土煙が視界をおさめる。確かに体を貫いた衝撃に眉を顰める。
あいかわらず自分の影は自分の思うように動こうとはしない。情を知ったが故なのかもしれないが、時折ひどく手を焼く存在だ。
もっともそれもあと僅かなときの間のことと思えばどこか楽しくさえある。それに、彼は確かに自分だった。青の呪縛から逃れることの出来ない、永遠の捕われ人。
左肩が抉れている。…………これではこの体もまた捨てなければいけない。もっとも、当初からこの肉体はこうした事態を予測した上で作った仮初めのものだから困りはしないが。
ゆっくりと晴れていく視界。空からは日差しが舞い降り、澄んだ空気に見合った鮮やかな青空が広がっていた。
耳に響くのは叫んだ声。喉が涸れるほど。それは痛々しいと評される、音。
血を吐く叫びに木に背をもたれていた男たちが這うようにして近付く。絶望を目に宿しながら、必死で希望を探して。
………なんと弱々し生き物なのだろうかと、思う。
青の血を宿しながらもこの男は非情になりきれず、他のものはその足下に及ばぬほど、情に脆い。
男の腕の中もう動かないその黒髪は、けれどあの島に舞いおり、自分の宿る肉の中眠るだろう。それは復活とは少し違うが、確かに永らえるということ。
自分の中から分離した彼が、自分の中に戻るという極自然なこと。
たったそれだけの事象だ。その固まりゆく肉は汚らわしい赤の番人のものであり、彼の本質にあうべきものではないのだから、悲しむ意味すらない。
「………脆弱なことだ」
呆れるよりも無関心な音が響き、かつりと、地面を蹴る音が後を追う。
それに気づき、涙に霞む視界を払い、キンタローが近付く男を見据えた。
何が原因かなど解らない。それでも、この男が現れたからこそ、この事態は起きた。誰よりも揺るぎなく生きてきた男を、その腕で胸を切り開かせた。もっとも残酷な解剖。
男の肩は空洞がのぞき、変形しているというのに顔色ひとつ変えてはいない。それだけで解る。自分達とは決定的に異質な生き物。そして、決してシンタローと同化などすることはない、命。
「貴様に何が解る………っ」
「あなたは昔から情に弱い」
冷淡にそう呟き、アスはキンタローの腕に眠るシンタローの髪を掴む。と心得たかのように長いその髪は切り裂かれその房をアスの腕へと託してしまう。
睨む視線は変わらずだが、攻撃はなかった。もっとも先ほどの眼魔砲が身を貫いた際、それにあわせて攻撃元へと戻した真空によりその片腕はひしゃげ、形も残してはいないけれど。
正しい機能を残した片腕には未だ肉と化したままの躯を抱え、怨嗟すら吐き出せないのだから、人とは弱い生き物だ。
「その肉は後で貰い受けよう。それまではせいぜい愁嘆場でも演じているといい」
この体では運ぶのが骨だからと笑い、アスは現れたときと同じ静かさでゆっくりと歩む。空間の、上を。
そうして風に掻き消されたかのように、その姿は忽然と見えなくなり、辺りには静寂が舞い戻った。
何もかもがいつもと同じだ。あたたかな日差し、心地よい風。辺りは緑の匂いが深く漂い、心落ち着かせる安穏とした空気。
それなのに、悲哀を孕み空気を震わせる。
たった一つの命が消えた。それだけで世界は沈黙する。
あたかも世界の鼓動が消えたかのように。
慟哭は、やむことはなかった。
舞い戻ったその島は先ほど訪れた島と同じように鮮やかな空と海を宿している。
それを見遣り、先に戻ったであろう命はさぞ喜んでいるだろうと目を細める。影は、ひどくこの島を好んでいたから。
自分が得るはずの肉体は完成しており、今こうして宿っているものはそれを作る際に派生した不完全品だ。惜しむ気もなく、また、痛覚などの神経系は遮断しているのでついさっき負った怪我すら意識の中には入っていなかった。
無遠慮に歩くために肩がまた位置をずらす。背後から見たならその影が人間であるのか疑うほど両の肩の位置はずれていた。
そうしてたどり着いた洞穴の奥、隠されていた自分の肉体に触れる。
既に宿っている影のおかげであたたまっているはずだった。が、触れた肉体は未だただの肉であり、命を宿していないことが明白な冷たさを残していた。
眉を顰め、辺りを見遣る。まだここに戻っていないのかを思えば、確かにその魂のは度はこの島の中で響いていた。
この島に訪れたのであれば、この肉体に気付かないはずはない。事実、いまこの瞬間でさえこの肉体は魂を求めて触手を伸ばしているのだから。
それでもここにはこない。この肉体に宿らない。
ならば、答えは一つしかあり得ない。
「相変わらず……逆らうな」
影は自分と溶けることは拒んだ。元へと戻ることを、拒んだのだ。
この島に住む子供のためか、あの島で哭く仲間のためか解りはしない。
解るのはただ一つ。今際の際の彼の言葉を、彼は確かに見せつけたのだ。
「…………それなら、思い知るといい」
現実の残酷さがどれほど過酷かを。
この身に戻らぬのであれば、影は、敵と同義なのだから。
澄んだ空、深く色付く海。見知ったものに酷似したその風景に心がはねる。………既に鼓動と呼べるものの存在しない希薄な気配をなんとか留めながら眼下の風景を見つめた。
自分の亡骸を中心に哭く仲間たちを見つめた後、記憶がなかった。ふと気づくとここにいた。何か…自分を呼ぶ声がする気がするが、それよりも気にかかる声が響いて、今もそれを探している。ただひたすらに懐かしいこの島の気配に溶け込みそうになりながら。
おそらく……と思いながらも希望はあえて言葉とはしなかった。
こんな身で彼の前に現れるのはあまりに虚しい。昔も一度同じ状態にはなったが、それと今はまるで意味が違う。完全な死を前に、あの子供に再会を果たし、それが子供にどんな衝撃を与えるのかと考えれば、ただその姿を見るだけで十分だろうと、そう思ってしまう。
その姿を見たいと思うことこそが、もう既に過ぎた望みなのだから。
ゆらゆらと浮遊しながら気配をたどる。自分を呼ぶ懐かしい音。それはどこか歌うように響いていた。
決して耳には聞こえない、今のこの状態だからこそ聞こえる歌は、彼の鼓動に限りなく近い、命の歌声。
歌は近付く、何かを探すように迷いながら立ち止まり、そうしてもうそれは間近まで訪れていた。
鼓動もないくせに、それがはねる感覚。擬似的なその感覚をやり過ごしながら、そうっと、気配を殺す。そうする意味もないのだろうが、どうしても見つかりたくないという思いが無意識にそれを行わせていた。
息をひそめ見つめた先、足下の茂みの合間、確かに見えた。
精悍な四肢。長く伸ばされた黒髪。顔は……見えなかった。が、歌声はその青年の内から響いている。穢れなく澄んだ音色のまま。
困惑したように辺りを眺めながら悩み、彼は足を止めてはまた歩き出す。それについていくように宙を飛ぶ。歩くことと同じ感覚で飛ぶ自分を奇妙に思いながらも、彼を見つけたのだろうかと心の内が沸き立った。
ただ嬉しかった。純粋に、あの頃の感情が甦る。鮮やかな鮮やかな美しい記憶。たった一つ自分の中、決して煌めきをなくさない穢れなき場所の思い出。
懐かしかった。嬉しかった。声をかけたくて……けれど躊躇って飲み込む。ただ見るだけで十分だった。そうして、自分はきっと消えるのだろう。もともと命というものに吹き込まれるためには生まれていない精神だけなのだ。こうして今もまだ形を保てていること自体、どこか不思議な気がするほどだ。
だからもういいか、と、足を止めた。
そうすると彼もまた足を止める。
それが何より嬉しくて、泣きそうになった。
見えはせず、解るわけもないくせに、それでもきっと彼は何かを感じていま自分を探しているのだ。自分だと解らなくとも、何かがいるとそう思って。
それだけでもう、十分だった。仲間たちに贈った言葉と同じ言葉を贈り、告げることのできなかった別れの言葉を口にしかけた時、不意に風が吹きかけた。
生暖かい、南風。
不吉でどす黒さを滲ませたその風に乗るように、金の髪が揺れた。
先ほどまでは、少なくとも自分がこの姿となったそのときまでは、彼は重傷と一目で解る出で立ちだったというのに、今は服装すら正装となり傷などかすり傷一つとして見当たらなかった。
驚きに瞠目していれば、視線が向けられた。ぎくりと体が強張る気がした。その目に込められる怨嗟にも似た感情は、肉体という盾を持たない身にはあまりに毒々しく激しかった。
「………そんなところにいたんですか」
彼の呟きは中空に向けられていた。訝しそうに眉を顰める青年を無視し、アスは口角を釣り上げて笑みを象った。
確かに己の存在に反応している影を嘲笑うように。
「ちょうど良かった。あなたにも見せてやりたかったところですから」
やはり中空を見つめたままそう呟き、アスはその手に掴んでいた黒髪を差し出した。
「なかなか見物の劇ですよ。そのまま特等席でどうぞ」
「お前、何をいっているんだ?」
まるで言葉の通じない人間のようにつらつらとしゃべる内容は青年にとってはまるで解らない言葉だった。否、言葉が、ではない。その内容が、だ。
「覚えているぞ。お前、アスだろ。青の秘石に会いにきたのか?」
眉を寄せて見つめる目には不可解そうな瞬きがある。少なくとも、この男が自分の前にわざわざ現れる理由が解らないと、そうその目ははっきりと物語っていた。
そしてそれは確かだ。かつては子供だった青年を殺すと明言し、実際彼の生きていたその島を破壊するための工作も手助けもした。そのために男は存在していたのだから。
そんな男が今更謝罪をしに自分の前に現れるなどとは考えられない。また、青の秘石に会うというのなら、確実に自分には見つからないように注意を払うだろう。そう考え付かないほど目出度い思考を有していない青年は、再びこの島にかつての島のような災厄を味わわせぬよう、男を見つめる視線は自然厳しいものになった。
この島にはかつて約束を交わした一人の女の子が舞い戻ってきているのだ。戦う力はなく、ただ自分に寄り添い安息を与えてくれる、それでも強くしなやかな女の子が。
守りたいと、そう思った小さな女の子。再会を果たした彼女に不安も悲しみも与えたくはない。そのためなら、戦うことに躊躇いはなかった。
「いいえ」
だから、正直男の返答には拍子抜けをした。
目を瞬かせ、それならばどんな用事があるのだと視線だけで問いかける。その視界に、初めてそれが確かな形で入り込んだ。
長い、黒い髪。自分と同じに見えて、それは確かに質が違う。
かつてそれとよく似た髪を有した青年が自分の傍にはいた。ずっと一緒にいたいと願っていたけれど、彼の願いを叶えたくて、そのために、自分達は離ればなれになった。懐かしい……決して忘れることのできない記憶に眠る人。
ぞくりと、肌が粟立った。
まさかと思い、同時に、先ほどから感じる違和感に血の気の引く思いがした。
ついさっき、覚えのある感覚が身を包んだのだ。かつて一度、あの青年が遠く離れた土地で命を落とした時、その瞬間に自分は解った。彼の肉体から離れた魂が浮遊し迷いながら、それでも自分のもとに降り立ったことを。
解ったのだ、確かにあの時。そしてそれと同じ感覚が、ついさっき訪れた。
あり得ないとそう思いながらも騒ぐ胸騒ぎをおさめたくて歩き回った。居るわけがないその影を探して。叫びたい唇を噛み締めて、ずっと呼べずにいたその名を心の中、何度も叫んだ。
………答えるもののいない名前は、あまりに悲しかったから。
自分で定め、決断した結果を悔やみたくなくて、自分自身に戒めた大切な大切な人の名前。
「気づかれたようですね………名を、教えた方がいいですか?」
この髪を所有していた男の名を、自分が口にした方がいいかとアスは笑う。
青年の後ろ、決して届かぬ声で必死で叫ぶ男を愉快そうに眺めながら。
これは、ある種、報復だった。
自分の中に戻るはずの男が裏切ったその行為に対して。あるいは、それを選ばせたこの青年に対しての。
「シン………っ」
名を綴り損ねた呼気が中空でつまるように霧散した。
「せっかくですから、差し上げましょうか?」
叫ぶことの出来ないその名を喉奥に蟠らせた青年を嘲笑うようにアスはその手を開き、長い黒髪を宙に舞わせ、地に落とした。
それを踏みにじり、笑う。
さも楽しそうに、嬉しそうに。壊れるおもちゃを見る、背徳的な愉悦。
「形見の代わりに、こんなものでよろしければ。…………私が殺した男の、ね………」
愕然とした青年の顔。昔に比べ、ずいぶん感情が顔に出るようになったものだ。
それを見ると話に視界の恥に映しながら、アスはうっとりと笑んだ。
目に映るのは青年に寄り添い自分を睨む男。
怒りと憎しみをたたえた瞳から流れる涙は、なによりも美しかった。
あー、アスがムカつく腹立つ。嫌な奴だなー………
でもそういう役所にした私が悪い。しかしやっぱり腹立つ!!
このシリーズではアスとシンタローは、アスのなかにシンがいてそこから派生して生まれたのがシンタロー、まあ早い話もともとはアスの一部だっとという設定にしています。
そして自分の一部だったということで当然ながら所有感覚をアスは持っていると。
滅茶苦茶歪んだパラノイア?
ストーリー的に結構きついので一気に書くのが辛くなりました。
のでオリジナル書きつつ一緒に書き進めていきます。すみません。