽園なのかも、しれない。
 怯えそうな自分を支えるように集ってくれた仲間たちに強気な顔を見せてもどこか労られている。わかっているから、拒めない。
 いい加減歩み始めなくてはいけない。遊び程度の探索ではなく、本気で追い掛けなくては手に入らない。
 あの過去の日がただの夢幻と変わっていても、それでも探し出す価値はあるから………………。
 暫くするとミヤギの足音も響いた。まっすぐに自分のいたダイニングに向かって、見通した先にいたアラシヤマになにか言っている。アラシヤマの情けない声が響いたからきっとなにか冷たくあしらわれたのだろう。
 なにか楽しげにトットリと話している声を消し飛ばすように今度はコージの足音が窓の方からした。…………多分あの大きな音から察して…………土足のまま普通に窓から飛び込んできた。
 怒鳴り声を聞いている限り自分の予想は間違っていないと確信する。もう、慣れてしまった仲間たちの行動や関わり合い。
 そうして……紡がれている絆の先、彼らが願ってくれていることがなにかくらい知っている。
 明日、一族の集いから帰ってきたならあいつらにも話そうか。
 この島を出て…海を渡ることを。
 過去の日あの島に流れ着いた時のように当てもなくただ進んでみる。危険がないわけではないけれど、それなりの機器を全て搭載して、命の保証だけは確かにして。
 余生というにはまだまだあまりあるけれど、そうやって生きたい。あの島を探して……あの島のためだけに生きることのできる時間が欲しい。
 子供達のことは明日マジックたちに頼めば大丈夫だ。……なんだかんだであの人は子育てが嫌いではないし、それなりにうまくもある。きっと願うままに導き育ててくれるだろう。あの過去の執着さえなければ、自分達の関係だってずっとうまくいっていたように。
 小さく吐き出した決意の吐息とともに、玄関のチャイムが鳴る。
 来客を迎えるために歩み出したシンタローの足先は軽く、しっかりと地についていた。
 …………目的を定め、進み出すことを決めた確かな足取りで。

 「シンちゃ〜ん! 久し振り! あ、これお土産! 高松が作っている新種の枇杷だよv」
 「…………取り合えず離れろ」
 玄関を開けたと同時に抱き着いてきた幼児性の抜け切らない従兄弟の頭を押し退けながらシンタローは呟く。
 いい加減この歓待には慣れてもいいだけの時間を過ごしてはいるが、どうしてもぶっきらぼうになってしまう辺り、自分もまだ幼いのだろうか………?
 残念そうに離れた自分よりも幾分小さな青年の顔を見つめる。………幼い容貌であることは変わっていないけれど、随分引き締まってきた。なによりも周りが危ぶみたくなるようなオドオドとした雰囲気がなくなり、どこか物静かな落ち着きを与えている。…………血を残すということは、こういうことなのだろうかといつも思う。小さな命を守るために、遺伝子すら革命を起こす。見違えるほどに。
 マジマジと見つめていた不粋さを怒るでもなくニコリと笑ったグンマは改めて持ってきた土産をシンタローの眼前に突き付けた。
 「はいv おいしいし……なにより栄養満点だからトチギにも食べさせたかったんだ。後でみんなで食べようね」
 「あ? ………ああ、そうだ…………」
 不可思議さに捕われていたシンタローを現実に引き戻した声に答えようとさせ出された箱を見やり、笑みを返そうとしたその唇が………凍る。
 後ろに控えていたミヤギがひょこりと覗いてみて………この上もなく嫌そうな顔を晒した。
 「………なんだか……滅茶苦茶怪しい色しているベ」
 「僕こういう色した毒丸作れるっちゃよv」
 「さり気なくなに言ってますんや忍者はん」
 「本当にうまいんか?」
 訝しげなコージの声とともに伸ばされた腕が小さな枇杷を1つ取って皮も剥かずにそのまま口に放った。
 ぎょっとトットリとグンマ以外の全員が目を見開いて慌てたようにコージの腕を押さえようとするが……すでに口に含まれ噛み砕かれていては後の祭りだ。
 顔を引き攣らせて絶叫するのではないかと眺めていた全員の前でにんまりとコージが笑う。
 「イケる味じゃな。いらんのならわしが喰うちゃるが?」
 「……………後でジャムにでもしてパウンドケーキを作る…………」
 見た目は最悪でも味はいいらしい。のばされた腕を叩いて呟いたシンタローの声には深い溜め息の効果音がついていた。
 改めて苦笑を零しながら箱を受け取ったシンタローは上がるようにグンマに声をかけ、歩き出す。他の4人もそれに従うようにグンマの後ろからついてきた。
 「取り合えず、ケーキができるまでは二人で会ってな。バイタル関係のファイルはいつもの場所に置いてあるからみとけよ」
 「うん。………ごめんね、ありがとう…シンちゃん」
 申し訳なさと喜びを混ぜて、困ったような不器用な笑みでグンマが答える。
 独り善がりで自分勝手な願いを、それでもシンタローは当たり前に受け止めてくれた。……まるで何もかも承知しているような深い笑みで。
 少しだけ気落ちした気配に気づき、優しい指先がグンマの額を軽く小突いた。
 「気にしてねぇよ。ここには他にも山ほどいるしな。そーゆーのは後ろの奴らに言ってやれ」
 自分に付き合ってこの島で子供達の世話を喜んで請け負っているお人好したちに、とウインクでからかうように言ってみれば少しだけむくれたような顔で照れ隠しをする。
 やわらかな………戦場には決していない儚さを内包した笑みを浮かべたグンマの謝意に不器用な返答を返す4人を眺めながら小さく笑う。どうも……自分の血縁者と自分の仲間というものはあまり縁がない。関わることが多い筈なのに決して一定以上のかかわりを持ちたがらない。
 なんとはなしにその理由がわからないわけではないけれど、もういい加減そんな過去の確執を持ち続ける時代でもない。
 少しずつ蟠りが消えてくれればいい。自分がいなくなっても残せる絆があるように……………
 時折わいて出るまるで自身が消失することを予感するような物思いに苦笑して、シンタローはそれを追い出すようにグンマに向き直り声をかけた。
 「そういやグンマ。親父に明日来いって言われてんだが……なにか詳しいこと聞いてないか?」
 どうせ一族の集まりだろうと気軽にいった言葉に、きょとんと不思議そうな顔が向けられる。
 ドクン…と、心臓が嫌な音を立てた気がした。
 何故動悸が増したのかなんて自分でも判らない。それを予感というものに分類するにはあまりにも頼り無げで理由もない。別に、自分一人が呼び寄せられることは珍しいことでもないのだから。
 少し困ったように眉を寄せて記憶を探るグンマを眺めながら、もう答えは予想出来ていたシンタローは申し訳なさそうに綴られた音をどこか遠くで聞いていた。
 「ごめん、父様から僕は聞いてないや。いま叔父様たちが来ているから、久し振りに会いたくなったんじゃないかな?」
 「そうか、悪かったな、変なこと聞いて」
 笑んで躱した自分の返答に、シンタローは心の奥で蠢くものを感じる。
 なにかが始まる。
 ……………それが何故自分に判るのか、知らないけれど。
 ただ感じた。止まっていた歯車の動き出す音。

 トチギの部屋のドアを閉めた時からゆっくりと開き始めた扉。
 そこから現れるのは……一体なんなのだろうか。
 予感に身を浸らせながら、シンタローはじっと見えはしない扉を重ねたそのドアを見つめていた………………








   


 やっと動き始めました。展開が。
 この島から離れて、事態が動き始めます。
 早くパプワサイドが書きたくてたまらなくなっている私をどうにかして下さい。これから佳境に入っていくのにね、シンタローサイド。
 早ければあと5話で終りますよ。まあ………あくまでも早ければ、であり。なおかつ私の計算で、ですけどねv
 ……………ふ。何話長くなるか見物だわ……………(遠い目)

 次は翌日から始まります。
 マジックたちのいるガンマ団本部へ。
 …………そうさ、彼らはまだガンマ団本部にいるさ。まあ自分の家が敷地内にあるからという理由が大きいですが。
 キンタロー……名前はキンタローでいいのでしょうか。結局彼の名前が定まったのかどうかが不安だわ。
 まあPAPUWAでもし彼が出てきて名前が呼ばれてましたら教えてやって下さい。
 私近頃読み損なっているのでまったく新情報手に入りませんv