空は青かった。いつもと変わらない平和な一日の始まり。
昨夜きたメールで明日の朝出発が唐突に言い渡されたミヤギたちは大慌てで準備に取りかかった。もともとついていくつもりであったし、それがそう遠くはない日のことと解っていたので一通りの荷物はまとめてあったが、どうしたって細かいものは入り用だ。
それぞれ分担して買い物や子供たちの世話をしつつ、なんとかシンタローたちが帰ってくる間でには整えることができた。Faxで送られた資料を読み、既に荷物類は船に乗せてしまった。………船という言葉で括るにはあまりに壮大な姿ではあったが。
「…………これに乗るの、僕たちだけっちゃ?」
「のはずだべ。まあシンタローらしいっぺ」
豪華というわけではなく、雄大だ。華美な装飾はしていないがそれは見ているだけで圧巻される。軍艦と間違われないようにしなくてはといらない心配までしてしまうほどだった。
「ん? おんしら子供たちはどないしたんじゃ?」
「そういうコージの方こそ、買い物はできたべか?」
「…………何度食事処に入ろうとするところを見つけて燃やしたか解りまへんわ……………」
「あ、ちゃんと買ってあるっちゃv さすがに子供に頼める買い物くらいは平気っちゃねv」
「……………トットリ…………フォローじゃねぇべ、それ」
明るい声で褒めているような貶し言葉を吐く友人に思わず冷たい風を感じてしまう。それが彼の個性といってしまえばその通りかもしれないけれど。
「で、お子さんらはどないしはりましたん?」
「ああ、あいつらなら今夜お別れパーティーをするんだって言ってさっき食堂を飾り付けてたべ。昼飯も食ったし、午後また起き出したら仕上げるっていってたべ」
「まあ……そうなりますやろなぁ…」
朝、朝食の席で明日シンタローと一緒に自分達もまた旅に出てしまうのだと告げたときの姿が脳裏に過る。
一瞬の動揺の後の、怒濤のような泣き声。悲しみと辛さと、行かないで欲しいと訴える哀れなまでの縋る目と声に満ちた食堂。やはりシンタローたちが戻ってから彼らに言ってもらえばよかったかと思いながら、それでも少しでも覚悟する時間ができた方がいいと伝える役を買って出たのは自分達だった。
別れは辛い。それくらいは当たり前だ。だからそれを乗り越えるための時間が誰にだって必要なのだ。
そうして暫くの涙の時間のあと、子供たちは誰に言われるでもなく決めていた。
みんなでお見送りをしよう、と。そのためのパーティーをしよう、と。
そうまるで呪文のように言い合いながら、片づけをし、それぞれの課題を放り出して手作りの装飾品を作り出したのだ。
輪飾りや垂れ幕、サクラ紙の花。画用紙に描かれたみんなの似顔絵や、きれいな景色画。どれも拙く小さな指先が作り出すのだからいびつで不格好だ。それでも心和む優しい風景が作り出されていく。
止められるわけもなく、その姿を見守りながら彼らもまた、最後の準備に取りかかっていた。ようやく子供たちも午睡に入り、今は静かになった。きっと午前中の一連の騒ぎで疲れたのだろう、深く眠っている。せっかくだし今日の昼寝は少し延長させてのんびりと過ごさせ、起きた時にはシンタローにでも教わって自分達がおやつを作ってみようか。そんな、のんきな話をしていたのだ。
本当に、ついさっきまでは。
それだというのに、どうしてこんなことになったのか。
「…………オイオイ、どういうことだべ」
「解るわけありませんわ。悩むより、目の前のことに集中しなはれ」
「まあ……シンタローたちが帰ってくるまでの足留めくらいは……できるじゃろ」
「本当に僕ら、自分の実力わきまえているっちゃね」
それぞれがそれぞれの感想をいいながらも、ただ一つ、その真剣な眼差しだけは同じだった。目の前に唐突に現れた……まるで散歩でもしていたような気安さでそこにいた相手を見据えて。
その人は笑っていた。面白そうとも愉快そうともとれない、ただ唇だけを吊上げた微笑。
さわさわと風が逃げていく。しんとした、辺りの気配。鳥たちはさえずりを止め、木々は揺らぐことを恐れている。
たった一人現れたその人物が故に。
長い金の髪。冷淡な青い目。……忘れるわけもない。この島であったかつてのあの、青の一族の戦いのさなか現れた青の番人。
シンタローが死んだと告げられた時、我を忘れて全員で襲いながら、赤子を放るかのような容易さで退けられた、相手。脆弱だと楽しそうに囁いた声は生涯忘れられない。
にいと、笑った。張り付いた微笑が解け、動いた、その、顔。
ゾッと背筋を張った悪寒よりも早く、全員が地面を蹴り中空へ逃げる。同時に爆発するかのように裂ける地面。
轟音すらない。真空が切り裂いたかのような静寂の破壊。
ひゅっと額の間近で音がした。何も見えはしないが、勘が告げるままに後方へと体をずらし、避ければ逃げ遅れた前髪が僅かに千切れ空を舞う。
「ミヤギくん!」
「大丈夫だべ! 鎌イタチみてぇだ、おめも気をつけろっ」
切羽詰まったような友人の声に虚勢を振り絞って答える。正直、何一つ見極めることなど出来ない。鍛錬を怠ったつもりはないが、それでもこの歴然とした、実力差。平和ぼけをしたかと舌打ちしたいが、そんな暇もない。
囲むようにしてたった一人を包囲するが、隙すら伺えない。相手に背後をとられたという焦りもあるわけがない。彼にしてみれば、たとえ全員で不意打ちをしたところで難なく返り討ちにできる自信があるからこその、この余裕なのだから。
「どうぞ、逃げたければいくらでも。あの方がここに来るまでの、余興ですから」
ふうわりと笑んで、その人はいった。
響く音はざらりとしていて耳に不快だ。鼓膜を振るわせるというよりは鑢(やすり)でもって削られているような違和感のある音。
「なんじゃ、お前、シンタロー目当てか?」
握る柄を微動たりともそらせずに正眼のまま構えるコージが喉奥から声を出した。掠れていないだけ、たいした胆力だと彼は笑う。
そうして笑んだままの唇で、答えた。まるでそうすることを楽しむかのように。
「いいえ。確かに彼にも会わなくてはいけませんけどね、私が会いにきた人は別の方ですよ」
「別……? ここには他に青の一族なんぞいませんわ。勘違いどしたらお引き取り願いますわ」
訝しみ、そう答えたアラシヤマの体を包む炎がゆっくりと赤みを帯びた青へと変わっていく。
もう力による侵略をすることはなくなって幾年を過ごしたか解らない。それでもいついかなる時でも守りたいものを守れるように、己の限界さえ忘れて技を磨き続けた。だから、あの人の傍にいてもいいのだと、そう自分に言い聞かせることができる。
後ろ向きな思考だと思っても、自分の価値はこれでしか証明ができない。だから、あの人以外誰にも負けたくはないのだ。
たったひとりシンタローだけが自分を地に平伏させる者。そしてその障害となる全ては、自分が燃やし尽くす。
そうずっと定めていたのだ。彼のために命を賭けたあの日から。
彼には鮮やかな美しい道だけを歩んでほしい、から。
「ぶぶ漬け出すのも惜しいですわ。さっさと去んでくれます?」
青い炎が、揺らめく。美しい、幻惑的な風景。
ごくりと、息を飲む。普段自分達にいいようにあしらわれていても、彼はシンタローに次ぐ実力を有した戦闘員なのだと思い出させられる。
ジリジリと空気が焼ける。喉が、干上がっていく。
「さもなければ、わての炎があんさんを焼き付くしますえ?」
好戦的な目が、光る。
味方すら身震いする、野生のままの目。
殺しというその職務に何の負い目も感じはしない、搾取するための、目。
炎が舞い上がる。完全燃焼された青い炎が揺らめき、姿を変える。
「おや……変わった技ですね」
くすくすと楽しそうに笑う、男の声。耳障りで仕方ない、低音。ざらついたノイズ。
不快に眉を寄せ、アラシヤマの指先が男を指し示す。………ざわめきとともに姿を形作る、青い揺らめき。そうしてその姿が形を得た瞬間に、爆発する。
男を喰らうように顎(あぎと)
をもたげた青龍が炎の鱗をまき散らしながら男へと猛進する。踊る炎の舌先がその金の毛先を舐めとろうとした、刹那。
「―――――――っ?!」
音もなく、消え去った。
まるでそこにそんなものは存在しなかったかのように、掻き消された。
息を飲み込むことすら、難しかった。あり得ない光景ばかりが広がる。突然現れた男、そして、無音のまま裂かれた地面。突然かき消された炎。全てが自分達の常識からずれている現象ばかりだった。
静寂が辺りを包む。………一切の音の剥奪。呼気すら拒まれるような感覚に喘ぐように口を開いて、気付く。
「…………空…気…?」
愕然としたように掠れた音を吐き出した頃にはアラシヤマの纏う炎は姿を消していた。吸い込もうとした酸素の、その薄さ。
「気づきましたか?」
口角を持ち上げた男が嬉しそうに囁く。微動たりともせずに立ち尽くしたまま。
「…………っっ」
喉元を押さえ、一人、また一人と膝をつく。気丈に刀を地に突き刺して立ち上がろうとするコージもまた、片膝を地につけた。
「まだ開発途中の能力なもので、加減が難しいですが…まあ人を相手にするなら、こんなものですね」
地に伏す面々を眺めながらそう呟き、満足そうに頷く。冷酷である前の、無邪気さで。
目の前にあるものは命あるものではなく、意思疎通が可能な存在ですらなく。ただひたすらに実験に協力させるためだけに生かした、モルモット。
そう、残酷に告げるような、笑み。
「御協力感謝しますよ。ああ…ほら、時間もぴったりでした」
慈悲なく笑う男は、不意に視界の端をかすめた鈍い瞬きに目を上げ、楽しげに目を細める。
呼気のほとんどを奪われた状態で正常な判断は難しい。それでも誰もが直感した。その男の言う意味を。
セスナが島に近付く。視覚で確認出来るのであれば、あと僅かな時間でここにたどり着いてしまう。しかもまるで目印でもつけるかのように、この地には派手に裂けた跡が、あった。
全ては計算尽くかと忌々しく唇を噛めば、奥歯にかかる重圧のせいで、嫌な音が体内に響く。
せめて。……せめて、一矢報いなくては。
こんな、彼の枷となるためにここにいるわけではないのだから。
這うようにして、動く。誰もが不自由なその空間内で足掻こうと、した。
「頭の悪い生き物ですね…本当に。解っていますか?」
蠢き出した虫たちを不可解そうに眺めながら男が呟く。醜いというように眉を顰めながら。汚物を見る視線で。
「話すだけ、動くだけでも酸素は消費されますよ? ああほら、御覧なさい」
ジリジリと迫る虫の一匹が動かなくなったと楽しそうに男は実況中継をはじめる。まるで遊び、だ。
浅い呼吸を繰り返しながらコージは他のものを見遣った。もうミヤギは動けなくなっているし、こうしたことに耐性のあるトットリも、決して楽観できる状態ではない。まして先ほどまで炎を纏っていたアラシヤマにいたっては自分達よりも纏う酸素は薄くなっていることが想像できる。
それでも立ち上がることもできない自分達が一矢報いるとしたら、どうするか。………簡単なことだ、後このほんの1mほどの距離を詰めるのを誰か一人に絞り、他のものがそこまでの移動手段になれば、いい。
考えて、結局最後はこの男の腕を借りるしかないのかと苦笑する。
普段どれほどぞんざいに扱われようと、その実力を自分達はよく知っているのだから。
「…………」
睨むように二人に視線を送る。言葉など出して無駄な酸素は使えない。それでも、いや、そういった状況だからこそ、これだけが相手にダメージを与える可能性を見いだせるのだが。
セスナの音が、聞こえる。おそらくモニターで今の状況を確認したのだろう。叫ぶ声も聞こえる気がするが、認識はできなかった。
交わされた互いの支線には、覚悟の色。
ああ昔にもそんな視線を交わしたと、そう笑ってしまう。土壇場での、このチームワークの良さはどこか面白みがあった。
ゆっくりと近付く。男にではなく、互いがすり寄るように。どうせ相手には一対一では無理と判断したと思われるだけだ。完全なまでに見下した、その有り余る余裕の顔が物語っていた。
そうしてようやく相手の体を掴める位置まできた時に、その服を鷲掴んだ。
訝しそうに眉が寄せられるより、早く。あと僅かなその距離を、詰める。渾身の力を込めて投げ付けたのは、アラシヤマ自身。
「…………?」
相手の一瞬の困惑に、笑う。考えれば単純なことだと。
自分達の酸素を奪った。あるいは、空間を真空状態に変えた。それでもこの男は普通に話し、動く。
彼が酸素という生命維持に不可欠なものを必要としない生き物だというならば別だが、同じように番人としての体を持つ者はそうではなかった。ならば、推測ができる。
彼は酸素を纏っている。絶え間なく、確実に。
そして酸素があれば、炎は生まれる。そうした特異能力を、アラシヤマはその身に宿しているのだから。
呼吸が掠れる。視界が暗まってきた。そろそろ、動けなくなってしまう。
それでも確かに伸ばした腕は、相手の足首を掴んだ。
瞬間、燃え上がったのは炎の柱。
ブラックアウトする脳を抱えながら、それでも薄ら笑った。
最後に見えたのは鮮やかな空にそびえる炎の柱。
そして。
轟音とともに近付くセスナの鈍い鉄の色、だけだった。
シンタローが出てこなかった…………
まあそんなときもありますよ、ね。うん。
いや〜、伊達衆が頑張ってます。まるで役に立っていませんが。
特にミヤギ。全然役に立っていませんよ。いいのかそれで。
いや、彼は戦闘以外で役に立っているので、まあいいかな……と。子供の世話は彼が一番上手。
次回はシンタローたちですな。多分セスナ内で今回のを見ているあたりから始めようかと。
………長くなりそうなら切ってしまうかもですが………………。