プシュ…――――――
機械音のあとに左右にスライドされるドアを前に、シンタローたちは和やかといっていい談笑をしていた。ここのセキュリティーは変わらず厳重なものを使用していて、指紋だけではなく体格的特徴の一致から声紋・網膜にいたるまでのすべてがチェックされ、なおかつ二重ドアになっていた。
幼い頃からこれを使用しているのだから違和感はなく、さして不便も感じないため平和となったいまも使用はしているが、ある種必要がある策でもあった。過去は過去と割り切れない輩は、世界中にいくらでも存在するのだから。
そうしてドアの先にはこの本部を後にしたのちも変わらない、会議室がある……はずだった。
「シンちゃ〜ん!! パパだよ、久しぶりだね。寂しいかったよ〜!!」
「離れやがれクソ親父ーっっっっ!!!」
突然抱きつき、あまつさえ頬ずりまでしてくる年甲斐のない父親さえいなければ、だが。
既に予想はしていたが、まさか間髪入れずにくるとは思わなかった。
もっともこうなるだろうことはグンマにもキンタローにも忠告はされていた。大分長いことここに帰らずにいた上、通信もしていなかった。更にいえば、衛星などでプライベートを覗かれるのはごめんだとあの島一帯をノイズで隠したこともあり、見事な禁断症状が現れていたらしい。
心の底から子離れしろと怒鳴りたいが、もうこの人のこれは、習性に近い。彼自身、シンタローが己で決めた道に口は挟まないし、一人前の大人としての対応もしてはくれているのだ。こうした、手のつけられない幼児と化してさえいなければ。
これでは本気で集まりの内容などなく、久しぶりに一族みんなで食事でも……などと言い出すのではないか。そんな風にうんざりと溜め息をついて抱きついているマジックを片手で引き剥がせば心得たようにいとこたちがその回収をしてくれる。…………あまりにも日常と化した光景だった。
「相変わらずオメェらは仲がいいな、チビッ子ども」
「ハーレム…お前、なんでまだ制服なんざ身に付けてんだよ」
唐突に現れた叔父に目を向ければ昔と同じ悪趣味なコートを羽織っている。既に退役して大分経った人間が若作りかと冷たい視線を向けてみれば子供のように眼を飛ばしてくる。本当に、この人たちは立派なまでに血が似通っていそうだ。
「あ〜ほ。こりゃ、気合い入れるためなんだよ。ガキには解らん高尚な気持ちだぜ?」
「そんな服を着なければ気合いが入らねぇなんざ耄碌(もうろく)したな」
「………本当にかわいげのねぇガキだな」
「ガキといわれる年じゃねぇし」
けっとまるで取り合う気がないようにそっぽを向いていっているシンタローを忌々しそうに見ながらハーレムは懐から煙草を出す。考えてみれば、今日はこんな可愛げのない甥っ子どもを説教するために集まったわけではなかった。
さっさと話し合ってまたどこかに旅立ちたいものだ。一か所に長居するのはどうしても合わない。空の下、大地の続く限り、あらゆる場所を奔放に飛び回るのが自分には合っている。
「で、親父。用件は何だ。全員集まるっていっても…まだコタローとサービス伯父さんが来てねぇみたいだけど?」
紫煙を吐き出しながら夢想に耽りそうな己の思考をよく響く甥の声が引き戻した。
不意に思い出した弟と、眠りから覚めた甥っ子の顔が脳裏に浮かぶが、それをすぐに打ち消す。感傷じみていて、あまり好かない構図だった。
「あいつらなら今日はこねぇよ」
「へ?」
「コタローは新総帥として、業界と渡りをつけないといけないからね。急遽予定が入ってしまって…それで、サービスに付き添いを頼んだんだよ」
「そっか……」
ちらりと両隣にいるいとこたちを見ても寝耳に水という顔をしている。話自体は本当なのだろう。そして、かなり急だったことも。大好きな弟や叔父に会えないのは残念だが、理由が理由だ。我慢しなくてはいけないだろう。
眠りから覚めて、それまでの一切の記憶を失っていたコタローがようやく一人前になったのだ。この日をどれほど夢見ていただろうか。
彼にこの組織を譲るために、自分は総帥となったようなものだ。彼がいずれ引き継ぐこの組織を優しく鮮やかなものにしたくて。………もう二度と、彼のように力あるが故に苦しむ、そんな悲しい子供を作り出したくはなくて。
そう願い続けてやっと実現した現実。長い時間はかかったけれど、修復しはじめた絆は辿々しいながら、微笑ましいものだった。
「あーあ…親父なんかよりコタローやサービス叔父さんに会いたかったぜ」
よりにもよってむさ苦しいのばっかりじゃねぇかと溜め息を吐くと滂沱の如き涙を流している父親がいるのはもう昔からだ。今さら誰も止めもしなければ慰めもしない。
「で、親父? そこまで全員集めようとしたってことは、何かあるんだろ?」
自分自身でどん底に落とした相手を浮上させるようにシンタローがポンと父の肩を叩き、笑いかける。たったそれだけでパッと顔を輝かせるあたり、少しだけあの島にいる仲間の一人を思い起こさせるがその考え自体を抹消した。
「勿論だよ、シンちゃん。あんまりにも曖昧なものだったんでね、用件として書き添えられなかったんだけど」
「曖昧?」
「どういうこと、お父様?」
「夢だよ、夢!」
ぎゅっとシンタローの手を握って答えたマジックをシンタローが問答無用で殴っている間、キンタローとグンマの問いかけの声に答えられないマジックに代わり、つまらなそうな声でハーレムが答えた。
がしがしと硬質の髪をかき混ぜながら、苦々しい声で言うハーレムに怪訝な顔を二人は向けた。その声が聞こえたシンタローもまた、父を殴る腕を止めて会話に目を向ける。
「奇妙な夢だよ。それを見ると、あの島で目が痛くなっただろ。あんな感じに疼いた」
この秘石眼がというように片目を覆い隠すハーレムを見つめた後、眼下に座り込んでいる父を見下ろす。
秘石眼を持たない自分にそれはおそらく見ることはない夢だ。が、こうして彼らが全員を集めようとしたからには、それなりの共通点のある夢を数人が見たことになる。
「どんな夢だ、親父」
「とても……曖昧なものなんだよ、シンちゃん」
事がどんなことを巻き起こすか解らないせいか、シンタローの声は硬かった。あるいは、今はあの子供の元で眠っているはずの秘石が干渉してきているのであれば、それはあの子供にも何か関わりがあるのではないかという、その一抹の不安からか。
ふと、間近に気配が寄った。さり気なく近付いたいとこたちが、まるでその不安から守ろうとするように自分に寄り添っている。
苦笑して、シンタローは顎をしゃくってすぐ傍にある椅子を示す。話し合いがあるのであれば、こんな風に井戸端会議をしている必要はない。
仕方なさそうに椅子につき、相手方の言葉を待ついとこたちは見事なくらい三位一体だ。
それはどこか微笑ましかった。長い年月をかけてようやくあるべき姿に立ち返ることのできた、この歪みきった血の浄化を示すかのようで。
そしてそれを成し遂げたのは誰の目から見てもこの異質な黒髪の男だ。この一族には決してあり得ない色を携えて、それでも誰よりもこの一族を思い運命の連鎖を断ち切ろうとした人。
「まあ大体想像はつくかと思うが……」
そう前置きをしながら椅子に座り、マジックは血の繋がらぬことが解ってもなおその腕を解くことのできない大切な我が子を見つめる。
どんな解答が出ても、それでもやはりこの子供は自分が育てた大切な我が子という答えにしか行き着くことが出来ないのだから……もうどうしようもないのだ。
小さく息を吐き、だからこそこの子供だけは何があっても守りたいのだと、確認するかのように思う。
その口元の吐息を隠すように組んだ指を唇に押し付け、緩やかに言葉を紡いだ。
「我々が見た夢は、青い秘石が現れるものだよ。心当たりは…ないかい?」
「ちょっと待てよ、親父。とりあえず、どんな夢だったのかきかなけりゃ、関係性なんて見えねぇだろ」
珍しく焦っているように情報を求める父の姿に首を傾げる。組んだ指を唇に押し当てるのは、内心の葛藤を押さえ込んでいるときの癖だ。
訝しむような声には、微かな確信。………解っている。この男の平常心を狂わせる存在など、いまはたった一つしかないのだ。
その目にいまひたすらに映す、愛しい我が子以外に、何もない。
室内がしんと静まり返った。凍り付いたような空間に時計の音だけが奇妙に響く。
静かに……あるいは呆れたかのように、溜め息が落ちる。
「あー、馬鹿くせぇ。そんな真剣に悩むようなことかよ。見てみろよ、兄貴。ガキどもがビビって凍っちまったじゃねぇか」
くつくつと笑いながらハーレムは緊張に尖った空気を溶かすかのように紫煙を吐き出した。
普段であればこの会議室内は禁煙なのだから誰もがそれを咎めるはずだというのに、先ほどから誰もそれに気づかないかのように何もいわない。
それくらい、余裕がない。
そんなにも緊張して何になるというのだ。そう、ハーレムは思う。もう今まで散々最悪の状況など見てきたではないか。もっとこの子供たちが小さい頃、それこそ人生の中でそうは味わわないほどの悲惨さを、とうに刻み込んでいる。
いまさらもう、恐れる事象などそうはない。揶揄するように笑い、ハーレムはだらけた仕草で髪をすくいあげ、語った。
「初めはな…あー、コタローだったな。その次が兄貴で、俺とサービスは同じくらいに、見た」
「秘石の夢だよね。僕も見たよ。どうだろ…繋がるかな?」
グンマが手を挙げ、それぞれの話を持ち出しはじめる。
内容は本当にあやふやだった。
そしてそれぞれがあまりに抽象的で、そのうえ同じ内容を見た、というわけでもないようだった。各自がそれぞれ見ただけであれば過去の悪夢の片鱗か、程度で済まされる、他愛無いものだ。
だが、それを各自が代わる代わる見てしまった。そしてそれは、途切れ途切れながら、一つのストーリーだった。
鮮やかで美しい、あの島を見た。そうしてそこで暮らす幸せな夢。楽しい一時を思っていたなら、突然の大地震が、起こった。………それは地震という言葉だけで終わらせることができないほどの揺れだった。まるでこの島がそのまま海に没するのではないかと、そう思わせるほどの揺れ。
そして場面は変わり、かつての島。今はシンタローが管理するあの島で、青い光が生まれた。それは秘石眼の瞬きに似ていた。今はもうその強大すぎる力を使用することを己自身で誰もが禁じていたが、それは掛け値なしの最大出力の、煌めき。
驚きに息を潜める間もなく起こる爆発。同時に揺れる、島。先ほどと同じ島自体を揺るがす地震だ。
場面は流れ、その光に近付く。逆行で影を背負った誰か。その足下に倒れ込む人。あり得ないと飲む、息。
長い長い美しい黒髪が草と土の混ざり流れている。倒れ込むその人の顔を覗こうとしたとき、また場面が変わる。
青い玉が、赤い玉に何か語りかけている。否、言い争っているのか。音は聞こえないが、雰囲気でそうと思える波動があった。そうして砕かれたあの扉。こぼれ落ちる青い秘石が地面に触れる、嘲笑のような甲高い音。
場面が変わり、慟哭の声。
長い黒髪の、喉の避けるような悲しみの声音。
そうして、地震はいよいよひどくなり…………島は崩れはじめる。
それを高みから見つめる、金の髪。その腕に抱かれる、やはり同じ金の髪の子供。
以上が、それぞれの見た夢をそれなりの時間経過を踏まえて繋げた結果の、ストーリーだった。
もっとも所々抜け落ちた部分もあり、時間軸がうまく解らないためあるいは前後している部分もあるかもしれないとマジックは付け足し、溜め息のように長い息を吐いた。
「なんつーか…まあ、縁起でもねぇな」
シンタローは沈鬱な周りの顔を笑い飛ばすように軽い声で言った。
どう考えても、少なくとも泣き叫ぶか倒れ込むかしているどちらかは、自分だ。誰もがそれを解っているからこそ、言葉が重くなっていく。
この一族の中、秘石に近付きなおかつ黒髪を有しているのは自分だけなのだから、それはしかたがない。が、だからといってそれを気に病む必要はない。
「ま、それならそれでちょうどいいかな。俺も今日は報告があったんだ」
まるで今の夢の話を気にかけていない気軽さでシンタローは笑う。それが本当に気にかけていないが故なのか、彼らを安心させるための笑みなのか、それは解らなかったけれど。
ゆったりと、それでもシンタローは笑った。どこか、幸せそうに。
そうして開かれた唇は幾年月願い続けたか解らない祈りを、言葉と換えた。
「俺は島に戻ったら、パプワを探しに旅に出る。夢が心配だっていうんなら、島にいなけりゃいいだろ? 海の上の夢は、なかったしな?」
だから大丈夫だと、まるで遊びにいく約束を楽しみにしている子供のように幼い笑みで、彼はいった。
楽しみで仕方がないと、その顔だけで十分に知れた。
「………行く、のか……」
乾涸
ひから
びたような掠れた声でマジックが言う。憂いを秘めた眉間の皺は、悲しげだ。
「ああ。あいつに会いに」
もうずっと、長いことその名すら綴れずにいたのに、いざ言葉としてみればなんと自然に流れる音だろうか。
懐かしいあの鮮やかな記憶の子供をいとしむように細めた瞳で答えれば、深い溜め息が、聞こえた。
「寂しくなる…な。ちゃんと連絡はしてくれるんだろ?」
「忘れなけりゃ一応な。それで悪いけど、あの島のこと、あんたとグンマに任せるぜ」
「それは……構わないが」
そう言い淀みながらちらりとマジックはシンタローの隣に座るキンタローを見遣る。なんだかんだいいながらも、彼もまたシンタローを慕っている。その彼が自分だけ名を連ねていないと怒りはしないかと思ってみれば、そこには微かながら笑んだ彼が、いた。
「………俺はついていく」
その笑みだけで十分知れてはいたが、改めて言葉と変えてキンタローが宣言する。
「ますます寂しくなるねぇ。パパもついていっちゃ……」
「未来永劫断り続ける」
「………ひどいよシンちゃん……………」
そんな二人を見ながら、キンタローは言葉を綴ろうとして開きかけた唇を、閉ざした。
いう必要はないだろうと、そう思いたくて。
けれどまっすぐに自分に向けられた視線に気付き、目を向ければハーレムが訝しげに眉を上げていた。
気づかれたかと息を飲み、それでも伝えておいた方がおそらくはいいのだろうと思い直して。
夕食ぐらいは一緒にしようと話しはじめたマジックのお開きの声を聞きながら、ちらりと視線だけで残れと彼に伝える。
話は、シンタローには聞かせたくはなかった。
きっと彼はたった今の話のように一蹴して、大丈夫と安心させるようにその力強い笑みを見せてくれるから。
彼に依存しそうな弱さを断ち切るためにも、自分達は彼のその優しさに甘えずに物事に立ち向かわなくてはいけない。
そう思い、シンタローについてドアを出る瞬間、グンマにも目配せをする。
大分そういったことの勘の良さを身に付けた彼は心得たように頷き、確認するように軽やかにマジックたちに手を挙げ笑いかけた。
静かに静かに、回りはじめた。
もう、壊れるまでその動きは止まらない。
壊れるために回りはじめた、歯車。
ようやくまた書きはじめましたね、神話シリーズ。
ここまできていれば後はさほど長くはないのですが。うーむ、何回くらいで終わるかしら。
次回はキンタローの話から始まりです。
ゆっくりと、話は転がっていきます。崖に近付くために。